121 そうして起きた、奇跡2【カイン視点】
デボラの断罪が行われる当日。
まず最初に動いたのはクロヴィスと国家監察委員会だった。
クロヴィスを筆頭とする、五十人以上の捜査官が宗教区のマグノリア救貧院を取り囲み、タイミングを見計らって中へと突入した。
清貧をモットーとする救貧院に一体何事が起きたのかと、宗教区で暮らす人々は騒然となる。
「マグノリア=イグニアー。あなたを麻薬取締法違反で逮捕します。あなたには弁護人を選任する権利と、犯罪事実に対する弁解の機会が与えられます」
「……」
しかしクロヴィス自身がマグノリアと対峙した時も、マグノリアの視線は宙をさまよい、幼い赤ん坊の人形を大切そうに抱くだけだった。
彼女に仕えてきた小姓の話によると、ここ数週間でマグノリアの症状はさらなる悪化を辿り、すでに正常でない時間が大半になってるとのことだ。
かつてクロヴィスやカインさえも出し抜き、グレイス・コピーの密売という大罪を犯していた女は、もうこの世にはいない。
『幻の王妃』と讃えられたマグノリアがどのように闇落ちし、四大公家であるイグニアーやカニンガムを手玉にとるようになったのか。その真実を知ることも、もはや困難となった。
クロヴィスは人形相手に子守唄を歌うマグノリアを不憫に思う。
けれど例え病で過去の記憶をなくしたとしても、マグノリアが行った犯罪は到底許されるものではない。
クロヴィスは無垢な微笑を浮かべるマグノリアの肩に、そっと手をかけた。もう本当の意味で彼女を救うことは不可能だとしても、彼女を不幸に追いやったこの国の根本自体を変えてみせる。
一人の為政者として、クロヴィスは新たな志に目覚めるのだった。
× × ×
一方のカインはというと。ヴェインを従えた状態で、裁判所前に待機していた。
親衛隊の報告によると、傍聴席にはやはりセシルの姿があると言う。姉を不幸に追い落とすことに執念を燃やすあの少年ならば、必ずこの場にやってくると踏んでいた。
胸糞悪いことこの上ないが、セシルが好き放題できるのは今日この瞬間まで。
百倍返しの時だこの野郎……と、カインはこめかみに青筋を立てた。
「報告します! 今早馬が到着し、クロヴィス殿下が無事マグノリア様を逮捕されたとのこと!」
「よし」
その報告が合図となり、いよいよカインは裁判所の中に踏み込む。
入り口で警備員に止められるが、枢密院書記長の名を出せば難なく押し通ることができた。
そして法廷への扉の前に近づいた瞬間、カインはふと気づく。
なぜか扉の向こうが妙に静まり返っていることに。
もしや審議が決着してしまったのかと焦り、慌てて重い扉を押し開けた。
「ここがデボラ=デボビッチ、断罪の場か」
水を打ったかのように静まりかえる法廷に、カインの声が凜と響き渡る。
それから法廷内の人々の視線が一気にカインに集中し、歓喜の声が沸き起こった。
「あああああ、やっぱり生きてたべ!」
「もう、今までどこに隠れてたんですか!?」
「ヴェイン隊長もひどいっス! なんでこんな重要なこと教えてくれなかったんスか!?」
勝手知ったるデボビッチ家の面々が、カインの生還を涙ながらに喜ぶ。カインはその者達に視線で「もう大丈夫だ」と告げながら、被告人席へと近づいた。
その合間、法廷の内部を隅々まで確認すれば、なぜかこちらに背を向けたまま被告人席で固まっているデボラ。デボラの危機に証言台に立つことを選んだエルハルド。さらにカインの出現に絶句しているセシルの姿などが見える。
この時点でカインは親衛隊に命じ、裁判所の全ての出入り口を封鎖していた。
万に一つもセシルが逃亡できる可能性はない。
