114 答え合わせ
裁判所から一歩外に踏み出せば、外はポカポカと暖かい小春日和だった。
無実が証明され釈放された私は、久しぶりに目にする太陽に目を細める。
はぁぁぁぁーー、やっぱり娑婆って最高!
……などと、極悪人みたいな感想を口にしてみたりする。
「デボラ」
「はい?」
振り返れば、今度はなぜか公爵のほうが両手を広げたポーズのまま立っていた。
えええと、それはもしかして自分の腕の中に飛び込んで来いっていうアピールかしら?
でもあいにくと今の私は、『テレビドラマを見ていたら急にトイレに行きたくなって、戻ってきたら一番盛り上がるクライマックスが終わっていた』……そんな気分よ。
なんというか感動の再会に対するテンションが、著しく下がってしまったわ。
「デボラ、まさかまだ怒っているのか」
私がいつまでも腕の中に飛び込んでこないので、公爵はあからさまに眉根を寄せる。しかもみんなが揃っている前で、とんでもないことを言い出した。
「俺があの夜、何度も無理やり唇を奪って、ドレスもびりびりに破いて、さらに嫌がるお前のくるぶしに口づけなんかしたから……」
「はい、ストーップ! それ以上はストォォォォォーーーップ!!」
私は竜巻のような速さで公爵に近づき、慌ててその口を両手で塞いだ。
ちょ、みんなの前でなんて具体的なこと言い出すんですか、あなたはっ!?
ごらんなさい! 純真なエヴァやレベッカは真っ赤になり、ヴェインに至っては恥ずかしさのあまり地中に埋まっているじゃない!
あ、そんな中でも相変わらずノアレだけはニヤニヤしてるわね。ホント、そーゆー所、性格悪いわ。
「デボラ、やはりまだ俺を許せないのか」
「そうじゃなくて! とにかくあの夜のことをみんなの前で話すのはやめて下さい!」
そのまま公爵にガッと両手首を掴まれ、私の顔まで真っ赤になる。
うううう、この相変わらずの天然さんめ!
公爵のデリカシーに期待した私がバカだったわ!
「じゃあどうして俺の目を見ない」
「ですからそれは……」
「さっきからなぜ俺のそばから離れようとする」
「いや、そんなことは……」
公爵に手首を掴まれ、じりじりと距離を詰められる中、私は体中からダラダラと嫌な汗を流し続けた。
「カイン様、お願いです。もうそれ以上私に近づかないで!」
「え……」
私は涙目になりながら嘆願する。その言葉を文字通りに受け取った公爵は、ほんのちょっとショックを受けたようだ。
「私、臭いですから……」
「――は?」
「私、二週間も牢獄に入れられて、一度もお風呂に入ってないんです! 髪も脂ギトギトだし、体も垢まみれでめちゃくちゃ臭うから! だからこれ以上近づかないでぇぇ~~~!」
ぴえん。
私は腰が引けた状態のまま、目の前の公爵に必死にお願いする。公爵は公爵で毒気を抜かれたような顔をして、ゆっくりとかぶりを振った。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。大丈夫だ、問題ない。どんな姿でもデボラはデボラだ」
「も、問題大ありですぅ~~!」
公爵は何気に嬉しいことを言ってくれるけれど、最愛の人の前でくっさい臭いをまき散らした状態でいたくない。私がどうしたものかと困っていると、ロクサーヌやみんなが助け舟を出してくれた。
「恐れながら公爵様、恋する乙女とはそういうものですわ。いついかなる時も好きな人の前では、一番綺麗な姿でいたいものなのです」
「そうですよ、感動の再会はわかりますけれど、デボラ様にはまず一度お屋敷に戻って頂き、身なりを整えた上でゆっくり休養を取って頂きませんと!」
「デボラ様、大分お痩せになりましたね。まだ春浅いこの季節での獄中生活は、さぞお辛かったことでしょう。屋敷に戻り次第、私がきちんとお体の具合を診察させて頂きますので」
「ありがとう、ノアレ」
ノアレが診察……の下りで、また公爵の目から正体不明のビームが発射された。一方のノアレも心得たもので、そのビームを華麗に避けていたけれど。
「カイン様、お話し中のところ申し訳ありませんが、我々もそろそろ王宮に向かいませんと」
