④それぞれの事情
「えー、ざっくりした概要は今の動画でご理解していただけたと思います」
青木が再びマイクを持つ。
「今までのところでご質問はあるでしょうか」
「あの……」
美羽の隣に座っていた女性が、恐る恐る手を挙げた。
「妊娠後のレンタルベイビーは認められていないって……」
「ああ、ハイ、妊娠するまでにシミュレーション・ペアレンティングは終えてないといけないということになっています」
「もし、間に合わなかった時はどうするんですか? レンタルベイビーする前に妊娠しちゃった場合とか……どうしようもない時、ありますよね」
会場中の人が、女性の方を振り返った。
――これじゃ、自分が妊娠してるって言ってるようなもんじゃん。
美羽も女性の横顔を見つめる。女性の目は真っ赤で、ハンカチを握りしめている手は震えていた。
「そういう場合は、都道府県に1カ所ずつあるグッド・ぺアレンティング支援機構の担当者が面談して、審査して、出産を許可するかどうかを決めます。許可が出たら、レンタルベイビーを体験してもらうこともありますね」
「審査って、どういうことを」
「今の生活の状況とか、収入や資産とか、年齢とか、子供を産んだ後に育てる意思があるのかの確認とか、もしお一人で育てるのならサポートする人はいるのか、とかですかね。後、精神状態もですね。これは専門の精神科医に判断してもらいます」
「審査して、出産が認められないこともあるんですか」
「あります。ただ、それはよほど問題があるケースで、たいていは出産は認められます。でも、出産を認められても出産認定証をもらえないケースがあって、それは結構多いですね。もらえなかった人は、出産した後、その子供を国が引き取って施設で育てることになります。要は、出産認定証は親になることを認められたっていう証明なので、認定証をもらえなかったら、子供を産んでも親にはなれないってことです」
「そうですか……」
女性は口元にハンカチを押し当てて、黙り込んだ。
青木はおそらく女性の事情に薄々気付いているのだろう。
「もし、何か不安なことがありましたら、説明会が終わった後に、別室でご相談を伺いますので」
青木の言葉に、女性は力なく頷いた。参加者は冷ややかな目で女性を見ている。こんな時代に避妊もしないでセックスするなんてバカじゃない、と思っているのだろう。
「レンタルベイビーの実物を見ていただく前に、皆さんに注意事項があります。もしぺアレンティングの最中にどうしてもキツイなと思ったら、中断することもできますので、必ず支援機構に連絡を入れるようにしてください。たまに、レンタルベイビーを途中で止めようといじる人もいるんですけれど、支援機構でしかスイッチを切れないようになっています。ムリにいじると壊れてしまうので、ご自分の判断では絶対に止めようとしないでください。後、激しく揺さぶったり、落としたりしないこと。本物の赤ちゃんじゃないからって、面白がって落としてみる人、いるんですよ。でも、その瞬間、不合格になりますから。AIを通してデータはすべて支援機構で処理してるから、不審な動きがあったら、瞬時にレンタルベイビーは停止するようになっています。そういう理由で不合格になったら、再チャレンジする時には面談が必要です。面談してから、一年ぐらい経たないと再チャレンジは認められないこともあります。もちろん、手が滑って落としたとか、壊れたのかと思って軽く揺さぶる程度なら、大丈夫ですよ。故意に不当な行為をしないでほしい、ってことです」
青木は早口で、よどみなく話す。話がどんどん進んでいくので、ところどころ話についていけなかった。
「最悪なのは、ノイローゼ気味になって、レンタルベイビーを壊しちゃう人。たまにいるんですよ、産後うつって言うか、レンタルベイビーうつになっちゃう人が。今から皆さんにお見せする映像は、レンタルベイビーうつになってしまった女性の映像です。こうなる前に、必ず支援機構に相談してください」
部屋が暗くなり、ホワイトボードに映像が映し出される。
「もうっ、なんで泣き止まないんだよっ」
いきなり、女性の金切り声が部屋に響き渡る。
美羽は思わずビクッとしてしまった。
赤ちゃんの泣き声が聞こえる。目を吊り上げて、真っ赤な顔をした女性が、「早く泣き止めっ」と画面に向かって怒鳴りつけている。レンタルベイビーに埋めこんであるカメラの映像なのだろう。遠くで「おーい、早く泣き止ませろよ。うるさいってば」という男の声が聞こえる。おそらく、女性の夫か恋人で、他の部屋にいるのだろう。
画像の下半分が何かで覆われる。
「これ、今、この女性はレンタルベイビーの口を押えてるんです。泣き止まそうとして。本物の赤ちゃんだったら、大変ですよ」
青木の解説が入る。
「もう、なんで泣き止まないの? 壊れてるの? ねえ、ねえっ」
レンタルベイビーを揺さぶっているらしく、映像が激しく揺れる。それでも泣き声は止まない。
「早く泣き止ませろって。何やってんだよ」と、苛立った男の声。
――うわ、最低。この男、子育てを手伝ってないんだ。
「分かってるよっ」
女性は鋭く言い放つ。その瞳から、涙がこぼれ落ちた。髪を振り乱し、青白い顔をし、目の下にはくっきりとクマができているので、もう何日もまともに眠ってないのだろう。赤ちゃんの泣き声はますます大きくなるばかりだ。
「もーーーーーっ」
女性は絶叫して、画像から消えた。と同時に、ゴンと鈍い音が響いた。
「今、テーブルに叩きつけたところです」
さらに、ゴン、ゴンと叩きつけている音が響く。画像が揺れて何が何やら、まったく分からない。何かがショートしたような、バチバチという音もした。
「あーーーーーーっ!!」
叫び声のような声と共に、激しい衝突音がして映像が途切れた。
「これ、壁に叩きつけたところです。担当者が駆けつけた時は、こんな風になっていました」
首が折れ、目玉が飛び出し、メチャクチャになったレンタルベイビーの画像が映り、美羽は小さな悲鳴を上げた。あちこちで「いやっ」「うわっ」と悲鳴が上がり、美羽の前のカップルの女性は男性の腕にしがみついた。
「この女性は、もちろん不合格ですし、レンタルベイビーを壊したので賠償金を払うことになりました。国でも、赤ちゃんを産む権利を認めないと、永世出産禁止令を適用しました。一生、子育てをできないってことですね。こうならないよう、繰り返しますが、思いつめる前に支援機構に相談してください」
部屋の電気がついた。みなあまりの衝撃で身じろぎもしない。青木はなぜか満足げな表情で、会場を見渡した。
「衝撃的な映像で失礼いたしました。これを見てショックで気絶した方もいるんですよ。壊れたのはロボットなのに。おおげさですよね」
青木はハハッと軽く笑うが、みんな笑う気になどなれない。重苦しい空気が部屋を覆う。
「そうそう、レンタルベイビーを壊すのは女性だけではないですよ。男性も踏んだり蹴ったりして、壊したケースは結構あります。後、レンタルベイビーがどういう作りになっているのか気になって、分解した技術者の方もいましたね。とにかく、男性も追い詰められる前に相談してください」
そのとき、映像が流れている最中に退出していた谷口が、ドアを開けて入ってきた。
「それじゃ、映像はここまでにして。実際にレンタルベイビーを見ていただきましょう」