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104 黄泉がえる亡霊




 舗装されていないデコボコした山道を、馬車はかなりのスピードで走っていた。

 チョビ髭の邸宅に軟禁されていた私はようやく用意が整ったということで、ハリエット主導の下、またどこかへと強制移動させられる。

 今回は気絶させられることはなかったけれど、手枷と目隠しをされている状態なので、辺りの様子をうかがい知ることはできない。

 時刻はおそらく深夜に近い。でもわかるのはその程度で、私の足元からは恐怖という恐怖が立ち上った。


「ねぇ、ハリエット。この馬車は一体どこに向かってるの?」

「とりあえず祝福(グレイス)から指定された場所……ですね。目的地は郊外の森を抜けたところにあります。俺も初めて行く場所ですが」

「そ、そう……」

 

 結局あれからどうにかチョビ髭の監視から逃げられないかと色々試したけれど、脱出することは不可能だった。

 このままじゃ私は祝福(グレイス)のもとに連れていかれた後、叔父様達のように口封じで殺される可能性が高い。例の血判状の在り処を私が本当に知らないと悟れば、彼らが私を生かしておくメリットはゼロになるからだ。


「ねぇ、ハリエット」

「はい、なんです?」


 馬車の中には今、私とハリエットしかいない。

 数人の男達が馬で並走しているみたいだけど、この時がハリエットと交渉できる最後のチャンスだ。


「あなた確か、流れの殺し屋だと言っていたわね?」

「ええ、まぁ。それがどうかしました?」

「ということは、お金次第ではこっち側につくこともあり得るわよね?」

「………」


 そう、ずばり私はハリエットを買収しにかかった。

 お金を払うのは実質デボビッチ家になってしまうけど、こうなったら背に腹は代えられない。

 あのコーリキとジョシュアを一瞬で制圧できるほどの実力を持つハリエット。彼を味方にできたなら、私はまだこの場から逃走することが可能なはずだ。


「なるほど、そう来ましたか……」

「お願い、お金はあなたの言い値分だけ払うわ。だから私を目的地とやらに着く前に逃がしてちょうだい」

「………」


 私は必死にハリエットに頼み込む。馬車の中は彼が吐き出す煙草の煙で充満した。


「随分見くびられたもんですねぇ」

「……え?」

「確かに俺は流れの殺し屋です。でもだからって、誰彼構わず雇われているわけじゃない。金以上の理由があって、俺は俺の信念で動いてるんですよ」

「………」


 そう語るハリエットの声には、わずかな怒気が含まれていた。

 ま、まずいわ。どうやらハリエットを味方につけるどころか、私は彼を怒らせてしまったみたい。


「なんで? どうして麻薬でみんなを苦しめるような奴に忠誠を誓うの?」

「それならどうしてあなたはそんなにアストレー公爵を慕うのです? 言葉で説明できますか?」

「それ、は……」


 公爵をどうして好きになったのかなんて、確かに言葉ではうまく言い表せない。

 だって気づいた時には、もうとっくに私は恋に落ちていたのだから。


「人の心なんてそんなもんです。他人の心を自分の物差しで測って、動かそうとしちゃあいけない。そんなことをすればいつか痛いしっぺ返しを食うことになる」

「………」

「まぁ、そんな訳ですいませんね。こうして話している間に、どうやら目的地に着いたようです」

「!」


 私はとうとうここでタイムアップを迎えてしまった。

 ガタガタと揺れていた馬車がどこかに停まり、ドアが開けられる音がする。


「おい、降りろ」

「………」

 

 外から威圧的に命令されても、私はすぐに立つことができなかった。

 恐怖で足が竦み、心臓もバクバクと早鐘を打っている。

 ………殺される。

 これから向かう場所が死刑台だと知っていて、それでも勇気をもって立ち向かえる人間がどれだけいるだろう。

 しかも私は凡人中の凡人だ。

 誰か助けて。

 弱気で臆病な私は、今でも誰かが奇跡的に助けに来てくれないかと、都合のいいことばかり考えている。


(カイン様、ハロルド、イルマ、ヴェイン、エヴァ、レベッカ、コーリキ、ジョシュア、それにロクサーヌやジルベール……)


 それでも必死に私の意識をつなぎとめたのは、あの優しい人達の笑顔だ。

 あの笑顔を守るために私ができることを、最後まで諦めちゃいけない。

 精一杯できるだけ足搔ききって、何としてでも生き延びなくちゃ!

 私はパン!と自分の頬を両手で叩き、気合を入れ直す。


(よぉぉぉし、来るなら来なさい! 悪役中の悪役デボラ=デボビッチを舐めんじゃないわよ!)


