107 亡霊は嗤う3
一度奈落の底に落ちながらも、そこから華麗な復活を果たしたセシルは、ある意味有頂天になっていた。普段は白い法衣のフードで顔を隠しながら、小姓の一人としてマグノリアに付き従う。
だがそんなセシルに大打撃を加えたのは、他ならぬデボラとその夫・カインだった。
「あの方は……?」
「まさか……アストレー公爵!?」
「え? あの変わり者の!?」
「あの公爵が公の場に姿を現すなんて、一体いつぶりだ?」
王宮で新年の舞踏会が開かれたあの日。セシルもまたマグノリアの付き添いとして、王宮の玄関ホールにいた。
するとマーティソン家没落の元凶となったアストレー公爵の目撃談が耳に飛びこんできた。
いや、そればかりか。
「それに公爵が連れているあのご令嬢は……」
「確かアストレー伯爵は、また新しい妻を娶ったと聞いているぞ」
「ならばあれが新しい公爵夫人か。まだ若いじゃないか」
なんとアストレー公爵の隣には、大輪の花のように咲き誇るかつての姉――デボラの姿があった。
――あれが本当にデボラ姉様なの?
セシルは大きく目を見開き、愕然とする。
デボラは元々美しい少女ではあったが、カインに嫁いでからはその美しさにさらに磨きがかかっていた。セシルさえ知らなかったデボラの本当の美しさを引き出したアストレー公爵が、セシルは憎くて憎くてたまらなかった。
(まさか姉様があの後本当にアストレー公爵のもとに嫁いでいたなんて……。しかもなんだよ、あの幸せそうな顔! 僕は一度底辺まで落ちたって言うのに!)
その時のセシルの悔しさは、とても言葉では言い表せない。
とっくに野垂れ死んだとばかり思っていた女が、自分以上の栄光と幸せを掴んでいたのだ。
そんなこと、とてもじゃないが許せることではない。
この時、セシルの心の中で激しい憎悪の炎が渦巻いた。
いいか、このままではおかない。
デボラ姉様だけ幸せにしてたまるもんか。
それに姉様はアストレー公爵のものじゃない。
今も昔も僕のものだ――!
セシルの歪んだ愛情はやがて全ての事件を引き起こす動機となり、デボラの周りでトラブルが頻発する要因ともなった。
× × ×
「じゃああの舞踏会の時、背中に感じた視線は――」
「そう、僕だよ。僕はあれからずうっとデボラ姉様のことを監視してたんだ」
セシルは夢見るように、これまでのことを振り返った。
その間も私の全身には鳥肌が立ち、血管を流れる血が全て凍ったかのような錯覚に襲われる。
そんな前からセシルが暗躍していたなんて、ちっとも気づかなかった。
私は今までどれほど盲目だったのだろう。
「姉様、僕の姿を見ても、ちっとも気づかなかったよね。そうそう、おにぎり……だっけ? あれ、不思議な食べ物だよね」
「あ、あの時おにぎりを受け取ったのは……」
「だから僕だって」
セシルは細かく肩を揺らしながら、愉快そうに笑う。
「被災者支援物資をデボビッチ家で一時預かってもらった時も、僕、マグノリア様の代わりに挨拶に行ったでしょう? 覚えてない?」
「あ、あれもセシルだったの……」
「本当、残念。今度こそは気づいてくれるかと思ったのに」
「――」
こうしてセシルは無知な私を嘲笑うように、実は何度も私達の前に姿を現していた。
記憶にある姿と違うとか、声が違うとか、フードで顔が隠れていたからとか、そんなことは何の言い訳にもならない。私はこれだけ大きなヒントを与えられながら、それらを全て見逃してしまったのだ。
セシルが生きているという可能性を微塵も考えないで、【白木蓮の子供達】のことも、ただの『小姓の集団』という記号でしか見ていなかった。
だから目の前にあったはずの真実に、気づくのが遅れてしまったのだ。
「じゃあエルハルドやアリッツを暗殺しようとしたのは……なぜ?」
そこで私は、最もセシルらしくない行動だと思ったことを尋ねた。
私の周りで起こった様々な事件や嫌がらせは、セシルの計画だった。うん、それは納得した。
でもこの国の王族を暗殺することが、セシルにとってどんなメリットがあるのか。それだけがわからないのだ。
「ああ、あれねぇ。あれだけは僕じゃなく、マグノリアお母様の発案なんだ」
セシルは困ったように肩を竦め、マグノリア様に視線を向ける。マグノリア様はどこかぼうっとした様子で、古い子守唄を口ずさんでいた。
「見ればわかるでしょ? マグノリア様の心は、亡くした皇子のことでいっぱいだ。婚約者とフレデリク皇子さえ生きていれば、マグノリア様は王妃として幸せな一生を送れたに違いないからね」
「……」
「だからボケてしまった今も、昔の夢から醒めることができないでいる。ううん、むしろボケてしまったからこそ、昔見た叶わぬ夢がより鮮明になった。あの王都の災害支援で三人の皇子の評判が上がってしまって、マグノリア様は怒りで発狂してたよ」
「発狂?」
「マグノリア様は自分の息子――つまり僕こそが王位に就くべきだと、本気で信じている。だから王位継承権を持つ全ての王族が邪魔になったんだ」
「そんなことが……暗殺事件の動機なの!?」
私は思わず声を荒げた。
どんなにマグノリア様が願ったところで、王家の血を引かないセシルが王位に就けるはずがない。そんなあり得ない妄想のために、リゼルやアリッツ……ラヴィリナ様は犠牲になったの!?
