63 波乱の舞踏会4
優美な弦楽の調べが流れる中、最後に会場に姿を現したのはわが国の王・ゴンウォール陛下だった。両脇に二人の側室を連れた陛下は会場を一度見渡した後、穏やかな笑顔で杯を掲げる。
「今宵、これほど多くの臣下が集ってくれたことを余は嬉しく思う。新しい年に祝福を。わがヴァルバンダに祝福あれ」
「祝福あれー!」
陛下の唱和を合図に招待客は一斉に乾杯し、再び舞踏と談笑の時間が始まった。
私と公爵、付き添いのエステル夫人は、クロヴィス殿下に案内され中二階のサロンへと移動する。
そこはいわゆる舞踏会会場の中央に位置していて、なぜか階下の薔薇派・剣派・月派の女性達に、一斉に睨まれた。
「なんなの、あれ。ここに移動しただけで、すっごく睨まれて怖いんだけど……」
「デボラ、また考えていることが口に出てる」
公爵に指摘されて、私はハッと口を噤む。慌てて視線を戻せば、クロヴィス殿下とラヴィリナ皇女は、口元に苦笑を滲ませていた。
「まぁ、それは仕方ないね。このサロンはいわば特等席だから」
「特等席?」
「広間が一望できるこの場所は、普段薔薇派や月派の皆様が、我先にと陣取りたがる場所なのですわ。本日はクロヴィス殿下とラヴィリナ皇女がいるので遠慮したのでしょうけど」
「げっ!」
クロヴィス殿下とエステル夫人の説明を聞いて、私は思わずみっともない悲鳴を上げた。ということは、新参者の私が特等席に着いたのを見て、他の派閥は歯噛みしてるってことよね?
うわぁ、やだなぁ、派閥争いとかそういうの、本気で遠慮したいんだけど。
私がげんなりしている傍らで、給仕はせっせと目の前のテーブルに軽食を運んでいた。
「くだらない連中など放っておけばよろしいですわ。さ、カイン様、どうぞ召し上がれ」
そうラヴィリナ皇女に食事を勧められるものの、誰も目の前の料理に手を付けようとしない。
あら、どうしてかしら?と首を傾げた私は、不意に公爵が急遽王都に戻った理由を思い出す。
そう言えば先日、クロヴィス殿下の暗殺未遂が発生しているんだった。詳細は分からないけれど、殿下自身がこうして舞踏会に出席していることから推測すると、暗殺未遂事件自体は公に伏せられているのだろう。
とはいえ、用心するに越したことはない。だから誰も皿に手を付けないんだわ。
(なんか可哀そうよね。暗殺を恐れるあまり、こんな美味しそうな料理を食べることもできないなんて……)
用意された料理はさすが宮廷料理、超一流でどれも美味しそうなものばかり。
そこで無駄にやる気を発揮した私は、フォークとナイフを手に取り宣言する。
「毒見ならお任せ下さい、殿下! わたくし、こう見えても胃腸は丈夫なほうなのです!」
「……は?」
そう言って私はいくつかの料理をぱくりと口の中に放り込んだ。その威勢のいい食べっぷりに、クロヴィス殿下もラヴィリナ殿下も唖然としている。
「……ぷっ、くくくくく………」
私の何かがツボにはまったのか、公爵は肩を揺らして忍び笑いしている。
エステル夫人も扇を口元に当て、笑いを噛み殺していた。
「あの、私なんかまずいことしました?」
「いや、デボラらしいなと思って」
「だってこんなに美味しそうな料理、食べられないのもったいないじゃないですか!」
私が全力で反論すると、今度はクロヴィス殿下がプッと吹き出した。ラヴィリナ皇女だけが「この方、本当に公爵家の妻ですの?」と憮然としている。
「いや、なるほど。なかなか面白い方だな、公爵夫人は。堅物のカインがあっさり落ちたのも頷ける」
「頷かなくていい」
公爵は笑みを消し、殿下側に立っていた私の腕をグイッと強く引いた。食事の途中で突然バランスを崩した私は、すっぽりとその腕の中に納まってしまう。
「というか、今後デボラにちょっかい出すな。むやみに話しかけるな。面倒なことには絶対巻き込むな」
「フーン、なるほどなるほど。カインのそんな表情を見る日が来るとは思わなかったねぇ。しつこく言われると、逆に興味をそそられるんだが」
「……ルイ」
「ひどいですわ、カイン様! わたくしの前でわざわざ惚気なくたって!」
公爵の周りには不穏な空気が流れ、そんな公爵をからかいたい気満々のクロヴィス殿下、さらにいきなり泣き出すラヴィリナ皇女と、その場は一気にカオスと化した。
そんな中私はというと顔が熟れたリンゴのように真っ赤になり、大人しく公爵の腕の中でじっとしていることしかできなかった。
軽食を食べ終えた後、私は公爵と少しの間、別行動をとることになった。
元々公爵は、今日はずっと私のそばに張り付いている気満々だったようだけど、クロヴィス殿下にツッコまれたのだ。
「過保護もいいが、それでは公爵夫人も窮屈だろう。それに男には男の社交が、女には女の社交がある。お前は自分の妻を無知な人形として、その座に据えていたいのか?」
そう尋ねられ、公爵は渋面になりつつも、殿下の忠告の重さを受け止めたようだ。
