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千早ぶる神様と過ごした私の話  作者: さうざん
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天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水 い取り来て 公に奉りて をち得てしかも

伊勢の月夜見宮に、ツクヨミは戻った。雑多に置かれた私物や祭祀の道具をかきわけて、棚に並んだ変若水を手にとる。すぐにそれを体に振りかけ、続いて全身を冷たい水でよく洗った。腕に浮かび上がっていた痣は消えていった。



「まぁ、けれど、姉上のところに行く前に、五十鈴川でも禊をした方がいいか。」



ひとまず重い穢れを払えたことにツクヨミはほっとしたものの、トヨウケを守れなかった悔しさで再び胸がいっぱいになった。



















ツクヨミは目立たぬ神だ。日本の神々の中でもっとも貴い三貴子として生まれたものの、最高神である姉のアマテラスや、様々な逸話を持つ弟のスサノオほど目立った功績や逸話がない。ことになっている。ツクヨミの逸話としてまともに語られるのは、誕生した時くらいだ。



というのは、ツクヨミがつかさどったのが、月と、月を元に作られた暦つまり時間、そしてそれを元に営まれていく農業、そして夜の国を治めることだったからだ。だから、ツクヨミは「闇」と「夜」を持つ神だった。太陽神たるアマテラスや荒々しい英雄神であるスサノオとは、求められるものが違う。そんなツクヨミは、日本のありとあらゆる「闇」を管轄下に置く神でもあった。



ありとあらゆる「闇」、つまり、理不尽な死や、不幸など、あらゆる憎まれるべきもの、そして光のためになくてはならないもの、それがツクヨミが管理するものだ。



闇をも支配するためには、表に出て目立つよりも、陰に隠れたほうがやりやすい。三貴子はそのことを誰よりも理解していた。だから光り輝くアマテラスはツクヨミの功績を一切語らなかったし、荒ぶる英雄のスサノオは兄から目をそらさせるために暴れた。結果、ツクヨミが日本と神々を陰で守ってきた功績は、表に出ることはなかった。



そんなツクヨミの逸話として、伊勢で語り継がれた数少ない話がトヨウケとの関係だった。一切を語られない、語らせようとしないツクヨミには珍しいことである。あまり有名ではないが、伊勢の人々はツクヨミとトヨウケが月夜に毎晩会っていることを知っていた。



アマテラスに求められて、表向きはアマテラスの食事の補佐をするため、裏の事情としては多忙なアマテラスの代わりに神域たる伊勢の結界を管理するために伊勢に連れてこられたトヨウケ。力のある女神ではあったが、はたから見ても緊張し、無理をしている様子が垣間見えた。か弱いながらも必死に頑張るけなげな姿は、ツクヨミが夜と闇の神として見てきたどの女にも見たことのない姿だった。

他の神には姿の見えない恐ろしい闇の神とされ、親しい姉神と弟神にすら「ツクヨミも友達を作ったらいいじゃない」とか「兄貴ってほんと1人きりだよな」とか言われ、父神にすら「お前の功績に全く不満はないんだが……その、あのな、もう少し他人に興味を持ってくれ。」と言われたツクヨミが、初めて気になった女神だった。





ある日、儀式の準備で伊勢中が騒がしい中で、ツクヨミは神殿の廊下ですれ違ったトヨウケに、すれ違いざまに声をかけた。



「儀式まで時間がある。俺の控室に他の神は近づきたがらない。使ってもらって構わない。俺は姉上に申し上げなければいけないことがある。」



トヨウケははっとした顔で振り返ったが、ツクヨミはいつも通り仮面で顔を隠し、すれ違う神々など見えぬかのように廊下を進んでいく。





次の日、ツクヨミは朝早くに来客に起こされた。



非常に優秀なツクヨミの欠点が、早起きができない夜型人間であるということである。アマテラスをはじめ、神々の多くは朝型なので、ツクヨミはそういった点でも爪はじき者だった。もっとも、夜と闇の神としてはそちらの方が都合がいい。なので朝早くに来訪するのは、知っていてあえて遠慮しないアマテラスとスサノオくらいである。その2人も滅多に尋ねては来ない。



「いったい、誰なんだ……。」



やっとのことで床から出たツクヨミは、ふらふらと戸に向かって歩いた。実をいうと、伊勢での儀式を済ませたのち、ツクヨミは盗賊集団を裏で操っている質の悪い末端の神の情報を知り、その神を追いかけて一晩中闇夜をさまよったのだ。長年追っていた神だったので今度こそと最善を尽くし、なんとか捕らえることができたときには、もう東の空が薄明るかった。



「はい、どちらさ……。」



「おはようございます、ツクヨミ様。トヨウケです。昨晩はありがとうございました。」



戸には、朝食の握り飯を抱えたトヨウケが立っていた。



「昨日は、実は結界を張り直さなければならないことがあって、それで力を使いすぎて、とても儀式どころではなかったのです。結界のことは他の神々にも知られてはいけないと思って無理をしていたのですが、どうしようもなくて、他の方にも相談できずに困っていたのです。ツクヨミ様の控室で少し休ませていただき、本当に助かりました。あの、これ、よかったら、お礼の……ツクヨミ様!?」



ツクヨミは、昨晩よりも元気そうなトヨウケを見て安心した瞬間、気が緩んだのか崩れるようにその場に眠り込んでしまった。



ツクヨミが目を覚ますと、握り飯と漬物が置かれていた。その晩、ツクヨミは空になった盆を抱えて外宮に向かった。



気が付くと、ツクヨミは毎晩外宮のトヨウケの元を訪れるようになり、内宮の月讀宮ではなく外宮の月夜見宮に帰ることの方が増えた。













そのトヨウケとの関係も、知っている神々は少ない。ツクヨミが日本のありとあらゆる「闇」の支配者であるために表舞台から退いていたからである。ツクヨミ自身は弟のスサノオと同等の強さと、姉のアマテラスに負けないほどの権威を持つ神である。そもそも「闇」のすべてを支配下における時点で、相当な力の持主だ。



