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110 裏切りと友情




 私の裁判の日は、もう目前に迫っていた。





 だけど私がすることに変わりはない。

 ただ幽鬼のように公爵の名を呟き続けて、記憶の中の思い出に縋りついている。


 早く狂いたいと願えば願うほど、夢の中の公爵が私の意識を引き留め。

 彼への愛情が鋭い刃となって、私の心を激しく傷つけた。


 でももうすぐ――それも終わり。

 私はやっと、死ぬことかできる。

 法廷で私は黙秘を貫き、一切の反論はしないつもりだ。

 余計なことを喋ってデボビッチ家のみんなに迷惑をかけることを避けたかったし、何よりそんなことをしても無駄だと言う諦めが、すでについている。


 ただもしも死刑になる時は、痛いのはいやだな……とか。

 天国まで追いついたら公爵に叱られちゃうな……とか。


 そんな些細なことを夢うつつの状態でぼんやりと考えていた。











『デボラ……デボラ……』


 そして裁判を翌日に控えた夜、私は夢を見た。

 誰かが私を呼んでいる。

 それが公爵であることを願ったのだけれど。


『デボラ、いいか。ここに隠した書類については他言無用だ。お前が中身を確認することも許さん』

『はい、叔父様……』


 なのに夢に出てきたのは、もう思い出したくもないイクセル叔父様だった。

 夢の中の私は叔父様が振るう暴力に疲れ、今の私と同じような生気のない顔をしている。


『従い……ます。叔父様の言うことは、何でも全て』


 何もかも諦めてしまった少女の暗くて陰鬱な顔。

 ああ、そうか。

 私はまた、あの頃の私に戻ってしまったのね。

 だから忘れていたはずの記憶が、今頃甦ってきたんだわ。


 ………ん? ちょっと待って。

 書類?

 今、叔父様は書類を隠したと言ったの?


『ああ、そうだ。この薄汚いトランクバスケットの中でいいな。まさかこんな汚い鞄に、血判書が隠されているとは誰も思わないだろう』


 そう言ってイクセル叔父様は、私の部屋に置かれていた古いトランクバスケットに目を付けた。

 え。嘘。あれが血判状!?

 そんな不用心な所に、まさか究極の証拠を隠していたなんて!


『……ラ様………』


 そこまで思い出してふと、今度は別の方角から叔父様じゃない声が聞こえてきた。

 誰?

 私はもうずっと眠っていたいの。

 お願いだから起こさないで。


『デボラ様……』


 その声はまるで鈴の音のように高く澄んでいて、でもどこか必死さを滲ませている。暗闇の底まで落ちた私の視界に、まるで一筋の光が射し込んだかのよう。


『デボラ様、しっかりして下さい! 私が分かりますか? デボラ様! デボラ様!』


 その声になぜか心惹かれて、私は閉じていた目をゆっくりと開ける。

 すると鉄格子の向こうに、牢屋には全くふさわしくない可憐な美少女がいた。



「デボラ様! ああよかった、目が覚めて。もしかして死んじゃってるのかと思いました……」


「ルーナ……」



 そう、仄暗い牢屋には、なぜか漆黒のローブを身に着けたルーナの姿があった。

 私は鉛のように重たい体を何とか動かして、ルーナへと近づく。


「ルーナ、あなたがどうしてここに……」

 

 不思議だった。

 私が収監されてからというもの、面会の全ては厳しく制限されている。

 夫殺しで世間を騒がせている、今王都で最も注目されている悪女。

 その脱獄を防ぐために、二重三重の監視網が敷かれているのだ。

 

「今、顔だけ皇子……ううん、エルハルド殿下が視察の名目でこの監獄を訪れています。それに合わせてロクサーヌが裏から手を回してくれて、ほんの少しだけここまで忍び込むことができました」

「いや、だからって……」

 