 そうして私は言われるがまま馬車を降りる。もう隠す必要がなくなったのか、目隠しだけは外された。

 辺りを見回せば、鬱蒼とした木々が、風に煽られてざわざわとその枝を大きく揺らしている。

 その中にポツンと建っている煉瓦造りの古い教会。

 雲間から漏れる月光が、まるで天使の梯子のように教会全体を淡く照らしていた。

 

「では行きましょうか」

「……」


 ハリエットが歩き出したのを見て、私も大人しく後に従う。

 教会の扉は半分朽ちていて、壁にはたくさんの蔦が絡みついている。中もかなりの間放置されていたようで荒れ放題だ。

 ただし中央の教壇にはいくつかランタンが掲げられていて、その周囲だけはほんのりと明るかった。


(誰か教壇に立ってる……)


 さらに教会の最奥には半分以上割れてしまった、ステンドグラスの残骸が飾られていた。

 ぎしぎしと軋む木の床を踏みしめながら、私は必死に薄闇の中で目を凝らす。


(ああ、やっぱり……)


 そして一歩一歩教壇に近づくにつれ、そこに立つ人のシルエットが明らかになり、私は諦めに似たため息を零した。

 今まで信じられなかった。

 信じたくなかった。

 でも予想していた通りの人物が、私を朽ちた教会で待っていたのだ。




「ごきげんよう、アストレー公爵夫人」


「……マグノリア様」




 そう、私を捕らえ、尋問するためにこの教会に連れてきたのは、我が国で一番の人格者と讃えられ、民に慕われる聖母――マグノリア様だった。

 マグノリア様はもう自分の正体を隠す気がないのか、いつものように白い法衣を身に纏っている。

 ここまでくれば、もう意外性も何もない。彼女が密売組織のボスなんじゃないかと言うのは、私達みんなの予想通りだったからだ。


「ハリエット……と言いましたね、ここまで彼女を連れてきてくれて、ご苦労様でした」

「とんでもございません。また何か御用があれば、何なりとお申し付け下さい」


 ハリエットはハンチング帽を取って、マグノリア様の足元に片膝をつく。

 マグノリア様は当然一人ではなく、周りはいつものように【白木蓮(マグノリア)の子供達】で固められていた。さらに教会の入り口には見張りが2人。外にはもっとたくさんの手下達がいるだろう。

 手枷をつけられている状態で、しかもマグノリア様を出し抜いてこの場から逃げ出すことが、私に可能だろうか?


「無駄ですよ。ここにあなたを助けに来る者はいません」

「!?」


 私の考えを見透かすかのように、マグノリア様は静かな声で警告する。

 私は今にも(くずお)れそうな両足を叱咤し、強くマグノリア様を睨みつけた。


「あなたが” 祝福(グレイス)”だったのですか、マグノリア様」

祝福(グレイス)……。そう、祝福(グレイス)ね」


 マグノリア様はどこかうっとりとした顔つきで、私の質問に素直に答える。


「私はこの国にとっての祝福となるはずでした。第一皇子・ナタナエル様と結婚し、その皇子を産み、この国の国母となるべき存在だったのです」

「………」

「ですがナタナエル様が流行り病であっけなく亡くなり、当時すでに25歳だった私は、ある日突然用済みとなりました。このお腹にはナタナエル様の御子が宿っていたというのに」


 マグノリア様は当時のことを思い出したのか、悲しそうに自分のお腹に両手を当てた。先代の王はかなり長命で、在位期間も50年を超えていたと聞く。ならばナタナエル様とマグノリア様が当時すでに20代後半に入っていたのも、ある意味納得だ。


「私の懐妊が発覚した時、すでに第二皇子のゴンウォールが即位していました。それで私の父は私に子を堕ろすことを強要し、さらにはもうどこにも嫁げぬ体となった娘をヴァルバンダ正教会に放逐したのです」

「それって……」


 つまり先代のイグニアー公は政略結婚の駒として使えなくなったマグノリア様を、厄介払いしたってことよね?

 ああ、胸糞悪いったら!

 ルーナもそうだけど、女性が権力闘争の巻き添えになって、その末に不幸になる図式は今も昔も変わらない。

 

「そして全ての後ろ盾をなくし、強制的に聖職者の末端として生きるしかなくなった私が、教会でまともな生活を送れたと思う?」

「え?」

「でなくてもヴァルバンダ正教会は男社会。イグニアー家から見放された(とう)の立った女など、当時見向きもされませんでした」

「………」


 マグノリア様はまるで流れる水の如く、滔々と自分の過去をしゃべり続けた。

 あ、あれぇ? 確かマグノリア様って、血判状の在り処を尋問するために私を拉致した……のよね?

 にもかかわらず、さっきから本題そっちのけで過去の回想ばかりしてるんだけど、大丈夫?

