世界を救ったのは俺じゃない
「オオオオオオオオオオオオオオオ」
この日、全てが崩れた。
荘厳にそびえ立っていた魔王城は崩れ去り、魔物だった物体の成れの果てが辺りに散らばる中、魔王だったものの咆哮が辺りに響き渡る。
俺たちが追い詰めて、第二形態へとその姿を変えた魔王。
そして自我を喪失し、見えるもの全てに攻撃してくる怪物と化した魔族を統べる王。
魔王の一撃に飲み込まれ、下級魔族も上位魔族も分け隔てなく全滅。
正真正銘、あれが最後の一体。討ち取ればその瞬間戦争は終結し、人間の勝ちだ。
───だが、俺たちにはもう成す術がない。
剣も、拳も、魔法も、何一つとして傷をつけられなかった。
対して、アイツは地形をえぐりながら無差別に殴りかかってくる。一発でも命中すれば肉体が引きちぎられて即死だろう。
体力も、そして精神的にも限界だった。
「もう無理だな...。メルト、お前だけでも逃げろ」
隣で息を切らしているエルフの少女へと、そっと声をかけた。
何も、ここで二人とも死ぬ必要はない。
メルトが魔王の情報を持ち帰れば、新たな勇者が現れ討伐へ向かうだろう。
「...嫌だ。私はカイトに生きて欲しい!」
思い詰めたような表情で、それでもはっきりと、俺の話を拒絶した。
「お前が生きて帰れば、いつか魔王を倒せる日が来る。俺を連れて逃げるのは...この傷じゃ不可能だ」
既に、俺は左の脇腹に傷を負っていた。
壊れた地形の破片が激突した時のものだ。命に別状はないが、全力疾走はできない。
「カイトのいない世界なんていらないし、守りたくない」
そう言って、彼女は腰を上げて魔王の前に出た。
隠れていた標的の姿を発見した魔王は、メルトを射抜くように凝視する。
「おい、何を考えて───」
メルトは左手を前に突き出して、目を閉じた。
すると辺りに浮遊する魔力が左手へと集まっていき、巨大な球体へと変貌していく。
「これは私の最後の切り札。使ったら私の体は砕けてなくなっちゃうけど、これでカイトを守れるなら…!」
再び開いたその目は、前方の怪物をしっかりと見据えていた。
このエネルギーの塊を奴にぶち当てるつもりなのか。
これならば魔王だとしても致命傷が入る、直感でそうわかった。
だが———
「何をするつもりだ…?やめろ、自分を犠牲にするな…」
俺が呼びかけてもこちらを向くことはなく、精神を研ぎ澄ませて魔力をその手に集める。
もう俺の声は届いているか怪しい。
「アアアアアアアアアア」
「…ねえカイト。一つだけ、聞いてもいい?」
魔王の叫びが耳を打ち付ける中、メルトがこちらに顔を向けてにこりと笑った。
「何だ?」
「カイトはさ、『チキュー』って異世界から来たんだよね?だから、この世界を救ったらチキューに帰っちゃうんでしょ?」
「…」
俺は知らない。
いつのまにかこの世界に呼ばれ、助けてくれという謎のお告げに誘われてここまで来ただけ。
何が正解かもわからないまま、俺は魔物を殺してきた。
「もし私が生まれ変わったら、そのチキューに生まれて、またカイトと会えたらいいな」
「!!」
彼女の目に、一筋の雫が伝う。
右手の指でその涙を拭い、彼女の体躯の何倍もあるエネルギーの塊に目を向けた。
「カイトのお陰で、私は楽しかった。…またね」
目の前でメルトに食いつかんとする怪物へ照準を合わせ、全ての魔力を解き放った。
純白に染まる光の柱が辺りを一直線に包み込み、巨大な怪物をすっぽりと覆ってしまう。
「グ、ガアアアアアアアア…」
「ん、ああああああああああああああああ!!!」
「メルトおおおおおお!!」
しばらくして、幻想的な光が全て収まった。
そこにメルトの姿はなく、ぜえぜえと息を切らして横たわる魔王の姿だけが。
あの魔法に呑まれ、変身が解けていた。理性が復活し、あの人智を超えた暴力が消滅。
大人の男程度の大きさに戻り、反動で身動きすら取れなくなっている。
俺はゆらゆらと不安定ながらにも剣を装備し直し、一歩ずつ魔王へと歩み寄る。
「ああ…我は、我はどうして…」
蒼く染まった顔面は痛みに歪み、麻痺しているかのようにピクピクと動く身体。
もう雌雄は決した。メルトのお陰で。
「俺の隣に、エルフの女の子がいただろ?お前ら魔族も、俺たち人間も見下してきたエルフ———そのエルフが魔族を滅ぼし、人間を救ったんだ。最低で、最悪で、皮肉な話だろ」
「…我はがはあっ!!?」
隙だらけの腹に剣を突き立て、抉るように引いた。
これまでの魔物と変わらないような断末魔の叫びを上げ、魔族の王は灰となって足元から消えて行った。
…。
