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106 亡霊は嗤う2




「セ、セシルが殺したの? イクセル叔父様とリーザ叔母様……を? そんな……そんなことって……」


 月明かりが朽ちた教会内をぼんやりと照らす中、セシルから語られる事実はあまりに衝撃的だった。

 かつての私は、叔父様達を殺した犯人は公爵だと誤解していた。

 だけど被害者だと思われていたセシルが、まさかの真犯人だったなんて。

 しかもこの口ぶりから察するに、セシルは両親を殺したことを一切後悔していない。セシルのサイコパスぶりを久しぶりに目の当たりにした私は、文字通り言葉を失った。


「だってしょうがないじゃない。お父様は自分の力を過信しすぎたんだよ。なんで僕がそれに巻き込まれなきゃいけないの。ミスを犯したのはお父様。だから死ななきゃいけないのもお父様。あ、ちなみにお母様を殺してあげたのは、僕の優しさだよ。だってあの人がお父様の庇護なしで、ひとり生きていけると思う?」

「だ、だからって……」


 可愛らしく唇を尖らせるセシルは、本気で自分のしたことは正しいと信じているようだ。実の息子に殺されたイクセル叔父様やリーザ叔母様は、どれだけショックを受けただろう。


「それでさぁ、僕、ほとぼりが冷めるのを待って、翌日にデボラ姉様の部屋を調べに行ったんだよね。例の血判状を探しにさ」

「!」


 そうだ、血判状。

 マグノリア様さえも追い詰めることができるという究極の証拠。叔父様は確か私の部屋のどこかに隠したと言ってたのよね?


「でも探しても探してもそんなもの、どこにもなくてさぁ。デボラ姉様、もしかしてどこかに持ち出した?」

「し、知らない! 叔父様が私の部屋にそんなものを隠してたって、今日初めて知ったくらいよ!?」

「えー、本当にぃ?」

「本当よ。本当に覚えがないの……」

 

 私は両手で頭を抱え、必死に嗚咽を堪えた。するとセシルが私の目の縁にたまった涙を、優しく指先で拭いとってくれる。

 

「もう、泣き虫だなぁ、姉様は。いいよ、姉様が知らないってことはまだ誰も手に入れてないってことでしょ」

「セシル……」

「実際デボビッチ本邸の姉様の部屋を調べさせたけど、本当に何も出てこなかったしね」

「あれもセシルの仕業?」

「うーん、僕は命令しただけだけで、実行犯は別だけどね。あ、だからってまだ完全に疑いが晴れたわけじゃないよ? そういうことならアストレーのデボビッチ邸も調べないといけないね」

「……っ!」


 セシルの言葉に、私の背筋は再び凍り付いた。

 それは言い換えれば血判状の在りかが分からない状態が続けば、いずれアストレーのデボビッチ邸にもセシルの魔の手が伸びるということだからだ。

 イルマやマリアンナ、ノアレにフィオナにケストラン……。

 私はアストレーにいる大事なみんなを、人質にとられたも同然だった。


「あと何分?」

「ざっと見積もって、15分くらいですかねぇ……」


 そしてセシルは再び後方のハリエットに時間を尋ねる。ハリエットもまた淡々と、その質問に答えた。


「まだ時間はあるみたいだね。じゃ姉様の次の質問に答えよっか」

「………」

「僕とマグノリア様の関係を知りたがってたっけ? でも見たとおりだよ。マグノリア様はお母様で、僕はその息子」

「そんなわけないじゃない!」


 私は思わず声を荒げて、セシルの言葉を否定した。

 その声に反応したのはセシルではなく、なんと事態を静観していたマグノリア様だ。


「まぁ、なんて口の悪い。あなた、今目の前にいるのが誰だかわかってないの?」

「……え?」

「ひれ伏しなさい。この子こそがいずれこのヴァルバンダの王となる者。天国から帰ってきた私の息子・フレデリクよ」


 そう言ってマグノリア様はセシルに手招きすると、愛おしそうにその体を抱きしめた。セシルもまたマグノリア様に言われるがまま、無防備に体を預けている。


「そうよ、この子は天に召された後、再び私のもとに帰ってきてくれた。可愛いフレデリク。ナタナエル様と同じ金の髪に露草色の瞳。間違えるはずがないわ」

「……え?」


 どこか恍惚とした表情のマグノリア様は、完全に目がイっていた。

 どう考えても普通の状態じゃない。

 そんなマグノリア様が空恐ろしくなって、私はごくりと生唾を飲み込む。


「この状態のマグノリア様に何を言っても無駄だよ、姉様。だってマグノリア様は今、幸せな夢の世界にいるんだから」

「……は?」

「ホーント幸運だったよ。僕が救貧院に保護された頃から、すでにマグノリア様のまだらボケは始まっていたからね」

「まだらボケ!?」


 またまた衝撃の単語がセシルの口から飛び出し、私は身を固くする。

 まだらボケって言うと……つまりマグノリア様は、アルツハイマー型認知症って事!?

 だってこの前までそんな素振りは全然……。

 …………。

 ………………。

 ………………………。

 あ、待って。そう言えばマグノリア様は、なぜか私の名前を何回も何回も間違えてた。もしかしてあれが認知症の兆候なのかも?


