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113 そうして起こる、奇跡




 暗い牢獄に長く囚われていたせいで、私の声は粗悪なガラスのように、ひどくひび割れていた。

 何かを言いたくて、けれどまずどの言葉から言い出したらいいのかわからなくて、舌をもつれさせ、唇を空回せて、私は一度大きく息を吸う。


「デボラ様、頑張って!」

「私達がついていますよ!」

「最後まであきらめないで!」


 そんな私を後押しするように、傍聴席から次々と温かい声がかけられる。

 私は自分の視界が大きくぼやけるのを意識しながら、ようやく一声発した。


「私はカイン様を……殺してはいません」


 胸元に手を当て、公爵の面影を脳裏に浮かべながらそう証言する。

 法廷内は水を打ったように静まり返り、誰もが私の発言に耳を澄ましていた。


「今でも何度も何度も思い返すんです。どうすればあの方を救えたのか。救いたかったのに。救おうと思ったからこの王都にやってきたのに。どうして、なぜこんな結末になってしまったのか。その思いで胸がいっぱいになって……痛い……。苦しいんです。悲しくて悲しくて、私のしてきたことを振り返れば振り返るほど、いつも後悔ばかりで、でももうどうにもならない……。私が好きになったあの人はもう――死んでしまった!」


 思いつくままのことを口にしながら、私の目からは次々と熱が溢れる。

 

 大好きだったあのシニカルな笑顔も。

 とても伝わりにくい不器用な優しさも。

 時には戸惑うほどに荒々しかったキスも。

 全部全部全部――


「なんで、どうしてカイン様が……っ」


 なくしたくない。

 誰よりも――大切な人だった。

 なのにこの手からすり抜けて、あの人はいなくなってしまった。

 なぜ。

 どうして。

 なぜ。


「私、は……――っ!」


 そうして私は今、声を大にして告げる。

 とうとう最期まで、あの人に伝えられなかった唯一の言葉を。




「私はカイン様を愛してる。あの人だけをこれからも……ずうっと。


 この想いだけは、未来永劫変わりません……」

















 涙と共に零れ落ちた私の告白は、聞けば聞くほどなんて陳腐でありふれているんだろう。

 古い小説や映画の中で使い古されてきた、あまりにも平凡なフレーズ。

 でもこれが正真正銘私の気持ちなのだから、仕方ないじゃない。

 もう本人に届かなくても、これが本当に伝えたかった気持ちなのだから……仕方ないじゃない。


「デボラ様……」

「デボラ……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」


 私の滑稽すぎる告白は、法廷内の人々を沈黙させた。

 けれど私をどうしても有罪にしたい検事官はその空白を破り、大声で異議を唱え始める。


「裁判官、もうよろしいでしょうか。被告人の感情論など聞いても、何の証拠にもなりません。引き続き厳正たる審議の続行をお願い致します」


 暗に女の涙に騙されるなと釘を刺しつつ、検事官は再び席に着いた。

 でもその時だった。

 不意に傍聴席の一番後ろの扉がギィッと軋み――眩しい光と共に開いたのは。





「ここがデボラ=デボビッチ、断罪の場か」



「――!」





 低く、特徴的なテノールが――法廷内に響き渡る。

 刹那、裁判官の方を向いていた私は身を固くした。




 え。


 嘘。


 これは幻聴?


 公爵に焦がれるあまり、私はとうとう幽霊の声が聞こえるようになったの?




 咄嗟に振り返ることもできたはずなのに、私の体は私の意思に反して被告人席で立ちあがった状態のままフリーズした。


「あああああ、やっぱり生きてたべ!」

「もう、今までどこに隠れてたんですか!?」

「ヴェイン隊長もひどいっス! なんでこんな重要なこと教えてくれなかったんスか!?」


 傍聴席からはデボビッチ家年少三人組の、そんな声が聞こえてくる。

 法廷内は先ほどとは比べ物にならないほど大騒ぎになり、どこかの記者が一大スクープだ、号外だと騒ぎ始めている。


(え、ちょっと待って。これって私、振り向いていいところ……?)