そして何とか羞恥心から立ち直ったヴェインが、後ろから公爵を急かす。公爵はあからさまに不機嫌になり、いつもの無口モードに入った。
「申し訳ありません、デボラ様。実はマグノリア様をはじめとする密売組織が逮捕されたことでクロヴィス殿下や国家監察委員の方々は、さらなる証拠の差し押さえや供述調書などの作成で、これから大忙しになりそうで……」
「あ、そっか。そうよね」
すっかり事件は解決したと安心していたけれど、本当に大変なのはこれからだ。
何せこのヴァルバンダという国の根本に巣くっていた、巨大な癌が摘発されたんだから。あのマグノリア様が【祝福】だったことはこれから王都中に広まり、人々を震撼させることになるだろう。
となれば当然クロヴィス殿下の右腕である公爵も、これからまた大忙しになるはず。寂しいけれどそれもこれも全て世のため人のため。公爵にはきっちりと働いてもらわなくちゃ。
「カイン様、いってらっしゃいませ。私はデボビッチ家でお帰りをお待ちしていますわ」
「……………」
「さ、カイン様。そのように拗ねられても仕事は待ってはくれませぬぞ」
こうしてもう何度も目にした光景が私の前で繰り広げられる。モアイ像と化した公爵はヴェインにずるずると引きずられ、王宮へ。
対する私はみんなに囲まれながら、デボビッチ家本邸に戻ることになった。
(あ、そう言えばなんでカイン様って生きてたんだろう? 確かに私の目の前でハリエットに撃たれて死んだはずなのに……)
そして帰りの馬車の中で、私は最も大きな謎が残ったままであることに気づく。
うーん、誰か真相を知っている人はいないかしら?
屋敷に戻ったら、とりあえずみんなに聞いて回らなきゃいけないわね。
そんなことを考えながら、私は約三週間ぶりにデボビッチ家本邸に戻ったのだった。
× × ×
「デボラ様、おかえりなさいまし!」
「使用人ともども、奥様のお帰りをお待ちしておりました」
「すでに浴室の準備もお食事の準備も整っております。どちらでもお好きなほうをどうぞ!」
デボビッチ家の玄関をくぐると、侍女頭のクローネやジルベール達が我先にと私を温かく迎え入れてくれた。
ああ、私とうとうここに帰ってこれたのね。
ルーナとの浮気騒動でここを飛び出してからそんなに時は経っていないはずなのに、なんだかすごく懐かしく感じてしまう。
「みんなありがとう。それからたくさん心配かけてごめんなさい」
私がそう頭を下げると、あちこちから使用人達のすすり泣きの声が聞こえた。
公爵が殺されてからのこの激動の二週間、私だけでなくデボビッチ家のみんなもそりゃあ大変だったに違いない。
でもみんながいたからこうやって全てを解決した上で元通りに戻れた。
私はもう一度ありがとうと伝えて、目元に浮かんだ涙を笑顔で拭った。
それから私はきれいさっぱり体の汚れを洗い落とし、用意された食事を全部平らげ、しばらく休眠モードに入った。
投獄されていた間に負った体のダメージは思ったより深刻で、回復までにそれなりの時間を要したのだ。
そして落ち着いてデボビッチ家を見渡すと、この家から姿を消した人物が一人だけいる。
ソニアだ。
公爵とルーナの浮気騒動をでっちあげ、デボビッチ家を裏切っていた彼女がその後どうなったのか、私は侍女頭のクローネから詳細を聞くことになった。
「実はソニアはデボラ様が我が家を出た後も、しばらくはこの屋敷で勤めておりました。カイン様はあの後すぐに彼女が裏切り者であることを見抜かれておりましたが、あえてしばらく彼女を泳がせていたのです」
「………」
「そのため、しばらくデボラ様を本邸から遠ざける必要がありました。ソニアがデボラ様を傷つける可能性があったからです。実はデボラ様の部屋を荒らしたのも、ソニアの仕業だったようです」
「ソニアが? そんな……」
クローネの報告に、私は一瞬絶句した。
まさか部外者ではなく、この屋敷の使用人が空き巣の現行犯だったなんて……。
おそらくソニアはこの家に出入りしていたセシルと何らかの形で接触し、あの子にそそのかされたか脅されたりしたんだろう。
でもだからって長年忠義を捧げてきたデボビッチ家を裏切る動機が、いまいちわからない。
