②さっそく大パニック
「あ、起こしちゃったかな」
美羽があやそうとすると、レンタルベイビーは「っ、っ」と声にならない音を漏らし、体をのけぞらせたかと思うと泣き出した。とたんに、顔が真っ赤になる。
「ああ、ハイハイ、ビックリしたねえ、大丈夫だよ」
美羽は講習会で習ったように、体をゆすりながら、レンタルベイビーの背中を軽く叩いてあげた。それでも、泣き止むどころか、どんどん声は大きくなっていく。
「あ、もしかして」
美羽はソファにレンタルベイビーを横たえて、おむつを外そうとした。すると、足をピーンと突っ張るので、なかなか外せない。
――講習会の時は、こんなんじゃなかったのに……!
美羽は懸命に、「ちょっとだけだから、すぐに済むから」「おむつを替えたほうが、気持ちよくなるよ~」と言い聞かせるが、全力で足を突っ張りながら泣き続ける。
それでも何とかおむつを外したが、濡れていなかった。
「あれ、じゃあ、ミルクなのかな」
美羽はおむつを当てようとしたが、やはり足を突っ張るのでおむつをつけられない。先にミルクをあげることにした。
「えーと、ちょっと待っててね。哺乳瓶を持って来るから」
レンタルベイビーをソファに寝かせて哺乳瓶を袋から取り出していると、足をバタバタさせた反動で、ソファから落ちそうになった。
「やーーーーー!!」
叫び声をあげながら、スライディングして何とか受け止める。勢い余って、自分の頭をサイドテーブルの脚にぶつけてしまった。
「痛たたた……」
床に摺れた腕も痛い。レンタルベイビーは、さらに大音量で泣き続けた。
――確か、30分以上泣きっぱなしになるとヤバいんだよね。警告音が鳴るって、掲示板で言ってた。
美羽は、急いでレンタルベイビーをおくるみでくるみ、哺乳瓶を口に当てた。
「ホラ、ミルクだよ~」
ところが、レンタルベイビーは顔をそむける。
「えっ、嘘っ、ミルクでもないの?」
何度哺乳瓶を口に入れても、すぐに顔をそむけてしまう。
「うそ~、どうしよう」
美羽は時計を見た。もう20分ぐらい経っている。
――掲示板で、最初にレンタルベイビーがどんな行動をとるのか、聞いておけばよかった……。今からでも間に合うかな? 困ってるから、すぐに返事くださいって言ったら、誰か答えてくれるかも。
スマフォを操作しようとした時、チャイムが鳴った。
――誰よ、こんな時に。出ている場合じゃないんだけど。
美羽は無視して掲示板を開こうとしたが、チャイムが何度も鳴るので、インターフォンのモニターを見た。すると、さっきの女性が立っている。
「すみません、お忙しいところ、先ほど説明するのを忘れてしまったことがあって……」
女性はインターフォン越しに聞こえてくる泣き声で状況を察したのか、「もしかして、哺乳瓶のスイッチを入れ忘れていませんか?」と尋ねた。
「スイッチ?」
美羽はハッとした。確かに、講習会では哺乳瓶のスイッチを入れないとレンタルベイビーは反応しないと説明していた。
「試してみたらいかがですか?」
女性に言われて、美羽はソファに放り出してあった哺乳瓶を取り上げ、底にあるスイッチを入れる。レンタルベイビーの口にそっと哺乳瓶の乳首をあてた。
レンタルベイビーは大きく目を見開き、口を動かしながら乳首を吸いはじめた。ようやく泣き止んだ。
「飲んでる、ミルクを飲んでる!! よかった~」
美羽は思わずソファに座り込んでしまった。腕の中で、勢いよくレンタルベイビーはミルクを飲んでいる。プラスチック製の哺乳瓶は、レンタルベイビーが飲むたびにミルクの白いラインが減っていく仕掛けになっている。
――よくできてるなあ。
美羽が感心している時、またチャイムが鳴った。女性を待たせていることを思い出し、レンタルベイビーにミルクを飲ませたまま、インターフォンに出た。
「すみません、お待たせしちゃって。ミルク、飲みました! 泣き止みました!」
「そうですか、よかった! 引き渡しの時に哺乳瓶のスイッチを入れるよう、説明することになっていたんですが、忘れてしまって……失礼いたしました」と、女性は頭を下げた。
「そんな、教えてもらわなかったら、相談窓口に泣きながら連絡するところでした。助かりました!」
お互いに何度もお礼を言って、インターフォンを切った。
いつの間にかレンタルベイビーは満足したようで、哺乳瓶から口を離していた。
「お腹いっぱいになった?」
しばらく腕の中でやさしく揺すると、レンタルベイビーはウトウトと寝はじめた。
――はあ~、よかった! いきなり泣き止まないからパニックになっちゃったよ。何とかなってよかった。
「やっぱ、かわいいな」
そっと頬にキスする。
「今日から、あなたはうちの子になるんだよ」
美羽は、「やっぱりレンタルベイビーを申し込んでよかった」と心から思った。自然と笑みがこぼれる。
――赤ちゃんって、不思議。見てるだけで幸せな気分になれるんだもん。早く流にも会わせてあげたいな。流も実物を見たら感動するかも。
しかし、安らかなひと時は、それからすぐに終わりを告げる。ミルクを飲ませた後でげっぷを出させなかったので、レンタルベイビーはミルクを吐いて大泣きしたのだ。