 ルーナの説明を聞いて、私は呆れた。

 どうやら私の知らない間に、エルハルドやロクサーヌが色々動いてくれているようだ。

 でももし看守の誰かに見つかりでもしたら、ルーナもただじゃすまない。最悪私の脱獄を計画した罪で、彼女まで逮捕されるかもしれないのだ。


「何やってるの。早く帰りなさい。あなたまで危険を冒す必要なんてないのよ」

「いいえ、帰りません。デボラ様をこんな目に遭わせた張本人は、私なんですから」


 ルーナは菫色の瞳に大粒の涙をためると、くしゃりと表情を崩してその場で土下座する。


「ごめん……ごめんなさい。私のせいで。私があんな馬鹿なことをしたから、カイン様もデボラ様も不幸にしてしまいました。謝って許されることじゃないのは承知しています。それでも私、デボラ様には生きて頂きたいのです。だからみんなの反対を押し切って、ここまでやってきました」

「ルーナ……」


 冷たい石の床に額をこすりつけるルーナの手を、私は鉄格子越しに握った。ルーナの顔はもう涙でぐしゃぐしゃになっていて、せっかくの美少女が台無しだ。


「もう……いいの。わかってる。あなたとカイン様の間には、何もなかったってこと」

「デボラ様……っ」


 私がそう指摘すると、再びルーナの眦から涙があふれた。

 そう……少し冷静になって考えればわかること。

 公爵とルーナのあの浮気騒動は、私に夫殺しの罪を着せるための茶番だった。もちろん計画したのはセシルだ。わざわざ浮気相手に私の友人を選ぶあたり、趣味の悪さ全開だ。


「やっぱりデボラ様には何でもわかっちゃうんですね。それだけカイン様を愛していらっしゃった。なのに私……」


 ルーナは小さく体を震わせながら、私を裏切らねばならなかったあの日の真相を語りだす。


「謝ってすむことじゃないけれど、本当にごめんなさい。でも兄を盾に取られたら、馬鹿な私は敵の言いなりになるしかなくて……」

「お兄様って…マリウス様?」

「はい」


 ルーナはしゃくりを上げながらも、必死に呼吸を(なら)しながら話を続ける。


「ロクサーヌからお聞きになりましたよね。私が伯爵家に引き取られた本当の理由……」

「ええ」

「ホント、クソみたいな家ですよね。私、父が大嫌いです。自分のことしか考えず、私の母を不幸にしたあの男が」

「………」

「でもお兄様だけは……。あの人だけは本当に私に優しくしてくれました。自分こそ病気でお辛いのに、妹の私を本当に心配してくれて。父の思惑通りに婿取りなんてしなくていい。いざという時は自分がルーナを守る。そう言ってくれて……」

「いいお兄様じゃない」


 ロクサーヌの話を聞いてから、実はルーナはロントルモン伯爵家に引き取られて不幸だったんじゃないかと思っていた。けれど異母兄と心を通わせることができて、ルーナにはそれが唯一の救いだったのかもしれない。


「それで実は兄の心臓の病の薬として、我が家はカシュオーンからニライを個人的に輸入しているんです」

「ニライって……確かアリッツ様達の暗殺に使われた?」

「そうです。ニライは少量の服用ならば強心剤にもなるんです。でもそれが我が家から何者かに盗まれて……」

「えと、つまりそれが……」

「はい、暗殺用に使われてしまいました。あの騒ぎがあった後、ロントルモン伯爵家は正体不明の敵に脅されたんです。毒の出所を知られたくなければ、言うことを聞け……と。父は身に覚えのない王族暗殺の咎で捕まるのはまっぴらだと、すぐに敵に服従してしまいました」

「………」

「もちろん私は反対したんですよ。そんな怪しい奴らなんて信用できないし、デボラ様やカイン様に相談すれば何とかしてもらえるかもしれないと思ったからです」

「でも、相談には来なかった」


 ルーナは少しだけ落ち着きを取り戻し、涙を拭いながら続きを話す。


「二重に脅されました。命令に従わないなら、もう二度と伯爵家はニライを手に入れられない。個人輸入を差し止めるくらいわけないことだと」

「そっか。つまりお兄さんを人質にとられたのね」


 こくん。

 そう申し訳なさそうに頷く姿さえ、やはりヒロインのルーナは可愛くて美しい。


「それで私、あの日は命令されるがまま、デボビッチ家を訪れました。最初は何をしたらいいのかわかりませんでした。ただ大人しく指示を待つように……って」

「………」

「でも何の指示もないまま、帰る時間がやってきました。あの後、私カイン様に呼ばれて執務室にお邪魔させて頂きましたよね? 実はあれ、ニライの毒についてのお話だったんです。カイン様は我が家があの薬を個人的に輸入していることを、すでにご存じだったんです」