 それでも私は法廷の真正面を見つめたまま、怖くて後ろを振り返ることができなかった。

 だって振り向いた瞬間に、幽霊が消えてしまったら怖いじゃない。

 私の精神はもうガタガタ、スライスハムのように擦り切れる寸前なの。

 お願いだから、これ以上あり得ない期待なんかさせないで。

 私に必要以上の夢を見せないで。


「くそ、現れるならもっと早く現れろって言うんだ……」


 けれど証言台に立つエルハルドまでもがどこか安心したような、それでいて納得できないと言った複雑な顔をしている。

 そうしている間にもコツコツと靴音が近づき、すぐ私の後ろまでやってきた。



「ここからはバトンタッチ――か」

「バトンタッチも何もない。そもそもお前にデボラのことを頼んだ覚えはない」



――――――――――――………。



 ねぇ、神様。

 エルハルドにものすごい悪態をつく、この声の人物を今すぐ振り返っていいですか?

 もう一瞬の夢でも叶わない。

 もう一度だけ、愛しい公爵の姿をこの目に映すことができるなら……私は。


「――デボラ」


 そうしてあなたは、呼ぶ。

 まるで当たり前のように、私の名を。


「よくここまで耐えた」


 さらにくしゃりと、後ろから乱暴に頭を撫でられる。

 ドク、ドク、ドクと強く脈打つのはもちろん私の心臓。

 もう、限界だった。

 とっくにぐちゃぐちゃだった視界がさらに歪み、私は女性らしくない雄たけびを上げる。


「ガ、ガイ゛ン゛ざま゛ぁぁ~~~っ!!」

「デボラ、鼻水ぐらい拭け」


 涙と鼻水でぐちゃぐちゃな私の顔を見て、公爵は若干引き気味だった。

 勇気を出して振り返れば、私の背後に立つのは真っ黒な髪に金の瞳。

 魔王の如く全身黒づくめの公爵はいつものように背後にヴェインを従え、傲岸不遜な微笑を浮かべていた。



「バカなっ!?」



 この公爵の突然の登場に、血相を変えた人物が二人。

 一人は私を起訴する検事官。

 もう一人は裁判の成り行きを陰から見守っていた――セシルだ。


「ヴェイン」

「はっ」


 公爵が目で合図した刹那、ヴェインが猛牛とは思えないほど俊敏に動いて、傍聴席から慌てて立ち去ろうとするセシルの進路を断った。


「貴殿にはこの場から動かないで頂こう」

「……っ!」


 ヴェインはその巨体を活かし、セシルの逃走を完全に阻む。

 一方の公爵は法廷内に立ち入り、裁判官と直接交渉し始めた。


「この裁判は確か俺を殺した罪を問う裁判だったな。ならばこれ以上の続行は無意味だ。なぜなら被害者であるはずの俺がこうして生きているのだから」


 公爵がそう宣言すると、裁判官達も一か所に集まり緊急会議を始める。


「あなたは本物のカイン=キール=デボビッチ公爵ですか」

「そうだ。何なら枢密院に問い合わせてくれて構わない。書記官長としての俺の地位は、まだ剥奪されていないはずだ」


 そう裁判官と交渉する公爵の姿に、私は不謹慎にも見惚れてしまう。


(うわぁ、カイン様ってば相変わらずやらなくても常にできる子……)


 ……などと場にそぐわない暢気なことを考えていた私は、まるで雲の上に乗せられたみたいに意識がフワフワとしていた。

 だって仕方なくない? 

