表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/125

59 王都・デボビッチ邸にて



 王都・シェルマリアに吹く風は冷たいけれど、アストレーほどの厳しさはなかった。

 ほぼ三カ月ぶりに訪れた王都は年の暮れのためか街角には人があふれ、いつもより賑わっているように思えた。

 公爵から3日ほど遅れ、私は王都・シェルマリアに到着する。予想以上に日数がかかってしまったのは、それなりの大所帯での移動だったからだ。


「ふわぁぁぁ、これが王都だべか。みんな綺麗な身なりして、垢ぬけてるだ。おら、なんだか気後れしてしまうだ……」

「何言ってるのよ、レベッカ。そこは気合よ、気合。田舎者だと馬鹿にされないよう、お互い頑張りましょ!」


 特に王都が初めての侍女二人は、馬車の窓から街の様子を眺めながら興奮していた。かく言う私も、実は少し不安だったりする。

 王都で生まれ育った私だけど、8歳以降は子爵家から一歩に外に出たことはなく、いわば究極の引き籠り (※ただし強制)だった。当然王都の地理に明るいわけでもなく、社交界に至っては何の知識も経験もない。

 

(なんか気持ちが荒ぶるまま王都に来てしまったけれど、私この先やって行けるかしら? いやいや、ここで弱気になってどーするよ、私。そこは前世の知識を駆使してうまく立ち回るのよ!)


 ともすればすぐに挫けてしまいそうな心を奮い立たせ、私は自分の頬を軽くペチペチと叩く。

 馬車は大凱旋門を潜り抜けると、大通りをまっすぐ過ぎた先にある貴族街へと差し掛かった。文字通り貴族街とは貴族が住む区画のことで、王都の小高い丘の上に位置する。その中でも最高ランクの区画に、デボビッチ家の王都邸宅が存在するのだ。


「デボラ様、もうすぐ王都邸宅に着きます。そろそろ下車のご準備を」

「ありがとう、コーリキ」


 馬車の脇まで馬を進めたコーリキが、窓越しに声をかけてくれた。私がみすぼらしいトランクバスケットを小脇に抱えると、向かいに座っていたハロルドがそれに気づく。


「まだその鞄をお持ちだったんですか、デボラ様」

「あ、ごめんなさい。公爵夫人らしくないわよね。でも私の持ち物って言えるのは、実家から持ち出したこれくらいのものだから……」

「いえいえ、そういうことなら構いません。ですが荷物は私がお持ち致しましょう。後程デボラ様の私室に運ばせて頂きます」


 そう言ってハロルドは私のトランクバスケットを預かってくれた。

 雪の結晶の紋章が掲げられた大門を潜れば、その先にはこれまた見事な大邸宅が建っている。アストレーほどの規模ではないけれど、白い壁と青の屋根を基調とした建築様式はここでも採用されているようで、その佇まいは気品に溢れていた。


「さあさ、玄関ホールはこちらです。デボラ様が今日到着する旨は、こちらの家令に前もって伝えております」


 ハロルドにエスコートされ、私はゆっくりと馬車から下りた。

 三カ月前、初めてアストレーのデボビッチ家を訪れた時の失敗を繰り返してはならない。今日の私はちゃんと公爵夫人らしいドレスを身にまとっている。

 王都の使用人達の印象が良くなるよう、まずは笑顔を浮かべなくてはね!


「ただ今デボラ様がお着きになりました。ジルベール、ジルベール!」


 玄関ドアが開くなり、ハロルドは誰かの名を呼んだ。さすが王都の公爵家。玄関ホールには軽く三桁に近い使用人がずらりと並んでいる。

 さらにその中央にはどこかで見たことのある真っ黒な影。

 んん? もしかしてあれは……。

 私は思わず歩を止め、全身黒づくめのその人物に焦点を合わせた。



「……………長旅ご苦労」


 

 ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!! 公爵!? なんであなたがここにいるのぉぉぉ!?

 当主自らがいきなり私達を出迎えるなんて聞いてないぃぃーーー!

 使用人向けに笑顔を浮かべるどころか、私の顔はひくひくと恐怖で引き攣り、背中からはダラダラと嫌な汗が流れた。


「これはこれはカイン様、昼間から屋敷にいるとは珍しい……」

「……ハロルド、これはどういうことだ」


 私が王都に来たことをよほど怒っているのか、公爵の目は明らかに据わっている。

 全身からは暗黒オーラが立ち上り、周りを囲む使用人達は引き気味だ。

 うーん、仕方ない。初対面の使用人達の前だけど、これは私が直接対決するしかないわね。

 そう覚悟を決めた矢先、私の背後にいた影がサッと動き、私を庇うように目の前に立った。


「カイン様、お叱りならどうぞ吾輩らに。デボラ様を王都にお連れしたのは、吾輩らの総意です」

「ヴェイン、お前もか」


 ヴェインだけでなく、ハロルドやコーリキ、ジョシュア、そしてエヴァやレベッカも素早く私の周りを取り囲んだ。

 まさにチーム・デボラ、ここに結成! その団結力の強さを目の当たりにした公爵は、はぁ、と大きなため息をつく。


「……わかった。これはどう考えても俺の負けだな。これでは俺一人が悪者じゃないか」


 公爵は長い前髪を指で掻き上げながら、『そもそもこの人数を相手に勝てるはずがないだろ……』と、憮然とする。

 不謹慎だけどその拗ね方がおかしくて、私はつい笑ってしまった。


「カイン様、ご意向に逆らうことになってしまい申し訳ありません。ですが私は自分の過去から逃げたくはありません。私は私自身の決着をつけるために、この王都に参りました」

