61 波乱の舞踏会2
なんだか胸がドキドキする。
あまりに素敵すぎて、目の前の公爵を直視できない。
いつもざっくばらんに下ろされている黒髪は今日はサイドへと自然な形で流され、普段隠れがちな容姿がはっきりと見える。
黒を基調としたコーディネイトはいつもと変わりないけれど、黒のスーツには金糸や銀糸で見事な刺繍が施されていて、いかにもゴージャスっていう感じだ。そして私のドレスの色に合わせたのか、大きめの襟には青い宝石をあしらったピンバッヂがつけられている。
元々イケメンである公爵の気合の入った正装を前にして、私の胸がときめくのも無理はない。
――私はちゃんとこの人に釣り合っているかな?
そんな不安さえ、芽生えてくる。
「どうした」
「!」
だけど私の不安に気づきもしないのか、公爵は相変わらずのマイペースぶりだ。まじまじと私の出で立ちをチェックすると、満足そうに一度頷く。
「こんなもんだな」
「カイン様、着飾った奥様を賛美するのに『こんなもんだな』は不適切でございます」
透かさずそばにいたクローネからツッコミが入る。公爵は一瞬眉を顰めた後、私に対する評価を言い直した。
「このドレスならば露出も少ない。……合格点だ」
「あ、ありがとうございます。カイン様も……」
――カイン様も、とても素敵です。
そう伝えたいのに照れが勝って、私は赤くなったまま俯く。
その微妙な空気が伝わってしまったのか、周りのメイドやカイン様についてきたジルベールがニヤニヤし始めた。
「いやぁ、いかにも新婚っていう雰囲気ですね。是非とも舞踏会会場で、夫婦仲がよろしい所を他の貴族方にも見せつけて下さい」
「おい、ジルベール」
「合格点どころか、今日のデボラ様はまさしく大輪の花ですだ!」
「そうです。相変わらずカイン様は野暮ですね! それにデボラ様にこのドレスを選んだソニアさんのセンスも素晴らしいです。勉強させて頂きました!」
「いえ、私はお役目を果たしただけで」
王都での初めての舞踏会ということで、エヴァやレベッカのテンションも異様に上がっていた。特に私のヘアメイクを担当してくれたソニアのセンスの良さに、素直に感動しているようだ。
それは私も同じ。さすが王都のデボビッチ家に仕えるだけあって、ソニアはメイドとしても超一流だった。
「そうか、ソニア、お前がデボラを仕上げてくれたのか。さすがだな」
「も、もったいないお言葉でございます」
その実力は公爵にも一目置かれているようで、ソニアは嬉しそうに一礼する。
相変わらずソニアの表情は固いけれど、公爵がここまで信頼するメイドを宛がわれたってことは、私にとってはやっぱり幸運なのだろう。
私はもう一度ソニアに向かって、「ありがとう」と微笑んだ。ソニアはソニアで「メイドとしての役目を果たしただけでございます」と淡々としている。
そうこうしている間に柱時計が18時を告げ、スッと目の前に公爵の手が差し出された。
「では行くぞ」
「はい」
夫である公爵にエスコートされ、私は舞踏会会場である王宮に向かう。デボビッチ家の玄関には豪奢な箱馬車が用意され、慣れないハイヒールに四苦八苦しながらも、何とか中に乗り込むのだった。
「うわぁ、すごい人ですねぇ」
「………」
30分後。私と公爵は馬車で王宮の車寄せに乗りつけていた。城の大門から順番待ちの馬車が列を作り、少し渋滞している。
馬車の中には私と公爵の二人きり。私は浮かせていた腰を再び下ろし、自分の胸元に手を置いた。
「はぁ、なんだかドキドキしてきた……」
「……無理して出席する必要はなかったんだが」
私の向かいに座る公爵は、相変わらず憮然としている。
というか、公爵は最初この舞踏会を欠席するつもりだったようだ。けれど新年が明けてすぐ、クロヴィス殿下と末姫のラヴィリナ王女から連名で書状が届いたのだ。
手紙には「新年の祝賀会でお会いできるのを楽しみにしている」と書かれてあり、クロヴィス殿下だけならともかく、ラヴィリナ王女の誘いまで無視できなかった……というのが実情だ。
「……ち、ルイの奴め。相変わらず人を陥れる事だけは得意なようだ」
「どういう人なんですか、クロヴィス殿下って。それが本当なら最悪じゃないですか」
