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57 王都へ2



「あーあーあーあー、もう悔しい。悔しいったらない。カイン様は本当に人の心がわからない方ねっ。そりゃあカイン様は強いわよ。領主としては完璧だわよ。だけどいつもいつもたった一人で頑張らなくてもいいじゃない。たまには私達を頼ってくれてもいいじゃない。私達一人一人の力は小さいかもしれないけれど、それでもあの人の役に立ちたいのよ……」

「……」


 ヴェインに肩に担がれて自室まで運ばれている間、私は足をバタバタさせながらずっと公爵のことを愚痴っていた。ヴェインはそれを無言で聞いている。


 今、私の心はやるせなさでいっぱいだ。

 でもここでぶつぶつ文句を言い続けても、事態が好転するわけじゃない。

 仕方ない。これはまた作戦を考え直さなくては。

 私はとにかくいったん冷静になろうと、はぁ、と息を大きく吐いた。


「ヴェイン、悪いけどこの辺りで私を下ろしてくれない? 医務室に立ち寄りたいの」

「医務室?」


 天花宮から出てすぐ、私は医務室にいるはずのイルマを見舞うことにした。

 実はそっちもずっと気になってたのよね。

 まずは心配事を一つ一つ、解決していくことにしよう。

 

「実はイルマが体調を崩したから、ラッセル先生のところに行くよう指示してあるの。ヴェインも心配じゃなくて?」

「なんですとっ、イルマが!?」


 私がイルマの名を口に出すと、ヴェインの目がカッと赤く光った。それまでずんずんとゆっくり歩いていた歩調が、突然猛牛並みの突進に変わる。


「なぜそれを早く教えてくれないのですかっ! うぉぉぉーーーーっ、イルマァァーー!!」

「ぎゃあぁぁぁーっ! だから私を下ろしなさい! 下ろしなさいってぇの! ぎゃあぁぁぁーーっ!」


 私はヴェインの肩に担がれたまま、ジェットコースターに乗っているかのような激しい揺れに襲われた。

 ちょ、マジ、乗り物酔いするから勘弁してぇぇ!