「……」


 ドレスの裾をつまみ軽く腰を折ると、つむじ辺りに公爵の視線がぶつかるのを感じた。コツコツと靴音がした直後、私の目の前に立った公爵は、肩にポンと手を置く。


「……いいか、無茶だけはするな。何かあればすぐに俺を頼ること。……いいな?」

「はい、ありがとうございます」


 私は即座に頷いた。

 やっぱり無理を言って王都まで来てよかった。公爵にはもっと激しく叱責されるかと思っていたけど、みんなのおかげで案外あっさり王都の滞在を許されたみたい。

 フフフ、公爵も出会った頃と比べて大分丸くなったわね。それだけ私達の関係性も、この三カ月で変わったと言う事かしら。


「ああ、それと」

「はい」

「俺の許可なしに絶対に外出しないこと。夜会やお茶会の招待状が来ても必ず俺が検閲する。というか他の貴族の誘いには乗るな。基本、お前はこの屋敷に閉じこもっていればいい」


 ――はい?

 私は思わず視線を上げ、訝しげに公爵を見返す。


「特に第一皇子……ルイがお前にちょっかいを出してくるだろうが、全て無視しろ。あいつはお前にとって害悪にしかならん。というか社交界にはろくな男がいない。そいつらと接触するような場への出入りも禁止だ。公爵夫人の務めだとかそんなことは一切気にしなくていい。デボラ、お前の仕事はこの屋敷で大人しくしていることだ」

「……………」


 公爵から出てくる言葉一つ一つに、私は思わずブチ切れそうになった。

 あのねぇ、公爵。それじゃあ私がわざわざ王都までやってきた意味がないじゃないの! ちょっと人間丸くなったと思ったのは、私の錯覚ね! 心配してくれるのはありがたいけど、さすがにそれは束縛が過ぎるんじゃないかしら!?

 そう文句の一つでも言い返してやろうと、口を開きかけた刹那――



「――ぷっ! くっ、くっ、くっ、くっ……」

「クスクスクス……」

「!」



 玄関ホールに集まっていた使用人達の間から、いくつかの笑い声が漏れた。公爵の発言がツボにはまったのか、みんな肩を揺らしながら笑っている。

 そして執事服を着た20代後半くらいの茶髪の男性が一歩前に進み出て、柔和な微笑を浮かべた。


「いや、噂には聞いておりましたが、まさかここまでカイン様の奥様へのご寵愛が深いとは。使用人一同、心より安堵致しました」

「ジルベール」


 公爵がぎろりと睨んでも、若い執事はどこ吹く風という感じで、その視線を軽く受け流している。彼の面差しは、私が知っている人によく似ていた。


「デボラ様、初めまして。当屋敷の家令を務めるジルベールでございます。父・ハロルドがいつもお世話になっております」

「まぁ、もしかしてハロルドの息子さん?」

「はい」


 思った通り、ジルベールはハロルドの家族だった。つまり親子二代で、デボビッチ家に仕えているということか。

 彼もまた優秀な家令らしく、ちゃきちゃきとその場を取り仕切り始める。


「使用人一同、奥方様の到着をお待ちしておりました。まずはサロンへどうぞ。お茶をご用意をしてあります。使用人の紹介は、そちらですることに致しましょう」

「おい、ジルベール」

「カイン様は午後から王宮に参内予定でしたね。馬車の手配はもう済ませてあります。奥様のことは我々に任せて、お気をつけていってらっしゃいませ」

「………」


 体よくジルベールに追い払われ、公爵はモアイ像と化した。そんな公爵を力ずくで引きずって外に連れ出したのは、護衛役に戻ったヴェインだ。


「さ、カイン様、参りましょう」

「………」

「そのように駄々をこねられましても、仕事は待ってはくれませんぞ」

「――」


 さすがの公爵もヴェインの腕力には敵わず、王宮に参内するため玄関ホールから退出していった。私はその背中を笑顔で見送った後、ジルベールに案内されて一階のサロンへと移動する。


「それにしても父さん、あなたまで王都に帰ってくるなんて、アストレーを放っておいていいのですか?」

「アストレーのことは副家令に任せてきた。後進を育てるのも私の役目だ」


 サロンへと移動する間、ハロルドとジルベールは久しぶりの親子の会話を交わしていた。ハロルドは悪びれもなく胸を張り、そんな父の態度にジルベールは苦笑している。

 そしてサロンに着いた後は、メイド長と新しい侍女が紹介された。


「初めまして、デボラ様。この屋敷のメイド長・クローネでございます。こちらは今日からデボラ様付きになるソニアでございます。侍女の補充は一人で十分と伺っていたため、古参で信頼できる彼女を選びました」

