41 それは胸の奥から溢れくる1
イルマの告白を聞き終わる頃には、窓から見える東の空が明るくなり始めていた。
でも今の私は全然眠くない。というかむしろ、ギンギンに目が冴え渡っている気がする!
すでに空になったマグカップをゆらゆら揺らしながら、私は小声で呟いた。
「そう……イルマがカイン様の二番目の妻だったの。そっか……そっかぁ……」
「今まで黙っていて、本当に申し訳ありませんでした」
「い、いやこちらこそ! むしろ二番目の奥様をこき使って申し訳ありませんでしたぁぁ!!」
私とイルマは同時に頭を下げ、そして同時に視線を上げる。
私達はプッと吹き出した。
今までもイルマは頼りになる侍女だった。けれど今はそれ以上の、親近感を感じている。
それとイルマの本名はセリーヌらしいけど、今まで通りイルマと呼んでほしいと頼まれたので、そうすることにした。
「それにしてもイルマが結婚した経緯は、私とほとんど同じね。いわゆる人助け的な?」
「そうですね。でも人助けで結婚までしてしまうのは、正直やりすぎだと思います。カイン様の神経を本気で疑いますわ」
助けてもらっといてひどい言い様だけど、私も思わずイルマの言い分に深く頷いた。
そもそも本気で愛する気もない女を妻にするんじゃない!……と声を大にして言いたい。おかげでこちとら、公爵に振り回されっぱなしよ。
「でも聞いた話によりますと、カイン様の結婚観は、師匠の受け売りだそうですよ」
「師匠? カイン様にそんな人いるの?」
「私も噂でしか聞いたことはありませんが……。確か名前はクロウ=シャハト。何でもカイン様の師匠に当たるその方は、今までに13回結婚と離婚を繰り返しているとか」
「じゅ、13回っっ!?」
そりゃまた豪気な。
「そのクロウって人、いわゆる変人じゃないの?」
「大きな声では言えませんが、多分そうでしょうね。何せカイン様に歪んだ結婚観を植え付けた張本人ですから……」
「だよねー」
私達はまた視線を合わせて、プッと吹き出した。
一番目の奥様だったアンジェリカ様といい、変人の公爵の周りにはやっぱり変人が集まるのね。
自分のことは棚上げして、私はうんうんと納得する。
「それとこの際だから聞いちゃうけど、イルマの後にカイン様と結婚した女性って……」
「一人はアイーシャですね。デボラ様もご存じの。彼女は実の父親に娼館に売られそうだった所を偶然カイン様に助けられたのです」
「え!? アイーシャはカイン様の愛人じゃないって、イルマ言ってたじゃない!」
「ええ、ですから愛人ではなく、アイーシャもまたカイン様の正妻でした。嘘は申し上げておりません」
にっこり。
イルマのしてやったりという微笑に、私は完全降伏した。
ああ、確かにイルマは嘘を言ってない……。
そして娼館に売られそうになった所を助けられたアイーシャが、公爵に恋するのも無理はない。
イルマのおかげで今までバラバラだったピースがようやく一つに繋がり、全ての謎が解けていった。
「まぁアイーシャは自分の恋は実らないとさっさと見切りをつけて、デボビッチ家を潔く去っていきました。その際も、元公爵夫人のアイーシャを利用しようとする輩の出現を防止するため、アイーシャは死亡扱いとなりました」
「死亡のバーゲンセールね」
私は軽くため息をつき、イルマの話をじっと聞く。
もはやデフォとなった『妻の死別扱い』が、いわゆる『カイン=キール青髭伝説』を生み出す結果になったのね。
しかも公爵本人が自分の噂に無頓着なんだから、余計悪評は広がっていったんだろうなぁ……。
