46 カインという男3
先代・クァールによって荒れていたアストレーという領地を立て直すのに、問題は山積みだった。中でもグレイス・コピーをはじめとする密輸品の取り締まりは、領主・カインにとっては急務であった。
密輸を生業とするものはみな狡猾で、用心深い。密輸の方法もどんどん巧妙になっていき、検閲の負担も大きくなっていた。
「あの木材、怪しいな」
時にカイン自らが港に出、検閲に加わることもあった。
その日カインが目につけたのは、建築用に輸入された大量の木材。船に山積みされた丸太は、一見不審なところはなさそうであったが……。
「丸太を下ろし、中を調べろ」
カインの鶴の一声で、丸太は綿密に調べられることになった。何本かの丸太を二つに割り検分すると中には不自然な空洞があり、そこにグレイス・コピーが大量に詰められていた。
「うお、こんなところに密輸品を隠すとは!?」
「これは一見わかりませんなぁ」
「カイン様、さすがでございます。その慧眼には恐れ入ります」
「……ふん、ただの勘だ」
カインが領主になってから、爆発的に密輸の摘発は増えた。
それでも密輸自体はなくならず、結局延々といたちごっこを繰り返す羽目になっている。
この頃にはすでに、グレイス・コピーの密輸を一気に取り仕切る黒幕がいるだろうことはわかっていた。……が黒幕につながるような証拠は何一つ見つからず、逮捕されるのは末端の雑魚ばかりだった。
「おおぃ、そこにいるのはカインじゃねえか!」
「?」
そんな時、カインは港である男と再会した。
笑顔でぶんぶんと手を振る陽気な傭兵は、確かにカインの知己である。
「クロウ?」
「おお、俺様でい。久しぶりだなあ。アストレーはなかなかいい土地じゃねぇか」
それはかの留学先で別れた、クロウ=シャハト。どうやらクロウは流れに流れて、アストレーに辿り着いたらしい。
さらにクロウの傍らには、日に焼けた肌をした見慣れぬ美丈夫が立っていた。
「実はこいつはカシュオーンを荒らし回っている海賊でなぁ」
近くの酒場に入ってすぐ、クロウから受けた紹介は実に物騒なものだった。
カシュオーン国を中心に活動する海賊ラ・シュガル。太陽のように輝く黄金の髪、豹のようなしなやかな体躯、女性がうっとりするような甘いマスクは、ともすれば海賊ではなくどこかの貴族のようにも見える。
「そりゃそうだろうよ。元々こいつはカシュオーンの王宮から追放された元王子だ。祖国を奪った右大臣に復讐するため、カシュオーン専属の海賊やってんのよ」
聞きもしないのに、クロウはペラペラとラ・シュガルの身の上を暴露した。
デボラが聞いたなら「何その美味しい乙女ゲー設定!」と、よだれを垂らしそうな内容である。
ちなみにグレイス・コピーの過半数は、カシュオーンの某貿易会社を経由して密輸されていた。ここでカインとラ・シュガルの利害が一致する。
「俺達がアストレーに求めるのは、俺達海賊団の入国検査免除だ。俺達はこの国や付近の海域を荒らすつもりはない。ただ一時、陸で休める場所が欲しいだけなんだ」
「それでこちらに何の得が?」
「定期的にカシュオーンの情報を提供しよう。特に密輸品に関しての情報は、喉から手が出るほど欲しいはずだとお見受けするが」
「いいだろう。それで手を打とう」
こうしてカインは裏で海賊と取引し、密輸の取り締まりを強化した。おかげでまたまたカインを疎む敵が増え、護衛のヴェインとヴェインを中心に編成された親衛隊は大忙しである。
ちなみにこの時点で、クロウは12回目の離婚をしていた。
カインとラ・シュガルを結び付けた名うての傭兵は、相変わらずの体たらくであった。
デボビッチ家の外戚の伯爵令嬢・アンジェリカが一方的にラ・シュガルに一目惚れし、一大騒動を巻き起こしたのがその年の夏から秋にかけてのことだった。
詳しい過程は割愛するが、お転婆なアンジェリカの猛烈な求愛にとうとうラ・シュガルが陥落し、二人を結び付けるため、カインはアンジェリカと仮初の結婚をした。
後にアンジェリカは病死扱いとなり、カインは二人からいたく感謝されることになる。
ここからカインの青髭伝説が本格的に始まった。
「どうやらワインバーグの義理の娘が、後妻に狙われているようだ」
王都に滞在中、カインはルイからある貴族の内偵の結果を聞かされた。
それが二番目の妻・セリーヌ=ワインバーグを娶ることに結び付いた。
元々カインは定期的に王都を訪れ、ルイと共に小議院へと流れる裏金の流れを追っていた。その調査線上に浮かんだのが、薬物乱用疑惑のあるワインバーグ男爵。セリーヌとの結婚は、ついでと言えばついでだったのである。
「おいおい、そんなに気軽に結婚していいのかい? 何もいわくある娘を娶らなくても、君ならばどんな令嬢も選り取り見取りだろうに」
ルイは悪戯気に笑いながら、カインにそう尋ねたことがある。
だがカインにしてみれば、デボビッチ家の家名に釣られる女など、ただただ面倒くさいだけだ。
それに元々カインは、女という生き物自体が苦手である。気とタイミングが合えば体を重ねもするが、どんな女もある程度付き合えば、金ではなく情をくれとせがみだす。そうなると女よりも仕事をしていることが楽しいカインは、自然女とは疎遠になっていった。
あなたはつれない。本気で人を愛したことがないんでしょう、と詰られたことも何度かある。
そんなことを繰り返すうち、カインは女と付き合うこと自体が面倒になり、ますます執務に没頭するようになった。
