119 暗躍する烏3【カイン視点】
「ランドアーク区13番地と言えば、王都北西の商業地区ですね。吾輩ら親衛隊が先行し、敵をあらかじめ包囲しましょう」
「ああ、よろしく頼む」
クロウからの書簡を確認した一同は、すぐさまデボラ救出のために動き始めた。
ヴェインが執務室から慌ただしく出ていった後、カインは残る二人にも指示を出す。
「コーリキとジョシュアもヴェインについていってくれ」
「え、でもカイン様の護衛はどうするっス?」
「敵は俺に一人で来いと言っている。そんな俺に護衛がついていたら、敵が警戒してしまうだろ」
「そうですね、わかりました。我らもヴェイン隊長と共に指定場所にて潜伏いたします」
コーリキはカインに一礼すると、ジョシュアと共にこれまた現場へと向かった。
さらにカインは家令二人を振り返る。
「ジルベール、ハロルド。馬の手配を頼む」
「畏まりました。直ちに」
「カイン様、どうかお気をつけて。必ずデボラ様と共にお帰りになって下さい」
「ああ、わかっている」
ジルベールとハロルドもまた、カインの命令を果たそうと執務室を出ていった。
そうしてようやく一人きりになると、カインは近くのランプのカバーを外し、直接ろうそくの火で書簡を炙る。
――じじ………っ。
すると揺れる炎の熱で、不自然に空白だった書簡の余白に、別の文字が浮かび上がった。誰にも知られたくない文面を送る時にこのような手法をとるのだと、以前クロウは酒の肴ついでに教えてくれた。
『マルメル地区27番地を過ぎた先にある郊外の教会』
本当の待ち合わせ場所は、こちらの方に書かれている。
つまりクロウはヴェイン達の目を盗み、カイン一人で待ち合わせ場所に来いと指示しているのだ。
(何を考えている、クロウ? いや、その大元はルイか……)
カインはクロウとクロヴィスの意図を図りかね若干苛つくものの、ここで行かないという選択肢はない。こうしている今もデボラはセシルに囚われ、恐ろしい思いをしているに違いないからだ。
(いいだろう。俺の命、デボラのために賭けてやる)
こうしてカインは見事に部下達の目を欺き、誰一人護衛もつけぬまま郊外の教会へと向かう。
その先に待つのが恐ろしい罠だと知りながらも、自ら火中に身を投じた。
× × ×
深夜零時過ぎ。
指定された朽ちた教会にやや早めに着くと、予想通りセシルがカインを待ち受けていた。かわいそうにデボラはトラウマの元凶であるセシルにいたぶられ、すっかり恐怖で固まっている。
「ようこそ、カイン=キール=デボビッチ公爵。我が姉が大変お世話になっております」
「お前が偉そうにデボラの名を語るな、クソガキ」
優越感に浸るセシルの微笑を目にした刹那、普段それほど感情のブレを起こさないカインも、久しぶりにブチ切れた。
この虫一匹殺さないように見える美少年が、デボラの背中にあれほどひどい火傷を負わせ、彼女の人格を徹底的に破壊したのだ。
とてもじゃないが、そんな非道な奴を許せそうにない。
「逃げて!」
一方のデボラはカインの姿を見るなり青ざめ、カインに逃走するよう懇願する。
……が、当然デボラを置いていく気など毛頭ないカインは、その言葉を即却下した。
「じゃあまずはその懐に隠し持ったものを、こちらに渡してもらおうかな」
「………」
「それとも姉様を傷つけたほうが早い?」
「……わかった」
カインは護身用の短銃を取り出し、それを床へと投げ捨てた。
勝利の微笑を称えるセシルの背後には、ボーッとしたマグノリアと小姓達の姿がある。さらに視線を横へと動かせば、セシルの死角にクロウの姿。
クロウはカインに『よく逃げずにここまで来たな、偉い!』とでも言うかのように、ぐっと親指を立てた。
(やはりクロウは敵じゃない……)
そのジェスチャーから確信したカインは、彼の狙いが何かもわからないまま、とりあえず場の流れに身を任すことにする。