「四番目の奥様は少し事情が重くて、いわゆるグレイス・コピーの被害者でした。とある貴族のお嬢様だったのですが、友人にそそのかされグレイス・コピーを常用するようになってしまったのです。それを理由に王都の実家から勘当され、カイン様が妻として庇護することになりました。詳しいことは瑞花宮のノアレ殿のほうが詳しいと思います」
「な、なるほど、それは確かに重いわね……」
急に声のトーンが沈んで、私は暗い気持ちになる。
そうか、グレイス・コピーは、王都でも蔓延しているのか……。
「実は四番目の奥様――ラウラ様とは、私もほとんど面識がありません。ずっと瑞花宮でお過ごしになられていたので、個人情報も極力伏せられました。その後、またいつものようにラウラ様は死別扱いとなったのです。どうやら伝え聞いた話によりますと、ラウラ様の幼馴染が彼女をアストレーまで迎えに来たのだそうです」
「あ、じゃあラウラ様は何とか立ち直ったのね。よかったわ」
四番目の奥様の顛末を聞いて、私はホッとした。
公爵のしたことは手放しに誉められたものじゃないけれど、それでも過去の妻達はみんなちゃんと生きていて、それぞれ幸せを掴んでいる。
結果だけ見れば、公爵の行いは正しい方向に作用したのだ。
「以上が私の知る全てです。他に何か質問はございますか?」
「ううん、ない。ありがとう。今まで不思議に思っていたことが全部わかって、すっきりしたわ」
私はイルマが淹れ直してくれた温かいお茶を、ゆっくりと口に含む。
その間も、イルマのまっすぐな視線が私を射抜いていた。
「では全てを知った上で、デボラ様は今後どうなさりたいですか? やはりここにはいられませんか」
「……うん。いられない……と思う」
「………」
私は即答する。
だってこれまでのことを踏まえると、私は遅かれ早かれ死亡扱いになる。
だったら今出ていくのも、後から出ていくのも同じじゃない。
私はこのデボビッチ家に相応しくない。
公爵の隣に立つなんて、おこがましい身の上なのだから。
「デボラ様、私達はみんなあなたが好きです」
「え」
次の瞬間、イルマの口から飛び出したのは、みんなを代表する言葉だった。
まさかそんなことを言われると思ってなかった私は、虚を衝かれて黙り込む。
「それだけではここにいる理由にはなりませんか? 私達はこれからも、デボラ様にお仕えしたいと思っているのです」
「あ、ありがとう。でも私は、そんなこと言ってるもらえるほどの人間じゃ……」
不意に目頭が熱くなり、胸にこみあげてくるものがあった。
私だって本当は、デボビッチ家のみんなのことが大好きだ。
最初は絶対馴れあっちゃいけないと思ってたのに、気づけばみんなはこんな私を優しく受け入れて、純粋に慕ってくれた。みんなと別れるのは、正直辛い。
「ではカイン様は?」
「え?」
「カイン様のことは、どう思っておいでです?」
「それは……え、と。うっ、うぅぅぅ……」
さらに公爵のことを聞かれて、私は言葉に詰まった。
よりによって今それを訊いちゃいますか、イルマ!
私はしどろもどろになり、必死に頭の中で言い訳を探すけど……。
「カイン様が口づけした奥様は、デボラ様が初めてなんですけどねぇ……」
「ぶふぉっっ!!」
イルマから爆弾発言が飛び出して、私は思いっきり咳き込んだ。
ちょ、ちょ、ちょ、イルマ……。
な、なんであなたがそんなことを知って……。
「あら、申し訳ございません。あの夜、私は念のため、すぐ隣の部屋に控えておりました。何か言い争っている声が聞こえたので、つい」
「つい?」
「ええ、つい覗き見を」
にっこり。
イルマは悪びれもなく、あの夜のことを打ち明けてくれた。
み、見られてた。
よりにもよって先妻であるイルマに、あの場面を……!
