②ステップ・バイ・ステップ
「ただいまー」
流が帰ってきた時、美羽はリビングのベビーベッドの横に倒れ込んでいた。
「ちょっ、どうした美羽っ」
流はリュックを投げだし、美羽に駆け寄る。辺りにはおむつが散乱していた。
「うう~ん」
体を軽く揺さぶると、美羽はうっすらと目を開けた。
「流……?」
「何、気分悪いの? 大丈夫?」
「大丈夫……」
美羽はゆっくりと体を起こした。床に横になっていたので、体が痛い。
「空の下痢が止まらなくなって……何度おむつを替えても、すぐにウンチしちゃうの。そのおむつ、下痢がやけにリアルで……フェイクって分かっててもきつくて……あの破壊力、すごいよ。で、脱水症状になりかけてたから、ミルクをあげたら、すぐに吐いちゃうし」
「脱水症状!? ロボットなのに?」
「そう。そこまでリアルにしなくていいよって感じなんだけど。もう疲れちゃって、床でちょっと寝転んでたら、眠っちゃったみたい」
「なんだ、ビックリした」
ベビーベッドを覗くと、空は何事もなかったようにスヤスヤと眠っている。流に助け起こされて、美羽はソファに座った。
「大きくなったなあ」と、空を見て流はつぶやいた。
「でしょ? 抱っこしてあやす時、腕がしびれて大変。腕を鍛えとけばよかった。なんか、腕を痛めちゃう人もいるみたいだよ。本物の赤ちゃんなら徐々に大きくなっていくから腕もそれに合わせて鍛えられていくけど、レンタルベイビーは0か月児の後はいきなり6か月児だから、腕が耐えられないみたい」
「へえ、そういうものなんだ」
流は冷たい麦茶を入れて持って来てくれた。
「あの動画じゃ、楽しそうだったのに。今回は楽なのかと思った」
「うん。一瞬で終わった」
麦茶を一気に飲み干す。自分が脱水症状になりそうだった。
「夕飯、どうする?」
聞かれて時計を見ると、9時を回っていた。
「あー、もう、こんな時間……」
「ピザでも頼む?」
「そうする」
美羽はソファに横になった。
――また、この毎日が始まるんだ。
嬉しいようなうんざりするような、複雑な想いに満たされた。
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翌朝、美羽は空の泣き声で目を覚ました。
ノロノロと起き上って「ハイハイ」と空を抱きかかえる。カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。
――あれ、昨夜、夜泣きしたっけ?
おむつを替えながら、ぼんやりした頭で考える。
――1回だけ起こされた気がする。そっか。夜泣きが少なくなったんだ。
「ちょっと大人になったんだね」
おむつを替えたら泣き止んだ空の額にキスをする。抱き上げて哺乳瓶をあてがうと勢いよく吸った。
リビングで寝ていた流が「おはよ」と寝室のドアを開けた。とたんに、トーストの香ばしい香りが流れ込んでくる。
「なんか、昨夜はあんまり泣いてなかったみたいだね」
「うん。一回しか起こされなかった」
「へえ。夜泣きって減っていくんだ」
「そうそう」
空が哺乳瓶を離したので、「お腹いっぱいになった?」と話しかけると、「ぐふ~」と美羽を見上げる。
――かわいいっ。
美羽は思わずつぶらな瞳に見とれてしまった。
「朝ご飯作ったよ。冷めないうちに食べよ」
「うん」
空を抱っこしたまま立ち上がる。これなら、今回はそれほど苦戦しないで済むのかも、と美羽は思った。




