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53 カインという男10



 カインが連絡を受け、サバナスタ孤児店に着いた時、護衛のコーリキとジョシュアはかわいそうなくらい顔面蒼白になっていた。


 ――デボラが行方不明になった――


 その知らせを受けたのは、カバスから帰ってすぐのこと。ここ一週間ほど、カバスでは仮設住宅まわりの問題が発生し、その解決のためカインは邸宅を留守にしていた。

 すでにデボラの事業計画書も通っていたことから、しばらくは平穏な日々が続くだろうと楽観視していた自分の迂闊さが悔やまれる。


 聞けば、サバナスタ孤児院では昨日からアヴィーという少年が行方不明になっているらしい。コーリキとジョシュアはその少年を捜索するために、一時デボラのそばを離れた。

 そして孤児院に戻ってみれば、待機していたはずのデボラの姿がいつの間にか見えなくなっていた。例えデボラ自身に頼まれたとはいえ、やはり護衛対象から離れるべきではなかったとコーリキはカインに謝罪し続けた。


「後悔は後で思う存分すればいい。今はデボラを探し出すことが先決だ」


 カインはヴェインや保安局の者達と共に、デボラとアヴィーの行方を追うことになった。聞けばデボラは姿を消す前に、イースト・マーケットで薬屋を営むマルクがアヴィーについて何か知ってるかもしれないという情報を残していったという。


 マルクの名を聞いて、カインは無意識に舌打ちをした。

 マルクにはグレイス・コピーを裏取引している容疑がかかっており、前々から捜査線上に浮かんでいた人物だ。だがマルクはなかなか尻尾を掴ませない狡猾な小悪党でもあった。

 その危険人物の情報を事前にコーリキとジョシュアと共有していなかったのは、明らかな自分の落ち度である。デボラが攫われた責任の一端は、カインにもあると言えよう。

 

「デボラ様の仰る通りマルクの店を当たりましたが、中はもぬけの殻でした。どうやらマルクは店自体引き払ったようです」


 ある保安官からの報告に、カインは二度目の舌打ちをする。

 店を引き払ったということは、マルクはアストレーから脱出する可能性が高い。このタイミングで高飛びするということは、デボラを攫ったのも十中八九マルクだろう。その動機は不明だが、一刻も早く彼女を助け出さないと最悪の結末を迎えかねない。


「港に緊急配備を敷け。指揮は俺が執る」


 その夜、カイン自らが陣頭に立ち、デボラとアヴィーの捜索が大規模に行われることになった。領主の妻が攫われたということで、保安局にも緊張が走る。

 そんな中、港の保安局の出張所にアヴィーが駆け込んできたという知らせが舞い込んだ。


「オレ達が閉じ込められてたのは107倉庫だよ! マルクって奴は今夜高飛びするつもりだって言ってた! ねぇ、早くバカ女を助けてやってよ。あいつにもしものことがあったら、オレ、悔やんでも悔やみきれねぇよ!」


 カインが出張所に着いた時、アヴィーは保安官相手に興奮していた。デボラのことをバカ女と呼び、必死に彼女の救出を保安官に頼んでいる。どうやらデボラの機転でアヴィーだけがマルクの元から逃げ出せたようだ。


「お前がアヴィーか?」

「……え? もしかして――領主様?」


 カインが話しかけるとアヴィーは困ったように視線を泳がせた。アヴィーにとってカインは雲の上の存在で、直々に話しかけられるのは畏れ多いことだったのだ。


「今から保安官部隊を107倉庫に向かわせる。デボラから他に何か伝言はないか?」

「え、と……その……」


 アヴィーは一瞬言い淀んだ後、そっと静かに目を伏せる。


「あの……もしものことがあったら忘れろって」

「?」

「自分にもしものことがあったらデボラのことは忘れろ……って。デボビッチ家のみんなにそう伝えてほしいと言われました」

「――」


 アヴィーの伝言は、その場にいるカインやヴェイン、コーリキ達の胸を深く抉った。

 ――忘れろなどと、何を馬鹿なことを。

 そんなことができるなら、最初からこんなに必死になって彼女を探したりしない。


「そうか、わかった。お前はサバナスタ孤児院へと戻れ。シスター達が心配している」

「あ、あのっ!」


 それまで俯いていたアヴィーはカインが立ち去る間際、慌てて声をかける。


「あのバカ女……じゃなくて、デボラ様を絶対助けて下さい! あいつ、本当にお人好しのバカだから! あんなバカな女が不幸になっていいはずなんてないから!」


 そう瞳を潤ませるアヴィーは、言葉とは裏腹にデボラを心から慕っているようだ。こんなところにまたデボラ信徒が誕生したか、と、カインは思わず苦笑いする。


「任せておけ、デボラは俺の妻だ。必ず助けると約束しよう」

「は、はい!」

「ヴェイン、コーリキ、ジョシュア」

「はっ」

「おそらく時間的に倉庫のほうはもぬけの殻の可能性が高い。俺達は港へと向かうぞ」

「了解しました」

「必ずデボラ様を助けましょう!」


 カインの読みは正しく、この時すでにマルクとその仲間達はデボラを拉致したまま、ある貿易船に乗り込んでいた。

 あとは時間との勝負。

 夜になっても多くの船が行き来する港で、カインはマルク達が乗り込んだ船の特定を急ぐ。


「どうします、カイン様。港には五十隻以上の船が逗留しております。一隻一隻調べている時間の余裕はありませんぞ」

「………」


 ヴェインの言う通り数ある船の中からたった一つの船を見つけ出すには膨大な人手と時間が必要だった。こうしている間にもいくつかの船が出港していき、アストレーの領海外へと出て行ってしまう。