「ああ、最悪だ。だからできるだけ近づくな」
「は、はい、わかりました」
私は素直に公爵の忠告に頷いた。
ゲームの中に登場した攻略キャラならば、ある程度前情報があるから対応できる。けれどゲームの中に一切登場しない第一王子については、攻略法が分からない。
どうも公爵から伝え聞くところによると、クロヴィス殿下は一癖も二癖もある人のようだし、私の危機管理能力的に『君子、危うきに近寄らず』……よね。
これでもアストレーの経験から、私だって色々学んでいるのよ、うん。
「とは言え、ルイ以外にも、王宮には曲者はうじゃうじゃといる。今夜は後見人役を買って出てくれたエステル夫人のそばにいて、できるだけ大人しくしてるように」
「……はい」
「はぁ、頭が痛いな。これからもしばらくこんな暮らしが続くかと思うと」
公爵は重いため息をつきながら、再び眉を顰めた。言葉の端々から、彼が本当に社交を嫌がっているのがわかる。
宮廷で行われる社交は、男性にとっても戦いの場だ。政治的な根回しや腹の探り合いなど、大切な駆け引きの場でもある。
そんな面倒ごとに私のお守りという役目まで加わるのだから、公爵の心労も相当なものだろう。自分が望んだこととはいえ、やっぱり公爵に迷惑をかけるのは気が引ける。
「あのカイン様、申し訳ありません。私のために、いやいや舞踏会に参加することになって」
「別にデボラのせいではない」
「でも」
「それにこれは必要なことだ。これから王都で暮らしていくためには」
「え?」
けれど公爵からは予想外の返答が返ってきた。私が首を傾げると、公爵は二ッと意地悪気に口角を上げる。
「本当にお前を守りたいなら、力ずくでアストレーに戻してしまえばいい。だが俺も俺で、あの後色々考え直した。事件が全て解決した後も社交界で生きていくのならば、やはり場数はそれなりに踏んでおいたほうがいい。デボラ、お前にも今後、頼りになる友人が必要になるだろう。慎重に自分の益となる人物を見極め、安全な範囲で人脈を広げるといい」
「……」
さらりと告げられた内容に、私の思考は一瞬停止する。けれど公爵の意図がだんだん脳内に浸透すると、嬉しさと一緒に恥ずかしさが込み上げた。
(え、と、それはつまり、今後も私はずっと公爵夫人でいていいってこと……かしら? この口ぶりだと、公爵は私と離婚するつもりはないって感じよ……ね?)
今までの慣例ならば、私はすでに公爵に離婚されていてもおかしくないはず。
けれど今の公爵には、その意志は感じられない。
事件が全て終わった後も……という言葉を何度も反芻し、私は胸の中で期待を膨らませる。
つまりこれから先もずっと公爵のそばにいていいと許されたのだ、と……。
そんな風に、自惚れてもいいのかしら?
(ダメだ、さらりと言われた内容が爆弾すぎて、とても平静ではいられないっ! そんなこと言われたらまた公爵に愛されてるのかもって、勘違いしそうになるわっ!)
私は馬車の椅子に座ったまま、その場で激しくヘッドバンキングした。
前世の推しのライブで興奮して以来よ、こんなに頭を振り続けたの!!
当然そんな私の行動は公爵の目には奇っ怪に映ったようで、呆れたような声が頭上から響く。
「おい、デボラ、落ち着け。相変わらず突拍子のない行動をする奴だな」
「はっ、も、申し訳ございませんっ! 私ったらつい興奮しちゃって……。アハハ、ハハハハハ……」
これ以上公爵に引かれないよう、私は慌ててヘドバンをやめた。
それでも薔薇色に染まった頬の温度はなかなか下がらず。
しかも公爵の手がゆっくりと私に伸び、意味ありげに顎クイされた。
「……赤いな」
ただでさえイケメンの公爵は、今夜整えられた髪形のせいで怜悧な美貌が際立っていた。普段は前髪に隠れがちな金色の瞳がまっすぐに私を射抜いて、その視線に吸い込まれそうになる。
「その露出の低いドレスはいいが、唇は少し赤くし過ぎだ。悪い虫を引き寄せるかもしれない」
「――」
「次からはもう少し淡い色を注すように。……わかったな?」
「は、はい……」
公爵は私の返事に満足したのか、その指先でゆっくり私の唇の表面をなぞっていく。
その色っぽさと言ったら、もう!
