65 波乱の舞踏会6【カイン視点】
華やかな宴の中で、カインとクロヴィスが並び立つ姿は異彩を放っていた。
片や柔和な微笑を浮かべる優男。
片や剣呑な雰囲気を纏わせながらも、怜悧な姿勢を崩さない沈黙の男。
相反した個性を持ちながら、二人はまるでカードの裏と表のように対を成していた。当然見目麗しい彼らには淑女から熱い視線が注がれていて、特に滅多に夜会に出席しないカインは、珍獣を通り越して伝説のUMA扱いを受けるほどだ。
「おやおや、会場中の女性の視線を釘付けにするとは、さすが我が親友。お前がダンスに誘えば、大抵の女性はホイホイと釣られるだろうな」
「ふざけるな。自分の妻とも踊ってないのに、他の女と踊れるか。それに視線の半分以上は、お前が目当てだろう」
カインは腕組みしつつ、憮然と答える。
デボラやエステル夫人とサロンで別れた後、カインはクロヴィスの供として挨拶回りに付き合った。
まず最初にクロヴィスが声をかけたのはこの国の宰相であり、イグニアー家の当主でもあるオロニ=イグニアー。50半ばを過ぎた公爵は現在王に次ぐ権力の持ち主で、その勢いは第一皇子であるクロヴィスを遥かに凌ぐ。
「これはこれはクロヴィス殿下。それにアストレー公爵。新しき年も我らがヴァルバンダに大いなる祝福があらんことを。また殿下には今年こそ、第一皇子としてしっかり身を固めて頂きたいものですな」
「そうだね。これから良き縁があることを期待しよう」
表面上は和やかに会話しつつも、カインはそれを冷めた目で見つめていた。
どの口がクロヴィスに身を固めろなどと言えるのか、全く聞いて呆れる。
今年27になるクロヴィスの縁談を裏から手を回し悉く潰したのは、誰あろうこのイグニアー公である。
ご存じの通り、クロヴィスは他国の王女であった母を亡くし、国内では強い後ろ盾がない立場だ。逆に言えば彼の後ろ盾となりたがる貴族や他国の諸侯もいるわけで、クロヴィスには今まで数多の縁談が持ち込まれた。だが娘を持たず、クロヴィスの舅となれないイグニアー公は、あの手この手を尽くしその縁を破談にしてきた。
それでなくても元々特権階級意識が強く、親戚縁故を重用する傾向が強いイグニアー家と、いずれ国民議員の登用を考えているクロヴィスとの間には政治思想に大きな隔たりがある。
水と油。
まさに王位を狙うクロヴィスにとって、また第二皇子エルハルドの後見を務めるイグニアー家にとって、互いの存在は目の上のたん瘤的存在だった。
「ごきげんよう、クロヴィス殿下。先年は隣国モルデニカへ親善大使としてのご訪問、誠にお疲れ様でございました。今年もかの国とは仲良くなっていきたいものです」
「そうだね。カニンガム公爵閣下にはいつも苦労をかける。今年は国境近くでの小競り合いが起こらないことを期待しよう」
一方、国内を牛耳るのが薔薇派のイグニアーならば、外交に口出しできる立場にいるのが軍事部門を牛耳るカニンガム家だ。
カニンガム家の当主であり軍務庁長官を務めるラデツキー=カニンガムはオロニ=イグニアーとほぼ同世代であり、ライバル的存在でもある。
特にここ数年、ヴァルバンダの周辺の小国で大小の諍いが起こっており、国境付近の砦にはカニンガム家直下の軍隊が駐留している。
クロヴィスの父・ゴンウォール王が即位してより30有余年、他国との大きな戦争は行われていないが、いつの時代にも戦争を望む輩は存在する。
その筆頭がカニンガム家と、それに連なる者達だ。
国王とその一族に仕えていればそれだけで注目される近衛隊に対し、各地を守る軍関係者は戦がなければ手柄を立てられず、新しい所領を得ることもない。その結果、軍部に所属する貴族の間では隣国を攻めるべきだという過激な意見も、まことしやかに囁かれていた。