 その叫びも空しく、私は有無も言わさず医務室に連行されるのだった。








「おや、デボラ様。顔色が悪いですな。デボラ様にも診察が必要でしょうか?」


 医務室に着くと、ラッセル先生が乗り物酔いでふらふらになってる私を見て苦笑した。

 ちなみにこの医務室と、ノアレが担当する瑞花宮は全くの別の医療機関だ。こちらの医務室は純粋に公爵や屋敷に勤める関係者のために用意された施設なのだ。


「先生、イルマは……イルマの具合はどうなのですか? もしや悪い病気では!?」

「あんたは少し落ち着きなさい」


 さすがラッセル先生。これが年の功というものなのか、あの猛牛・ヴェインの額をぺしぺしと平手で叩いてうまく宥めている。


「イルマの容体はイルマ自身の口から聞いたほうがよろしいでしょう。今なら体調も落ち着いていますから、ごゆっくりどうぞ」


 そう言ってラッセル先生は病室の入室を許可してくれた。恐る恐る中に入れば、イルマはベッドで上体を起こし、ゆっくりと休憩しているところのようだ。


「イルマ!」

「まぁ、ヴェイン殿。それにデボラ様まで……」


 ヴェインはイルマに近づいた後もおろおろしていた。彼女のそばには付き添いを頼んだエヴァだけでなく、なぜかメイド長のマリアンナまでいる。


「あら、あなたまでどうしたの?」

「これはこれはデボラ様。いえ、実はイルマから今後のことについて相談を受けている最中でしたの」


 そう答えるマリアンナはなぜかご機嫌で、満面の笑顔。逆にイルマはベッドの上で恥ずかしそうに俯いている。


「イルマ、腹が痛いのか。それでも熱があるのか? もしや疲労がたまって、体調を崩したとか……」

「いえ、そういうんじゃなくて……」

「はっ、もしかして知らない間に怪我をしていたとか! やはりもう一度ラッセル先生を呼んでこよう! 辛いなら無理をするじゃないぞ!」

「だからヴェイン殿、そうじゃないの。少し落ち着いて……」


 似たような会話が繰り返される中、その会話の流れをズバッと断ち切ったのは、そばにいるエヴァだ。


「もう、ヴェイン様。そんなにおろおろするなんて情けないですよ! これから父親になろうと言う人が!」

「……………え?」

「イルマさん、おめでとうございます! 念願の赤ちゃん、きっとコウノトリが運んできてくれたんですね!」

「あ、ありがとう、エヴァ……」

「――」


 イルマは頬をほんのりと赤く染めながら、優しげに微笑んだ。

 その一方でマリアンナが「そういう大事ことは他人でなく、イルマが直接旦那様であるヴェインに伝えることですよ!」とエヴァに注意している。

 

「は? 赤ちゃん? ……………は?」


 肝心のヴェインと言えば、エヴァの言葉を理解しきれないのか、あんぐりと口を開けて棒立ちしていた。私の反応もいまいち遅れたけど、『妊娠』の二文字が脳内に浸透していくにつれ、じわじわと胸の奥から喜びが湧いてくる。


「まぁ、じゃあ具合が悪そうにしてたのは悪阻だったのね! おめでとう、イルマ、ヴェイン! 二人の赤ちゃんの誕生、今から楽しみね!」

「デボラ様もありがとうございます」


 私は思わずイルマの手を取って、うんうんと深く頷いた。その間もヴェインは石像のように硬直していて、未だ現実を理解できていないようだ。私はなんだかおかしくなって、バンッとヴェインの背中を力いっぱい叩く。


「ほら、エヴァの言う通りよ。しっかりして、ヴェイン! これからあなたにはイルマやカイン様だけでなく、我が子という新しく守るべき存在ができるのよ!」

「吾輩に……我が子……」

「そうよ! やったわね! おめでとう!」


 何度言っても言い足りなくて、部屋中には寿ぎの言葉が溢れた。

 するとそれまで棒立ちしていたヴェインの目尻に涙が溜まり、大きな体が細かく震えだす。


「そうか……吾輩が父親に……。イルマ、ありがとう……本当にありがとう……」

「それはこちらのセリフよ、ヴェイン殿。私にこの子を授けてくれてありがとう」


 そう自分のお腹に両手を添えながら微笑むイルマは、すでに母親の顔をしていた。次第にヴェインの啜り泣きの声は大きくなっていき、すぐに号泣へと変わる。


「うぉぉおおおーーーっ! 吾輩は今、猛烈に感動している! イルマ、ありがとう! ありがとうぉぉぉぉおおおーーーっ!!」


 その場で仁王立ちし、滝のような涙を流すヴェインは、例えるなら『童話・泣いた赤鬼』だ。その涙に釣られ、思わず私の目頭まで熱くなってしまった。イルマやエヴァも言わずもがなだ。


「本当におめでとうございます、イルマさん。元気な赤ちゃん産んでくださいねぇぇぇ!」

「うぉぉぉぉっ! うおぉぉぉぉーーーーっ!!」

「私からも祝福させて頂きますよ、イルマ。仕事のことは心配しなくて大丈夫。あなたの出産まで完璧にサポートさせてもらいますからね」


 マリアンナは頼もしい言葉を口にし、そしてにやりと笑いながら、なぜか私のほうを見る。


「それにイルマがこのタイミングで妊娠したということは、我がデボビッチ家にとっても朗報です。これで然るべき時が来ても、新しい乳母を手配する必要もなくなりますからね」

「新しい乳母? 然るべき時?」


 一体何の話をしているのかわからなくて、私は首を傾げる。するとマリアンナはとんでもないことを言い出した。


「ええ、ええ、ええ、ええ。デボラ様、これで何も心配いりません。カイン様との間に御嫡子が生まれた暁には、イルマが立派に乳母を務めてくれるでしょう」

「……………、……………は? ゴチャクシ?」

「でかしましたよ、イルマ。あなたはデボラ様のお世話だけでなく、その御子の教育にも携わることになるのですから。今から乳母としての心構えをしておくように。……いいですね?」

「は、はい。私に務まるかどうかはわかりませんが、カイン様に受けた恩は必ずお返ししたいと考えております」

「ちょ、ちょっと待って……」


 なんだか当たり前のように会話を進めていくマリアンナとイルマが空恐ろしくなって、私は思わず半歩後ずさった。

 ……と言うか、なぜか私が公爵の跡継ぎを産むことが前提になってない?