俺は魔力に溢れて濁った空を見上げた。
せめて、虹なんかが見えたら俺の心も少しは晴れただろうに。
戦争は終わった。魔王の消滅により、人間サイドの勝利という形で。
魔王戦での犠牲は、奴隷のエルフが一人だけ。世界を救うのにこれだけの犠牲で済んだとなれば、戦闘の記録としてはかなり上出来だろう。
俺にとっては、そんな軽い話では到底済まないが。
「…ん?」
横の地面で、何かがキラリと光った。
不思議に思った俺は、疲労がたまりながらも近寄って確かめた。
「これは…」
小さなそれを手に取った。
もうさび付いて黒ずんで汚れてしまったが、元々は綺麗なネックレス。
———俺がメルトにプレゼントしたやつだ。
そういえば、ずっと大切そうにつけていたな。
こんなものだけ残ったら、悲しくなるじゃねえか。
「なあメルト。この世界、人間、そしてこの俺を、お前が救ったんだ。お前の姿を俺たちが語り継いで、もうエルフを奴隷になんてさせねえから、安心していてくれ。
…やっぱり、耐えられない」
俺はその場に横たわり、誰もいないこの空間で一人、嗚咽を漏らした。
☆
「勇者様の帰還だ!!」
魔王を倒した次の日の夕暮れ頃、魔王城から帰ってきた俺は、すぐに王城に通された。
俺が魔王を殺したことを知った民衆から感激の雨が降りかかり、国王も快く歓迎してくれた。
「其方は真に我々を救った英雄だ。どうか、安寧な日々を送ってほしい。」
「それはありがたいのですが、一つ尋ねたいことが」
「私の知ることならば、全てを教えよう」
「俺は、元の世界に戻れますか?」
俺は一か月程前のあの日、気がつくと王城の地下室らしい所にいた。
もしあの時見た妖しく光る装置が召喚魔法なんてものだとしたら、もう一度使えば俺は元の世界に戻れるかもしれない。そう考えるのは自然なことだろう。
「ふむ。…恐らく、其方が元居た世界へと転送することも可能であろう。だが、記憶の共有はできぬ。召喚魔法の作用により、ここでの記憶は全て失うだろう」
それだけか。だったら別にいい。
世界は救ったんだ、これ以上何かを求める気はない。次は地球で高校生として生きる。このRPGみたいな世界観も楽しかったといえば楽しかったが、結局ゲームの中で楽しむくらいが俺にはちょうどいいらしい。
…本人が望むならメルトを連れて行きたかったが、もうどうでもいい。
「勇者様。せめて今日だけでも、ゆっくりしていって下さい。歓迎の宴の準備も完了しておりますので」
王の横から、側近の大臣が話しかけてきた。
正直もうここに未練はないが、今日は残って歓迎されるとしよう。
メルトの決死の覚悟をこの世界に残すためにも。
「…はい」
そして王への謁見は終わり、パーティーの会場へと案内された。
西洋なんかであるような宮殿みたいな造りになっていて、シャンデリアが洋風な内装を明るく照らす。
「「「勇者様!!」」」
そこには多くの使用人、そして内務を担当する国政の人間が大勢いた。
俺はここではVIP待遇なようで、悪い気はしなかった。
「さ、ここにお座り下さい!」
大臣に連れられた先には、見るからに豪華なソファがあった。
要人を接待するのは慣れているということか。
俺はなるがままに座り、使用人の人が用意してくれた料理や飲み物が目の前の机に並ぶ。
そして俺の周りに円状に国のトップの大人たちが座り、会食の準備が整ったようだ。
全員の着席を確認したところで、王が音頭を取った。
「それでは、勇者殿がこの世界を守り抜いた証を、この場に私が証明する!!」
「「「オオオオオオオ!!」」」
飲み物が入ったグラスを掲げ、互いに突き合わせた。
地球での『乾杯』みたいなものか。その場の空気に合わせて、俺も近くの人とグラスを重ねた。
それからは大臣たちと話をしながら、食事を楽しんだ。
ここの人たちは話がうまく、会話が途切れない上に俺を不快にさせない言葉を選んでくれた。
飯も全て美味しい。地球人の俺の口に合うか不安だったが、杞憂だったようだ。
だが、俺にはずっと一つの疑念が付きまとっていた。
「大臣さん」
「おや、何ですかな、勇者様?」
食事の途中ではあったが、右隣の人にそれを尋ねることにした。
「…どうして用意された席が一つだけなんです?」
「? 申し訳ない。勇者様の言いたいことがわかりませんな」
その大臣は首を傾げた。
嘘や悪意は感じられない。本当に意味がわかっていないらしい。
「俺がここを旅立った時、隣にエルフがいたでしょう?どうして、メルトの分の席が用意されていなかったんですか?」
「…ああ、あの奴隷のことでしたか。」
…は?