今日だけでなく、これから何度もこういったパーティや夜会に、夫婦で出席することになる。その度に夫が妻のそばから片時も離れず社交を怠れば、それは皆の物笑いの種となってしまうだろう。
「私なら大丈夫です、カイン様。エステル夫人がついてくれていますし、できるだけ壁の花を気取っていますわ」
「……わかった」
こうして渋々ながらも、公爵は殿下と一緒にその場を離れることになった。目当てがいなくなったラヴィリナ皇女も「ではごきげんよう」と、その後に続く。
皇太子と皇女がいなくなった後にサロンを占拠するわけにもいかなくなり、私はエステル夫人と再び大広間へと降りる。
薔薇派や剣派・月派のご婦人方の攻撃を受けるかと思いきや、そこはエステル夫人が気を利かせ、それらの派閥とは一定の距離を取ってくれた。
逆に紹介されたのは、どの派閥にも属さないいわゆる中立派と呼ばれる方々だ。
「デボラ様、こちらはリヴォセル伯爵夫人。ご夫君のリヴォセル伯爵は、内務省長官を務められておりますわ」
「初めまして、デボラです。未だ場に慣れぬ不束者ですが、今後ともどうぞよろしくお願い致します」
「まぁ、それはこちらのセリフです。今ちょうど、皆で噂をしておりましたのよ。デボビッチ家の新しい奥方様は、まるで美の女神の化身のようだと」
エステル夫人の仲介で、私は何人かの中立派の女性達と顔を合わせることになった。その多くが口にするのは、私のドレスはどこで仕上げたのか、化粧品は何を使っているかとか、私の容貌に対する賛辞や質問ばかり。
なるほど、これが上流階級の社交という訳ね。どうでもいいくだらない話で盛り上がるのがこの世界のお約束。とはいえ、ここで良い印象持たれるに越したことはない。
私はエステル夫人の事前の忠告通り、これでもかと優雅な微笑を湛え、集まったご婦人方と無難な会話を交わしていくのだった。
場の空気が変わったのは、突然エステル夫人が体調を崩したのがきっかけだった。
しばらく社交の場から遠ざかっていたエステル夫人は、私の後見ということもあって気を張っていたのだろう。彼女の顔色が悪いことに気づいた私は、周りに集まったご婦人方に断りを入れ、いったん控え室に下がることにした。
「申し訳ありません、デボラ様。こんな時、私がしっかりしなければならないのに……」
「何を言ってるの。エステル夫人はとても頑張ってくれてるわ。私こそ無理をさせてごめんなさいね」
私は夫人を寝台で休ませ、ソニアに頼んで飲み物を用意してもらった。水分補給して楽になったのか、エステル夫人の顔色が少しずつ良くなっていく。
よかった。これならしばらく休憩していれば体調は元に戻りそうね。
そう安心していた矢先、突然廊下のほうから高い声が響いた。
「シャタロフ夫人―! シャタロフさーん! どこ行っちゃったんですかぁ!?」
(この声は……ルーナ!? )
乙女ゲーには珍しく、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の主人公にはパートボイスが付けられていた。だからお元オタクの私には、それがルーナの声だとすぐに分かった。
一体何事かと思って控え室の扉を開けて外の様子を窺えば、一人迷子になってウロウロしているルーナの姿を見かけた。
(早速ドジっ子属性を発動させてるわね。さすが愛され天然ヒロイン。トラブルを引き寄せる天才だけはあるわ……)
私は廊下の向こうへと消えていくルーナを視界の端に入れながら、刹那逡巡する。
実はルーナ本人に直接確かめたいことがあるのだ。
それは彼女が私と同じ、転生者であるかどうかということ。
ほら、この手の転生物にはありがちでしょ。
悪女もヒロインも、実は同じゲームをプレイしていたオタクでしたっていう設定。
もしもルーナが私と同じ転生者で、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の知識があったとしたなら、状況は色々変わってくる。だから是が非でも今のうちに彼女自身に問い質しておきたいのだ。
「ソニア、エステル夫人のこと、頼めるかしら。私はちょっとパウダールームへ行ってくるわ」
「畏まりました。ですが念のため、ゾーヤを供にお連れ下さい」
私が声をかけると、ソニアと一緒に登城した別のメイドが一歩前に出た。けれど私は片手を前にかざして、それは不要だと告げる。
「大丈夫よ。パウダールームは近くだもの。すぐ戻るわ」
そう言付けて、私はひとり控室を出た。
ソニアの心遣いはありがたいけれど、ルーナとの話を誰かに聞かれる訳にはいかない。ついてくるメイドが気心の知れたエヴァやレベッカなら話はまた別だけど、あいにく経験が浅い彼女達は今日この場にはいない。
となれば、ルーナを追いかけるのは私一人のみという選択を取らざるを得ない。
前世や転生者だの、傍から聞いたらとんでもない話題だもの。
(ルーナは確かこっちに……。あら? あの子ったらどこ行ったのかしら? ちょっと目を離した隙に見失ってしまった?)