 そんなこと想像しただけで、顔から火を噴くんですけど!


「な、なんで私が子供産むことになってるの!? そんなこと有り得ない。絶対ないから!」

「オホホホホ、デボラ様ったらご冗談を。正妻として最も大事な義務がなんなのかは、当然ご理解してらっしゃいますわよね? デボラ様ならきっと玉のように健やかなお子をご出産することができますわ。私ども使用人一同、その時が来るのを心よりお待ち申し上げております」

「だ、だから、そんなの無理だってばぁぁぁーー!」


 マリアンナからかけられた途轍もないプレッシャーに私は悲鳴を上げた。

 けれどイルマの妊娠は、暗い影が落ちかけていたデボビッチ家に新しい希望の光を与えてくれた。


 本当におめでとう、イルマ、ヴェイン。

 ならば生まれてくる子のためにも、私もここで思いっきり踏ん張らなくてはならないわね。

 二人の子供が生まれてきた時に、当主である公爵が故人である……なんてことがないように。

 その子の産声を、この屋敷のみんなで聞けるように。


 私は王都での事件を解決し、公爵を再びこのアストレーに連れ帰るのだと、改めてイルマのお腹の子に誓うのだった。





           ×   ×   ×





「な、なんですって!? 公爵がもう王都に向けて出発したっ!?」


 けれど私の決心など、公爵の前ではあっさり覆される。

 翌日の早朝。公爵が出立する前にもう一度直談判しようと思っていた私の目論見は、まんまと外れた。

 聞くところによると、今朝の出立の予定が急遽変更になって、公爵は昨日の深夜過ぎに、わずかな護衛を連れ王都に向かってしまったと言う。

 後のことは筆頭家令のハロルドに一任され、私の自室前には親衛隊の監視が数人置かれることになった。


「カイン様からしばらくはデボラ様から目を離すなと仰せつかっております。私も大変心苦しいのですが、どうかご容赦下さい」

「そんな……」


 申し訳なさそうに頭を下げるハロルドを前にして、私は思わず脱力した。

 結局私の言葉は公爵の心には届かなかった。その事実を突きつけられ、空しさで心がいっぱいになる。


「わかった……しばらく自室で大人しくしてるわ。どうかしばらく私を一人にしておいてちょうだい」

「デボラ様……」

「はぁ……、結局いつもカイン様は私の一歩先……いいえ、十歩くらい先を行かれてしまうのよね」


 私がそう寂しげに微笑むと、ハロルドやそばに控えてくれるエヴァ達の表情も陰った。

 多分、みんな私と同じ気持ちなんだと思う。

 公爵の力になりたいのに結局は力不足で、やる気ばかりが空回る。そうしている間にも公爵はさっさと私達を置いて、自ら危険な地へと飛び込んでいってしまう。置いていかれた私達の気持ちなど、微塵も考えずに。


「少し寝たいわ。昨日の夜はカイン様をどう説得しようかとずっと考えていて、ろくに眠れてないの……」

「左様でしたか。では今日は一日、ごゆっくりお休みください。何か御用があれば私かエヴァ・レベッカに何なりとお申し付けください」

「……ありがとう」


 落ち込む私を慮ってか、ハロルドやエヴァ達はすんなりと私の部屋から立ち去ってくれた。けれど耳を済ませば、ドア前からは数人の人の気配がする。

 ……なるほど、例え私が就寝したとしても監視は外れないってわけね。

 私は息を殺しながら、そっとクローゼットへと近づいた。


(なーんて、本当に私がこのまま大人しく引っ込んでると思う!? 甘い、甘いわよ、公爵! 私の覚悟と行動力をあんまり見くびらないでほしいわっ!) 


 そしてクローゼットの中の奥にしまわれていたトランクバスケットを取り出し、急いで粗末なワンピースに袖を通す。

 デボビッチ家から家出しようとしてたのはつい先日のことだから、抜け出す準備はバッチリよ! 

 

 こうして再び私の『デボビッチ家逃走計画Part2』は実行されることになったのだった。





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