103 牙を剥く死神2
以前もめちゃくちゃ反省したけど、私って本当に人を見る目がないのね。
第一弾・アストレーのマルク。
第二弾・目の前にいる胡散臭い記者・ハリエット。
どちらも親切そうな顔をして、実はクズ同然の悪党だったなんて。
しかも祝福の命令を受けたってことは、こいつは私達が追っている組織の一員だった……ってことよね? こいつらは例の血判状を探して私の部屋に盗みに入ったみたいだ。
くっそう、もう少し早くハリエットの怪しさに気づいていたら……。
またまた同じ失敗を繰り返してしまい、私は素で落ち込んだ。
「ジョシュア、急いでデボラ様を連れてこの場から離脱」
「了解っス!」
けれど以前の私と違うのは、頼もしい護衛が二人もついているってことよ!
コーリキは鞘から剣を抜き、目の前のハリエットと対峙している。ハリエットも鋭いナイフを構えているけれど、さすがに剣の名手であるコーリキに勝てるわけない。
いけいけコーリキ! GOGOコーリキ!
今ここに応援のペンライトがないのが悔しいくらいだわ。
「おやおや、俺とやり合うつもりですか」
けれど眼光鋭いコーリキを前にしても、ハリエットは相変わらず余裕の態度だ。
ちょっとハリエット、負け惜しみはやめなさい! あんたみたいな昼行燈がコーリキに勝てるわけないでしょ!
「それじゃあ力ずくで奪うしかないかなぁ♪」
「……くっ!」
次の瞬間、ハリエットは大きく踏み込んだかと思うと、コーリキに向かってジャックナイフを突き立てた。当然コーリキはそれを剣で受け止め、強く弾き返す。
「申し訳ないが、あなたにはここで私達に捕まって頂きます」
「ふーん、一度攻撃をかわしたくらいで随分余裕だねぇ?」
剣とナイフ。あまりにもリーチが違い過ぎて、ハリエットはなかなかコーリキの間合いに入れない。それでも相変わらずニヤニヤしてるもんだから、不気味さにより拍車がかかってる。
「デボラ様、逃げるっス!」
「う、うん!」
コーリキが時間を稼いでくれている間に、私達は門前に停めてある馬車に向かって走り出す。私を守りながらじゃコーリキもジョシュアも、実力の半分も出せない。悔しいがここは逃げるが勝ちだ!
「あー、だめですよぉ、動いちゃ」
けれどジョシュアが私の手を引っ張って走り出した瞬間、突然足元に小型のナイフがグサグサと刺さり、私達の進路を断った。
ちょ、ハリエット、あなた忍者か何か!? まるで手裏剣じゃないの、この小型ナイフ! これだけの武器を一体どこに隠し持ってたんじゃい、われぇ!?
「逃げようとしたら次は確実に足に当てます。デボラ様も護衛の坊ちゃんも痛いのは嫌でしょう?」
コーリキと戦いながらにっこりと笑い、確実に私達の足止めまでするハリエット。
うわぁぁぁぁ、こいつってば一体何なの!? あまりに戦うことに手慣れ過ぎていて、新聞記者というよりはプロの殺し屋!
さすがに少しやばい気がして、私の背中に一筋の汗が流れた。
「デボラ様は渡さない! はあぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!」
そして再びコーリキとハリエットの剣戟が再開される。耳を打つような金属同士のぶつかり合いは、辺りの空気を硬質化させた。
素人目から見てもコーリキが一方的に攻めていて、ハリエットがそれを紙一重でかわしている感じ。私はハラハラしながら「コーリキ頑張って!」と心の中で応援し続ける。
「隙あり、です!」
「!」
そしてとうとう二人の間の決着がついた。
コーリキの放った鋭い突きが、ハリエットのジャックナイフを後方に弾き飛ばしたのだ。武器を失い、ハリエットは「あらら」と間抜けな表情になる。
どうだ、見たか、コーリキの実力を!
私はまるで我が事のようにガッツポーズを取り、ふんっと鼻息を荒くした。
「いやぁ、やっぱり強いなぁ」
「お褒めにあずかり恐縮です。では大人しく縛に就いてもらいましょうか。ジョシュア」
「ういっス!」
ハリエットは自分の負けをあっさり認めて、両手を上げる。コーリキは剣を鞘に戻し、ハリエットを拘束しようと近づいた。
「なぁんちゃって♪」
「っ!」
でも次の瞬間、突然コーリキがその場でどさりと倒れてしまった。
え? 何!? 一体何が起きたの!?