 カインは無意識に、ぎゅっと自分の胸元の服を掴んだ。

 こうして自分達が手をこまねいている間にも、デボラはどれほどの恐怖を感じているだろう。

 救出が遅れれば遅れるほど、デボラの身に危険が降りかかる可能性も増す。

 珍しく、カインの心を焦りと恐怖が占領した。

 身体の奥底にどろどろと溜まり続けていた不安感が、急速にその嵩を増し始める。


「咄嗟の判断でアヴィーを逃がしたくらいだ。デボラが何か手掛かりを残していないか探そう」


 結局カインは、デボラの機転に可能性を賭けるしかなかった。

 デボラが拉致されていたという107倉庫から港への道を逆に辿っていき、何か怪しい痕跡がないか目を凝らす。

 するとふと、カインの鼻腔を甘い香りが掠めた。それはともすれば風に流されて、うっかり見過ごしてしまいそうなほどのわずかな痕跡。


「……今、何か匂ったな」

「え?」

「匂い……ですか?」

「ああ、この猥雑な港には似つかわしくない匂いだ」


 カインは辺りを見回し、五感を研ぎ澄ます。今夜は月が出るほど快晴のため、雨で匂いが流されることがなかったのも幸運だった。


「……これだな」


 そしてカインは港に架かるある桟橋の端で、ごくわずかな乾燥ハーブの残骸を見つけた。この匂いにはカインも覚えがある。デボビッチ家の温室でのみ育てられているアイビー・ビーンズの香りだ。


「あ、デボラ様はそのハーブを詰めたサシェを、孤児院の子供にプレゼントするって言ってました。もしかしたらその中身を使ったのかもしれないっスね!」


 ジョシュアの証言で、カインはこれがデボラが残した手がかりだと確信した。

 今までカインはデボラを間抜けと評してきたが、その認識を今後改めなければならないかもしれない。


「よし、この匂いを辿って行け。そこにデボラがいるはずだ」


 カインの指示を聞くと同時に、部下たちの瞳に力強い光が宿った。

 それはカインと同じくデボラを何としてでも救い出すという、固い決意の表れだった。










「ぎゃあぁぁっ!」


 そしてカインがマルク達の潜伏する船を特定したのは、わずか10分後のことだった。

 時間的猶予がないため、増援を待たずにカイン以下4人で船に乗り込む。当然マルクとそれに協力する一味達の抵抗は激しく、船内はすぐに主戦場と化した。


「うおぉぉーーーっ! 吾輩の前に立つ者は誰であろうと許さん! 道を開けよ!!」


 まず先陣を切り大暴れしたのはヴェインだ。元騎士であるコーリキも、その後に続く。狂ったように次から次へと繰り出されるヴェインの猛撃は、暴れ馬を彷彿とさせる。だがその剣戟の激しさとは裏腹に、横薙ぎの一閃は正確無比に相手の急所を捕らえていた。

 薄い闇の中で躍動するコーリキの卓越した剣さばきも、敵に反撃する一分の隙すら与えない。

 ヴェインやコーリキの動き一つ一つが、悪党達との格の違いを見せつけていた。


「死ねぇ、カイン=キール!」

「!」


 当然悪党達の中には、カインを狙い打ちする者もいた。が、背後からカインめがけて突進してきたその剣戟を紙一重で避け、男の鳩尾に渾身の肘鉄を食らわす。

 さらに敵が怯んだところにジョシュアが踏み込み、敵の剣を剣で弾き返した。

 そんな戦闘が五分ほど続いた時点で、決着は速やかに着く。後から駆け込んできた保安官の助力もあり、カイン達は船内の鎮圧に成功した。


「カイン様、船倉はこっちっス!」


 そしてカインはデボラが監禁されている船倉へと急いで降りた。扉まであと少しというところで聞こえてきたのは、マルクの狂ったような叫び声。


「ざまぁみろ! お前はこれから俺の奴隷だ! フィオナの代わりに一生俺に仕えろ!」


 そう高笑いするマルクの背中を見て、カインの視界は真っ赤に染まった。

 マルクはあろうことか、床に転がった無抵抗のデボラを容赦なく蹴り続けていたのだ。デボラは苦しそうに呻き、子供のように小さく蹲っている。


 この時カインが感じた怒りをどう表現すればいいだろう。


 ――俺のデボラに。

 ――俺の妻に何してやがる?


 刹那、全身の毛穴から真っ赤な血が吹き出すような感覚に襲われた。

 鋭い痛みがカインの頭骨内を犯し、それは、ずきんずきんと大きく脈打ちながら、まともな思考と理性を、呆気なく奪っていく。

 

 マルクというこの男、殺すだけでは飽き足らない。

 その体、文字通り蜂の巣にしてやる――!


 カインは懐から愛用の短銃を抜き取ると、一分の迷いもなく引き金を引いた。


「ぎゃぁぁぁーーーっ!」


 銃の発砲音とマルクの悲鳴が響いたのは、ほぼ同時だった。発射された弾はマルクの肩を貫通し、その体ごと床に打ちのめす。

 カインはこの時、自分でも驚くほど冷酷で残酷だった。

 本気で目の前のマルクを撃ち殺してやろうとさえ、思っていた。



「俺の妻に手を出すとは、いい度胸だな、マルク。楽に死ねると思うなよ」



 こうして間一髪、カインはデボラを救出することに成功した。

 だが一歩間違えば、カインはやはりデボラを永遠に失っていたのだ……と。

 

 そんな底のない恐怖は、完全に拭い切れずにいた。




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