71 取り巻きを攻略しましょう3
多くの貴族が集まる中、その視線は徐々に私とチョビ髭に集中し始めた。
そりゃ皆が和気藹々と歓談する中、突然口論を始めた男女がいれば悪目立ちもするだろう。
けれど私は一切退く気がない。たとえ衆目を集めたとしても、公爵の悪評を垂れ流すチョビ髭を見過ごせない。
私はデボビッチ家の女主人……そして公爵の妻(仮)でもあるのだから。
「ドピング伯爵、我が夫・カイン=キールについて、今後虚偽を語るのはやめて頂きますわ」
「虚偽とは一体何のことだか。私は皆に真実を語っているにすぎない」
チョビ髭は再び葉巻に火をつけ、その煙を私に向かってふぅっと吹きかける。
なるほど、穏便に済ませようと思ってたけど、そっちがその気ならとことんやってやろうじゃないの!
私はこめかみに青筋を立てながら、戦闘態勢を整える。
「我が夫は先代から当主の座を引き継いで以来、アストレーの立て直しに尽力して参りました。王都ではなくアストレーに引き籠っているのも、先代が残した問題の多くを解決し、領民により良い生活を促すため。それはドピング伯爵、誰よりあなたがお分かりなのでは?」
「き、貴様、我が父を愚弄するつもりか!?」
さすがに先代のことを引き合いに出されたのが気に食わなかったのか、チョビ髭の顔色が真っ青に変わる。
でも元々ケンカを吹っ掛けたのはそっち。手加減するつもりは一切ない。
「愚弄も何も、私は真実を申し上げてるだけです。港町という特性ゆえ、四年前までアストレーには密輸品を売買する不届き者が横行しておりました。そのために治安が乱れ、異国より流れてくる難民にも一切の救済は為されず、過去のアストレーはまさに無法地帯。天下のデボビッチ家のお膝下だというのに、全く統制されていなかったのです」
「………っ」
私は今度はチョビ髭ではなく、ぐるりと周りを見渡した。
そして選挙カーで手を振る立候補者のごとく、にっこりと微笑みを浮かべて演説する。
「そんなアストレーに変革をもたらしたのは、他でもない我が夫・カイン=キールでございました。夫はデボビッチ家の当主になってからまず、収賄の罪を犯していた各地の管理人達を解雇し、全ての不正を正しました。その後、港の治安を守るため保安局を再生し、またモルド=ゾセからの難民達にも正規の職を与え、生きる場所を与えたのです。
――ええ? 難民がアストレーの治安を悪化させている? いいえ、事実はその逆です。アストレーの民はカイン様の指導の下、難民との融和を果たし、さらなる発展を遂げることができたのです」
「まぁ……やっぱりカイン様ってすごいんですね!」
私の演説の合間に、瞳を輝かせたルーナが合の手を入れる。
ふふふ、ナイスよ、ルーナ! 今のタイミング、バッチリだったわ!
私の演説に同調する者が現れて、その場にいる貴族達も真剣に私の話に耳を傾け始める。
「う、嘘だ! あの男がそんなに優秀なはずがない!」
「カイン様が優秀であるかどうかは、私達貴族ではなく領民が決めることですわ。そうですわね、ならば去年、大きな水害に見舞われたカバスの領民に尋ねてみてはいかがでしょう? 洪水によって住む家をなくし途方に暮れていた領民に温かい食事と寝床を提供し、さらには今後五年間災害による納税の軽減免除を行ったのは一体誰なのか。皆の口からはきっと同じ答えが返ってくるでしょうね」
「う、ぐぐぐ……」
私はただ単に、公爵が行った施政を並び立てているに過ぎない。けれどそれが最も効果的に公爵の人となりを伝える術だと知っている。
「だ、だがあの男の女癖が悪いのは事実だろう! どれほど民に尽くしても、肝心の妻はとっかえ引っかえ放題! 貴様だってカインの五番目の妻だろう!? あの男の妻が次々に不審死していることについてはどう弁明する!?」
「……」
うーん、そこを突っ込んできましたか。
確かに対外的に、結婚と死別を繰り返している公爵は印象が悪いわよね。
さすがに『過去の妻達は全員生きてます』と事実を告げるわけにはいかないし。
「確かに私はカイン様にとって五番目の妻です。公爵家に嫁いでまだ日が浅い新参者。ですが……」
私は自分の胸に手を当て、アストレーでの日々を思い返してみる。
「それでも私は公爵様に娶って頂き、これまでの不幸を補って余りあるほどの幸福を得ました。常に周りに溢れる笑顔、ありのままの自分を受け入れてくれる夫と夫に仕える優しい人々……。火事で家族を一気に亡くし、生きる希望を失っていた私を夫が慰め、励ましてくれたのです。だからこそもし私が今後命を失うことがあったとしても、私はカイン様との結婚を悔いたりはしません。胸に宿った思い出が色褪せることも決してないでしょう」
「デボラ様……」
気づけば周りの視線が私に集中していた。ルーナも、そしてロクサーヌも、真剣に私の話を聞いてくれている。
「だからこそ思うのです。先代の奥様方も、きっとそれがどれほど短い時間だったとしても、カイン様と結婚できた間は幸せだったろう……と。実際、私は二番目の奥様の遺族とお話しする機会を得られたのですが、その短い生涯が幸福なものだったと聞き及んでおります。奥様は最後まで夫であるカイン様に感謝していた……と」
……なーんて。ほんのちょっとイルマのことを脚色して、私は公爵と亡き奥方との死別エピソードを美談に仕立て上げてみる。
実際、四人の奥方様はみんな幸せになってるんだから、これくらいの嘘は許してほしいわ。
とにかくカイン=キール青髭伝説疑惑は、この機会にきっちり払拭しておかなくては!
