67 波乱の舞踏会8
――修羅場って言葉、知ってるかしら?
泥沼化するほど激しい戦いの場のことを指す言葉だけど、私は今、まさにその意味を肌で実感しているわ。
私の手を強引に引くのは、この国一番の色男・第二皇子エルハルド。
片や、私の夫に腕を絡めているのは『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の最強愛されヒロイン・ルーナ=ロントルモン。
ちなみに私を睨む公爵の背後には13日の〇曜日の〇ェイソンのスタンドが浮かび上がっている。
ひぃぃぃーーーっ! ご、誤解です、公爵!
私は好き好んで、この男と一緒にいるわけじゃありませんからぁぁ!
「やぁ、エルハルド。デボビッチ夫人と一緒に現れるとは、意外だね」
「兄上、道に迷い困っている女性を助けるのは紳士として当然のこと。それが絶世の美女となればなおさらです」
にっこりと胡散臭い笑顔を浮かべて会話するのは、クロヴィス殿下とエルハルド。
銀と金。別々の母親から生まれた皇子二人が並び立つと、この場の輝度が倍になったような気がする。
しかもこの二人は王位を争うライバル。周りの注目がさらに集まり、さっさと退場したい私は逆に逃げ出せなくなってしまった。
「……デボラ」
「は、はい、カイン様!」
そんな中、公爵がこっちに来いとばかりに、片手を前に差し出す。ようやくこれで夫のもとに戻れるとホッと胸を撫で下ろし、私はすぐに駆け寄ろうとするけれど……。
――がしっ!
なぜかエルハルドは私の腕を離さず、そのせいで勢いよく前に飛び出した体が斜めに傾いだ。エルハルドはそのまま私の腰に手を回し、倒れそうになったところを後ろから抱きとめてくれる。
その流れを見ていた周りの貴族から、おおっ、と大きなどよめきが起こった。
「ちょ、殿下、手を放して下さいます!?」
「つれないな。あなたが転びかけたところを助けて差し上げたのに」
そう言って、にやりと意味ありげに微笑むエルハルド。
いや、転びそうになったのはあんたのせいでしょーが!
私は口の端をヒクつかせながら、どうやってエルハルドの腕の中から逃げ出そうかと試行錯誤する。
大体夫のいる前で公然と妻を抱きしめるって、あんたどういう神経してんのよ!?
「あのクロヴィス殿下、こちらの派手な方はどなたです?」
しかも場の空気を読まず、ルーナがエルハルドを指さしながら天然キャラを爆発させた。
ええええええっ!? ルーナ、あなた、エルハルドのこと知らないの?
さすがの私もルーナの無知ぶりに、思わず動きを止めてしまう。
「ロントルモン伯爵令嬢。彼は私の弟でこの国の第二皇子であるエルハルドだ」
「第二皇子? の割に失礼じゃないですか。このデボラ様という女性、カイン様の奥様なのでしょう? なのにさっきからデボラ様をご自分の物のように扱っていて、図々しいです!」
「なん……だと?」
しかもルーナったら、いきなり王族であるエルハルドを名指しで非難している!
怖いもの知らずを通り越して、本物のバカじゃないかしら、この子。
けれどその主張からは、エルハルドに絡まれて困っている私を助けてやりたいという素直な性格も滲み出ていた。
「これはこれは聞き捨てならない事を仰るね。ロントルモン伯爵令嬢……と仰ったかな?」
「ルーナです。ルーナ=ロントルモンです、殿下」
「ルーナ嬢、私は困っていた公爵夫人に手を差し伸べただけだが?」
「手を差し伸べているというか、一方的に絡んでますよね? 好きでもない男に触れられる不快さが、殿下にはおわかりですか?」
「――」
ええええーーーーー。ちょ、ルーナってば、マジ正論。
この時、私の中でルーナへの好感度が、ちょっとだけアップした。
庶民育ちのルーナには宮廷作法や常識がないから、皇子に対してもこんな率直な意見が言えるんだわ。
一方のエルハルドは物知らずなルーナに対し、あからさまな嘲笑を浮かべる。
「こちらも驚いたよ。まさか最低限の作法も知らない令嬢が、今宵の舞踏会に紛れ込んでいようとは」
「私の常識がないのと、殿下の常識がないのは、どっこいどっこいじゃないですかね」
「…………はぁ?」
なぜかエルハルドとルーナの間でバチバチと火花が飛び散り、場の空気が険悪になった。
え、ちょ、喧嘩はやめなさい、あなた達。
曲がりなりにもルーナとエルハルドは、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』のプレイヤー投票でベストカップルに選ばれた二人なのよ?
