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42 それは胸の奥から溢れくる2



 米俵状態で公爵に連れていかれたのは、ある建物だった。

 そこには大勢の子供達が集まり、その子供達を指導する大人達の姿もちらほら見える。

 室内には机やイス、黒板などの備品も運びこまれていて、今すぐ教室として使えそうなほど準備は整っていた。


「ここ、は……」

「お前が作ったアストレー学園だ」

「!」


 私は大きく目を見開き、改めて教室の中を見る。

 ああ、そうか。私が瑞花宮で眠っている間も、着々と開校の準備は進んでいたのね。

 さすが公爵、相変わらず仕事が早い。わずかの日数でここまで準備を整えてしまうなんて、やっぱり優秀な領主様だ。

 でもどうしてわざわざ私をここに連れてきたのかしら?

 その意図が見えなくて、私は困惑する。


「あ、デボラお姉ちゃん!」

「デボラ様だー!」

「!」


 廊下に立つ私を見つけて、子供達が我先にと走ってきた。

 一番に私に飛びついてきたのはリリだ。リリは紺色の制服を身に着けていて、ご機嫌な様子だ。


「デボラお姉ちゃん、見て、リリ、制服作ってもらったの。似合う?」

「ええ、とっても似合うわ」


 リリの手を握りながら再び教室に視線を向けると、子供達の輪の中心にアイーシャの姿を見つけた。アイーシャは公爵と並ぶ私を視界に入れるや否や、にっこりと微笑み「こちらへどうぞ」と教室内にいざなう。


「ごきげんよう、カイン様、デボラ様。まだ全員分ではありませんが、制服が数着仕上がりましたので、試着がてらお持ちしました」

「あ、ありがとう……」


 笑顔を返すものの、アイーシャが公爵の三番目の妻だったと知った今は、なんだか緊張する。私は公爵とアイーシャを交互に見比べ、二人の様子を窺った。


「相変わらず仕事熱心だな」

「お針子は私の天職ですので。そういうカイン様こそ、今日はデボラ様の付き添いで?」

「……そんなところだ」

「フフ、仲がおよろしいのですね。ですがその仏頂面では子供達が怖がってしまいます。デボラ様を見習って、少しは笑顔の練習をなさったほうがいいですよ」

「……」


 アイーシャにすっかりやり込められて、公爵は沈黙した。

 うーん、さすがアイーシャ。元妻だけあって、公爵に対する物言いに遠慮がない。

 あ、ちなみに私と公爵は決して仲がいいわけじゃない。

 むしろ私は米俵扱いですから!


「デボラ様……でございますか?」

「あ、はい」


 後ろから話しかけられ、私は慌てて振り返った。するとそこにはコック服を着た男性が笑顔で立っていた。


「お初にお目にかかります。今日までご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。ケストラン師匠からご紹介を受け、こちらで働かせて頂けるようになったヘルムートでございます」

「ああ、確かカバスから来た」

「はい!」


 私も釣られて、パァッと笑顔になった。

 ケストランのお弟子さんのヘルムートさん。確か給食を作ってくれる料理人だったわね。カバスの仮設住宅で暮らしているとのことだったけど、無事こっちに引っ越せたようで何よりだわ。


「デボラ様のおかげで、家族も皆こちらで暮らせるようになりました。本格的な仕事はこれからですが、今後の見通しも立ちつつあります。できれば俺達の子供も、いずれこの学園に通わせたいと思っています」

