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45 カインという男2



 まんまとルイの策略に乗せられ、カインがデボビッチ家当主となったのは、今から4年前の春のことだった。

 春とは言ってもまだ雪がちらほらと残るアストレーに到着し、いざデボビッチ家に足を踏み入れてみれば、玄関ホールには丸々と肥え太った男が居座っていた。


「お前が私から当主の座を奪った薄汚いコソ泥か! 私は認めん! お前が次の当主などと、絶対認めんぞう!!」

「………」


 それは本来ならばデボビッチ家を継ぐはずだった、先代・クァールの息子・ニール=ゼンだった。当時の時点ですでにメタボ体形で、傲岸な喋り方から甘やかされて育ったことが容易く想像できた。

 ニールはドピング伯爵家への婿養子の話が決まり、アストレーからは退去しているはずだったが、どうも無理を言ってデボビッチ家に居残っていたらしい。先代の暴虐に脅え切っていた使用人達の中に、ニールを諫められる者はいなかった。


「申し訳ございません、全ては私の不手際でございます。ニール様を説得しきれず、誠に申し訳ありません」


 そう真っ先にカインに向け謝罪したのはハロルドだった。当時40代後半を少し過ぎたばかりだったハロルドはすでに総白髪であり、現在よりもだいぶ痩せ細っていた。

 玄関ホールに集まったメイドも、その他の使用人もみな暗い表情で、新しい当主であるカインを直視できず委縮しきっている。

 恐怖による支配がいかに人の心を壊すのかを目の当たりにし、カインは密かに嘆息した。


「――ふん、手間がかかるな」

「な、なんだと!?」


 そのセリフを自分宛と受け取ったのか、ニールはまたまた憤慨した。

 ここぞとばかりにニールはカインに罵詈雑言の嵐を浴びせるが、カイン相手では所詮のれんに腕押しである。


「なるほど、では決闘で決着でもつけるか」

「け、決闘……だと!?」

「俺がデボビッチ家を継ぐことはこの国の王が定め、認めたこと。それに異議を申し立てるならば、それ相応の覚悟があるんだろう。我が国は過去、決闘裁判を認めていたという歴史がある。そこまでデボビッチ家が欲しいなら、お前もそれ相応の対価を支払うんだな」


 カインは懐から短銃を差し出し、その銃口をニールに向けた。

 これにはニールだけでなく使用人達も「ひぃっ!」と悲鳴を上げて後ずさる。


「き、貴様、正統なる後継者である私を抹殺する気か!? なんて卑怯な!」

「抹殺など、煩わしいことをする必要はない」


 カインは無表情のまま短銃を下げ、リボルバーから弾を抜き、一発だけ戻した。

 そして今度はリボルバーをカラカラと高速で回転させた後、銃口を自分のこめかみに当てる。


「そんなにデボビッチ家の当主の座が欲しいなら、ここで賭けようじゃないか。この銃は全6発のリボルバー式だ。いまここに1発だけ弾が入っている。これを交互に撃ち合い、生き残ったほうが真の当主というのはどうだ?」


 そうロシアン・ルーレットを持ち掛けると、カインはためらいなく初弾の引き金を引いた。

 使用人達が息を呑む音と、カチッと撃鉄が上がる音がしたのは同時だった。


「1発目は空砲。さぁ、次はお前の番だ」

「ひっ!」


 カインはニールに向かって短銃を放り投げた。顔面蒼白なニールは、もう「ひっ!」以外のセリフを言えず、短銃をまともに受け取ることさえできなかった。


「どうした、銃の握り方も知らないのか」

「わ、私をお前みたいな野蛮人と一緒にするなっ! しかも自分の命を賭けようなどと……正気の沙汰か!?」


 床に転がったままの短銃を一向に拾おうとしないニールを、カインはここぞとばかりに挑発する。


「どうした、命を賭ける度胸もないか」

「………っ!」

「ならばこの話はおしまいだ。命を賭ける度胸がついたなら、その時にまた出直してこい」


 カインは「前当主殿の息子のお帰りだ」とノルヴァラン家からついてきた部下に命じ、デボビッチ家からニールを叩き出した。その無駄のない手際に、使用人達は呆気にとられる。


