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123 アストレーの空の下で




 瑞々しい命に満ちた新緑が風にさざめく――そんな清々しい季節。

 アストレー中心部に建つある教会には、デボビッチ家の人々だけでなく、この町に住む多くの人達が集まっていた。

 誰も彼もが大きな祭りを前に高揚し、沿道から温かな声をかけてくれる。


「カイン様、デボラ様、この度はおめでとうございます!」

「わぁぁぁっ、デボラお姉ちゃん、すっごく綺麗!」

「へっ、相変わらずバカ女のくせに見た目だけはいいな!」


 私が馬車で会場入りする時、そんな声をかけてくれたのはリリやアヴィーだ。

 アストレー学園の制服に身を包んだ子供達が、私に対し笑顔で手を振ってくれる。


「まぁまぁまぁまぁ、こんなに領民の皆さんに慕われて! デボラお嬢様は本当にこの地で幸せになられたのですね」


 同じ馬車に乗りながら、感涙に(むせ)ているのはタチアナだ。実はタチアナもこの5月から正式にアストレーのデボビッチ家に侍女として採用され、私の母代わりとして仕えてくれていた。


「それにしても本当にすげぇ人の数だべ……。この町のほとんどの住人が、集まってるでねぇべか?」

「それも当然よ! だって私達自慢のカイン様とデボラ様の結婚式なのよ? そんなのお祝いに駆け付けるに決まってるじゃない!」


 今日はメイド服ではなく、フォーマルドレスで正装しているエヴァやレベッカも、さっきからずっとニコニコしている。

 ――そう。彼女らの言うとおり、今日は私と公爵の結婚式なのだ。

 公爵と婚姻誓約書を交わしたのはもう8カ月ほど前だけど、公爵の方から今回の式を提案してくれた。


「え、そんな、いいです。結婚式なんて今さら……。すっごくお金もかかるでしょうし」

「そんなわけにはいかない。エヴァやレベッカ、ロクサーヌやルーナからも散々説教された。女性にとって結婚式は人生で一番大事なイベントだと。ならばみんなが待つアストレーで式を挙げたいと思うが、どうか?」


 公爵は今さらながらの提案で済まないと謝ってくれたけど、その心遣いが嬉しかった。それにやはり結婚式をしてくれると聞いて、乙女心がくすぐられないはずはない。

 うわぁぁ、いいのかな。すっごく嬉しい。

 私は真っ赤になりながらも、公爵の申し出をありがたく受け入れることにした。






 そうして私達は5月に入ってすぐアストレーに戻ってきた。

 デボビッチ家のみんなは相変わらず元気にしていて、特にそろそろ臨月に入るイルマのお腹はかなり大きくなっていた。


「もうすぐ生まれそうね! 楽しみだなぁ」

「デボラ様、ありがとうございます」


 私がおそるおそるお腹に触れると、イルマは幸せそうに微笑んだ。その表情はもうすっかりお母さんだ。


「さ、次はデボラ様の番でございますね!」

「……え?」


 そんな私に、透かさず突っ込んだのがマリアンナ。


「王都のクローネからしっかり報告は受けておりますわ。カイン様とデボラ様の夫婦仲が非常に良好だと! 我がアストレーの使用人一同、お二人のお子様誕生を切に願っております。どうぞ今後もお気張りください!」

「あ、ハイ……」


 マリアンナにそう背中を叩かれ、私は恥ずかしさのあまり穴を掘りたくなった。

 ううう、一体どんな報告をしているのよ、クローネ。

 いや、大体想像は付きますけどね?