カニンガム家が後見を務める第三皇子・アリッツはまだ14歳と若く、もしも気の弱い彼が王位に就くことがあらば、容易く戦争を望むカニンガム家の傀儡になり果てるだろう。
王位争い自体にさしてに興味がないカインでさえも、カニンガム家が権力を握る危険さを十二分に承知していた。
「これはこれはアストレー公爵。この度はご結婚おめでとうございます。今宵の舞踏会では、美しき奥方が皆の話題を攫っているご様子。いやはや、同じ男として羨ましいものです」
「……ご丁寧な祝辞、痛み入ります」
三番目にカイン達に話しかけてきたのは、文官や官僚の支持を集めるガロン=チェスター公爵だった。イグニアー公とカニンガム公より一回りほど年下の痩せぎすなこの男性は、手八丁口八丁、巧みな話術の主としても知られている。
またチェスター家は元々諜報部門を司る家柄でもあり、過去、優秀な隠密を使い、ヴァルバンダの歴史を裏で支えてきた。
逆に言えば諜報部門はチェスター家が抑えているため、クロヴィスが使える部下も限定的になってしまう。それがここ数年、いくら手を尽くしても議会に流れる裏金問題の真相を掴めない所以でもあった。
今のクロヴィスは手足をもがれ、王宮という牢屋に繋がれているも同然だ。
チェスター家はクロヴィスを積極的に追い落とそうとはしていない。
だが王位継承争いで不利な立場にいるクロヴィスに肩入れしようともしない。
味方に引き込めれば心強いが、敵に回せばこれほど恐ろしい一族はいない。
それがクロヴィス側から見た、チェスター家への素直な評価だった。
「ま、俺からしたら自分を殺そうとしているかもしれない奴らと平然と挨拶をかわせるお前が一番の曲者だと思うがな」
「おや、何か言ったかな?」
四大公爵家、並びにその他貴族との大まかな挨拶を終えたクロヴィスとカインは、大広間のバルコニー近くに移動し、人の輪から距離を置いた。
何人かの貴族が二人に近寄りたくてチラチラと視線を投げてくるが、カインが冷たい目で一瞥すれば、大抵の者は尻込みしてしまう。
「カインは優秀なボディーガードだね。本気で私付きの近衛兵として雇うか」
「戯言を。リナ王女から手紙をもらって慌てて王都に駆けつけてきたものの……これだけピンピンしているなら、全てが無用な行動だったな」
「さすが我が親友。それほど私のことを心配してくれたという訳だね?」
ああ言えばこう言う。
カインは鼻に皺を寄せながら、口を堅く噤む。
ラヴィリナ王女から報告を受けた毒殺事件の実行犯は、クロヴィスに仕えていたある一人の侍女だった。その侍女は暗殺が失敗した直後に毒を煽り、自害している。
その後、侍女の後見となっていた某伯爵家まで捜査の手は伸びたが、伯爵家の関与の証拠は見当たらず、侍女に指示を出した黒幕の正体も結局解明することはできなかった。こうして暗殺未遂事件は、被害者であるクロヴィスの指示により隠蔽されることになったのだ。
「それとリナから聞いていると思うが、我が父・ゴンウォール王の具合が、あまりよくない。最近は私やエルハルドが、執務の半分を代行している」
「そうか。先ほど祝杯を上げられていた時は、お元気そうに見えたが」
「今日は無理を押して、舞踏会に出席しておられる。王の為政に陰りありとみれば、つけ込んでくる輩が山といるのでね」
「なるほど。難儀なことだ」
現在、カインが最も危惧しているのは、現国王の病状である。
ラヴィリナ王女からの手紙で、国王がここ数カ月体調を崩している旨は報告を受けていたが、その深刻さはより増しているようだ。
弱気になった王が退位を決意してしまえば、王位継承権的には長子であるクロヴィスが次の王となる。薔薇派や剣派は、できればそんな事態だけは阻止したいはずだ。