「ハロルド」

「は、はい!」

「執務室へ案内を。それとアストレーの各地の帳簿を全部運んで来い」

「か、畏まりました!」


 そしてカインは屋敷に到着するや否や、休憩さえ取らずにすぐに領主としての仕事を開始した。


「マリアンナ」

「は、はいっ!」

「当屋敷の使用人達の履歴書を持って来い。それと夕飯は簡単なものでいい。間違っても豪勢なものなど用意するな」


 どうせ食べられないからな……とカインは小声で呟き、ハロルドの後について足早に執務室へと去っていった。その後ろ姿をマリアンナは呆然と見つめる。

 こちらが自己紹介をしないうちに、カインは使用人の名をあらかた把握しているようだ。使用人たちの間にざわざわと動揺が広がり、誰も彼もが不安そうな顔をしている。

 だがこの時、絶望の淵にいたマリアンナはほんの少し期待した。

 もしかしたらこの新しき領主は、アストレーを変えてくれる救世主ではないか……と。







 マリアンナの予想は、ある意味当たった。

 カインがまず領主として行ったのは、各地で行われている不正を正すことだった。


 アストレーの領地は広大なため、各町や村には管理人が駐在している。だがその管理人による横領や収賄などの不正が常態化していた。

 もちろんカインは不正を行った管理人達を容赦なく解雇した。それは大量リストラと言っても過言ではないほどの大変革であった。


 さらに税率の見直しに始まり、アストレーの代名詞である港の治安を守る保安局の再編成、さらに危険薬物の取り締まりを強化するよう指示を出し、カインが赴任して一年も経たない間に、逮捕者・および追放者の数は百人を超えた。


 当然、急速過ぎる変革は反発を生み、カインは多くの敵を作ることになった。














「カイン=キール、死ねぇっ!」


 ある時、市場の視察に出掛けた際、カインは港町の片隅で、数十人の刺客に取り囲まれた。あらかじめ護衛数人つけていたものの、あまりに多勢に無勢。カインはいきなり窮地に立たされる。


「お前ら、グレイス・コピーの密輸業者か。俺を殺しても、変革の波は止まらないぞ」

「いや、お前さえいなければ、ニール様が帰ってくる。そうすればまた俺達の天下さ!」


 カインを襲った刺客達は下品な笑いを浮かべ、それぞれ剣を片手にカインと護衛ににじり寄った。カインは普段から護身用に銃を携帯しているが、残念なことに接近戦には向いていない武器だ。

 さて、どうするか……と、命の危機を前にしてもどこか冷静でいる自分がおかしくて、カインはうすら笑いを浮かべた。



「貴様ら、そこで何をしているっ!?」



 危機の現場に偶然乗り込んできたのが、近くの貧民街に住む難民・ヴェインだった。

 大柄な太刀を振り回すヴェインは素早く状況を見極め、カインを守る側に立つ。


「お前らこの前、貧民街を襲った連中だな。今度は何を強奪する気だ!?」

「おい、あいつはやべぇ……」

「あの顔に傷のある大男、ものすごい強さで、もう何人もの仲間がやられてるぞ」


 カインを襲ったグループの間でヴェインはすでに危険人物として噂になっており、尻込みする者が現れ始めた。


「うおぉぉぉぉーーーっ! 何がなんだかよくわからんが、その気があるならかかって来い! ただし腕の一本や二本で済むと思うな! 吾輩の辞書に手加減という文字はない!!」


 ヴェインの獣のような咆哮に呼応して、貧民街から次々と助っ人が現れる。浅黒い肌をしたモルド=ゾセの戦士達はみな屈強で、難民同士団結力も強い。

 ヴェインの登場で一気に形勢は逆転し、カインを襲った刺客達は次々と逃げだした。


「くそ、今日はだめだ! 日を改めて出直すぞ!」

「まて、お前ら! 敵前逃亡など卑怯であるぞ! う、おぉぉぉおーーーっ!!」


 当時からすでに脳筋だったヴェインは、大太刀を振り回しながら刺客達を追い回した。遠ざかっていくその背中を見ながら、カインは短銃を懐にしまう。


「あの男、貧民街に住んでいると言ったな」

「はっ」

「よし、今からそこに向かう」


 ――即断即決。

 ヴェインに興味を惹かれたカインは、すぐさま港の外れにある貧民街へと足を向けた。そこは西からの難民が多く流れ着き、アストレーの中でも最下層と呼ばれる悲惨な場所だった。