「あれ、少しは役に立ちましたか?」
ニヤリと笑いながら語る大臣。そして、その会話内容を何一つ疑問に感じない周りの大臣たち。
この時、俺はこいつらと相容れないことを察した。
「勇者様の道具として命を全うしたのなら、あのエルフも本望でしょうなあ」
「この国のエルフ養成も発展させていきましょう」
なんだよそれ。
俺が初めてここに来て国を歩いた時、一番異質に感じたのがエルフの奴隷だ。
ほとんど人間と同じ姿をしているのに、まるで生物ですらないかのように傷つけ、命令し仕事をさせて売り飛ばしていた。
メルトはそこで仲間に引き入れた。
そんなクソみたいな状況が、この世界の普通?
…納得できねえ。
世界を救った勇者ということで、今の俺は発言権が強い。メルトが報われるためにも、エルフの奴隷制度なんて破壊してやる。
「俺が言いたいのはそんなことじゃない。エルフを———」
「勇者様は、次の奴隷をご所望ですかな?この僕にお任せ下さい!!」
「は?」
エルフに関することを担当する大臣がトントンと胸を叩き、俺に任せろと言わんばかりの表情でこちらを見た。
俺の意志は無視され、間違えた優しさばかりが俺に向けられる。
それが俺の怒りを買っているとは夢にも思わずに。
「ふざけんなあ!!」
「「「!?」」」
俺の怒号に周りの空気が戦慄し、全ての人間がこちらを振り向いた。
ああ、胸糞悪い。
エルフを何だと思っていやがる。
「…言ってやるよ。世界を救ったのは俺じゃねえ、メルトだ!あのエルフが自分の命投げうって、人間救うために魔王滅ぼしたんだ!!」
「「「…」」」
全てが沈黙に染まった。
しばらくしてから、王の側近の一言で時が再び動き出す。
「勇者様は、お優しいのですねえ」
やっと理解したか。
そう、エルフの差別をすぐに撤廃するべき———
「———自らの功績にわざわざエルフを加えることで、奴隷の顔を立てているのですから」
…。
「ご安心下さい、勇者様」
俺のすぐ傍にいた大臣が、笑って俺に告げた。
それが俺の沸点への引き金になるとも知らず。
「次は特上のエルフを用意しますから。
———あの汚れた不良品より、もっと立派な奴を。」
もういいや。
「…勇者様?一体どうし———」
「もう喋るな。邪魔な口は身体から切り離してやるよ。」
殺しはしなかったが、俺の剣は男の唇をえぐり取った。
さっきまで饒舌に語っていたそれは、今や口元を押さえて悶絶している。
「ぐ、うああああああああ!!!」
「ゆ、ゆ勇者様!?一体どうして」
「もういいだろ」
料理を蹴り飛ばし、机を剣でぶった切る。
グラスが割れて散らばり、食物が辺りに飛び散り、混沌とした空間が出来上がった。
そこに斬られた顔面の皮膚が鮮血と共にトッピングされ、グロテスクな光景の完成。
「エルフを道具としか思えない世界に勇者はいらない。
さっさと帰らせろ」
「う、お、この者を地下へ!!直ちに元の世界へと転送せよ!!」
王の力強い一喝により、硬直していた大臣たちが正気を取り戻した。
それこそ魔王を扱うように震えながら俺を案内し、地下室へと誘導された。
返り血を浴びて会場を破壊した俺は、この場には大層不釣り合いだろう。
「な、いきなり何ですか!?」
そこにいた研究者と思われる痩せぎすの男は、俺を見るや否や恐怖で固まった。
今の俺はメルトのことで怒りが溢れている。殺気だけで人が死ぬかもしれない。
「俺を地球に帰せ」
「いきなりそれを言われましても、準備が———」
「なら、お前がこの世界のエルフを全て救うか?」
「あ、私にお任せ下さい…」
血で赤いラインの入った剣を向けたら、すぐに態度が変わった。
これでもう終わりだ。忌々しい記憶も消えて、俺は地球の高校生に戻れる。