私達がぽかんと口を開けている隙を狙い、ハリエットは素早くジョシュアの背後に回る。
「じゃ、おやすみなさい♪」
「……う、ぐッ!」
そしてコーリキに続き、なんと私のすぐ隣にいたジョシュアまで、どさりと大地の上に倒れてしまった。
私はとっさに後ろにジャンプして、ハリエットから距離を取る。
「ちょっと! コーリキとジョシュアに何したの!? まさか……っ」
「殺してはいませんよ。ただ少し眠ってもらっただけです」
そう言ってハリエットは、指先に隠し持っていた長い針のようなものをくるくる回した。
うがぁぁぁ、もしかしてそれ、いわゆる暗器って奴かしら? きっとあの針には即効性の麻酔のようなものが仕込まれていてるに違いない。
「この卑怯者! 隠し武器で相手をだますなんて!」
「何言ってんですか、これは王宮で行われる模範試合じゃないんです。どんなあくどい手を使おうが勝ったほうが正義。そういう意味で騎士って言うのは俺にとって最もやりやすい相手なんですよ。どんな相手に対しても常にフェア精神だから、実に騙しやすい♪」
ハリエットは相変わらずニッコニッコと笑いながら、空恐ろしいことを口にした。
まさかあのコーリキとジョシュアをあっさり返り討ちにしてしまうなんて……
私が思っていた以上に、この男の戦闘能力はずば抜けているみたいだ。
ちなみにここにス○ウターがあれば私の戦闘力はわずか1と表示されるでしょうね。くっそう、非力な我が身が恨めしい!
「では参りましょうか、デボラ様」
ハリエットはまるでダンスに誘うかのように、優雅に右手を差し出した。
もちろんその手を取る気がない私は、じりじりと後ずさる。
「私が大人しくついていくと思って?」
「抵抗するだけ無駄だと思いますけど? まぁ、でもそうですねぇ。俺も悪魔じゃないんで、一つ選択肢を差し上げましょうか?」
「……?」
ハリエットはニヤリと不穏に笑い、私にとんでもない条件を提示してくる。
「一つ。俺はここでデボラ様を見逃して差し上げる。ただしその場合、リゼルの妹は解放しない」
「!?」
「一つ。デボラ様はこのまま大人しく俺に捕まる。その場合、リゼルの妹はすぐに解放する。さぁ、二つに一つです。どうしましょう?」
「…………………っ!!」
こ、この狐! 狸! いや、珍獣を通り越してすでに妖怪の類じゃないの、あんた!?
まさかここでリゼルの妹の行方を知ることになるとは思わなかった。やっぱり彼女を誘拐したのは組織の仕業だったんだ。
それに選択肢を提示されてはいるものの、実質これは一択。私は目の前の悪魔の言葉に従うしかない。
「わ、わかった。大人しく捕まってやるわよ。でも必ず約束は守って。リゼルのもとに妹さんを返してあげるって!」
「やはりデボラ様はお優しい」
ハリエットはわざとらしく頭を下げると、さっきの麻酔針をまたくるくると回し始める。
「え? まさかそれで私を刺したりしない……わよね?」
「そのまさかです」
「いや、私抵抗しないって言ったじゃない。大人しくついていくわよ?」
「あなたが結構油断ならない女性だということはちゃんと調査済みです。デボビッチ家に後を追われると厄介なんで、ここは大人しく意識を失ってください♪」
「――」
で、ですよねーーー!?
やっぱりそうなります……よねーーー!?
私はアワアワと慌てふためくものの、気づけばハリエットが例の胡散臭い顔で近づき、有無を言わさずぷすりと私の首筋に麻酔針を突き刺した。
「では、おやすみなさい♪」
はい、おやすみなさぁぁぁぁ~~~い~~♪
こうして私デボラ=デボビッチは、とうとう敵の手中に落ちる。
それは今までとは比較にならないほどのピンチに陥った――ということを意味していた。
× × ×
「ん………」
次に目覚めた時、私はどこともわからない邸宅の豪華な一室にいた。
なんだか部屋全体に、めちゃくちゃ甘い匂いがする。
例えるなら電車の隣に座ったおばちゃんの香水の匂いがきつすぎてむせる……。そんな感じに似ていると言えば伝わるかしら?
とりあえずド派手な天蓋付きのベッドに寝かされていた私は、眼をこすりながらゆっくり起き上がる。
「ふん、ようやく目覚めたか。女の分際で、グースカはしたない鼾をかきおって!」
「!」
するとすぐ近くから、傲岸不遜な聞き覚えのある声がした。私は慌てて瞬きを繰り返し、目の焦点を合わせる。
「あ、あなた……チョビ髭!?」
「誰がチョビ髭だっ!?」
そう、なんと窓際のソファの上でふんぞり返るのは、チョビ髭――もとい、ニール=ゼン=ドピング伯爵だったのだ。
嘘! まさかチョビ髭が祝福の正体!?
んなバカな!?
こんなメタボで短気な奴が組織のボスであっていいはずがない!