「まぁ、それは素敵。ぜひ検討してみて!」


 私はヘルムートさんの手を握り、「こちらこそこれからもよろしくお願いしますね」とお願いした。さらに私の周りに、続々と人が集まってくる。


「まぁ、デボラ様。体調を崩されているとお聞きしましたが、もう大丈夫なのですか? 職員一同、心配しておりましたのよ」

「ベリンダさん!」


 子供達を引き連れ、次に私に話しかけてきたのはジョシュアの姉で、この学園の教員を務めてくれるベリンダさんだ。

 ベリンダさんとは以前、ジョシュアを通してすでに顔を合わせが済んでいる。いかにも肝っ玉母さんという感じの、頼りになる女性だ。


「デボラ様のおかげで、私達女性もまだまだ働けるということが証明できそうです。このような職場を与えて下さったことに、心から感謝しております」

「感謝なんて……別にいいのよ、そんな。私は当たり前のことをしただけだもの」


 そう謙遜するものの、ベリンダさんをはじめとする職員達から、次々と感謝の言葉を述べられた。

 きっとこの学園は、画期的な試みになる。

 アストレーの子供達は、デボラ様に未来というチャンスを与えられて幸せだ……と。

 さすがに持ち上げられすぎて、私は面映ゆい気持ちになった。

 さらに極めつけは――


「おい、バカ女! もう体は大丈夫なのかよ!?」

「え?」


 無礼千万なあだ名で私を呼ぶのは――そう、あのアヴィーだ。

 くっそう、相変わらず生意気な! デコピンしてやる! とスタンバイした私は、背後に立っていたアヴィーの姿を確認するなり動きを止めた。


「……」

「な、なんだよ、その目は」

「……」

「ふん! どうせオレには似合わねーって言いたいんだろ! でも学校に通う時は絶対制服を着なきゃいけないって決めたのはバカ女だろ! 似合ってなくても文句言うな!!」

「そうだ、文句言うなー!」

「言うなー!」

「………」


 アヴィーとアヴィーの取り巻き達は、口をそろえて憎まれ口を叩く。

 だけど彼らは全員アストレー学園の制服に身を包んでいた。

 あれほど学校ができても通わない!と宣言していた、あのアヴィー達が……。

  

 不意に鼻の奥がつんと痛くなり、一気に視界がぼやけた。

 

 まじまじとその顔を見つめると、アヴィーは全身真っ赤になっていた。

 「しょーがねーから学校とやらに通ってやるよ!」と、ぶつぶつ気まずそうに呟くアヴィー。

 そんな姿を見ていたら、どんどん目の縁に涙がたまってくる。

 押し殺そうとする声がだんだんと堪えきれなくなって、か細い悲鳴のような響きになっていった。


「何よ……何なのよ。こんなの反則じゃない……」

「な、なんで急に泣き出すんだよ、バカ女! な、泣くなよ! お前に泣かれたら、オレが困るじゃねーか!!」


 なぜか私に釣られて、アヴィーまで涙ぐんでいた。

 あの気が強く、意地っ張りのアヴィーが。

 その直後、公爵が私の背後に立ち、私の両肩に手を置いて、グッと力を込めた。


「よく見ろ。これがお前がアストレーで為してきたことだ、デボラ」

「!」


 公爵の手は、まるで不安定な私を支えるように力強かった。

 前を向いて立てと、弱虫な私を励ましているかのようだった。


「お前がこのアストレーに来なければ、子供達の未来は暗く閉ざされたままだったろう。お前がいなければ、カバスの復興支援としての雇用も生まれず、女性の社会進出の足掛かりもできなかっただろう」

「そんな……そんなことありません。私などいなくても、カイン様がいれば、その内きっと……」


 私はかぶりを振りながら、公爵の言葉を否定しようとした。

 けれど普段は片言の公爵から、次から次へと言葉が溢れてくる。


「確かに時間をかければ、俺にも学校の建設は可能だっただろう。でもその頃には、ここにいる子供達は貧困から抜け出す術を持たないまま、大人になっていたに違いない。デボラ、お前が学校を作りたいと言い出さなければ全ての事象が滞り、不幸の連鎖は続いていただろう」

「………」


 それにな……と、公爵はさらに流暢に私に語りかけ続ける。


「お前がアストレーからいなくなったら、一体誰が元気をなくしたイルマやエヴァやレベッカを励ますんだ。一体誰が落ち込んだハロルドをやる気にさせるんだ。ケストランだって、まだまだお前に未知のレシピを教えてほしいそうだ。マリアンナは暮雪宮の改装をお前に頼みたいと言っている」