しかし目立った逸話がないため、人間たちの記憶からは薄れていき、信仰もそこまで集まらない。ツクヨミは密かに自らの力が衰えていることを危惧していた。もっとも、危惧するのほどのことではないとスサノオは笑っていたが。



しかし今回、ツクヨミはトヨウケを守り切ることができなかった。ツクヨミは自らの無力さを改めて思い知らされたのだった。

















ツクヨミは、髪を拭こうとタオル(地元の祭りの際に関係者に配られた薄手のタオルのあまりでツクヨミはさりげなく重宝している)を頭にかぶって 、月夜見宮でぼんやりしていた。外からざわめきが聞こえる。異国の言葉だ。ツアー客だろうか。戸の隙間から差し込む日の光は徐々に強くなっていく。禊の 変若水オチミズが射干玉の黒髪から滴り落ち、部屋着のやたら派手な柄の短パンに大きなシミを作った。(弟神のスサノオの冗談を真に受けたスセリヒメが某ニクロで買ってきたものだ。断じて自分で手に取ったものではない。)



「行くか。」



思わずツクヨミはそうつぶやいて、頭を抱えた。よほど参っているようだ。



ツクヨミは立ち上がって、物干しラックにかかっている服をかき分けた。黒や白のTシャツ、ジーパンとチノパン。その横にかかっている黒い直衣を手に取る。慣れた手つきで直衣を着てしまうと、月光のように静かに光をたたえる勾玉のついた飾りひもを頭に巻く。いつの間に美豆良ミズラを結う習慣は神々の世界でもなくなり、人間のような短髪の神々がほとんどだ。それでもかつて髪を結っていた名残からか、飾りひもを鉢巻のように巻く男神は多い。

















ツクヨミが宇治橋の袂まで来ると、瀬織津姫セオリツヒメという橋の守り神の女神がそこに立っていた。川の流れの女神で、姉神のアマテラスとはそれなりに関わりのある女神だ。アマテラスが荒魂となった時に彼女の手先として付き従うことが多く、アマテラスという女神の持つ力の強大さを間近で知る女神と言えよう。セオリツヒメ自身は普段は穏やかな女神であり、各地の橋を守る女神として信仰されている。



「ツクヨミ様にこの橋を渡らせるわけにはいかないわ。ごめんなさいね。」



「姉のところへ行かねばならない。」



「わかっていますわ。トヨウケのことは伺っております。でなければ、こんな穏やかな日に五十鈴川の流れが速くなることはありません。」



セオリツヒメはそう言って空を見上げた。彼女は宇治橋の守り神として、アマテラスが住む伊勢の神域の最深部を守っている。つまり、伊勢の結界を守っていたトヨウケとは協力関係にあった。



「禊を済ませずに橋を渡っては、天手力男神アメノタヂカラオに投げ飛ばされます。どうか五十鈴川で禊を済ませてください。」



「わかっている。」



「川の流れはいかがいたしましょう?」



「このままでいい。穢れを内宮に持ち込んではいけないし、持ち込みたくない。一応、内宮は僕の家でもあるし。」



もはや伊勢の神々にまで忘れ去られつつあるが、一応ツクヨミの本拠地は伊勢の内宮である。太陽の女神アマテラスと、月の神ツクヨミの本拠地は同じ場所にあるのだ。光と闇は常に背中合わせ。目立った功績はなくても、常に闇の世界からこの国を守ってきたツクヨミが、アマテラスと並ぶべき存在として君臨していることの象徴でもあった。一方、末の弟のスサノオは、これでもかというくらい大きな神社を抱えており「賽銭と願い事がどこからきたのかわからん」ととぼけて笑っているが、実は伊勢には自分の社を持っていない。「そういうとこだよ、末っ子のつらさって」と訳の分からないことを主張して父イザナギに頭をポコポコ殴られていたのはいつのことだったか。



もっとも、ツクヨミ自身はトヨウケのこともあり、外宮の月夜見宮の方が自宅のような気がしているし、それなりに日本全国にも社があるので結構忙しく、内宮には重要な儀式とか姉との会談とかそういう時にしか帰っていない。





ツクヨミはゆっくりと橋の下の五十鈴川に足を踏み入れた。進んでいくと、脇くらいまで水に浸かった。手と顔に水をかける。体に染みついた穢れが流されていくのを感じながら、ツクヨミはゆっくりと前に進み、そのまま対岸に足を乗せた。直衣は水になど触れてもいないかのように元通りに乾いており、髪からはひとしずくだけ水が滴り落ちた。



「ツクヨミ様、アマテラス様がお待ちです。もうしばらくしたら弟のスサノオ様も来られるとか。」



いつの間にか、アメノタヂカラオがその大きな体を折ってスサノオを迎えていた。



「わかった。」



「ご案内を。」



「いや、一人で十分だ。スサノオにもきちんと禊をさせてくれ。」



「かしこまりました。」











ツクヨミは森を抜け、参拝客を何人も追い越し、やがて石段の下までやってきた。大きく息を吸い込むと、ツクヨミはゆっくりと石段を登っていった。

長らくお待たせしました。……構想はあるんです!あるんですよ!

前回感想をくださった方、ありがとうございました。あなたのおかげでここまで書きました。

ここまで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。

仕事もありますが、ゆっくり更新していく予定ですので、どうかお待ちください。

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