 全ての事件が解決して、本当の意味で公爵と夫婦になって以来。まぁ、自分で言うのもなんだけど、公爵の私への溺愛っぷりったら半端ないもの。

 まさか公爵がここまで私に対し甘々になるなんて、出会った頃は想像できなかった。

 いや、むしろ公爵の愛情が深すぎるがゆえに、新しい悩みも色々できたけれど。

 私は気恥ずかしさと共に胸を蕩かすような幸せに酔ってしまい、嬉しい目眩を起こすのだった。









「デボラ様、この度はおめでとうございます!」

「うわぁ、デボラ様、めっちゃ綺麗ですぅぅ~!」

「それに素晴らしいウェディングドレスですわね。王都でもここまで素晴らしいドレスは見たことがありませんわ」


 教会に着き、花嫁用の控室に足を踏み入れると。そこには王都の友人達が勢ぞろいしていて、笑顔で私を出迎えてくれた。

 ルーナにロクサーヌ、それにエステル夫人やマノン様。さらに教会のあちらこちらには、王家から届けられたというロイヤル・ローズがふんだんに飾られている。


「チッ、顔だけ皇子ったら相変わらず自己主張が激しいですね。ここに直にやってこないだけましですけど」


 薔薇の贈り手を暗喩しながら、ルーナが低く舌打ちする。

 今回の結婚式はエルハルドだけじゃなく、クロヴィス殿下やアリッツからも、たくさんの祝いの品が届いている。王都では色々なことがあり過ぎたけれど、今となっては全部いい思い出だ。


「デボラ様、本日はおめでとうございます。ドレスの最後の調整、させていただきますね」

「アイーシャ、今日はわざわざありがとう!」


 そうそう、忘れちゃいけない。今日のこの日のために、素晴らしいドレスを用意してくれたのは、もちろんアイーシャだ。

 火傷の痕が残る背中を精巧なレースで覆い隠し、それでいて女性らしい曲線美を際立たせ、公爵家の花嫁らしいゴージャスさを演出してくれたアイーシャの手腕は見事というしかない。

 私はヴェールの微調整をしてくれるアイーシャと視線を合わせ、ふふふと微笑み合った。

 


「いやぁ、美しい花嫁様ですねぇ。カイン様もきっと今頃そわそわとなさっているでしょう」


「――ん?」



 にこにこにこ。

 そして気づけば、なぜか花嫁控室に見知らぬ男性の姿が。

 笑顔を振りまくその男性は……多分20代前半くらい。ひょろっと背が高く、分厚い眼鏡をかけている。

 でも当たり前のように声をかけてくるこの男性に、私は見覚えがなかった。


「いや、あなた……誰?」

「レベッカ、あなたこの方知ってる?」

「いや、見たことねぇべ」


 突然正体不明の男性が現れたことに不信を抱き、控室の空気が固まる。けれどノアレが様子を見に来てくれたおかげで、男の正体はすぐに判明した。


「クライド、あなたこんな所で何してるんです!」

「あ、ノアレ」


 ノアレは男に近づくと、男の頭を力ずくで下げさせ苦笑いを浮かべる。


「すいません、デボラ様。突然で驚いたでしょう。この男、少々常識に欠ける傾向がありましてね」

「え? オレ、常識はずれだった?」


 クライドと呼ばれた男性は、まるでギャグ漫画みたいにガーンとショックを受けていた。

 ん? クライド? そういえばその名前、大分昔に一度だけ耳にした覚えが……。


「改めてご紹介いたしますね。こちらは私と共に瑞花宮に勤めるクライド。以前デボラ様にご提案して頂いたカビの研究者です」

「ああっ!」


 思い出した、思い出した! そういえば温室を訪ねた時、そんな話をしたっけ。

 繁殖が難しいグレイスの代わりに、カビを研究してみたらどうかと提案したのは確かに私だ。それでクライドとか言う研究員にやらせてみろと、公爵が指示を出したのだ。


「そうなんです。実はデボラ様のおかげでようやくカビから抗菌物質を発見するに至りまして! 今日はその研究成果をご報告するとともに、是非お礼をと思い、こうしてお話しさせて頂いているわけです!」


 クライドは両手を上げながらぴょこぴょことジャンプし、カビの研究が成功したのだと興奮しながら教えてくれた。

 え! それはマジですごい! 本当に抗生物質の基となる成分が発見できたというなら、これからは感染症の治療が飛躍的に進歩すること間違いなしだわ!


「だからっていきなり面識のない女性に話しかけるんじゃない」

「ううう、すいません。この成果を発案者であるデボラ様にすぐにでもお伝えしたくて……」

「そんな……いいのよ。確かにちょっとびっくりしたけれど、クライドの研究の成果は素晴らしいと思う。さすがカイン様が変人扱いしてただけはあるわ」

「えええ、オレ、カイン様ほどの変人じゃないですよ……」


 クライドは変人扱いされたことが不本意だったのか、公爵の名前を引き合いに出す。その例えがなんだかおかしくて、私達は思わず爆笑してしまった。


「変人って……今日の主役に対してあんまりな物言いですわね」

「でもまぁ、カイン様が変わった人なのは否定しねぇべ!」

「ふふふ、デボビッチ家には面白い人達がたくさん集まっているんですのね」


 そう笑いながら、みんなの視線が私に集中した。

 あ、あれ? なんでそこで私も『面白い人』のカテゴリーに入れられちゃうわけ?