幸いにも二番目の妻・セリーヌは聞き分けのいい女で、カインに何を期待することもなく、部下であるヴェインとの再婚を望んだ。
カインはいつかのクロウの言葉を思い出す。
『もしも女のほうから別れたいって言われたら、その時はすっぱり別れてやれよ。離れ離れになることで、初めて掴める幸せってもんもあるんだぜ』
まさにその通りだったと、カインは納得する。
また元々嫡流の出ではないカインは、自分の子を残すことにそれほど執着していなかった。
どんな女にも心乱されたことがない。
ノアレの分析通り、生まれながらの恋愛不適合者であったカインは、おそらく自分は一生このままだろうと思っていた。
そう、つい3ヶ月前、ルイからある情報を聞かされるまでは――
「実はある社交サロンを通じて、グレイス・コピーの取引が行われていることが分かった。言葉巧みにグレイス・コピーを貴族に売りつけているのは、イクセル=マーティソン子爵だ」
ルイは親友であるカインを自室に招き、これまでの調査報告書をカインに見せた。
裏金の流れを追い始めてより四年、ようやく黒幕につながるかもしれない有力情報だった。
「こいつが黒幕……ってことは、さすがにないか」
「そうだね。黒幕にしてはマーティソン子爵は小者過ぎる。おそらくは利用されているだけだろう」
調査資料に目を通しながら、カインとルイはこれからの方針を相談し合う。
言葉に出さなくとも、二人とも四大公家のいずれが例の黒幕と内通しているのではないかと疑っていた。
現在カインを当主とするデボビッチ家は除くとして、イグニアー、カニンガム、もしくはチェスター家。このいずれかの家がグレイス・コピーの密輸に何らかの形で関与し、その金を議院に流して次期王位を簒奪しようとしている。
現在国王は50歳と若いが、ここ数年体調を崩し気味である。また王位継承権第一位であるルイの周りで、原因不明の不自然な事故が多発していた。
致命的な危機はすぐ目の前に近づきつつある……と言うのが、カインとルイの共通認識なのだ。
「ならこいつを逮捕して、黒幕とのつながりを吐かせればいいんじゃないか?」
「事はそう簡単にすまない。何せもし本当に四大公家のいずれかが麻薬の密輸に与しているとしたら、国家を揺るがす一大醜聞だ。向こうとて、そう簡単に尻尾は掴ませないだろう」
それにな……と、ルイは資料を見ながら、言葉を継ぎ足す。
「このマーティソン子爵、小者ながらになかなか弁が立つ。天才詐欺師の才能があるんだろう。黒幕に利用されていることを知りながらも、なかなかうまく立ち回っているようだ」
「だからって手をこまねいて、見ているわけにもいかないだろう」
カインとルイは顔を突き合わせながら、盤上のチェスの駒を動かしていく。
「マーティソン子爵については、先代子爵の事故工作をしたのではないかという疑いも持たれている。その辺りも含め、現在子爵家に仕えていた元使用人の聞き取り調査を行っているところだ」
「なるほど、過去の犯罪から突き崩す算段か」
すでにルイはマーティソン子爵に対する捜査網を狭め、子爵の犯罪を明るみに出す準備を着々と進めていた。
その時にカイン達の前でイクセルの非道ぶりを証言したのは、かつてデボラに仕えていた乳母のタチアナだった。
「イクセル様とそのご子息・セシル様は自分の欲望を満たすためには手段を選ばない恐ろしい方々です。私は子爵家の跡取りであるデボラ様にお仕えてしておりましたが、乳母の職を辞さなければ、娘家族ともども領地から追放すると脅されました。当時、孫が生まれたばかりだった私は孫可愛さで、その脅しに屈してしまいました。その結果、デボラお嬢様を見捨てる形となってしまったのです。ああ、今頃デボラお嬢様はあの悪魔のような男の下で、どれほどご苦労なさっているのでしょうか。謝っても謝りきれません……」
タチアナはルイとカインの前でおいおいと泣き、過去の自分の罪を懺悔した。
話を聞いていたルイはピンと閃き、ビシッとカインを指さす。
「予言しよう、カイン。君はそのデボラという不憫なご令嬢を、五番目の妻に迎える気だね?」
「まだ何も言ってない」
カインはルイの指を強めに払いのけ、仏頂面になった。
この時点ですでに四度の結婚と死別(仮)を繰り返していたため、そう予想されても仕方はないが、決まり事のように言われるのはやはり気分が良くない。
「君が存外にお人好しなのは今に始まったことじゃないが、あまりに悪評が立ちすぎると、本当に嫁の来手がなくなるぞ」
「別にそれで構わない」
そもそも自分の評判など、毛ほども気にしないカインは強気に言い切った。
むしろ『妻を次々と殺し続ける残酷公爵』という噂のおかげで、身分や財産目当ての女が近づいてこなくなってせいせいしてるくらいだ。
ソファに座りながらふんぞり返る親友を見て、ルイは思わず苦笑する。
「まぁいい。じゃあ早速マーティソン子爵家に探りを入れよう。そういえばかの子爵家では毎週茶会やパーティーが開かれているようだね?」
そこでルイはある作戦を思いつく。
「ならばカイン自らの目で、マーティソン子爵を見極めてきてくれないか? もちろんしっかり変装をしてね?」
そうにっこりと微笑むルイが潜入捜査用に用意したのは、カインのキャラとは真逆のロココ調王子スタイルの衣装だった。
それを見たカインが苦虫を潰したような顔になったのは――言うまでもない。