「結局デボラ様が誘拐されたその夜に公爵自らが彼女を解雇し、ソニアはデボビッチ家から去っていきました。それ以上のことは、わたくしも何も聞かされておりません。ですが本来ならば検察に引き渡すべきソニアを、カイン様は温情から解雇するに留めたのだと思います。カイン様自らが甘い処断だったと仰っておられるぐらいですから、被害を受けたデボラ様は納得されないかもしれません。ですがここはわたくしに免じて、どうかお許しを……」
「そんな、いいのよ。ソニア自身に真実を聞けなかったのは残念だけど、私はこうして無事に帰ってこれたわけだし」
私は深々と頭を下げるクローネの手を取り、深くため息をついた。
デボビッチ家に戻ってきて、色々答え合わせするけどなんだかすっきりしない。
やっぱり本当のことは公爵の口から直に聞かないと、何もわからないかもしれないわね。
私はもうここにはいないソニアの顔を、脳裏に思い浮かべる。
結局彼女の本心はわからずじまい。彼女と仲良くなることもできなかった。
もしも私がもう一歩踏み込んで、彼女の悩みを聞くことができていたら結末は変わっていたかしら?
そんな後悔に苛まれつつも、私はデボビッチ家から去っていた一人のメイドの未来に、幸あらんことを祈った。
「そう言えば、デボラ様のトランクバスケットのことですが……」
それから例の血判状。
ハロルドは疲れによく効くと言う薬草茶を淹れながら、あの血判状を発見した当時のことを語ってくれた。
「いやぁ、ルーナ様からあの鞄に重大な証拠が隠されていると聞いた時は驚きました。ソニアがデボラ様の部屋を荒らしたのは、あの血判状を探していたからなのですね。ですが不幸中の幸い。あのトランクバスケットを家探ししてみたところ、なんと使用人達の住む棟の物置小屋の奥に放り込まれておりました」
「物置小屋!?」
なんでそんなところに……と目を丸くする私に、ハロルドは申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。あの鞄は責任をもって私がお預かりすると言いましたのに。鞄を物置に放り込んだポーターも心より謝罪しておりました。どうやらあまりにもみすぼらしい鞄だったので、奥様の私物だという発想に至らず。同行したメイドのどちらかの荷物だろうといったん物置にしまい込み、そのまま忘れてしまっていたそうです」
「な、なるほどね……」
私は頬を引き攣らせながら、ハロルドが淹れてくれたお茶を啜った。
うううう、みすぼらしい鞄ですいませんでしたねぇ。
でもそのおかげでトランクバスケットは敵の目をかいくぐり、最終的には一番効果的なタイミングで発見されたのだ。
「それにしても『公爵は多分チョビ髭』……ふふ、デボラ様はあの宿屋で、そんな面白い落書きを書いていらしたのですね」
「もう、そこツッコまないで。本当に悪かったと思ってるんだから!」
ハロルドが例の落書きのことを持ち出して笑うので、私はまたばつが悪くなった。
幸いにもあの落書きのせいで、血判状の証拠能力が落ちると言うことはなかったようだ。
それにしてもやっぱり恥ずかしすぎる。これからあれは公正文書として、国家で長年保管されるに違いない。つまり私の黒歴史も、同時に保管されるということだ。
「あれから約半年、本当に色々なことがありましたね」
「そうね」
「あの時、実はこんなにもデボラ様と深いお付き合いになるとは思ってもみませんでした」
ハロルドはそう相好を崩すと、目尻にうっすらと涙を浮かべた。
ありがとう、ハロルド。私もあの時はあなたと慣れあっちゃいけないと、必死に自分に言い聞かせていた。
だけどあなたやみんなと信頼を築けたおかげで、あの血判状も発見することができた。
その絆が、今の私にとっては何よりの誇りよ。
「ふふ、ハロルド。このお茶苦いけど、よく効きそうね」
「もちろんですとも。もう一杯、おかわりいかがですか?」
そうして私はハロルドと二人、のどかな午後のお茶の時間を楽しんだ。
それはようやく嵐が過ぎ去り、本当の平和が帰ってきた何よりの証だった。