 私は至って普通の凡人ですけど? 

 え? その認識自体、もしかして間違ってた?


「ありがとうクライド。あなたの研究はきっとこの世界を大きく変える。これからはグレイスの希少さに頼らなくていい。誰もが平等に感染症の治療を受けられる未来がやってくるわ」


 私は再びクライドの手を取り、彼のたゆまぬ努力に感謝する。

 考えてみれば、本当に国を救う英雄はクロヴィス殿下でも公爵でもなく、表舞台に立つことのない彼のような人間なのかもしれない。

 もしも抗生物質が国内に広く行き渡れば、グレイスの模造品も自然と駆逐されていくだろう。全ての事件の原因となった花は、もう二度と悪魔の花と呼ばれることもなくなるのだ。


「ではそろそろお時間です。皆さま会場の方へとお移り下さい」


 そうして式の開始時刻が近づき、教会の鐘の音が高らかに響き渡り始める。

 私は長いドレスの裾を持ち上げながら、新郎が待つチャペルへと、ゆっくり足を踏み入れた。










「とてもお綺麗です、デボラ様。本日こうしてデボラ様のエスコートができること、身に余る誉れと存じます」

「ふふ、ハロルドこそ素敵よ。今日はどうもありがとう」


 ヴァージン・ロードを私と共に歩いてくれるのは、アストレーの筆頭家令であるハロルドだ。私の父親代わりとして横に並び立つ彼の目尻には、すでにうっすらと涙が滲んでいる。


「おめでとうございます、デボラ様、カイン様!」

「今日のデボラ様は世界一綺麗っス!」

「アストレー公爵夫妻に幸あれ!」


 誓いの言葉もまだだと言うのに、教会内はすでに異様な盛り上がり見せていた。

 おなじみのエヴァやレベッカ。マリアンナにケストラン、それにコーリキやジョシュア……。あら、イルマの隣でおいおいと派手に男泣きしているのはヴェインかしら。


「デボラ様、おめでとうございます。嫉妬大魔神をこれからもよろしくお願い致しますね」

「そうそう、あの朴念仁の手綱を握れるのは、デボラ様しかいらっしゃらないんですから」


 そうジョークを飛ばしてくるのは、皮肉屋なノアレと王都使用人を代表してこの場に駆け付けたジルベールだ。

 よく考えたらこの二人、公爵相手に全く容赦ない所がよく似てるわね。

 私は軽く肩を竦めながら、思わず苦笑してしまう。


「デボラちゃーん、おめっとーさん! カインのこと、どうぞよろしくねーー!」

「デボラ様、チェン、嬉しいネ! チェン・ツェイ東方商会は、これからも常にデボラ様と共にあるヨ!」


 さらにクロヴィス殿下の名代として出席したクロウと、あのチェン・ツェイがなぜか意気投合して大騒ぎしていた。

 というか、あんた達式が始まったばかりだと言うのに、もう酔っぱらっているわね? 相変わらず底抜けに明るい二人に向けて、私は軽く手を振る。

 

(あ……)


 そうして教壇の前までやってきて、いよいよ新郎へのバトンタッチの瞬間が訪れた。

 花嫁を待ち構える新郎――公爵は、今日はいつもと違い白一色だ。

 私とお揃いの刺繍を施されたベストに、公爵のスタイルの良さを際立たせるアイーシャお手製のモーニングコート。

 うう、我が最推し、今日もめちゃくちゃカッコイイ!