「やめて、セシル! あなたが殺したいのは私でしょ? カイン様は関係ない!」
「関係ない? 関係ないはずないでしょう? 元はと言えばこいつが姉様に結婚を申し込んだのが全ての始まり。こいつさえいなきゃ、僕らはずっと幸せでいられたのに」
「幸せ? ふざけるな」
しかし冷静でいようと努力すればするほど、セシルの言葉がいちいちカインの癇に障る。
「デボラを踏み台にして、偽りの幸せを享受していたクソガキが生意気抜かすな。デボラは渡さない。こいつは俺の妻だ」
「黙れっ!!」
次の瞬間、セシルはカインに向けて発砲した。
その弾が頬を掠り、さすがのカインも肝を冷やす。
セシルの背後では、クロウが『お前何やってんだよ、こいつを必要以上に煽ってんじゃねぇよ』と口をパクパクさせたり身振り手振りでジェスチャーしているが、カインはそれを丸々無視した。
「ああ、ムカつく……ムカつくんだよ、あんた、カイン=キール。いいか、姉様は僕のものだ。僕以外愛してはいけないんだ! あんたが姉様をこんな風に変えたというなら、その諸悪の根源は絶たなきゃねぇ?」
セシルは相変わらずデボラへの愛情を歪に爆発させて、再び銃口をカインに向けた。
さてどうしたものかとカインが思考する最中、咄嗟に動いたのはデボラだ。
「させない!」
「!」
デボラに思いきり体当たりされ、セシルは大きくよろける。その隙を見逃さず、カインは大きく踏み込んで少年の細い体に渾身の蹴りを入れた。
「ぐはっ!」
セシルの体は軽く後方に吹き飛び、カインはデボラを救おうと手を伸ばす。だが視界の端にクロウの姿が映り、思わず反射的に動きを止めた。
「はい、そこまで」
「………」
口に煙草をくわえたまま、クロウはデボラの後頭部に銃口を突き付ける。
明らかにデボラを人質にとられたカインは眉間の皺を深くし、クロウの出方を待った。
カインとデボラの抵抗に憤慨したのはもちろんセシルで、まるで癇癪を起こした小さな子供のように大声で喚き始める。
「殺せ、ハリエット! そいつを……カイン=キールを殺せっ!!」
その言葉にデボラは体を竦ませ、再びぼろぼろと泣き出した。
彼女の泣き顔に胸を痛めたカインは、今すぐその涙を拭ってやりたい衝動に駆られる。
「お願い、逃げて……」
「………」
「私のことはもういい……。だからカイン様だけでも逃げて。お願い……」
そう嘆願するデボラと、カインに向かって殺気を飛ばし続けるセシル。二人の間に挟まれたクロウは、口パクでそっとカインに言う。
『ほら、大事な女泣かせてんじゃねぇ。何か言ってやれ』
「――」
クロウの唇の動きから言葉を読み取ったカインは、こんな緊迫した空気の中で一体何を言えと?と、クロウの無茶ぶりに混乱した。それがクロウの与えてくれたただ一つの猶予であり気遣いだとは思わず、頭を悩ませる。
『だーかーら! 今こそお前の気持ちをちゃんと言えってんだよ!』
「……」
あまりに察しの悪い弟子に対し、クロウは師匠らしく声なき声でダメ押しする。
あのほんの数秒の間に、実はカインとクロウの間では、こんな数手のやりとりがあった。
(俺の気持ち……デボラに対する想い……)
そうして人生最大のピンチに立たされたカインは、もしこれが最期だと仮定した場合、彼女に告げるべき言葉は一つだという結論に達する。
それは五か月半前にカインの中で芽生え、ゆっくりと、だが時には急速に育んできた想い。
何物にも代えがたいそれは、デボラを傷つけた夜にとうとう口に出せなかった言葉。
「デボラ」
――” 愛している”
「―――え?」
思いの外、するりとカインの口から零れた愛の言葉は、デボラだけでなくセシルやその他の者達の時間も一斉に止める。その中で唯一クロウだけが「うんうん」と満足そうに頷いていた。
「ずっと後悔していた、あの日の夜のこと」
「………」
「あの日、もし俺が嫉妬なんかに煽られず、素直に自分の気持ちを告げていたなら、お前は俺の妻になってくれていたか?」