 これっていわゆるあれよね。2時間サスペンスで崖に追い詰められた犯人が、突然刑事相手に長々と犯行動機を語りだす奴。

 あれってドラマの中の設定だけだと思ってたんだけど、現実的にこんなこともありえるんだ。


「けれどただの修道者でしかなかった私は、布教活動でカシュオーンを訪れた際にグレイスの存在を知りました。全ての病気をたちどころに治療できる奇跡の花。この花の繁殖に成功すれば、教会内での私の立場も優位にできる。当時の私はそう考えたのです」

「でもそれは……」


 本物ではなく、偽物のグレイス・コピーの方だったのでは?

 ――と口に出しかけたところで、これまた予想通りの答えが返ってくる。


「そうです。私が本物と信じたグレイスは偽物で、人を堕落させる麻薬の一種でした。でもそれに気づいた時はすでに手遅れ。カシュオーンの大臣・ラムザと密輸契約を交わしたことで私は莫大な富を得、それを資金に女の身で正司教の地位にまで上り詰めることができたのです」

「………」

「しかも……、ふふっ、ふふふ………」


 マグノリア様は小さく肩を揺らしたかと思うと、口元に手を当て不気味に笑いだす。


「不思議でしょう? 富を得れば得るほど、私を捨てたイグニアー家が厚顔無恥にもすり寄ってくるようになったのです。ほんの少し裏金を用意してやれば面白いようにこちらの言いなりになる。

……いいえ、イグニアーだけじゃない。カニンガムもその他名のある貴族達も、巨万の富を得た私にすれば、可愛らしく尻尾を振る犬でしかありませんでした。

この国を支えるはずの公爵家が次々と私の足元にひれ伏したのです。これが快感でなくて何なのでしょう? 

全ては私の思うがまま。全ては私が望むまま。

やはり私がこの国にとっての”祝福”なのです」

「そんな……そんな自分勝手な理由で多くの人を不幸にし、王位継承問題にまで口を出したっていうんですか!?」


 私はとうとう我慢できなくなって、マグノリア様に対して声を荒げてしまった。

 確かにマグノリア様の過去には同情できる点がたくさんある。もし私が同じ立場に立たされたなら、生き続けることさえ困難かもしれない。

 でもだからと言って、グレイス・コピーの密輸が正当化されるわけじゃない。

 彼女は聖職者として多くの民の希望となった。

 でもそれと同等数の人達を不幸にし、絶望に追い込んだのだ。


「あら、おかしいわね。事前に聞いていた話と違う……」

「――え?」

「アストレー公爵夫人。……いえ、マーティソン子爵令嬢。あなたは口答え一つできないほど従順で、扱いやすい人物だと聞いていたのだけれど」

「………………、はぁぁぁ~?」


 思わず私の喉から、間抜けな声が漏れてしまった。

 ちょ、一体誰よ!? そんなデマをマグノリア様に吹きこんだのは!

 自分で言うのもなんだけど、私は従順どころか一度噛みついた相手は決して放さないハイエナ並みの獰猛さよ!?

 マグノリア様も少し戸惑った様子で、背後の子供達を振り返る。




「ねぇ、これってどういうこと? フレデリク」


 



 そしてマグノリア様は、呼んだ。

 かつて流れてしまった、愛しい我が子の名前を。


 え? でもフレデリク皇子って、今までの話の流れからすると確実に存命していらっしゃらない……はずよね?

 それとも同姓同名の別の誰か?

 私はプチパニックを起こして、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。



「ごめんなさい、マグノリアお母様。どうやら姉様はこの五カ月足らずで、まるで人が変わってしまったようです」



   ―――――――――――――――――――――――っっ!!



 そして目深なフードをかぶった小姓達の中で、年長らしき少年のひとりが一歩前に進み出る。

 ………知らない。

 私はこんな声、聞いたことない。

 だってあの子は天使のようなボーイソプラノ。

 こんなハスキーボイスじゃなかったはず。

 けれど私のことを『姉様』と甘く呼ぶ人物は、この世でたった一人だけ――




「やだなぁ、デボラ姉様。たった五カ月僕がそばにいなかっただけでこんなに調子に乗っちゃうなんて。これも全部あの冷血公爵のせい? 僕、悔しいなぁ」


「セ、シル……」





 大きく崩れた屋根の上から燦燦と降り注ぐ月光を浴びて、その少年は微笑んだ。

 白いフードの下から現れたのは、光きらめく美しいハニーブロンド。

 一瞬女の子と間違えてしまいそうになるほど整った容姿。


 

 セシル=マーティソン。



 私を再び奈落の底へと突き落とすため、かつて弟だった少年は亡霊として――黄泉がえった。







これ以後、セシルに関するネタバレは未読の方のために、極力お控え下さるようお願い申し上げますm(_ _)m

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