「改めましてソニアでございます。デボビッチ家には長年仕えております。この度は新しい奥様を当屋敷にお迎えすることができ、大変嬉しく思います」


 メイド長のクローネは左目にモノクルをかけた痩せ気味の老婦人で、素朴で朗らかだったマリアンナとは対照的な人物だ。

 イルマと入れ替わりで私に仕えることになったソニアは、おそらく三十代。背が高く女性にしてはしっかりした体格で、今まで私の周りにはいなかったタイプ。特に異質なのは、新しい主人を目の前にしてもニコリとも笑わず、まるで鉄面皮のように固まった表情。おそらく細目で釣り目がちな容姿が、そういうきつい印象を与えてしまうのかもしれない。


 うーん、これはまたすごいキャラが来たわね。イルマも相当表情が硬かったけど、それを上回る無愛想さだわ。

 ……とは言っても、最初から偏見を持ってはいけないわね。これから親しく付き合っていけば、印象もガラリと変わるかもしれない。かつてイルマやレベッカがそうだったように。


「クローネ、ソニア、それに他の侍女の皆さん、どうかよろしくお願い致しますね。こちらに控えているのはアストレーから連れてきた私専属の侍女のエヴァとレベッカです。二人とも仲良くしてやって下さい」

「よ、よろしくお願いします!」

「お、おら、頑張りますだ!」


 私がエヴァとレベッカを紹介すると、クローネのモノクルがきらりと光った。


「ええ、もちろん。王都にやってきたからには新しい侍女二人には王都の流儀を身に着けてもらいます。そしてデボラ様、あなた様にも」

「……へ?」


 のんびりとお茶を飲んでいた私は、クローネの鋭い視線に一瞬寒気を覚えた。

 あ、あら、王都の流儀って一体なにかしら?

 できればあんまり知りたくないんだけど……。


「聞けばデボラ様は長らく大病を患い、当家に嫁いでくるまでは子爵家の領地で療養なさっていたとか。となれば、デビュタントも経験しておられず、社交に関しては赤子同然の知識しかございませんでしょう。ですが公爵家夫人となられたからには、『私は何も知りません』などという子供っぽい言い訳は一切通じません。デボラ様の恥はデボビッチ家の恥、延いては御夫君であるカイン様の恥となります。ということで……」


 クローネは何やら楽しそうに、腕の骨をポキポキと鳴らした。

 どうやらこの王都では、私は子爵家の領地で長年療養していたことになっているらしい。亡くなった叔父様が考えた苦肉の設定が採用されてるってわけね。

 それと今のセリフでクローネのキャラも、なんとなくわかったわ。いわゆるスパルタ教育上ママ。語尾に「ざます」が付いていたら、完璧なス〇夫ママね!


「デボラ様にはこれから公爵夫人としての最低限の教養と常識を徹底的に学んで頂きます。折しも時節は年の暮れ、新年が明けるまでまだ多少の余裕がございます。カイン様が何と言われようと、デボラ様は近いうちに公の場に立つことになるでしょう。それまでに私がみっちり貴婦人の嗜みを叩きこんで差し上げますわ」


 ――にやり、と笑うクローネの気合に圧され、私は全身にダラダラと冷や汗をかいた。

 いやいやいやいやいや、できれば公爵夫人教育なんて、全力で遠慮したいんですけどぉぉーーー!

 ……などという心の叫びは当然無視され、その後問答無用でダンスホールに連れていかれる。そこにはダンスのコーチ以外にも、十人以上の教師らしき人材がすでに揃えられていて、クローネの本気が感じられた。

 

「さぁさ、では善は急げ! まずは貴族として簡単なステップくらいは踏めなくてはいけませんよ!」

「ス、ステップ? いや、ちょっととそれは……私のダンス歴なんて運動会のマイムマイムくらいしか……って、ぎゃあぁぁぁーー―っ!!」

「デ、デボラ様、頑張って下さい!」

「デボラ様ならきっとすぐにダンスも踊れるようになれますだ!」


 外野からエヴァやレベッカが応援してくれるけれど、高いハイヒールなんて履き慣れてない私は、よろよろと生まれたばかりの小鹿のような歩き方になる始末。

 ちなみにハロルドやジルベールはクローネに抗議してくれるどころか、「デボラ様にとって必要な教育なので頑張って下さいね☆」と、笑顔で手を振っている。


 ……くっそー、この裏切り者ぉぉーーーー!


 と、涙目になってももう遅い。

 何より王都に来ることを望んだのは他ならぬ私なのだから、甘んじてクローネの公爵夫人教育を受けねばならないだろう。


 こうして自分が今までどれほど周りに甘やかされていたのかを改めて自覚しつつ、いよいよ波乱含みの王都暮らしがスタートしたのだった。


 



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