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99 裏切りの時2



「はぁ……」


 私は一人、何度目かわからないため息をこぼした。

 結局あれから自分の部屋に戻っても、頭に浮かぶのは仲良さそうにしている公爵とルーナのイメージだけ。


 ――今頃二人は何してるんだろう?

 ――私だって本当はカイン様と話したいことがいっぱいあるのに。


 どうして今公爵のそばにいるのが私じゃなくルーナなんだろうと、理不尽な怒りさえ覚えた。


「デボラ様、相当煮詰まってますねぇ……」

「それに比べて、ルーナ様は案外ちゃっかりしてるだ」


 派手に落ち込む私をエヴァやレベッカがよしよしと慰めてくれる。

 でも案の定ソニアは私に対する厳しい態度を崩しはしなかった。


「これでデボラ様もカイン様のお気持ちが少しはお分かりになったんじゃないでしょうか?」

「………」


 きついけど、確かにソニアの言うとおりだ。

 自分の想い人が別の異性と話している。たったそれだけでこんな風に強い嫉妬に悩まされるなんて。

 元から公爵の眼中から外れていたルーナはともかく、エルハルドは最初から明確に私にアプローチしていた。もし私が公爵の立場なら、エルハルドを睨むどころかその場でぶん殴ってるかもしれない。

 しかも私はエルハルドの住む王宮内で三日も軟禁されていたのだ。自分の妻が他の男に奪われたら、夫がブチ切れるのは当然だ。


(謝ろう……)


 ようやく私は素直に公爵に謝罪しようという気になった。

 もちろん今でも公爵の乱暴な真似はどうかと思うけど、そもそも私のとった軽はずみな行動が全ての原因だ。その点だけはちゃんと謝らないと、ここから一歩も前に進めない。

 それに私は公爵と離婚したくないし、「離婚してもいい」なんて言葉、二度と言わせたくないのだ。


「ソニア、カイン様とお話ししたいんだけど、取次ぎをお願いできるかしら?」

「………」


 私が頼むとソニアは少し考えた後、「今確認してまいります」と部屋を出ていった。

 時計を見ればすでに22時を過ぎている。さすがにもうルーナも自分の屋敷に帰っているだろう。

 コチ、コチ、コチと時計の針の音を聞きながら、私はただひたすらソニアの帰りを待った。公爵と顔を合わせたらまずこう言おう、それから私が離婚なんて一度も考えたことがないと訴えよう。