「もしも私の話をお疑いになる方がいらっしゃるなら、いつでもアストレーへご招待致しますわ。百聞は一見に如かず……と申しますでしょ? サロンで噂される根も葉もない与太話より、ご自分の目と耳で実際に真実をお確かめになったらいかがかしら?」
私は舞台に上る女優のごとく、両手を広げて自信満々に微笑んでみせた。その芝居じみたパフォーマンスの効果は絶大だったのか、周りからは、ほぅっと感嘆のため息が漏れる。
「ふ、ふんっ、不愉快だ! こんなぽっと出の女の話など信じるほうがどうかしているっ! 私はカイン=キールを許さない! あの男の妻である貴様も同罪だっ!!」
チョビ髭は口にくわえていた葉巻を乱暴に灰皿に押し付けると、怒りの形相のまま慌ててサロンを去っていった。
あら、意外にあっさり退場したわね。もう少しこっちに突っかかってくるかと思ったのに。
まだまだ口論が続くと思っていた私は、軽く肩を竦めながらチョビ髭の背中を黙って見送る。
「皆様、お騒がせして申し訳ありません。歓談中のところ、大変大人げない真似をしてしまいました」
私は振り向きざまドレスの裾を取り、観客と化していた皆に向かって丁重に頭を下げた。
すると先ほどまで私と距離を取っていたドルイユ伯爵夫人が、優し気に微笑む。
「いいえ、自分の夫を蔑まれれば、誰だって怒りもしますわ。正直、デボビッチ家の新しい奥方様はどんな方かと思っていましたが、実に情に厚い方でいらっしゃるのね」
「ええ、デボラ様は噂に聞いていたのと印象が違いますわ。ドピング伯爵の言い分を鵜呑みにして、こちらこそ失礼な態度を取ってしまいました。どうかお許し下さいませ」
母親の伯爵夫人が態度を軟化させたことで、ご令嬢・マノン様も私に向かって謝罪してくれた。その様子を見て、ルーナはニコニコしている。
「よかった、デボラ様やカイン様への誤解が解けて! 私、ずっとイライラしてたんですよ。このサロンに来る度、あの太っちょの人がずーっとデボビッチ家の悪口を吹聴して回っているものだから!」
ルーナは腰に手を当て、可愛らしく拗ねた。
ほーほー、なるほど。つまり私が周りから敬遠されていたのは、チョビ髭がデボビッチ家の悪評を世に広めていたからなのね。
でもこれでようやく納得がいった。過去の私も、マーティソン家の叔父様やセシルも、アストレー公爵を冷血公爵と思い込んでいた。その噂のソースこそ、あのチョビ髭だったというのに。
そもそも公爵自身、自分の評判なんて気にしないタイプだし、アストレーに引き籠っていることが多いから、チョビ髭の語るデボビッチ家の悪評がいつのまにか王都で真実として広まってしまったんだわ。
……ううむ、改めて許すまじ、チョビ髭!
また同じようなことがあったら、今度こそコテンパンに叩きのめしてやろうじゃないの!
