115 千客万来
私の体がようやく本調子に戻ると、私にわざわざ会いに来てくれる人が殺到した。
サブリエール伯爵夫人やエステル夫人にマノン様……。親しい友人をはじめとする皆さんが私を見舞ってくれて本当にありがたかった。その中でも特に嬉しかったのは乳母のタチアナと再会できたことだ。
「お嬢様、9年前は本当に申し訳ありませんでした。デボビッチ家に嫁がれたのはカイン様からお聞きしておりましたが、今まで勇気が出せず会いに来れませんでした……」
「そんなこと、気にしなくていいのよ。むしろ私の方こそあなたにたくさんお礼を言わなくちゃ。9年前も、そして今回も私を守ろうとしてくれてありがとう。今も昔もあなたは私にとって、最高の乳母だわ」
「デボラ様……!」
すでに総白髪になってしまったタチアナは、私の胸の中でおいおい泣いた。
私もその手を握り、思わずもらい泣きしてしまう。
今回のことは本当に辛かったけれど、こうしてタチアナと再び手を取り合えるきっかけになったのは不幸中の幸いだと思う。
タチアナも私がデボビッチ家で幸せになったことを自分のことのように喜び、できるならいずれまた私に仕えたいと申し出てくれた。
「デボラ様、チェン・ツェイ、今回ばかりは肝が冷えたアルよ! でももう安心ネ! 王都での商売も軌道に乗り始めたヨ。そのお礼に今日は沢山の和菓子と、東方の珍しい果物も用意したネ!」
「デボラ様、釈放おめでとうございます! ぜひまたお暇な時にでも当店にお越しください。本日は春の新作メニュー・Wベリーの甘酸っぱいタルトをお持ちしました!」
それからチェン・ツェイやリュカも、たくさんの見舞いの品を持ってきてくれた。
ううう、嬉しいけれどそんなに甘いものばかり食べたら一気に太っちゃうわ。
私はエヴァやレベッカと一緒になって、嬉しい悲鳴を上げる。
それから忘れちゃいけない。お客さんではないけれど、私の裁判で力強い証言をしてくれたノアレ。私は毎日検診してくれるノアレに、ふと尋ねてみた。
「そう言えばノアレ、アストレーの瑞花宮を放ってきてよかったの?」
「別に放ってきたわけではありません。一応あそこにはラッセル先生や信頼できる看護師もおりますからね。それにあの嫉妬大魔神が案の定嫉妬を爆発させて、大失敗したと聞けば、いやでも上京せざるを得ないじゃないですか。
いやぁ、デボラ様も災難でしたね。貞操が無事で何よりです。デボラ様の『大嫌い』はあの嫉妬大魔神を反省させるためには、良い薬となったでしょう」
「そ、そんなことまでノアレの耳に入ってるの……」
私は耳まで真っ赤になりつつ、ノアレが来てくれたことに感謝する。
本当に彼がいてくれて助かった。
わざわざ遠いアストレーから、私のピンチに駆けつけてくれてありがとう、ノアレ。
それからロクサーヌと一緒にルーナも訪ねてきた。しかもルーナの隣には、線の細いイケメンの姿がある。
「この度は我が妹がデボビッチ家に多大なるご迷惑をおかけしたこと、身内の一人として陳謝致します。誠に申し訳ございませんでした」
「申し訳ございませんでしたぁぁぁーーーーっ!」
私直伝のジャンピング土下座をみんなの前で華麗に披露するルーナ。
うん、その手の角度、腰の折り曲げ方、何から何まで完璧よ! パーフェクト! 実に素晴らしい!!