「………」

「ノアレも例のカビの研究について、助言が欲しいと言っていた。コーリキやジョシュアも、今度こそお前を危険な目に遭わせまいと剣の稽古に勤しんでいる。あのヴェインでさえ、お前のために筋肉体操の新メニューを嬉しそうに考えているんだ。それらを俺一人でどう捌けと言うんだ? 俺はごめんだ、そんなこと」

「――」


 いつの間にか私の周りは静まり、その場にいる誰もが私と公爵に注目してた。

 必死に涙をこらえる私を見て、リリが不安そうに尋ねる。


「デボラお姉ちゃん、もしかしてどこかに行っちゃうの?」

「……」

「やだ……そんなのやだよ! デボラお姉ちゃん、どこにも行かないで! リリはデボラお姉ちゃんが大好きだよ!!」

「ぼ、僕も!」

「あたしも!」

「バ、バカ女、てめーふざけんな! こんなにオレ達を振り回しといて、今さらどっかに逃げよーなんて許さねーからなっ! オレ達がこの学校を卒業するまで、ちゃんと責任取って見守れよ!」


 とうとう子供達がわあわあと泣き出して、大人達がそれを必死に宥めるというカオスな場に突入した。

 いつの間にか私の頬も大量の涙で濡れていて、胸の奥から温かな思いがどんどん溢れてくる。


 ねぇ、いい……のかな?

 こんな私でも、ずっとここに……アストレーのみんなと一緒にいていいのかな?

 

 本当の私はちっぽけで、臆病で、勘違いさせたら右に出る者がいないほどの愚か者だけど。

 それでもこんな私でもいいと言ってくれる人がいるのなら。

 私のために涙を流してくれる人が、こんなにもたくさんいるのなら。


 私は私自身に許してもいいだろうか。

 こうしてみんなのそばに留まることを。

 ただのデボラとして、ここにあり続けることを。


「……いいに決まっているだろう」


 次の瞬間、呆れたような声で、公爵が私の頭をクシャリと掻き乱した。

 あら、どうして私の考えてることが分かったのかしら?

 公爵って実はエスパー?


「あのな、お前さっきから考えていることが、全部口に出ているぞ。確かそれがお前の悪い癖……だったな?」

「!」


 公爵はくるりと私の首をひねると、いつものあの楽し気な笑みを浮かべた。

 刹那、私の心臓がきゅんと切ない音を立てて、強く締め付けられる。

 頬の温度も急上昇して、またまた勝手に大粒の涙が零れ始めた。

 それはまるで抑制できない嵐みたいな感情。

 

 嬉しい。

 苦しい。

 切ない。

 温かい。

 でもやっぱり嬉しい。

 

 それら全部ひっくるめて、私には宝石みたいな宝物だ。

 無条件で受け入れられる心地よさを知ると、それを求めずにはいられなくなる。

 体の中心を通るまっすぐな芯のようなものが、ジンと仄かに……甘く痺れた。



「う……」

「………」

「うっ。ううぅぅーー………っ、あっ、ああああーー!!」


 気づけば私はみっともなく、大声で泣き叫んでいた。

 それはまるで今生まれたばかりの赤ん坊の産声と同じ。両手いっぱいに乗せた花びらが、指の間からこぼれ落ちるかのように、無意識に口から迸る。


「ああ、泣け。今だけは存分に泣け、デボラ。おまえにはその資格がある」

「……っ!」


 そして私は公爵に後ろから引き寄せられ、すっぽりとその腕の中に納まった。

 私は公爵の両腕に捕まり、わあわあと声をあげて泣き続ける。


 そんな私と公爵の姿を見て、リリが嬉しそうに呟いた。



 ――『まるでおくびょう姫の王子様とお姫様みたいだね』



 素敵だね。

 羨ましいね。


 微笑ましいみんなの声が、私と公爵の二人をふんわりと優しく包みこんだ。





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