「僕あの時に確信したんだ。やっぱり天は僕に味方したんだって……ね」


 ニヤリとマグノリア様の腕の中で微笑むセシルは、悪魔のような美しさだった。

 そうしてますます夜が更けていく中、再びセシルの独白が始まった。





           ×   ×   ×





 マグノリア救貧院に保護されたと言っても、その日からセシルの待遇がすぐに良くなったわけではなかった。

 むしろ他の孤児と一緒くたにされ、狭い部屋に何日も何日も押し込まれた。

 容姿と才能と運に恵まれた者は、【白木蓮(マグノリア)の子供達】として召し上げられることもあったが、セシルは少し年をとりすぎていた。マグノリアが小姓として愛するのは、まだ穢れを知らない年少の男子に限られていたのだ。


(くそ、ここに来たのは間違いだったか? こんなことじゃ何年も底辺から抜け出せないぞ……)


 救貧院に身を寄せてから一か月ほど経ったある日。麻薬密売組織について何の成果も上げられずにいたセシルは、焦りの極致にいた。

 元々がわがままで気性の荒い少年である。下町で拾われた薄汚い孤児と、貴族である自分が同等の扱いをされることに、怒りが爆発しそうになっていたのだ。

 しかしセシルにとって幸運だったのは、救貧院で他の孤児らと共に畑仕事をしている時、たまたまマグノリアが見回りにやってきたこと。


「……フレデリク?」

「――?」


 マグノリアはセシルの姿を見た途端、大きく目を見開きボロボロと涙を零し始めた。しかもセシルを『フレデリク』と呼び、突然駆け寄ってきたかと思ったら、全力で抱きしめたのだ。


「ああ、フレデリク! なんてナタナエル様にそっくりなの!? 私にはわかります。あなたはフレデリクの生まれ変わりね? 神よ、心から感謝します……!」


 最初、マグノリアに抱きしめられた時、セシル自身も一体何が起きているのかさっぱりわからなかった。しかしこの国一番の人格者として知られ、救貧院を運営するマグノリアに気に入られて損はない。

 セシルはとっさに機転を利かせ、彼女が求めているであろう役割を演じた。


「ええ、お母様。フレデリクです。僕もずっとお会いしたかった」










 その後、マグノリアの側近からマグノリアは数カ月前から脳の病を発症していると聞かされた。そのため彼女は正気でいる時間と、夢見ている時間を行ったり来たりしていると言う。もちろん対外的にこの秘密は伏せられ、救貧院内でも禁句となっていた。

 過去に対する認識が曖昧となり、かつて亡くした婚約者と息子を恋しがることが増えたというマグノリア。そこに現れたのが、偶然ナタナエルとよく似た容姿のセシルだったのだ。

 アルツハイマー型認知症に罹り、自分の都合のいい妄想の世界の住人となっていたマグノリアは、長い間待ち焦がれていた息子の帰還に歓喜した。


「もう二度と離さないわ、フレデリク。今度こそお母様があなたを幸せにしてあげる。あなたはいずれこの国の王となる皇子。我がヴァルバンダの至宝なのですから」

「……嬉しい、お母様」


 そしてその日以降、セシルはマグノリアの小姓としていきなり最上位の地位につき、彼女の寵愛を受けることになった。

 これを悪運と言わずして、なんと言おうか。

 セシルは笑いが止まらなかった。

 やはり天は自分に味方している。

 どんな困難に陥ろうとも、それに打ち勝つ術が予め用意されているのだ。


 その日から、セシルはマグノリアの息子として裏社会で生きることになった。

 セシルが甘くねだれば、マグノリアはどんなわがままも叶えてくれる。マグノリアが愛する息子の前で正体を隠すはずもなく、セシルは難なく彼女が【祝福(グレイス)】であることを突き止めた。


 では完全無欠のボスが脳の病を患った密輸組織はどうなったのか。

 もちろん今まで通り安泰……と言う訳にはいかなかった。


 今まで【祝福(グレイス)】率いる組織がここまで大きく成長できたのは、ひとえにマグノリア個人の優秀さゆえ。第一皇子・クロヴィスさえ手玉にとり、狡猾に立ち回れたのはマグノリアの長年の経験あってこそのこと。


 しかしその頭脳と才能が失われることが確定し、組織の屋台骨自体が揺らぎ始めた。

 もちろん今までどおりマグノリアに忠誠を誓う者もいたが、優秀な人材は我先にと泥船から逃げ始める。

 そして優秀な人材が去ったことが、これまたセシルにとって有利に働いた。

 マグノリアの寵愛を一身に受けるセシルに、口出しできる者がいなくなったのである。

 マグノリアはセシルが右と言えば右を向き、左と言えば左を向く。

 まさにミイラ取りがミイラになった瞬間だった。



 こうしてロクサーヌが予想していた通り【祝福(グレイス)】は密かに代替わりし、その指揮系統は大きく乱れることになった。

 しかしセシルは確信する。


 自分こそが次代の【祝福(グレイス)】。

 この国を変えることができるほどの巨大な力は、与えらるべくして天から与えられたのだ――と。





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