「仕方ないでしょ。いくらボケたとはいえ、組織のトップに立っているのは今もマグノリア様なんだから。いくら僕でも表立って彼女の命令には逆らえない」
「だ、だからって……」
「ただし暗殺も全部失敗しちゃって、マグノリア様はまたまた激しくお怒りだったよ。腕のいいプロの殺し屋は、みんなここ数カ月の間に組織から抜けちゃったから、当然と言えば当然だけどね」
と、そこでセシルは忌々し気にハリエットに視線を向ける。
「だから今は流れでも腕がいい奴なら、無条件で雇ってるってわけ」
「へへっ、俺にしてみればありがたいことです」
ハリエットは咥えた煙草をゆらゆらと揺らしながら、不穏に笑う。
今まであちらこちら散らばっていたパズルのピースが見事に一か所に集まり、ようやく一つの絵として完成しようとしていた。
「さぁ、このくらいで満足した? 姉様のために全てを話すようにマグノリア様にもお願いしてあったんだ。だって何も知らないまま、死んでいくのはかわいそうでしょう?」
「死……」
そこで私は再び、今自分の置かれた状況に気づいた。
どうしよう、やっぱりセシルは私を殺す気だ。
これだけ深い恨みを買っているのだから、今さら命乞いしたところで助けてはくれないだろう。
ああ、ごめんなさい、カイン様。
決して最後まで生きることを諦めちゃダメだと思ってたのに……。
それでも私はどうしてもこの子だけには……勝てないのです。
「……から」
「え?」
「カイン様は……セシルには絶対負けない……から」
「――」
それでも私は、最後のなけなしの勇気を振り絞って、セシルに抵抗する。
私自身がセシルに勝つのは無理だ。
でもきっと公爵ならば、この子の悪事を全て打ち砕いてくれるはず。
「セシル、あなたのことはきっとカイン様が裁いてくれるわ。あの方はとても優秀な領主で……あなたの杜撰な計画なんてお見通しのはずだもの」
「ああ、カインってあの冷血公爵のこと? 随分あいつを信頼してるんだねぇ?」
私が公爵の名を口にした刹那、セシルの面から笑みが消えた。さらにセシルはつかつかと私に歩み寄ると、私の髪を乱暴に掴み上げたのだ。
「まさかあいつに本気で惚れちゃってるわけ? あんたが? ふざけないでよ。デボラ姉様は今も昔も僕だけのものでしょ?」
「い、いた……っ、セシル、やめてっ!」
「まだあいつに抱かれてもいないくせに、いっぱしの公爵夫人気取り? だったらそんな中途半端な人生、僕がぶっ壊してあげる」
「……っ!」
セシルは私の髪を掴んだまま、大声で高笑いした。
その姿はまさに狂気そのものだ。
この子は私を不幸に落とすことだけを、生き甲斐にしている。
考えようによっては、なんて悲しい子供だろう。
「それにあいつは組織にとっても大きな癌なんだよ。スチュアート商会の件で、グレイス・コピーの密輸がますますやりづらくなった。でもさ、僕いいこと考えたんだ」
「いいこと?」
「うん、姉様を最大限の不幸に落としつつ、それでいて組織が今後も存続できるいい方法を」
セシルは口角を斜めに上げ、再び不気味に笑いだした。
だけどそのセシルの言葉を全否定する人物が、突然この場に現れる。
「………ふん、ならばそのいい方法とやらを、今すぐ教えてもらおうか」
「!」
「!」
突然教会の入り口方面から響き渡る超イケボ。
私もセシルも、慌てて背後を振り返る。
するとすぐ近くにいたハリエットが、へらへらと笑って首をすぼめる。
「すいません、セシル様。どうやら待ち合わせ相手は随分せっかちな性格のようで、予定より5分ほど早く着いたようです」
「………ちっ」
低く舌打ちをするセシルの肩越しに、私はその人の姿を視界に映す。
嘘。
嘘。
なんであなたがこんな場所に。
喜びより先に私の心を支配したのは、この世で一番大切な人までもが危険に巻き込まれたという恐怖。
「ようこそ、カイン=キール=デボビッチ公爵。我が姉が大変お世話になっております」
「おまえが偉そうにデボラの名を語るな、クソガキ」
優雅にお辞儀するセシルに対し、暗黒オーラマシマシで接する公爵。
とうとうこの国の命運を左右する二人が、深夜の教会内で対峙した。