私は目の前の現実を否定するかのように、ぶんぶんと激しく頭を振った。
「チョビ髭……チョビ髭………ぷっ、はーっはっはっはっ!」
さらに周りを見渡すと、暖炉近くにハリエットの姿があった。ハリエットはひーひー言いながら、涙を流して爆笑している。
「ハリエット、貴様までなんだ!?」
「す、すいません、ニール様。でもあまりに的確な例えで思わず………ぷっ、はーっはっはっ!」
ハリエットはどうやら笑いのツボにはまってしまったようで、壁をバンバン叩いている。一方チョビ髭と言えば、顔を真っ赤にしてめちゃくちゃ私を睨んでいた。
「くっそう、相変わらず腹立たしい女だ! 祝福様の命令でなければ、今すぐ私が拷問してやるものを!」
「!?」
けれどチョビ髭の口から祝福の名が出た途端、室内の空気が一瞬で変わった。
ちょ、なんであんたがその名を知っているの?
今まで全く疑わなかったわけじゃないけど、まさかチョビ髭、あんたまで――
「いや、今回は邸宅をお貸し頂いて助かりました。今のところ祝福様は当局に睨まれて、なかなか身動きが取れないので」
「ふん、女の一人や二人監禁するくらいならこのニール=ゼン、いくらでも力をお貸しすると、かの御方にお伝え下さい。………おい女!」
「デボラ!」
「デブでもボラでもどっちでもいい! 祝福様に逆らったらどうなるか、これからその身でしかと味わうがいい!」
チョビ髭はそう優越感に浸ると、高笑いしながら部屋を出ていった。
くっそう、相変わらず腹が立つ奴~。でもこれであいつが正真正銘の小悪党であることがはっきりしたわ。
「すいません、デボラ様。上からの指示があるまで、この屋敷で待機してもらいます」
「リゼルの妹は!?」
「あー、そう言えばそんな約束もしましたっけねぇ。どうだったっけかなぁ?」
「マジでグーで殴るわよ!?」
私は右拳を握り、ハーッと息を吹きかけた。
その仕草がまたツボにはまったみたいで、ハリエットはさらにお腹を抱えてる。
「この状況でまだ強がれますか。さすがアストレー公爵が惚れた女性だけはある」
「ほ、惚れたって……。別にそんなんじゃないわよ! それよりリゼルの妹はどうしたかって聞いてんの!」
私が顔を真っ赤にして怒ると、ハリエットはようやく真顔になって、軽く肩を竦ませた。
「うーん、多分解放されたとは思いますよ?」
「多分って何よ、多分って!?」
「すいません、デボラ様。俺、こう見えても組織では下っ端も下っ端。末端の組員でしかないんです。一応祝福の指令で動いてますが、流れの殺し屋相手に祝福が直接会ってくれるなんてことは、まだ一度もなくてね」
「こ、殺し屋……」
ハリエット自身からその単語が出て、私は思わず息を飲んだ。
やっぱりこいつ、予想通り新聞記者を騙るプロの殺し屋だったんだわ。
飄々としているように見えるけど、侮ったら最後、きっと命取りになる。
祝福の命令さえあれば、ハリエットは今すぐここで私を殺すことさえ躊躇わないだろう。
「とにかくここは単なる中継地点だそうです。次の指示が来るまで、ゆっくり休んでおいて下さい」
「中継地点?」
「当局とデボビッチ家を何とか出来たら、すぐにでも目的地に出発するそうです。あ、逃げようなんてことは考えないほうがいいですよ。俺よりももっと怖ーいお兄さん達が、この部屋の周りをがっちり監視していますから」
「………」
それではまた後程伺います、と。
ハリエットは優雅な仕草で挨拶し、私の前から姿を消した。
その後ぽつんと趣味の悪い部屋にとり残された私は、魂が抜けた人形みたいに呆然とする。
(どうしよう、なんだか大変なことになっちゃった。多分、祝福は私から直接例の血判状の在り処を聞きだすつもり……よね? でも本当にどこにあるか知らないし……)
私は自分の体を抱きしめながら、ともすれば今にも泣きだしたくなるほどの恐怖と必死で戦う。
(カイン様、ごめんなさい。また私あなたの足を引っ張っちゃう。あなたを助けたくて、この王都にやってきたのに……)
そしてこんな時、真っ先に脳裏に浮かぶのは、やはりあの憎たらしい仏頂面だ。
つい先日の手籠め騒動とルーナとの浮気問題で、すっかり気持ちは冷え切っていたはずなのに。
それでも本当の私は、今でも心の片隅であの人のことを信じてる。
(ダメだ、やっぱり何とかしてここを抜け出さないと。マルクの時もうまくいったんだもの。今回だって――)
私は慌ててベッドから飛び起き、金の猿の置物や怪しい掛け軸なんかがかけられている部屋を隅々まで調べた。でもこの部屋はかなり高い階にあるらしく、窓にもしっかり鉄格子がはめられ、逃げ出す隙など――微塵もない。
(本当にどうしよう………)
まんまと敵の罠にはまってしまった私の心は、容易に挫け。
まるで霜柱がくしゃりと踏み潰されるように、わずかな希望の灯さえ目の前でついえようとしていた。
緊迫している場面のはずなのに、デボラとハリエットの二人が掛け合いするとなぜかギャグになる……(結構深刻な悩み)