 公爵の生還があまりに突然すぎて、なんだか現実味がわかないんだもの。


「俺がこうして生きているのだから、デボラに殺人罪は適応されない。デボビッチ家としては今回の不当逮捕に対し激しい遺憾の意を表明する。今すぐ妻の身柄を釈放して頂きたい。こちらの要求はそれだけだ」

 

 この公爵の言葉に、ようやく正気を取り戻した検事官が激しく噛み付く。


「お、お待ちください、裁判官! 確かに殺人については冤罪だったかもしれませんが、まだグレイス・コピーの密輸に関する疑惑が……っ」

「それならばもう片付いた」


 だけどここぞとばかりに公爵は、私が無罪である証拠を畳みかける。

 その手に握られているのは、一通の血判書。

 マグノリア様とカシュオーンのラムザの間で交わされた密約書だ。


「この血判状が動かぬ証拠となって、先ほどクロヴィス殿下、並びに国家監察委員会がマグノリア=イグニアーをグレイス・コピー密売の罪で逮捕した」

「嘘だっっ!」


 反射的に公爵に反論したのは、ヴェインやコーリキ達に周りを取り囲まれたセシルだ。セシルはもう素顔を隠す気もないのか、いつものあの法衣のフードを外し、怒りの形相を露わにしている。


「そんな血判状は偽物だ! でっち上げだ!」

「偽物ではない。お前の父・イクセル=マーティソンがデボラに預けていたものを我らが昨夜回収した」

「っ!」


 セシルは公爵の言葉を耳に入れるや否や、血走った目で私を睨みつけた。

 ああ、よかった。ルーナに託した伝言のおかげで無事証拠は見つかったのね。

 本当にギリのギリで、私達はセシルの計画を阻止することができたのだ。


「この血判状の信憑性を誰よりもよく理解しているのは、お前ではないか? セシル=マーティソン」

「……っ」

「それに一昨日、カシュオーンでは大きな暴動をきっかけに市民が蜂起し大規模な革命が起こった。この革命により右大臣・ラムザは失脚、カシュオーン側の血判状もすでにあるルートを介して確保済みだ」


 うおっ! おおおおおおーーー!?

 カシュオーンで革命!? それはすごい。歴史の大転換期じゃないの!

 しかもヴァルバンダ側だけでなくカシュオーン側の血判状も揃ったというなら、証拠としては非の打ち所がないほど完璧すぎる。

 さすがのセシルも衝撃の事実を突きつけられれば、とうとう観念するしかないようだ。真っ青な顔でその場に崩れ落ち、全身を細かく震わせている。


「そんな……馬鹿な……。ここまで完璧だったのに……どうして――」

「完璧? ふざけるな」


 公爵はさらに冷たい声で、セシルを執拗に追い詰めていく。


「正常だった頃のマグノリア様ならともかく、お前が立てた計画など杜撰すぎて、むしろこっちの捜査の助けになったほどだ」

「……」

「いいか、セシル=マーティソン。お前のしてきたことは所詮子供のままごと。だが子供の遊びにしては――少々やり過ぎたな」

「――」


 山よりも高いプライドを公爵にへし折られたセシルは、ぐしゃりと悔し涙を滲ませた。そして思いっきり両手の拳を床に叩きつけたかと思うと、突然絶叫し始める。


「くそっ、くそっ、よくも……よくもカイン=キールーーーーッッ!!」

「連れていけ」

「はっ!」


 セシルは激しく髪を振り乱して抵抗するものの、その身柄は駆けつけた監察委員会数人にあっさり引き渡される。私と公爵を睨みつけるその瞳には、相変わらず凶気が宿っていた。


「姉様、これで勝ったと思わないでよ!? 僕は必ず帰ってくる。あなたを取り戻すために絶対また帰ってくるからね!!」

「……………」


 去り際、そんな悪あがきのセリフを残しつつ、セシルは法廷外へと連行されていった。

 最後にセシル本来の負けん気を爆発させたものの、彼が明るい陽の下に帰ってくることは……おそらくないだろう。

 ただでさえ実の両親を殺害し、子爵家に放火するという大罪を犯したのだ。

 わずか14歳とは言え、セシルの残虐性はあまりに危険すぎる。

 クロヴィス殿下や公爵はその年齢を考慮したとしても甘い処断を良しとせず、きっとセシルに対し厳しい態度で臨むだろう。

 そのことに少しも心が痛まないと言ったら嘘になる。今でもセシルを可愛く思う気持ちは、私の心の片隅にあるから。


(でもここでサヨナラすることがセシルのため。姉として、私が最後にできることなんだ……)