 様々な場面をシミュレートしながら、それでもまだ私は公爵との関係が修復可能だと思っていた。










 ソニアが戻ってきたのは、それから約一時間後のことだった。

 多くの使用人達が就寝する時刻。屋敷内の灯りも所々落とされて、廊下はかなり薄暗い。


「カイン様は執務室で休憩をとっておられるそうです。まず私が最初にお声がけしますので、デボラ様は私の後をついてきて下さい」


 ソニアはランタンを持って、私を先導してくれた。それからなぜか後ろにはエヴァとレベッカもついている。


「一応念のためです。デボラ様とカイン様を完全に二人きりにすると、前回の二の舞になるかもしれないので」

「いざとなったらおら達を頼って下さいまし!」


 私は苦笑しながらも、二人の心遣いに感謝する。

 公爵の執務室の前までついた時点で手のひらを見ると、緊張のためかびっしょり汗をかいていた。


「カイン様、ソニアです。執務中のところ、失礼致します」


 ソニアはコンコンと二度ノックして、執務室の扉を開ける。私達はその後に続くけれど、なぜか執務室に公爵の姿はなかった。


「あれ? いない」

「トイレだべか」


 執務室の中は、机の上のランプだけが灯っているだけで、しんと静まり返っている。もしかして行き違いか何かかと首を傾げた時、ソニアが隣の部屋へと続く扉の前に立った。


「もしかして隣の寝室で、仮眠をとっておられるのかもしれません」


 ああ、なるほどね。でももし仮眠をとっているなら邪魔をしたら申し訳ない。また出直すわ……と言いかけた時、扉をノックして開いたソニアの顔色が明らかに変わった。


「……!」

「どうしたの?」


 一瞬、ソニアが何かに怯んだのを私は見過ごさなかった。ソニアはソニアで慌てて開いたばかりの扉を、バタンと乱暴に閉める。


「い、いえ、何でもありません。デボラ様、カイン様はいらっしゃらないようです。申し訳ありませんがこのまま自室にお戻りいただけますか?」

「………」


 けれどソニアの声色は明らかに動揺していて、私は何か不穏なものを感じた。

 まさかそんなはずないよね……と思いながら、今ソニアが閉めたばかりの扉のドアノブに手を伸ばす。


「いけません、デボラ様、中をご覧になっては……っ!」


 ソニアの制止も聞かず、私は勢いよく寝室のドアを開いた。

 そしてそこで信じられないものを目撃する。

 まるでこの前の夜と同じようなシチュエーション。

 ベッド脇に置かれたランプだけが灯る室内で、一つの影がごそりと動いたのだ。



「あ、デボラ様……っ」

「――」



 それは――ルーナだ。

 ルーナの華奢で白い背中が、私の位置からはっきりと見える。

 なぜかすでに自分の屋敷に帰っただろうと思っていたルーナは、公爵とベッドを共にしていた。全裸のままベッドから飛び起きて、突然の侵入者である私達を振り返ったのだ。


「ああああーー!? ルーナ様、一体何をしてるんだべかっっ!?」


 衝撃的なその光景に、驚きの声を上げたのは私ではなくすぐ後ろにいたレベッカだ。ルーナは慌てて近くの毛布を引き寄せ自分の体を隠すと、申し訳なさそうに俯く。


「ご、ごめんなさい。私……っ」

「――」


 信じられない。

 私の頭の中は真っ白だ。


 どうして公爵とルーナがいきなり体の関係を持っているの?

 そりゃルーナが公爵に片思いしていたのは知っているけれど……。

 だからって、いくら何でもこんなの急展開過ぎるでしょう?


 これは何か(たち)の悪いドッキリ企画なんじゃないかと、私は咄嗟に現実逃避する。

 けれどいくら目の前の光景を否定したくても、現実は常に非情だ。

 

 それに公爵本人にどういうことか問い質したくても、当の本人はルーナの隣でぐっすりお休み中。

 ルーナが必死に「カイン様、カイン様」と慌てて声をかけるものの、一向に目覚める気配を見せない。


「ちょ、信じらんないっ! この前デボラ様にあんなことしておいて、すぐに別の女ですか!?」


 レベッカに続きエヴァも憤慨して、勇ましく公爵のそばに近づこうとした。けれどソニアがその前に立ちはだかって、寝室のドアを閉めてしまう。


「お下がりなさい、レベッカ、エヴァ! たかがメイドの分際で、主人であるカイン様の女性関係に口をはさむことはなりません!」

「で、でもいくら何でもこんなのはねぇだ!」

「そうです、デボラ様のお立場は一体どうなるんですか!?」


 エヴァとレベッカが涙を浮かべながら抗議する中、私はと言えば呆然と立ち尽くすしかなかった。

 そりゃあ、公爵に夫婦としての関係を求められて拒否したのは私だけど……だからってこんなことってある?

 しかも浮気相手がよりにもよってあのルーナだなんて……。

 夫と友人の二人に同時に裏切られるとは、さすがの私も思わなかった。


「とにかくこのことに関して、使用人の口出しは一切無用。ご関係を持たれた以上、カイン様はきっとロントルモン伯爵令嬢をそれなりの処遇でお迎えすることになるでしょう。ですからそれまではこのことを他言してはなりません」