「ありがとうございます。でもドピング伯爵と本日初めて会ったばかりのわたくし、どうして皆さまはわたくしのほうを信じて下さるのでしょう?」
私が膝を折りながら疑問に思ったことを尋ねると、その質問にはロクサーヌが答えてくれる。……ほんの苦笑を滲ませて。
「確かにドピング伯爵とデボラ様のお話は明らかに食い違っておりました。ですが公爵様のことを語るデボラ様の表情が全て物語っておりましたわ。心から夫である公爵様を愛している……と」
「……え」
くすくすと笑うロクサーヌを見ながら、私は思わず動きを止めた。
ええええぇぇえっ、なんかもしかして私の公爵への気持ち、ダダ洩れていました!?
いや、確かに私は公爵のこと好きだけど、それを自慢しようとか、吹聴して回ろうとか全然思ってないし!
むしろできれば隠していたいのよ、公爵への恋心は!
だって自分の夫に片思いしている妻って、なんだか恥ずかしいじゃないよ!
「そ、そそそそんなことございませんわ。お、夫の名誉を守るのは妻として当然のことででで……」
「照れなくてもよろしいですわ。ドピング伯爵があれほどあっさり引き下がったのも、デボラ様の公爵への愛情が本物だと悟ったからです。公爵への嫉妬から顔を醜く歪める伯爵と、頬を赤く染めながらも夫との思い出を幸せそうに語るデボラ様、どちらの話が本当かだなんて、それこそ一目瞭然でした」
ねぇ、皆様……とロクサーヌが視線を向けると、その場にいた貴族達は和やかな笑顔を浮かべながら頷いた。
うわぁぁぁぁ、なんかこれ羞恥プレイっぽいんですけど!
意図せず公爵への想いを滔々と語ることになった私は、夫を愛する熱情家としてみんなに認識されてしまったらしい。
「お、恐れ入ります。大変お恥ずかしい所をお見せしてしまい、居たたまれないです……」
「何言ってるんですか、デボラ様。私はめちゃめちゃ共感しちゃいましたよ。だってカイン様みたいに素敵な旦那様がいたら、みんなに自慢したくなっちゃいますよねぇ!」
そう言ってルーナはきゃあぁぁと黄色い悲鳴を上げながら、私の背中をバンバンと叩いた。
ちょ、痛い、痛いっ! なんでいつもルーナはそんなにテンション高めなの?
それに公爵への片思いに、あなたにだけは共感してほしくないんだけど!
「本当に羨ましいです。そこまで愛する夫と出会えたデボラ様が」
さらにロクサーヌは一瞬笑みを消し、切なげなため息をつく。
それまで真っ赤になっていた私は彼女の反応が気になり、ン?と首を傾げた。
「あの、ロクサーヌ様……?」
「あ、申し訳ありません。ちょっと自分の身の上に思いを馳せてしまいまして」
ロクサーヌは軽くかぶりを振ると、背筋をしゃんと伸ばして私達と向き直る。
「実は本日は、私から皆様にご報告がありますの」
「報告?」
「ええ、私、この度正式に婚約することになりました」
「え、婚約!? すごいっ、おめでとうございます!」
ロクサーヌの報告に、ルーナはすぐさま祝辞を口にした。婚約が決まったということは、社交界での婚活がとうとう実を結んだのだろう。けれど嫁ぎ先が決まったというのに、ロクサーヌの表情はなぜか冴えない。むしろ沈みがちに見える。
「おめでとうございます……とお祝いして、よろしいお相手なのかしら?」
「……」
何か嫌な予感がして、私は慎重にロクサーヌに問いかける。するとロクサーヌの眉間に細かな皺が寄り、表情が苦々しいものに変化した。
「めでたく……はないかもしれません。何せ婚約の相手は、あのザイフェルト伯爵家の三男・イグナーツ様なので」
「まぁ、なんてこと……!」
「イグナーツ様?」
その名が出た途端、ドルイユ伯爵夫人が小さな悲鳴を上げた。マノン様も一転して同情の視線をロクサーヌに向けている。
「あの、イグナーツ様って……」
「どんなお相手なんですか? ロクサーヌ様」
ほぼ同時に、私とルーナは同じ質問を口にしていた。
するとロクサーヌは自嘲を浮かべ、やや投げやりになりながら答える。
「イグナーツ様は三カ月ほど前にいったん私との婚約を破棄した、王国騎士団に所属する騎士です。この度とある理由で、よりを戻すことになりましたの」
そう淡々と語るロクサーヌの表情は、やっぱり明らかに暗く淀んでいて。
ほぼ彼女と無関係である私も、この婚約が決して幸せなものでないことに、いやでも気づかされることになったのだった。