魑魅魍魎が跋扈する王宮が目の前まで迫っていると言うのに、私の不安や恐怖は公爵の仕草一つで吹き飛んでしまった。
(もう、なんなのよ、なんなのよ、この人っ! 無意識に人を悩殺するのやめてくれないかなぁぁぁーー!?)
居たたまれなくなった私は公爵から視線を外し、もじもじと体を小さく竦める。
その反応が面白いのか、公爵はしばらく私をしたり顔でずっと見つめていた。
そんな会話を交わすうちに、とうとう馬車が王宮の玄関前に到着する。
窓から見えるのは、煌びやかな王宮の光。けれど光が強ければ強いほどできる影は濃く。
華々しい栄光の影には恐ろしいほどの悪意が潜み、虚飾の宴を形作っていた。
その後、無事王宮に着いた私達は、大広間へ続く玄関ホールへと入場した。
玄関ホールにはたくさんのざわめきがこだましている。登城した貴族達がそれぞれに割り当てられた控室や廊下で、会場入りする時を待っているのだ。
そんな中現れた私達に人々の意識が集中し、多くの視線が矢のように飛んできた。
「あの方は……?」
「まさか……アストレー公爵!?」
「え? あの変わり者の!?」
「あの公爵が公の場に姿を現すなんて、一体いつぶりだ?」
小さなさざめきは、すぐに大きなどよめきに変わり、玄関ホール中に広がっていく。奇異なものを見るような視線はとても不躾で、遠慮のないものだ。
「それに公爵が連れているあのご令嬢は……」
「確かアストレー伯爵は、また新しい妻を娶ったと聞いているぞ」
「ならばあれが新しい公爵夫人か。まだ若いじゃないか」
さらに人々の関心は、公爵に寄り添う私へと移る。
私をエスコートする公爵は表情を変えないまでも、小声で尋ねた。
「行けるか?」
「ええ、大丈夫です」
公爵の質問に、私は力強く答える。
ここで怯えたり、挙動不審になるわけにはいかない。初対面から侮られないように、私は公爵夫人として堂々としなくてはならないのだから!
「……その意気だ」
大きく胸を張る私を見て、公爵は微かに双眸を眇めた。
褒められたことが嬉しくて、私もまた緊張していた表情を和らげる。
「カイン様、デボラ様、しばらくここでお待ち下さい。デボビッチ家の控室がどこなのか聞いてまいります」
そして侍女筆頭のソニアが手馴れたように、廊下の奥へと駆けていった。その間も私達を取り巻くさざめきは、一向に止む気配はない。
――その時だ。
ふと、どこからか、強い視線を感じたのは。
(……え? 何? ……この感覚……)
まるでうなじの辺りがじりじりと焦げてしまうような――そんな敵意を投げつけられたような気がして、私は思わず辺りを見回した。
正体不明の不気味な視線に、私の背中がぞわぞわと総毛立つ。
(一体誰かしら? デボビッチ家を警戒するいずれかの一派の人……?)
さらに目を凝らして注意深く辺りを観察するものの、あいにく人が多すぎて視線の人物の特定はできなかった。
うーん、社交界にデビューすれば、理由もなく敵意を持たれることもあるかもしれないわね。
そう自分を納得させようとした、刹那――
不意に、ドンッと、突然脇から追突された。
その衝撃に体が大きく斜めに傾いだけれど、すぐに公爵が私を支えてくれたおかげで、みっともなく転倒することだけは免れた。
「デボラ!」
「あっ、すいませぇぇぇーーんっ!!」
公爵が私の名を呼んだのと、謝罪の声が響いたのはほぼ同時だった。私に追突してきた人物は、軽やかな純白のドレスを翻して私に向き直る。
「慌ててたんで、走る速度を落とせませんでした。本当にごめんなさいっ!」
「――え?」
まるで小リスのように可愛らしい声をしたその令嬢の顔を、私は思わず二度見する。
え?
え?
嘘。
なんで?
マジで?
なんであなたが今ここに。
この場所に登場するの?
私の脳内はあり得ない事態を前にして、一瞬で漂白された。
なぜなら私の目の前に突然現れたのは、『きらめき☆パーフェクトプリンセス』の主人公――ルーナ=ロントルモン。
史上最強の愛されヒロインだったからである。