 

 私はもう見えなくなったセシルの姿を思い浮かべながら、それでもこれからの彼が少しでも変わってくれますようにと祈らずにはいられなかった。


「えー、突然ですが本日は閉廷。閉廷致します! 被告人・デボラ=デボビッチの身柄は、速やかに釈放するものとします」

「やったぁぁぁーーーーー!」

「デボラ様、これで晴れて自由の身ですよ!」

「あのセシルって奴も、ざまぁですだ! デボラ様を散々苦しめた罪は、これからきっちり償ってもらわねぇと!」

 

 こうして全ての真犯人が判明し、法廷内にカンカンカンと木槌の音が高く響き渡る。

 私の無実を喜ぶ人達の声で辺りは一気に沸き立ち、所々で拍手喝采が起こった。

 これで終わった? 本当に……?

 この裁判が始まる直前まで絶望の底まで落ちていた私は、この見事すぎる大どんでん返しに呆気を取られて、しばらくみんなの呼びかけにも反応できずにいた。


「さ、帰るぞ、デボラ」

「カ、カイン様……」


 でもどこか夢うつつな私に、力強く手を差し出してくれたのは……やっぱり公爵だった。

 私は目の前の手をおずおずと握り、その体温が温かいかを確認する。

 

(生きてる……)


 私はいつも通り表情筋を殺したままの公爵をゆっくりと仰ぎ見た。

 

 生きてる。

 生きてる。

 生きてる。

 生きてる。生きてる。生きてる……!


 ただそれだけで私の胸は華やぎ、これ以上ない幸せで満たされるのだ。


「カイン様……っ!」


 そうして私は満を持して飛び込む。

 愛する夫の胸の中へと!

 さぁ、これぞ感動の再会よ!――と人生一番のビッグウェーブに乗る私に対し、公爵は突然例の血判書を取り出すと、くるりとその裏側を指さした。



「ところでデボラ」

「はい?」

「『公爵は多分チョビ髭』――この走り書きは一体何だ?」

「……………」



 今まさに公爵の胸元に飛び込もうと両手を広げていた私は、そのポーズのまま固まる。

 あ……ああああああああああああああ、そ、それはぁぁぁぁーーーーーー!

 公爵の言う走り書きに目を通し、私は唐突に思い出す。

 今から五カ月半前、まだ公爵と顔を合わせていなかった頃。

 私は書いた。

 確かに書いた。

 アストレーに向かう途中の宿屋で『アストレー公爵殺害計画書』を。

 あの時、何気にトランクバスケットの中に入ってた書類って……血判状やその他組織の重要機密書類だったんだわ。そんな大切なものだとはつゆ知らず、私はチラシの裏代わりに、


 『絞殺・現実性薄』とか。

 『凶器か毒→要調達』とか。

  

 他人の目から見たら物騒極まりない殺害方法を色々考えて、それを馬鹿正直に全部メモしていたのだ。


「た、大変申し訳ございませんでしたぁぁぁーーーっっ! 重要書類とは知らず、その裏側に落書きしてすいませんでしたぁぁーーー!!」


 私は公爵の胸の中に飛び込むのではなく、彼の足元で再び究極のジャンピングドリル土下座を披露する羽目になった。


 突然やってきた信じられない奇跡の終幕は、こうして爆笑の渦に包まれたのだった。






次回からは種明かしパートに入ります。

主人公カップルのイチャイチャは、もうしばらくお待ち下さいw

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