「そ、それなりの処遇ってなんだべか!?」

「つまり側室ってことですか!?」


 私が何も言い返せない中、エヴァとレベッカの怒りがヒートアップしていく。対するソニアは堂々としたもので、努めて冷静に事実だけ告げた。


「ロントルモン伯爵令嬢がカイン様のお(たね)を宿している可能性がある以上、おそらくそうなるでしょう。また家格的にもカイン様と釣り合ってはいます」

「……っ!」


 暗に、子爵家出身のお前はルーナと比べて家格が劣ると言われ、私の目の前は真っ暗になった。

 ソニアの持つランタンの光も、隙間風のせいで急に弱まったような気がする。

 私は酸素不足を感じて必死で大きく息を吸った。歯をくいしばり、拳を握り締め、くらくらと今にも倒れそうな体を必死に支える。

 だけどどれほど強気でいようと思っても、肺を満たし、気道を満たし、呼気とともに溢れ出す怒りと悲しみは、もうどうすることもできなかった。

 このまま再びドアを開けて、公爵とルーナに罵声を浴びることもできるはずなのに、気づけば私は逃げるように踵を返し走り出していたのだ。


「あ、デボラ様!」

「お待ちください!」


 すぐにエヴァとレベッカも後を追いかけてくる。

 私は後ろを一切振り向かずに、全速力で自分の部屋へと戻った。


「はぁ、はぁ、はぁ………っ!」


 そして呼吸が激しく乱れる中、急いでトイレへと駆け込む。

 胃の奥から急激にこみ上げる吐き気。

 私は今さっき見た光景に伴う不快感のせいで、その夜に食べたものを全部戻した。


(やだ……苦しい……)


 それはズキン、ズキン、と。

 鈍い痛みと共に私の脳内に広がっていく。全身に走る嫌悪感は全ての思考をかき乱し、理性を消失させ、今まで公爵と築き上げてきたはずの信頼さえも一瞬で大きく崩していくのだ。


「しっかりしてください、デボラ様! レベッカ、急いでタオルを!」

「ちょっと待ってるだ!」


 それからエヴァとレベッカは汚れたトイレを急いで清めてくれた。けれど公爵とルーナの浮気現場を目撃してしまったショックがあまりにひどすぎて、私はすぐに錯乱状態に陥る。


「やだ……やだ……もう………」

「デボラ様……」


 がくがくと震えて泣き出した私を、二人は痛ましそうに見つめた。

 私はもう体裁を取り繕うのも忘れて、自分の本心を大声で叫ぶ。


「もう、いや! こんな所にはいられない! カイン様と同じ場所になんかいたくないっ!!」

「デボラ様!」

「………っ!」

「帰る! 私、アストレーに帰る! もうこんな場所、一秒だっていたくないっ!」


 そのまま、わぁっと、私は人目を憚らず号泣した。

 ボロボロと涙を流しながら脳裏に浮かぶのは、アストレーのみんなの優しい笑顔。

 公爵と別れたら私とアストレーをつなぐ縁など綺麗さっぱりなくなるのに、それでも絶望の淵で縋りついてしまうのは、やっぱりあの人達の姿だった。


「わかりましただ、デボラ様。しばらくお待ちくだせぇ。エヴァ」

「うん、すぐに準備に取り掛かろう」


 私の気持ちをわかってくれたのか、エヴァとレベッカはすぐにデボビッチ家から出る用意を整えてくれた。

 レベッカはジョシュアとコーリキを呼びに行って、私が本邸を出たがっていることを告げる。公爵の浮気についてはコーリキ達は半信半疑だったけど、とりあえず激しく取り乱す私を見て、そのケアを優先してくれたのだ。


「デ、デボラ様、一体こんな時間、どこにお出かけです!?」

「お待ち下さい、今クローネ様とハロルド様を呼んできます!」


 これだけの騒ぎとなれば、何人かの使用人達が起きてきて、夜更けに外に出ようとしている私達に声をかけてきた。

 けれどそれらの制止を全部振り切って、私はコーリキが用意してくれた馬車に急いで乗り込む。


「では出発します。念のためエヴァはこっちに残りますが、後で合流できますからご安心ください」

「……うん」


 とにかく私は年長のコーリキに全てを任せて、王都のデボビッチ家から立ち去った。

 ひどく、惨めな気分だった。

 レベッカがずっと私の肩を抱いていてくれたけれど、涙は溢れて溢れて、とめどなく流れ続ける。


(なんでこんなことになっちゃったの? カイン様、ルーナ、どうして……)


 私は馬車に乗っている間も、先ほどの悪夢のような光景に苛まれ続けた。

 まるで林檎の皮を剥くように、現実という刃で心臓の肉が剥かれてしまったみたい。身勝手で邪悪でどろどろとした黒い感情が、私の心と体を侵食していく。





 そうして一つの裏切りが、さらなる裏切りと波紋を呼び。


 私はとうとう進んではいけない破滅ルートへの扉の鍵を、開けてしまったのだった。







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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公に肩入れしてるとイライラしてしまうので、自分の気持ちに正直なルーナを応援すると決めた。 うまくいったね、大成功‼️と思えてきた。
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