 私は今すぐヘドバンしたいところを、グッと堪えた。


「デボラ」


 愛しい旦那様に名を呼ばれ、私は恥じらいながらその手を取る。

 さすがに結婚式当日ということもあり、今日は公爵の表情筋もまともに仕事をしているようだ。穏やかに微笑む夫を前にして、私の口元も自然と緩んでいく。


「新郎カイン=キール=デボビッチ。

あなたは新婦デボラ=デボビッチを妻とし、病める時も健やかなる時も、悲しみの時も喜びの時も、貧しい時も富める時も、これを愛し、これを助け、これを慰め、これを敬い、その命のある限り心を尽くすことを誓いますか?」

「――誓います」


 神父の問いかけに、粛々と頷く公爵。同じ誓いを問われ、私もすぐさま答えを返す。


「――誓います」


 そうして厳かに行われる儀式の中で、私はこれまでのことを走馬灯のように思い出した。






 ――今から八カ月前。

 公爵を家族の仇と信じ、アストレーに嫁いできた私。

 敵であるはずの公爵は憎たらしくて、手強くて、いつも暗殺計画は空回りしていた。

 けれどアストレーで過ごす内にたくさんの人達の優しさに触れ、私は少しずつ変わっていった。


『デボラ様!』


 みんなの笑顔に後押しされて、私は運命に抗う勇気を持つことができた。

 臆病で泣き虫で諦めることしか知らなかった私が前に進めたのは、公爵とみんなが背中を支えてくれたからだ。


『デボラ』


 そして気づけばいつの間にか仇であるはずのあなたは私の心の奥底に入り込み、私の全てになっていた。

 辛いことがあった。

 悲しいこともあった。

 時には心挫け、もう二度と立ち上がれないんじゃないかと絶望に沈む日もあった。


『愛している』


 けれど、あなたから告げられたあの言葉が。

 その想いが。

 私を今日、この晴れの舞台へと導いた。


 愛している。

 その言葉を、もう一度私からあなたへ。

 これから何度でも、一生かけてでもずっと伝え続けたい。

 こんなにも私が、あなたを好きで好きでたまらないということを。





 ――ゴーン、ゴーン………


 気づけばまたいつの間にか高らかな鐘の音がアストレー中に響き始めていた。

 私の意識は再び教会に戻り、目の前の公爵へと視線が自然と吸い寄せられていく。


「では誓いのキスを」


 神父の宣言の後に、私の頭にかけられたヴェールが公爵の手によって上げられた。

 うわぁ、乙女が夢見る瞬間第一位のこの時がとうとうやってきてしまった。

 今まで数えきれないほど公爵とキスしてきたのに、私の胸はやっぱりドキドキする。

 

「そう言えば……」

「え?」


 だけどここでいつものように空気を読まない公爵が、ふと何かを思いついて私にそっと耳打ちする。

 一体何なんだろう?と、首を傾げれば。


「確かお前は、俺を殺したいんだったな?」

「!」


 ちょ、公爵! 今さらそこをツッコミますか?

 自分の黒歴史を蒸し返されて、私はあわあわと焦るけれど。


「それならお前の目的は達成できたな」

「――え?」

「なんせ俺の心は、お前に”悩殺”されたからな」

「!」


 次の瞬間、公爵は不敵に笑ったかと思うと、大胆に私の唇を奪う。

 誓いのキスとは思えないほど濃厚なそれは、私の頭を瞬時に沸騰させる。


「おめでとうございます、カイン様! デボラ様!」

「お熱いねぇ、ヒューヒュー!」

「カ、カイン様! 神聖なる結婚式でその口づけは、ちと破廉恥過ぎますぞ!」


 いつまでたっても終わらない誓いのキスに、教会内はまた大騒ぎになった。

 こうして私は今日、世界で一番幸せな花嫁となる。

 ゲーム通りの悪役未亡人ではなく、本当に愛する人と巡り会い、これからも共に生きてゆく。




 その幸せを祝福するかのように、たくさんの白い鳩がアストレーの青い空へと羽ばたいていった。


     

  

                         【END】





ここまで読了ありがとうございました!

これにて「悪役未亡人は自分の役目を全うしたい」は大団円です。


今後デボラとカインの超甘々溺愛新婚生活や、その他番外編・後日談の更新予定はありますが、とりあえずは完結済みとさせて頂きます。

連載途中、1年半以上のブランクがあったにも関わらず、最後までお付き合い頂いた読者様には心よりの感謝を!


今後の創作のモチベとして、ブクマ・評価・感想など頂けたら泣いて喜びます。

繰り返しになりますが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました!!


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