「ルーナのお兄様のマリウス様でいらっしゃいますね? こちらこそ私のせいでルーナを巻き込んでしまって申し訳ありません。心配なさらなくても我がデボビッチ家がロントルモン伯爵家を糾弾することはございませんわ。それどころか私の最大のピンチをルーナに救って頂き、心より感謝しているんですの」
「うううう……。デボラ様ぁーーー!」
「よかったわね、ルーナ」
ルーナはロクサーヌの胸にしがみつきながら、ワンワン泣いた。
マリウス様もホッとした様子で、再び軽く頭を下げる。
「それよりマリウス様、体調が悪い所をご無理なさったのでは?」
「ご心配ありがとうございます。ですが私の体調も徐々にですが上向いているんです。なのでルーナに悲しい婿取りなどはさせません。今回の件で父には隠居してもらいました。王宮からも次期伯爵と認められ、正式に跡を継いだばかりです」
「まぁ、そうでしたの。じゃあこれからはロントルモン伯爵とお呼びしなければなりませんわね。ルーナもお兄様をしっかりと支えてあげてちょうだい」
「はい、ありがとうございます!」
私とルーナは手と手を取り合い、友情の復活を一緒になって喜んだ。
ふふっ、これからもトラブルメーカーのルーナには色々振り回されそうね。
でも彼女を警戒していた頃とは違って、私はいつの間にかルーナが大好きになっていた。本来ならば敵対していただろうヒロインを。
ゲームとはまた違った結果へと行き着いた私は、このあり得なかった未来に満足するのだった。
それから引き続き意外なお客様が私のもとへ謝罪にしてきた。
私はその二人を見て驚くとともに、ホッと胸を撫で下ろす。
「ああ、よかった。リゼルも妹さんも無事だったのね」
「デボラ様、ありがとうございます……」
そう、私の前に現れたのは、エルハルドを狙撃したリゼルと、誘拐されていたオーバン家の令嬢だったのだ。
「デボラ様……でいらっしゃいますね。兄からとても勇気のあるお方だと聞き及んでおります。この度は誘拐された私を解放するために尽力して下さったこと、心より御礼申し上げます」
リゼルの妹は兄に似て、かなりしっかりした娘さんだった。
こんな可愛い子がリゼルを脅すためだけに誘拐されていたなんて。
あああああっ、腹が立つったらありゃしないわ。
「それでリゼル、あなたエルハルドの護衛は……」
「はい、エルハルド殿下の恩情により、投獄だけは免れました。ですがもう騎士ではいられません。護衛騎士の地位は返上し、私はオーバン家の領地に戻るつもりでおります」
「ごめんなさい、お兄様。私のせいで……」
がっくりと項垂れるリゼルを、妹さんは涙ながらに支えていた。
事件の全ては穏便に解決したわけではなく、こんな風に一部に痛々しい爪跡を残している。
ただリゼル本人曰く、今回の事件がなくてもゆくゆくはオーバン伯爵家を継ぐために、王国騎士団は除隊しなければならなかったらしい。それが少し早まっただけだと、リゼルは笑う。
きっとエルハルドも今頃は、大切な騎士を失って落ち込んでいるだろう。
最悪の事態だけは避けられたものの、二人の気持ちを想うと――何だか切なかった。
「……ふぅ」
そうしてリゼル達を見送った後、午後のお茶の時間となった。
私はなんだかどんよりした気分になってしまって、口数が少なくなる。
「リゼル様、なんか寂しそうだったべ……」
「なんだかんだとエルハルド殿下と仲が良かったからねぇ」
エヴァやレベッカも巻き込み、室内全体が暗いムードに包まれた。
そこにコンコンとノックが二度響いて、ドアの向こうからコーリキが顔を出す。
「デボラ様、ご休憩中のところ申し訳ありません。新しいお客様がいらっしゃってるのですが……」
「あら、誰かしら?」
「えーと……」
私が誰何すると、コーリキは少し困ったように視線を左右へと泳がせた。それからちらりと背後を振り返って、言葉を濁す。
「とりあえず直に会って頂ければわかるかと思います。お通ししてもよろしいでしょうか」
「……? わかったわ。どうぞ?」
なんだか持って回った言い方をするコーリキに違和感を感じて、私は首を傾げる。
そして次の瞬間、意外過ぎる人物が私の前に現れた。
「よう、デボラ様。ご機嫌麗しゅう。その後お体の具合はいかがですか?」
「――」
……そう、私の前にいけしゃあしゃあと現れたのは――絶対に死んでも忘れないと誓ったにっくき中年男。
ハリエット=コルヴォ。
公爵の心臓を銃で撃ち抜き、私を生き地獄へと突き落とした張本人。
その死神がなぜか堂々と私の前に現れ、剰えヘラヘラと軽薄な笑みを浮かべている。
「ハ」
「は……?」
「ハ」
「は……?」
「ハリエットォォォォォーーーっ!!」
「……っ!」
次の瞬間、考えるよりも先に私の体は勝手に動いていた。
右の拳に100メガトンの力を込め、私はそれをハリエットの左顔面に叩き込む。
「あんた、どのツラ下げて私に会いに来たのよぉぉぉぉーーーっ!?」
「グヘェッ!?」
「デ、デボラ様っ!?」
私渾身の右ストレートは見事にハリエットの顔面にめり込み、その体を後方へ吹っ飛ばした。
どうだ、見たか! ヴェイン直伝のマッスルメガトンパンチを!
