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1話 左遷される文官レンリ

 古の名君である文王が大陸中原(ちゅうげん)を統一してから二千年。

 大学者シレンが聖賢の道を明らかにしてから一千年。

 高祖が現王朝を開いてから三百年余。

 

 この国は長きにわたる歴史と広大な領土、そして優れた文化と技術を誇っている。

 そして、世界唯一の文明国を自負していた。


 国号はない

 単に「帝国」というのが、この国の称号だった。


 帝国にとって対等な国など存在せず、ただ辺境の蛮族たちがいるのみ。


 天命を受けた皇帝が、地の果て、海の向こうまですべてを統治する。

 そして、皇帝はすべての民の暮らしを安んじ、正しい政治を行う義務を負う。


 それがこの帝国の理念だった


 といっても、理念というのは実現されないからこそ、理念なのである。


 二流の官吏であるレンリに言わせれば、現実は大きく異なっていた。

 帝国の勢威は衰えの一途をたどっている。


 南陽の生まれであるレンリは卑賤(ひせん)の身に生まれながらも書に親しみ、聖賢の学を好んで学んだ。


 やがてレンリはその才を見出され、郷里の地主の庇護を受けて科挙(かきょ)試験に合格。官僚となった。


 帝国において官僚となるには二つの道がある。


 一つは貴族の家に生まれ、父母に準ずる地位を受け継ぐこと。


 もう一つは「科挙」と呼ばれる高等官僚採用試験に及第することだ。


 レンリは貴族ではないから、当然、後者の方法で官僚となった。


 この国において、官僚となることは富と名誉を手に入れることと同義だ。


 そして、科挙は富める者も貧しい者も、老いも若きも、男女の区別もなく、あらゆる臣民に受験の機会が与えられている。

 

 その代わり、受験者が殺到するせいで合格者は受験者千人あたり一人もいない。

 だからこそ、科挙に合格した者は「進士(しんし)」と呼ばれ、尊敬を集める。

 そして、高級官僚への道が開かれるのだ。

 

 レンリは十八歳で進士の一人となり、帝国の官僚の末席に身を連ねることに成功した。


 合格時の成績は下から二番目であり、そのせいで出世街道からは外れていたし、地方の激職に就かされることが多かった。


 けれど、ほぼ十年にわたって官僚として大きな問題なく過ごしてきたはずだった。

 昨日までは順調だったのだ。


 しかし――。


「八品官のレンリよ。監察御史(かんさつぎょし)の官を解き、北辺大都督府の蒼騎校尉(そうきこうい)に任命する」


「謹んで拝命いたします」


 レンリは合掌して、丁重に頭を垂れた。

 

 ここは尚書吏部(しょうしょりぶ)

 文武百官の人事を掌握する役所である。


 貴族勢力の牙城だけあって、貴族趣味的な朱色の豪華な建物だった。

 

 そして、レンリの目の前に立つのは吏部尚書兼柱国(ちゅうこく)大将軍(だいしょうぐん)のカラム。


 威風堂々とした壮年の男性であり、高官の象徴である紫色の衣服を身にまとっている。


 彼は「八柱国(はちちゅうこく)」と呼ばれる最も格の高い貴族の一人だ。

 

 非礼のないようにしなければならない。

 

 が、レンリは内心では、鬱々(うつうつ)とした気分を抱いていた。


 端的に言えば、この人事は左遷なのだ。

 もっと言えば、帝都からの追放の意味合いも持つ。

 

 監察御史とは、文武百官の非行を調べ、弾劾する官である。

 中央官庁の一つである御史台の下級官だが、かなりの権威がある。


 一方で、北辺大都督府は地方官。

 帝国の支配のおよぶなかで最も北の辺境を治める役所だ。


 しかも、校尉は武官。将軍に次ぐ地位とはいえ、地方軍の軍人といえば儲からないし、命の危険がある。


 北の辺境の向こうには、翼人と呼ばれる「蛮族」たちも住んでいる。

 だから北辺は常に彼らの脅威に怯えなければならない激戦の地だという。


 つまり、辺境の武官など、誰もやりたがらない役職だった。


「貴殿は本来であれば免官となってもおかしくない失態を犯した。それにもかかわらず、貴殿の経験を買って、職務を用意したのだぞ。もっと嬉しそうにしたまえ」


 と貴族のカラムは言うが、その顔には嘲りの色があった。


 生まれながらの貴族と、科挙に合格した進士官僚たちのあいだには対立が生じていた。


 貴族たちは現王朝の建国以前からの名門であり、高い文化水準と教養を誇っている。 

 父祖伝来の地位を受け継いで、尚書省(しょうしょしょう)を中心に帝国の重要な官職を押さえていた。


 一方、進士派は新興勢力である。


 そもそも科挙の制度が出来たのも、現王朝の途中からだ。

 

 当時の皇帝が自らの権力を強化するために、貴族以外から優秀かつ忠実な臣下たちを集めようと始めたのだ。

 この試みは、新興地主や豪商の躍進にともない、彼らの子弟を主な受験者として定着した。


 だが、当然、従来の貴族勢力からすれば、進士派の登場は面白くない。


 官職とそれにともなう利得や収入を奪われるわけだし、貴族的な価値観からすれば、そもそも進士たちは成り上がり者である。


 実際にレンリのような貧民出身者が含まれているから、成り上がり者と言われるのは仕方ない面もある。


 ともかく、既得権益を侵された貴族たちは、進士派を抑えようとし、一方の進士派も徒党を組んでそれに対抗した。


 レンリが官僚になったころから、貴族派と進士派の権力闘争はますます激しさを増し、いまや国政は機能不全に陥りつつあった。


 レンリが左遷されたのも、この権力闘争が関係ある。

 

 進士派の高官たちは、政変を起こして貴族派の宰相・尚書令トーランの失脚を目論んだ。

 が、事前に計画が漏洩した。


 かえって騒擾を誘発した罪を問われ、進士派の有力者たちは次々と地方へと流されている。


 レンリもこの計画に加担したと見られたのだ。

 

 まったくの事実無根なのだが、レンリの弟が告発したことで、これは覆らない事実とされてしまった。


 弟に裏切られたわけだが、彼も誰かに脅されていたのだろう。

 あまり恨む気持ちはない。


 ただ、罪に問われたレンリは、全財産を没収され、帝都から辺境へと追い出されるはめになった。


「冬の寒さに気をつけられよ。いまは秋。北辺の地はこれから寒くなる一方だからな」


「カラム殿のお気遣い、誠にありがたく思います」


「うむ。前任者のように命を落とさないことを願っているよ」


 カラムは薄く笑った。

 

 レンリの前任者は任地で病没した。

 まだ若い官僚だったのだが、はたして本当に病死だったのかどうか。


 いずれにせよレンリは北辺の地に旅立つほかはない。


 レンリは恭しく一礼をすると、踵を返して尚書吏部を立ち去った。




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