本来ならば恋人達の庭で偶然出会い、初対面でキャッキャウフフとワルツを踊るほどのバカップルなのよ?
それがなぜ犬と猿になっているのかしら?
え? これ、全部私のせい?
ゲーム内にない展開は、できればやめてほしいんだけど。
「おい、エルハルド……」
さすがに第二皇子と伯爵令嬢が直接対立するのをまずいと思ったのか、クロヴィス殿下が慌てて仲介に入ろうとする。ちなみに公爵は私がエルハルドに抱きしめられた時点で、石のように固まってた。
さて、この場をどう収拾すべきかと頭を悩ませる中、幸か不幸か二人の喧嘩など一気に霞むほどの人物が、突然舞踏会会場に現れた。
「おい、見ろ、あの方は……」
「まずい、道を開けろ」
私達を囲む人垣――さらにその奥から誰かが悠々と歩いてきて、皆がその人物のために道を譲る。
その人物の後ろには白の法衣を着た少年少女が数人付き従っていて、神聖な雰囲気を醸し出していた。
「あら、クロヴィス殿下にエルハルド殿下、お久しぶりね」
「これは……マザー・マグノリア。本日わざわざ王宮までお越しになられるとは……。我が父も心から喜ぶことでしょう」
私達の前に現れたのは、優雅な笑みを湛えた老婦人だった。
マザー・マグノリアと呼ばれた女性は、皇子であるクロヴィス殿下やエルハルドさえも一目置く人物らしく、その態度は威風堂々としている。
(マザー・マグノリア……マザー・マグノリア……。あ、そっか、確かこの方って、『幻の王妃』と呼ばれた伝説の人じゃないの!)
私もまたマザー・マグノリアを前にして、深く頭を垂れた。
そして思い出す。
『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の攻略キャラの中に、モーディスという神官がいる。このモーディスを攻略する時に深く関わるのが、このマザー・マグノリアなのだ。
マザー・マグノリア。
すでに60代に入った彼女はイグニアー家の先代の長女で、宰相オロニ=イグニアーの実姉でもある。
かつてその美貌は宮廷内の男性の憧れの的だったらしく、晩年を迎えた今もその美しさは衰えていない。口元にほうれい線こそ刻まれているものの、鼻筋の通った顔立ちは今もなお高い品格を兼ね備えている。
何より彼女はかつてゴンウォール王が即位する前、その兄の婚約者だった。元々ゴンウォール王の兄が王位を継ぐ予定で、マグノリア様は未来の王妃の地位を約束されていたのだ。
けれど王となるはずだったその人物が突然流行り病で死去し、弟であるゴンウォールが王位に就くことになってしまった。マグノリア様は引き続き王妃にと望まれたけれど、ゴンウォール王より10歳以上年上だったことを理由に王妃の座を辞退。その後、社交界から身を退かれ、亡き婚約者を生涯偲ぶために出家されたのだ。
そしてヴァルバンダ正教会に身を寄せた後、マグノリア様は女性の身でありながら司教に次ぐ司祭の地位にまで昇り詰められた。
さらにヴァルバンダ各地の貧民の救済を目的とする『ヴァルバンダ救貧院』を設立し、慈愛の女神として多くの民から称えられる存在となった。
現在は司祭の地位からも下り、王都のシェルマリア救貧院を中心に多くの慈善活動を展開されている。
彼女に救われた貧民は数知れず、国民からの人気も根強い。
――我らが母マザー・マグノリア。
本来ならば国母となるはずだった、幻の王妃。
貴族の中にも彼女を慕う者が多く、オロニ宰相も実姉である彼女には頭が上がらないらしい。その影響力は下手な貴族よりも大きく、またゴンウォール王も兄の元婚約者であったマザー・マグノリアを丁重に遇している。
まぁ、つまりが『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の中で、最高級の人格者として登場するのがこのマザー・マグノリアというわけだ。イケメン神官・モーディスを攻略するためには、マザー・マグノリアが主催する慈善活動に参加し、好感度を上げていく必要がある。