「……年が明け、次の社交シーズンに向けたこれからの時期に……再び動くか」
「可能性は高いね。いやはや、お互いに身の回りには注意しよう。悔しいが、こちらとしては向こうから手を出してもらわねば、尻尾を掴むこともできない」
カインと目を合わせたクロヴィスは、苦い笑みを返してきた。
第一皇子であるクロヴィス自らが囮にならねば、事態を打開できないという事実にカインは歯噛みする。
デボビッチ家の当主の座に納まったといは言え、カイン自身の社交界に対する影響力など、他の四大公爵家に比べれば微々たるものだ。それでなくとも普段のカインは領地であるアストレーの立て直しで両手が塞がっている状態である。
もしも今後、王位継承争いが激化するとして、果たして自分はどれだけクロヴィスの役に立てるものか……。
らしくもなく、カインは自分の至らなさを自覚し、無意識に眉を顰めるのだった。
さらにカインを動揺させたのは、デボラと一緒に行動しているはずのエステル夫人が再び会場に現れたのを見つけた時だ。なぜかエステル夫人は一人で行動しており、カインの姿を視界に入れるなり慌てて駆け寄ってくる。
「アストレー公爵、申し訳ありません。実は先ほど体調を崩してしまい、ほんの少し控室で休ませて頂いていたのですが、その間にデボラ様がどこかにお出かけになり、まだ戻ってこられません」
「デボラが?」
エステル夫人はこちらが恐縮するほど、平身低頭で謝った。話によれば、デボラが姿を消してから、すでに30分以上は経っていると言う。
「わかりました。デボラは俺が探しましょう。エステル夫人はどうかもう少し控室でお休み下さい」
「本当に申し訳ありません……」
「ルイ」
「ああ、行ってくれ。エステル夫人は責任をもって控室までお送りしよう」
カインはまだフラフラしているエステル夫人をクロヴィスとそのお付きの者達に任せ、そのまままっすぐ大広間を出た。
まずは控室が並んでいる玄関ホールを抜け、右翼方面へと足を運ぶ。
いくつかの階段を昇降し廊下を道なりに歩くが、人の気配は少ない。近くを警備する騎士に黒髪の女性を見かけなかったかと声をかけてみるが、芳しい答えは返ってこなかった。
(やれやれ、早速面倒ごとに巻き込まれている可能性が高いな……)
カインはやはり過保護だなんだと言われてもデボラのそばについているべきだったと反省する。
何より彼女はあの美貌だ。本人に自覚はないが、美しい大輪の花を放っておけば、甘い蜜を吸おうと悪い虫が我先にと寄ってくる。
いずれかの部屋に無理やり連れ込まれる前に、なんとしてでもデボラを見つけなければと、カインが焦ったその矢先――
「ちょっとあなた、わかってるの!? 少し綺麗な顔をしているからって、思い上がらないことね!!」
「そうよ、それにあなた今夜初めて舞踏会に参加したんですって!? なのに私達を差し置いてグンヒルド様にダンスに誘われるなんて図々しいのよ!」
不意に、近くの廊下から複数の女性のヒステリックな声が聞こえてきた。
廊下に並ぶ大窓の先――バルコニーのほうで、女性達が騒いでいるようだ。
何より『今夜初めて舞踏会に参加した』という言葉を聞いて、カインは女性達に絡まれているのがデボラではないかと思った。
理不尽なやっかみを売ったり買ったりするのは、貴族の令嬢達の間ではよく起こるトラブルだからだ。
「――失礼。そこで何を騒いでおいでか」
「えっ?」
「だ、誰!?」
そして躊躇いなくバルコニーに足を踏み込むと、思った通り一人の女性が4人ほどの令嬢に囲まれていた。
だがあいにくと、それはデボラではなく真っ白なドレスを着た可愛らしい少女。
少女――ルーナは自分の前に颯爽と現れたカインを目にして、菫色の瞳をキラキラと輝かせるのだった。