べ、別に浮気とかそんなんじゃないけれど、あまりの申し訳なさで私の顔は真っ赤になり、心臓の音も一段高く跳ねた。
「ち、違うの、あれはそーゆー色っぽいものじゃなくて、いわばソウルファイト的ななななな……」
「ソウルファイト? よくわかりませんが、カイン様がこの屋敷で手を出した女性は後にも先にもデボラ様だけですよ」
「………っ!!」
ああ、もちろん私と結婚していた二ヵ月間、カイン様は私に指一本お触れになりませんでした……と、イルマは言葉を継ぎ足す。
私は両手で顔を覆った。
お願いやめて、イルマ。
私は今なるべく公爵に対する気持ちを考えないようにしているの。
なぜなら考え始めたら最後、絶対デボビッチ家を立ち去れなくなってしまうから。
「そ、それはカイン様の、き、気まぐれだわ。目の前にちょっと間抜けでからかい甲斐のある女がいたから、それで……」
「と申しますか、そもそもカイン様は他人をからかって喜ぶタイプではなかったはずです。そこまで他人に対して関心がないんですよ、あの方は。それがデボラ様に対してだけ明らかに態度が違う。これはデボラ様の何かが性癖に刺さったとしか思えないんですよねぇ……」
「………」
イルマはちらちらと横目で見ながら、私の反応を確認している。
対する私は茹蛸のように真っ赤になっている顔を隠すことしかできなかった。
頼むから、これ以上期待させるようなことを言わないでほしい。
私、デボラという女は、勘違いさせたら右に出る者がいないほどの愚か者なのだから。
「ワンワンッ」
「ミャ~! ミャ~!」
タイミングよく会話を中断してくれたのは、お腹を空かせたワンコやニャンコの鳴き声だった。イルマは椅子から立ち上がり、素早く朝食の準備を始める。
「まぁ、よろしいでしょう。一度にたくさんのことを考えても答えは出ません。デボラ様も自室へとお戻り下さい。起床時にデボラ様の姿がないと、エヴァやレベッカが心配しますよ」
「え、えと……」
「とにかくここは私に免じて、あと少しはこの屋敷にお留まり下さい。私達に黙って屋敷を抜け出すような真似は、絶対なさいませんように」
にっこりと笑うイルマの顔には『予告もなく家出したらぶっ飛ばすぞ』という文字がデカデカと書いてあった。
さすがにイルマの怒りを買う訳にはいかず、私はこくこくと猛スピードで頷く。
(はぁ、デボビッチ家逃亡計画は失敗かぁ……。でも仕方ないわね。イルマのほうが私より断然賢いもの。ここはいったん諦めて、計画を練り直すしかないわね)
私はしょぼしょぼと立ち上がり、自分の部屋へと戻ることにした。
だがこの逃亡計画は、思わぬ余波を生み出すことにもなった。
逃亡計画が失敗した翌日。
私は朝食を摂った後、何をする訳でもなく窓際に座ってボーっとしていた。
これからどうしたらいいのかしら……と途方に暮れている私を、エヴァとレベッカがやや距離を置いて見守っている。
「やっぱりデボラ様、まだ具合が悪いんだべか?」
「日課の筋肉体操も、ずっとお休みしてるしねぇ……」
などと、明後日の方向に心配される中、突然部屋の扉がバァンッと勢いよく開く。
「え」
「え」
「え」
一体何事かと振り向けば、そこには暗黒オーラを全身にまとう公爵が立っていた。
ひ、ひいぃぃ――! しかもなぜかまたモアイみたいな顔してる!
ただならぬ予感がして、私は椅子から立ち上がり後ずさった。
「デボラ……」
「は、はい……」
「俺が留守の間に、この屋敷から逃げ出そうとしたのは本当か?」
「あ」
公爵の後ろから慌てて駆け寄ってくるイルマの姿が見える。
イルマは私と視線を合わせると、両手を合わせてごめんなさいのジェスチャーをした。
「あ、あらいやだ、カイン様。そんなことあるはずないじゃありませんか、オホホホ……」
「逃げ出そうとし・た・ん・だ・な?」
ひ、ひいぃぃぃ――っ!!
私のウソなんて、速攻バレバレみたいなんですけどぉ!?
私はすぐ近くのドレープカーテンの中に隠れようと踵を返した。
いや、無駄な抵抗だとはわかっているけど!
――がしっ!
案の定、つかつかと歩いてきた公爵に手首を掴まれ、次の瞬間には肩の上に担ぎ上げられた。
ギャアァァァーーッ! これっていわゆる米俵扱いじゃないの!
せめてお姫様抱っこ! 横抱きくらいして下さいよぉぉ!
「な、何をなさるんですか、カイン様!」
「間抜けだ間抜けだと思っていたが、さすがにここまでだとは思わなかった。自己肯定感が低いにもほどがある。――イルマ」
「は、はい!」
「馬車の用意をさせろ。今からすぐに出かける」
「か、かしこまりました!」
「デ、デボラ様!」
「なんだかよくわからねぇけど、ご愁傷様ですだ!」
ちょ、ちょっとちょっとちょっとちょっと待ってぇぇーー!
私これから一体どこに連れていかれるんですかぁぁ?
つかエヴァもレベッカも見てるだけじゃなくて、私を助けてよぉぉーー!
半ば諦めの気持ちで、私は大人しく公爵にドナドナされる。
こんなひどい米俵扱いを受けていると言うのに、すぐ近くに公爵の吐息を感じて、私の体温はまた勝手に急上昇するのだった。