ちなみに彼女に付き従っている少年少女達は、マグノリア様に救われた元貧民で、その身分の低さのせいもあって普段は大きめのフードで顔を隠している。『白木蓮の子供達』と呼ばれる彼らは小姓としてマグノリア様に仕え、彼女の随伴としてならば公の場への立ち入りも許可されているのだ。
とはいえ、普段は救貧院でお過ごしになっているマグノリア様が、こんな華やかな場に自ら姿を現されるなんて珍しい。だからこそ周りのみんなは驚いている。
さすがにマグノリア様の前で醜い口喧嘩などしている余裕はなく、エルハルドもようやく私の手を放してくれた。
「マグノリア様、これはこれはご機嫌麗しゅう。今宵、月の女神のようなあなたと久しぶりにお会いできたことは、このエルハルドにとってまたとない僥倖でございます」
「エルハルド殿下は相変わらずね。あなたの噂は私の耳にまで届いていますよ。あなたはこの国を担う皇子の一人なのですから、まずはその口の軽さを是正すべきね」
「……ははは、相変わらず手厳しい」
マグノリア様からチクリと嫌味を言われ、エルハルドは苦笑した。
すでに隠居した身の上とは言え、彼女の不興を買えば王位争いに暗い影を落としかねない。逆に言えば、マグノリア様の支持を得ることができれば、王位争いの勢力図も大きく変わる可能性がある。それだけマグノリア様は、政局に大きな影響を与えることができるお立場にいらっしゃるのだ。
とはいえ、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の中で、彼女が登場する場面は決して多くはない。モーディスを攻略する時に、ボランティア活動の主催者としてチラッと姿を現すくらい。
ぶっちゃけ、ストーリーを進めるためには必須ではないモブキャラだ。そのモブキャラが、どうしてこのタイミングで私の前に現れたのかしら?
(うーん、やっぱり明らかにゲームのシナリオから離れてる気がする。これじゃあ私のゲーム内知識も役に立つんだか立たないんだか、心許なくなってきた……)
マグノリア様の前で頭を垂れながら、私は大いに悩む。
今夜の舞踏会では次から次へと予想外のことが起きすぎて、すっかり予定が狂ってしまった。私としてはこの舞踏会で公爵夫人として人脈を増やし、少しでも有用な情報を得るはずだったのに。
「もしかしてあなたがアストレー公爵とそのご夫人かしら?」
「!」
さらにマグノリア様は、私と公爵にも話しかけてきた。
まさか声をかけられるとは思っていなかった私は、緊張で冷や汗が出る。
「はい、お初にお目にかかります。カイン=キール=デボビッチでございます。こちらは我が妻のデボラでございます」
「こ、この度は、マグノリア様にお目通りが叶い、恐悦至極に存じます……」
どうやら公爵も、マグノリア様と直にお会いするのは初めてのようだ。
王都の救貧院で活動されているマグノリア様と、領地に引き籠っている公爵とじゃ、そりゃあ接点がないわよね。
「今夜の舞踏会はあなた達の噂でもちきりと聞きました。なるほど、この目で見ると、噂以上の美男美女カップルね」
「畏れ入ります」
珍しく公爵も緊張しているのか、受け答えする声は硬い。
私はとにかくマグノリア様の不興を買わないようにと、必死に笑顔を浮かべていた。
――けれど。
(……ん?)
不意に、どこからか強い視線を感じた。
それは登城した直後、背後から感じたあの不気味な視線と同じ種類のものだ。
(……誰?)
まるでジリリと焦げ付くような視線を感じ、私は注意深く周りを観察する。
けれど多くの貴族が集まっているため、やっぱり視線の特定には至らない。
これほどの多くの視線に囲まれながら、たった一つの視線だけを特別に感じるのはなぜなのか。
単に私の気のせいだったらいい。
けれど正体が分からぬ一方的な視線は、私に絡みついて離れない……ような気がした。
「あら、どうしたの? 顔色が少し悪いようだけど?」
そんな私の様子に気づいたのか、マグノリア様がにっこりと優しく微笑む。
その微笑は慈愛の女神という称賛に相応しいほど美しく。
けれどどこか……仮面のような冷たさも、内包していた。