少しして、謎の装置に青い魔力が宿り、可視化できるようになった。
恐らく準備ができたのだろう。
「それでは、こちらに…」
研究者に言われるがままに、俺は円系の線の中に入った。
「おい」
「は、はい!」
ここまでついてきた王の側近の大臣に話しかけた。
最後の一言というやつだ。
「次俺が来た時、まだエルフが人間の奴隷で道具のままだったらどうなるか…わかるよな?」
「…」
アイツは無言で頷いた。
少しずつ視界が白く染まっていく。
地球へと送られているのだろう。
メルトのお陰もあって、悪くはない旅だった。
記憶は残らないらしいが、いつか思い出せたらいい。
地球に戻って、次は青春を謳歌しよう。
———こうして、勇者であり反逆者であるカイト・センダは姿を消しました。
彼の帰還を恐れた国の要人たちは、すぐにエルフの解放令を発令し奴隷市場の封鎖を命じました。
ですが、急に人間と同等の立場を約束されたエルフたちは困惑し、人間への恐怖がすぐに癒えることはありませんでした。
人間とエルフ。この二種族が本当の意味で手を取り合えるようになるのは、まだ先の話です。
☆
んぐ。
ん~~。
自室の柔らかいベッドの中で、俺———仙田海翔は目覚めた。
「…俺、ちゃんと寝てたはずなのに、どうしてこんなに疲れてんだ?」
倦怠感がえげつない。
筋肉痛というか、実際にどこかを打撲したような痛みのような、そんな感覚が俺を支配している。
中学の時と違って運動部に入っていないし、昨日運動した覚えもない。
原因がよくわからないが、まあいいか。
…なんだか、壮大な夢を見ていた気がする。
内容は思い出せないが、ゲームみたいな世界で冒険するような感じの…
「ん?」
寝間着のポケットに何か入ってる。
携帯や財布ではなさそうだし、これは一体…?
ポケットからそれを取り出して確認した。
「なんだこれ」
黒ずんだ鎖の輪で、真ん中には少し大きい黒い石がはめ込んである。
…元々はネックレスだったようだ。火事場の遺留品みたいなものだろうか。
どうしてこんなものを持っているのかさっぱりわからないが、もういいか。
濁ったネックレスは机の上に置いて、立ち上がって部屋を出た。
朝飯を作らないと…。
一人暮らしってのは気分は楽だが、身の回りを全て自分でこなさないといけないのがな。
といっても、今日は日曜だ。
特に予定がある訳じゃないから、のんびり過ごして大丈夫。
片手で卵を割って、油を引いたフライパンの上で熱した。
油が跳ね、ジュージューといいう心地良い音が卵の白身を更に白く染めていく。
「ふう、いただきます」
今作った目玉焼きと、昨日の米の残りを口いっぱいに頬張った。
簡素な朝食だが、これくらいで十分だな。
ピンポーン。
急に家のチャイムが鳴った。
こんな時間に一体誰だ?
宅配便やアマ〇ンを頼んだ記憶はない。
母さんからの仕送りは先週届いたばかり。
だとすると、兄貴が遊びに来たのだろうか。
大学生で意外と時間が空いているからって、暇つぶし感覚でここに泊まりに来るのは少し迷惑なのだが…。
今家の前にいるのが兄貴だとしたら、俺がここにいることは確実にバレているので、居留守は効かない。
増してや携帯で連絡が取れるので、電話を鳴らされて俺の負けだ。
仕方なく、朝食の途中ではあったが諦めて立ちあがり、玄関の方へと向かった。
見慣れた間取り、暗い玄関、緑色の重いドア。
俺は来訪者と自分を隔てるその壁を、力ずくで押し開いた。
その先にいたのは———
「…久しぶり♪」
読んでいただき、ありがとうございます。
この作品とは別に、『第二の身体を得た男の話』という作品を連載していますので、もし良ければそちらもご覧になっていたただけると幸いです。