「ここからはバトンタッチ――か」
「バトンタッチも何もない。そもそもお前にデボラのことを頼んだ覚えはない」
エルハルドに呆れられながらも、カインはデボラのすぐ背後に近づいた。
デボラは華奢な背中を震わせ、すでに大泣きしているようだ。
「デボラ」
カインは万感の思いを込めて、妻の名を呼ぶ。
「よくここまで耐えた」
「ガ、ガイ゛ン゛ざま゛ぁぁ~~~っ!!」
振り向いたデボラの顔は涙と鼻水で顔がぐしゃぐしゃだったが、そんな情けない表情さえも愛しかった。
(痩せたな……)
裁判官相手に交渉している間も、カインは二週間の獄中生活ですっかりやつれてしまったデボラの姿に心を痛める。
それもこれも全部クソ生意気なガキのせい。
悔しそうに歯軋りするセシルに、カインは侮蔑の視線を投げつけた。
「嘘だ! そんな血判状は偽物だ! でっち上げだ!」
「偽物ではない。お前の父・イクセル=マーティソンがデボラに預けていたものを我らが昨夜回収した」
「っ!」
しかもセシルはこちらが正当な証拠である血判状を見せつけても、まだ悪あがきを続けていた。
もう容赦など微塵も必要ない。
カインはこれでもかというほど徹底的に、セシルを潰しにかかる。
「この血判状の信憑性を誰よりもよく理解しているのは、お前ではないか? セシル=マーティソン」
「……っ」
「それに一昨日、カシュオーンでは大きな暴動をきっかけに市民が蜂起し大規模な革命が起こった。この革命により右大臣・ラムザは失脚、カシュオーン側の血判状もすでにあるルートを介して確保済みだ」
カシュオーンで革命が起きた。
国際政治的にも追い詰められたと知り、ようやくセシルの瞳に諦めの色が滲む。
お前のしたことなど所詮子供のままごとだと扱き下ろせば、セシルは激しい怒りと憎しみをカインにぶつけてきた。
「くそっ、くそっ、よくも……よくもカイン=キールーーーーッッ!!」
「連れていけ」
「はっ!」
全ての悪事を暴かれもう逃げ道は完全に断たれたというのに、それでもセシルの負け惜しみは止まらない。
「姉様、これで勝ったと思わないでよ!? 僕は必ず帰ってくる。あなたを取り戻すために絶対また帰ってくるからね!!」
セシルはそう宣言していたが、カインはもとより、クロヴィスもまた少年だからと言ってセシルに甘い処断を下すつもりはない。
最悪処刑とはいかなくとも、一生涯牢獄に幽閉されることは間違いないだろう。
「えー、突然ですが本日は閉廷。閉廷致します! 被告人・デボラ=デボビッチの身柄は、速やかに釈放するものとします」
「やったぁぁぁーーーーー!」
「デボラ様、これで晴れて自由の身ですよ!」
こうしてカインが奇跡の生還を果たしたとことにより、裁判はデボラの勝利で終わった。デボラを有罪にしようと躍起になっていたイグニアー家の検事官は、すごすごと法廷を立ち去る。
ここ半月ほど、王都を騒がせた稀代の悪女は実は無罪だった――!
そのセンセーショナルな話題はすぐさま王都を駆け巡り、デボラの悪評も瞬く間に払拭されるだろう。
「さ、帰るぞ、デボラ」
「カ、カイン様……」
そうしてカインはデボラに右手を差し出した。
デボラもまた大粒の涙を目の縁にためながら、カインの手を強く握り返す。
これぞデボビッチ家夫婦の感動的な再会の瞬間――!……と周りが期待で胸を膨らませる中。間が悪いことに、カインはふと血判状の裏に書かれていた意味不明な文言を思い出した。
「ところでデボラ」
「はい?」
「『公爵は多分チョビ髭』――この走り書きは一体何だ?」
「……………」
カインが素で質問すると、デボラの笑顔がピタリと固まった。
え? なんでこのタイミングでそんな顔?