私はふーっ、ふーっと、肩を怒らせ、その場で仁王立ちしながら蹲るハリエットを冷たく見下ろす。
「ひでぇなデボラ様……いや、デボラちゃん。まさかカインの奴から何も聞いてないの?」
「あぁぁん?」
一方のハリエットと言えば、殴られて真っ赤に腫れた頬を手で押さえて涙目になっていた。
というか、あんた超一流の殺し屋のくせに、なんで私のパンチをよけられないの?
しかもなぜか公爵の名前を慣れ慣れしく呼んでるし?
あ、それに私あんたに『ちゃん』付け呼びを許した覚えはないんだけど?
「お前からも何か言ってくれよ、コーリキ……」
「仕方ないですね、自業自得です。デボラ様に殺されても仕方ないことを、あなたはしたんですから」
「ちぇー、相変わらず薄情な奴~」
「――え」
だけどここでなぜかハリエットとコーリキが親しげに会話を交わしている。
は?
え?
こ、これってどーゆ―こと?
まるで古くからの知り合いのような雰囲気の二人に、私の思考回路が一瞬混乱する。
「どうせなら、本当の名は自分で名乗ったらいかがですか。それがデボラ様に対する誠意と言えましょう」
「はいはい、わかりましたよ。もう隠す必要もねぇからな。くそ、それにしてもカインの奴、何で一番大事なことをデボラちゃんに伝えてないんだよ……」
ハリエットは不服そうに立ち上がると、お尻をパンパンとはたいて私のすぐ目の前に立った。そしてツーッと情けなく鼻血を垂らしながら、丁寧にお辞儀する。
「改めてご挨拶申し上げます。俺の本当の名は――クロウ。
クロウ=シャハト。
カインとルイの昔馴染みって言えば、デボラちゃんにもわかるかな?」
「――」
は、はぁぁぁぁーーーーーーーーーっ!?
にこにこと笑う胡散臭い中年男を前にして、私の頭の中は真っ白になる。
クロウ=シャハト。
確かにその名前には覚えがある。
噂で聞いただけだけど、確か各国を放浪する傭兵で、今までに13回結婚し13回離婚した男。
何より公爵に歪んだ結婚観を植え付けた、公爵とクロヴィス殿下のお師匠様――
「あ、あんたがクロウ=シャハトーーーー!?」
「はい、ちなみに俺の本当の雇い主は【祝福】じゃなく、ルイ――クロヴィス殿下ね。文句なら全部今回のことを計画したあいつに言って?」
そうニコニコと重大な種明かしをするクロウはサッと右手を上げたかと思うと、袖口につけられたカフスボタンを指さす。
そのボタンには王家を指し示す鷹の文様が、しっかりと刻まれていた。
次回からはカイン視点の種明かしに入ります。
もうしばらくお付き合いお願い致します。