「カイン様、やっぱりできる子だった……」


 今さらながら私は深いため息とともに、天を仰ぐ。

 きっとカイン様はルーナが毒の件で脅されている可能性を考えて、彼女と内密に話をしたかったんだわ。的外れな嫉妬に駆られたあの時の私が、まるで馬鹿みたい。


「でもそこでも私、本当のことを言えなくて……。カイン様も私の事情をお察しになったのか、きつく尋問されたりはしませんでした。その後すぐに帰りの馬車を手配して下さって」


 ルーナはそこでいったん言葉を切って、ぐすっと鼻を啜る。


「でも用意してもらった馬車に乗り込もうとした時、デボビッチ家のメイドさんに呼び止められたんです」

「メイド?」

「あの背が高いソニアと呼ばれていたメイドさんです」

「ソニア……が!?」


 もうどんな事実を聞かされようとも驚かないと思っていたのに、ルーナの口から意外な名が飛び出して、私は一瞬言葉を失ってしまった。


 なぜここでソニアが出てくるの?

 だって彼女は公爵が誰よりも信頼する使用人の一人だったはず………。

 

 絶対にありえないと思っていた事実を目の前に突き付けられ、私の頭は混乱した。


「ソニアさんに呼び止められた私は屋敷内に引き返して、彼女の部屋で待機するよう命令されました。そして深夜になって、もう一度カイン様の執務室まで来るようにと言われついていったら、カイン様がすでに睡眠薬か何かで眠らされていて」

「……」

「ソニアさんは私に全裸になって、カイン様と同じベッドに入るよう命令しました。あの人、何なんですか? 私が嫌だと言っても表情一つ変えないで。とにかくいうことを聞かなければ、後はどうなっても知らないって言われて、私、結局……」

「………」


 ルーナは俯き、また堪えられなくなったのかボロボロと大粒の涙をこぼした。

 つまり今までの話を真実とするなら、浮気騒動を手引きしたのはソニアだったのだ。

 彼女がどうしてセシルの策略に加担したのかはわからない。

 でも真の裏切り者はルーナではなく――彼女。


「言われてみれば、私、あの直前に散々ソニアに不安を煽られてた気がする。カイン様が側室を持つ可能性を指摘されたり……」

「なんですか、それ。カイン様が側室なんて持つはずないじゃないですか!」


 ルーナは両手を振り上げてムキーッ!と怒り出した。こんな絶望的な状況なのに、彼女のその純粋さが眩しくて、私は思わず目を細めてしまう。


「私、カイン様のこと好きでしたけど……でもそれは叶うはずのない恋だからこそ、安心できていたと言うか。お兄様は婿取りしなくていいと仰ってくれたけど、そういう訳にはいかないこともわかっていました。だから家のために結婚するまでは、憧れでもいいから恋がしたかったんです……」

「ルーナ……」

「それにデボラ様みたいに私をあんまり好きじゃなさそうな人のほうが、友達になるには好都合かなって……。ごめんなさい。本当の友達になったら別れが辛いから。私はいずれ婿取りして伯爵家に縛り付けられることが分かっていたから、だから私……」

「もういい。もういいよ、ルーナ」


 私は何度も何度も謝るルーナの肩を、優しく撫でた。

 私の方こそごめんね、ルーナ。

 前世の記憶に引っ張られたせいで、私もちゃんとあなたという一人の女の子を見ていなかった。

 ゲームの中では完全無欠のヒロインでも、この世界で生きるルーナには辛いことも悲しいこともたくさんあったはずなのに。

 

 そして私がこんな最悪の状況になったというのに、あなたは自分の危険を顧みず牢獄まで会いに来てくれた。

 もうそれで充分。

 あなたの優しさと勇気が、狂いかけていた私の心をほんの少しだけこちら側に引き戻した。



「私達、友達、でしょ? ルーナ」

「うううう……デボラ様ぁ~~っっ!」




 私達二人はお互いに涙交じりになりながら、固く固く手を繋ぐ。


 それは悪女である私とヒロインのルーナが、本当の友情で結ばれた瞬間だった。







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