私は小走りで廊下の角を曲がり、そのまままっすぐ進んでいく。
燭台が規則的に並んだ廊下をいくつか通り過ぎ、白いドレスを頼りに東へ、西へ。
けれどルーナを探す内にいつの間にか私も方角を見失ってしまい、気づけは人気のない狭い通路に出ていた。
(ヤバっ、こんなんじゃルーナをドジっ子とか言ってられない。私も同じ穴の狢だわ……)
さすがの私もこの時になってようやく焦りだした。
だだっ広い王宮は、それ自体が巨大な迷路だ。しかも供もつけず一人迷子になるなんて、ぶっちゃけ自業自得でしかない。
こうなればやはり元の控室に戻るか……と思いきや、そもそも控室がどこにあるのかもわからなくなっていた。
あーあー、これはやっちまったなぁ……。
鬼のように怒る公爵の形相が脳裏に浮かんで、私は小さく身を震わせた。
「あ」
その時だった。ふと、視界を一つの影が掠めたのは。
通路から外に伸びる灯りに照らされた、人影のようなもの。もしかしてそれがルーナじゃないかと思い、私は近くの扉から庭方面へと出る。
庭園にはいくつかの照明が置かれ、今夜は満月ということもあって、室外でも結構明るかった。それがどれほど無防備で危険な行為だったか自覚できなかった私は、ルーナを探してさらに奥へ奥へと進んでいく。
しばらく歩くと、見事な天使の彫像が飾られた噴水へと出た。周りからは甘い薔薇の香りが漂い、いかにも『恋人たちの庭』っていう雰囲気だ。
(あれ? なんか激しく既視感? この光景、どこかで見たような……)
私はきょろきょろと辺りを見回しながら、正体不明の既視感の正体を探る。
なぜ見覚えのある場所に行き着いた時点で立ち去らなかったのか、もちろんすぐに後悔する羽目になる。
「おや、こんな人気のない場所に、美しい妖精が迷い込んだようだ」
「(はぁ?)」
そして私の背後から響いたのは、歯の浮くようなセリフをいとも簡単に紡ぐ甘いテノール。
あ、やべ、今やっと思い出した、このシチュエーション。
これってもしかしなくとも、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』内での、某攻略キャラとの出会いの場面だわ。
「それとも俺の前に現れたのは月の女神かな? もしそうならばこの運命の出会いを神に感謝しなくては」
振り返れば、いつの間にか噴水前にある一人の男性が、私を見つめながら立っていた。
凛とした澄んだ空気を纏いながら、どんな女性をも魅了する蠱惑的な笑みを浮かべたその美貌。
神話の中の男神を思わせるような光輝く金髪、蒼穹をそのまま映し取ったようなサファイアの瞳。
それでいてぴんと背筋が伸ばされた体躯は肩幅も広く、しっかりと均整のとれた男性のものだった。
―――ぎゃあぁぁぁーーっ! あんたもしかしなくても、第二皇子・エルハルドじゃないのぉぉぉーーーーー!?
私はリアル・ムンクの叫び状態になって、思わず一歩後ずさる。
奇しくも『きらめき☆パーフェクトプリンセス』のヒーローと邂逅してしまった私は、心の中で声にならない悲鳴を上げるのだった。