「――ヴェイン、俺に仕える気はないか?」


 多くの難民が身を寄せ合う貧民街を視察し終わった後、カインは戻ってきたヴェインにすぐさま声をかけた。

 当時、西からの難民はアストレーの民から疎まれ、肩身の狭い思いをしていた。

 祖国を蹂躙され捨てるしかなかった難民にとって、異国の地もまた理想郷には程遠く。迫害と差別ばかりを受ける苦汁の日々を送っていたのだ。


「ご冗談でしょう、吾輩はモルド=ゾセからの難民ですぞ」


 ヴェインは最初、カインの提案を真面目に受け取らなかった。

 何せ難民というだけで、ここではまともな職に就けず、その日暮らしするだけで精いっぱい。食料はいつも足らず、子供や老人は皆がりがりに痩せている。

 もちろん領主からの支援など一切なく、アストレーでは生きていけぬとまた別の土地へ流れていく者も多い。そしてまた流れた土地で差別を受ける……の繰り返し。

 一向に改善の兆しが見えぬ日々の中、難民の中にはいっそ暴動を起こそうという、過激な思考に囚われる者もいたほどだった。


「へぇ、あんたが噂の新しい領主様?」


 カインの申し出を面白おかしくからかったのは、ヴェインと共にアストレーに亡命してきたノアレだった。

 医師の資格を持つノアレは常に栄養失調状態の仲間達を診察し、貧民街の者達に慕われていた。そして誰よりも用心深く、誰よりもカインを警戒していた。


「随分美味しい話をしてたみたいだけど、誰がそんな話信じると思う? この国の人間が本気で難民を救おうとしているとは到底思えない」


 ノアレは冷め切った瞳でカインを見返し、ヴェインと無言のアイコンタクトを取った。だがそんなノアレを、カインは敢えて挑発する。


「そうやって自らを卑下すれば満足か?」

「何?」

「難民ということを言い訳にして、いつまで底辺に留まり続ける? 目の前に美味い餌がぶら下げられたら、それに毒が含まれていたとしても食らいつけ。毒が全身に回ったならそれを吐き出し、死に物狂いで生き残ってみせろ。オレを信じられなくても、与えられたチャンスをどう利用するかはお前たち次第ではないか? 俺に言わせれば、人を疑うが故に一歩も動き出せない人間は、ただの阿呆で臆病者だ」

「!」


 カインに面と向かって阿呆と呼ばれ、ノアレの頭にカッと血が上った。思わずカインに殴りかかろうとしたノアレを、ヴェインが咄嗟に止める。


「……なるほど、あなたの言うことにも一理ある。カイン殿、あなたの噂はこの貧民街にも届いている。何でも各地の管理人を解雇して回る冷血領主とか」

「冷血……ね」


 あまりに不当な評価だと、カインは腕組みしながら不貞腐れる。

 だがカインの行った変革は、同時に大量の人材不足という問題も生み出した。カインの本音としては、人種や身分にかかわらず実力ある者ならば採用したい。

 新しいアストレーを作るのはカインではない、この土地で暮らす人々なのだ。

 ここまで堕落した領地を立て直せるならば、人種の隔たりなど些細な問題にすぎない。


「あなたを信用したわけではありません。もしあなたを敵と判断した場合、吾輩はこの太刀を迷うことなく、あなたの首筋に突き付けるでしょう」

「……痛そうだな」


 ヴェインはカインの申し出を受けると同時に、いざという場合は寝首を掻くことも宣言した。

 だがそれでいい、とカインは深く頷く。


「毒を食らわば皿まで……という諺が、モルド=ゾセにはございます。よろしい、士官の話、承りましょう。ただしこの貧民街の救済が交換条件の一つです」

「いいだろう。ヴェイン、お前には俺の護衛役を命じる」

「はっ」


 元々律儀な性格のヴェインは、主となったカインの前で早速服従のポーズを取る。


「それとそこの女」

「女ではありません! これでも男ですっ!」

「お前、医師の資格を持っていると言ったな? ならばお前には王都への留学を命じる。王都で薬物依存の治療法を、きっちり学んで来い」

「はぁ!? なんで私が!?」

「この貧民街を救いたいのだろう。ならば王都への留学が交換条件だ」

「――」


 ノアレは呆れた。

 大口を開けて呆れた。

 士官する代わりに交換条件を出したのはこちらのほうだったのに、いつの間にか話題がすり替わって、こちらが交換条件を出される側になっている。


 ――なんてしたたかな男なんだろう。

 ――なんて狡猾な男なのだろう……と、ノアレは思った。


 だがノアレとヴェインはこの時、少なからずカインとの出会いに高揚感を覚えていた。


 それはまるで水面に映っていた儚い虹が、突然大空に昇り輝きだしたような――


 カインはモルド=ゾセの難民にとって、ようやく現れた希望の光だった。

 

 






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