「カイン、様……」
自分達の命が危険に晒されてようやく、カインはデボラに謝ることができた。
――よし、これで離婚は回避だ。
そんな緊迫した場にそぐわない、頓珍漢な感想をカインが抱いた――次の瞬間。
「私もカイン様のこと……」
「撃てっっ!」
「!」
左胸に一発、二発……と強い衝撃を感じた。
それは一瞬で胸骨にひびを入れ、呼吸を奪うほどの。
さらに三発目の銃声が鳴り響いたと同時に、カインの左胸から血らしきものが噴き出す。
――そう、血らしきもの。
だがそれは決して、カインの血ではない。
クロウが先ほど短銃を拾った時に、咄嗟にすり替えたペイント弾だ。
(ああ、そうか……)
カインはコートの左胸に空いた三つの穴を見ながら、ここで自分は倒れるべきだと判断した。
なぜかはわからないが、クロウはカインに死の演技を要求している。
常に暗殺の危険に晒されていたカインのコートとベストには、アイーシャ特製の防弾シートが二重の意味で仕込まれているのだが、それを知った上でクロウはセシルにカインが死んだと思わせたいのだ。
「ハハハハハハっ、ざまぁみろ、カイン=キール! 僕に逆らうからこうなるんだ!」
カインは床の上に倒れ、微動だにしなかった。勝利を確信したセシルが高笑いしているが、「お前、見てろよ、このままじゃ済まさないぞ」とカインは虎視眈々と反撃の瞬間を待つ。
「待て! 迂闊にそいつに近寄るな! 脈があるかどうか慎重に調べるんだ!」
それからすぐに、クロウがセシルの手下相手に指示を出す声が聞こえた。
……なるほど、あの時手渡されたビー玉はこのためか。
カインはポケットからビー玉をそっと取り出し、急いで脇の下に挟む。
「脈、触れていません。カイン=キールの死亡を確認しました!」
カインの首周りはコートの襟が立っているため、手下は頸動脈でなく手首で脈の有り無しを判断した。
実はこれは手首の脈を止めるトリックだ。クロウが戦場で自分の死を偽装する時によく使った手だと、以前教えてもらった。
「いやぁぁぁーーーっ! カイン様っっ!!」
「おっと、あなたはまだ大人しくしてて下さいね」
激しく泣き叫び、カインのもとに駆け寄ろうとするデボラを、クロウが慌てて止める。
今デボラに駆け寄られたらカインの死を偽装したことが台無しだ。
何せデボラに近づかれたら最後、カインは起き上がって彼女を抱きしめてしまうだろうから。
「はぁ~、これで目障りな奴は片付いた。マグノリアお母様、それじゃあ後のことは頼んでいい?」
「ええ、もちろんよ、フレデリク」
そしてデボラの意識を失わせたセシルは、何やらマグノリアに頼んで教会内に荷物を運ばせ始めた。カインは床に倒れながら、いつまでこうしていればいいんだと、次第にイライラし始める。
『――カイン』
するとようやくセシル達の目を盗み、カインの死体もどきのそばまでクロウがやってきた。クロウはカインの死体を検分するふりをしながら小声で話しかける。
『おい、俺はいつまでこうしてればいい? さっさとデボラを助けたいんだが』
『うーん』
セシルの隙をつくためだけにこんな茶番を演じたのだと思っていたカインは、起き上がるタイミングを計りかねてクロウを急かす。しかしクロウはパンと手を合わせて、申し訳なさそうに謝った。
『ごめん、カイン。お前にはもう少し死んでてもらう』
『は?』
『大丈夫、デボラちゃんのことは俺に任せておけ』
『ちょ、おま……』
――ブスリ。
次の瞬間、クロウお手製の熊をも一瞬で眠らせる強力麻酔針を刺されて、カインはあっけなく意識を失った。
これからまたすぐセシルに反撃できるだろうと思っていたカインは、こんなの聞いてない、ふざけんじゃねぇぞ……とクロウの提案に乗ったことを後悔する。
――が全て後の祭り。
こうしてカインの死はクロウの手によって完璧に偽装され、デボラはカイン殺人の容疑で逮捕されることになった。