カインが思わず首を傾げた刹那。
「た、大変申し訳ございませんでしたぁぁぁーーーっっ! 重要書類とは知らず、その裏側に落書きしてすいませんでしたぁぁーーー!!」
デボラは再び被告人先で土下座し、裁判官ではなく夫のカインに断罪されることになった。
意味が分からずカインがどうしたらいいかわからずポカンとしていると、二人の感動の抱擁を期待していた面々からブーイングが上がる。
「カイン様、それ今指摘するところですか?」
「いや、感動の再会の時に、かけるべき言葉はもっと他にあるでしょうに……」
「なんでよりによって、このタイミングなんスか……」
「カイン様、さすがに吾輩でもこういう場合の正解はわかりますぞ……」
「カイン様はやっぱり見かけよりも、ずっとアホだったべ……」
激しい既視感を感じながら、カインは自分がまた何か重大な失敗をしてしまったことに気づく。
それでも法廷内は先ほどの暗い雰囲気とは打って変わり、明るい笑い声で満たされるのだった。
× × ×
その後、あれやこれやとカインは多忙の身となり。
デボラとのイチャイチャはしばらくお預けになってしまった。
結論から言うと、クロヴィスの国家一大包囲網は大成功し、マグノリアをはじめとする麻薬密売組織を壊滅に追い込んだだけでなく。裏で組織と繋がっていた貴族連中も芋づる式に摘発されることになった。
その中で最も痛手を被ったのは、やはり何と言ってもマグノリアの実家であるイグニアー家だ。姉のマグノリアから裏金という形で資金提供を受けていたオロニ=イグニアーは、家名断絶と引き換えに宰相の地位を降り、領地のほとんどを国に没収されるという憂き目にあった。
カニンガム家もまた、軽傷では済まなかった。かの家もまた軍部を通じて麻薬組織から裏金が流れており、その真実が白日の下に晒されることになった。
こちらもまたイグニアー家同様、当主のラデツキー=カニンガムが引退することで降爵だけは免れた。
逆にうまく立ち回ったのはチェスター家で、クロヴィスが四大公家を追い込むのに先立ち、チェスター家の当主・ガロンは素早く第一皇子派に回った。先述のイグニアー家・カニンガム家の内部調査にはチェスター家お抱えの諜報員が大活躍し。
チェスター家はクロヴィスに忠誠を誓うことで、四大公家のトップに躍り出ることになったのだ。
さらに王宮で繰り広げられていた王位継承問題にも、決着がついた。
四大公家の闇を暴き出し、法治国家の代表として見事に悪を裁いたクロヴィスは、チェスター家の令嬢と婚約することで、強い後ろ盾を得ることになった。
対して元々王位を望んでいなかった第二皇子・エルハルドと第三皇子・アリッツも、兄であるクロヴィスを強く支持。
すでに薔薇派・剣派・月派という派閥は機能せず、体調不良が続いていたゴンウォール王も、年内に皇太子・クロヴィスに譲位することを正式に発表した。
また隣国・カシュオーンで市民による革命が成功したことにより、クロヴィスの予想通り民主化の波が徐々にだがヴァルバンダにも押し寄せている。今後、この国をどのように導いていくかはクロヴィス・並びにその右腕であるカインの舵取りに懸かっているだろう。
そうしてデボラの裁判から一週間ほどが過ぎ。
アクアマリンを透かし見たような青空に、暖かな春の風が吹き始めた頃。
カインは王宮で、あのエルハルドと偶然すれ違うことがあった。
そう、ついこの間までデボラを巡り争っていた、うざい恋敵と。
「なんだ、相変わらず忙しくしているのか」
「……」
意外にも気さくに声をかけてきたのはエルハルドの方で、カインは思わず眉間にしわを寄せる。
「そんなに警戒するな。私はクロヴィス兄上の敵でもなければ、貴公の敵でもない。デボラのこともすっぱり諦めた」
「ふん、信じられんな」
エルハルドのデボラに対する執着が並々でないことを知っているカインは、エルハルドの言葉を一笑に付す。だがエルハルドはあっさりと両手を上げて降参し、悲し気な微笑を浮かべた。
「俺だって諦めずに済むなら諦めたくなかったさ。けれど法廷で、あんなデボラの姿を見てしまったら……な。さすがにデボラが俺に振り向いてくれる可能性はゼロだと、いやでもわかるさ」
「法廷での……姿?」
「なんだお前、あの一世一代の告白を聞いていなかったのか」
エルハルドはピンと眉尻を跳ね上げると、愉快そうに体を揺らし始める。
「なるほど、傑作だ。デボラのあの言葉が、まさかまだ本人に届いていないとは」
「もったいぶるな。デボラがどうしたって?」
イライラしながらカインはにじり寄るが、エルハルドは一歩後ずさりカインの追撃から逃れる。
「嫌だね。さすがに俺もそこまでお人好しじゃない」
「………」
「聞きたきゃデボラ本人に聞くんだな」
「……ああ、そうする」
カインは素早く踵を返し、今度こそまとまった休暇を得るためにクロヴィスの許へ直談判に赴く。
その後ろ姿を見送りながら、エルハルドは一つため息をついた。
「お前のひたむきな想いが、あの男に届くといいな、デボラ……」
ぼそりと呟き、エルハルドはまだ心の片隅に残る未練に決着をつける。
降り注ぐ暖かな日差しに目を細めれば、花の香を漂わせる風が優しく頬を撫でていった。




