1.魔王に魔王を押し付けられたんだが
永井 瑞樹は冷たいタイルの上で目を覚ました。
1LDKくらいの広さの部屋を一つのランプが照らしているだけの薄暗い部屋だ。
上体を起こし、重いまぶたを持ち上げ部屋を見回すと、ぼんやりと人影が暗闇の中に浮かんでいることに気づく。
「誰だ?」
ぴくりと影が揺らめく。
目を凝らすと、うっすらとその姿が見えた。
ボディビルダーのような肉体に濃いめの肌をした、大きな男が瑞樹を見下ろし立っていたのだ。
「ようやく起きたか」
男の室内に響く低い声に瑞樹は息を呑む。
音となって飛んでくる未体験の威圧感に体が固まってしまったのだ。
「そう緊張するな。落ち着くまで待っていてやるから」
その言葉で、瑞樹の体が威圧から解放される。
ふうと息を吐き、瑞樹は頬に伝う汗を拭う。
少し冷静になった頭が状況の理解を行うが、あまりにも情報が少ない。
「……どうだ、少し落ち着いただろう?」
「あ、あぁ。ただ、何が何だか分からないんだけど」
逸れそうになった思考が男の声に引き戻される。
「そうだろうな。じゃあ、少し説明してやろう。お前は本来何らかの形で死ぬはずだった。そこに、こっちの人間共の召喚陣が作用して、この世界に連れてこられたのだ。まあ、俺が召喚陣に介入してお前をここに連れてきたんだが」
「じゃあここは人間が住んでるところじゃないのか?」
「聡いな、そういうことだ」
男が言い終えると同時、室内が明転し男の全貌が明らかとなる。
瑞樹にここが異世界であるという実感が湧いた。
色黒だと思われた肌は紫色であり、頭頂には天に伸びる猛々しい2本の角。
大きく目を見開き、まじまじとその姿を見る瑞樹の視線を気恥ずかしく感じた男はそのゴールドの短髪をぽりぽりとかいた。
「聞きたいことはまだまだあるだろうが、一つだけ教えてやる。俺は今、魔族を治める立場にある。いわゆる魔王様だ。その魔王様がお前に用事があるんだから、聞いてくれるよな?」
百獣の王ライオンのような魔王の強面から白い歯が見える。
「嫌な予感しかしない……」
瑞樹はラノベを読んでいた時期があったため、人間の領土でないと聞いた時に、男が自分の常識外であることは推測できたため、男が魔王であることにそこまでの驚きはなかった。
しかし、魔王の笑みを見て、これから先碌なことがないと感じ取りため息を漏らした。
魔王に連れられ階段を登ると、日の光がまばゆい。
どうやらあの薄暗い部屋は地下室であり、階段を上った先は高価そうな壺や輝く額縁に収められた絵画、まるで貴族の一室のようだった。
「俺の部屋だ。幹部集合!」
魔王が声を張り上げると、正面のドアからドタバタと人が動いているのが伝わる。
しばらくすると、ドアがノックされる。
「幹部、全員揃いました」
「入れ」
「失礼します」
ドアが開き、5人の老若男女が入り魔王の元に跪く。
「よし、それじゃあよく聞け。ここに坊主がいるだろ」
「は、はあ」
魔王に指さされた瑞樹も、尋ねられた5人も動揺を隠せない。
「今からこいつが魔王だ。俺は旅に出る」
「んなっ」
「……は?」
全員の開いた口が塞がらない。
「なかば強制的に魔王にさせられて50年。前々から思ってたんだよな、向いてねえって。頭の固え貴族の前じゃマナーがどうだの人付き合いがああだの。週に1度は地方から、魔物が攻めてきただの内乱が起きただの言いやがって、自分らでなんとかしろやって何度思ったことか。俺は強い奴と戦いてえし世界を見て回りてえ。ここに留まってちゃあそれができねえんだよな。ていうことだから、お前らはこいつのことサポートしてやってくれ」
告げられた言葉に真面目な雰囲気の女性が、長い紫の髪を揺らして食ってかかる。
「ち、ちょっと待ってください! いきなりすぎます! 辞める? 向いてない? 百歩譲ってそれは認めるとしましょう、しかし、こんな人間なんかに次代魔王をまかせるなんて本気ですか!?」
「そうだ! チートもない俺に魔王なんかできるわけないだろ!」
この場は魔王対他全員という空気に包まれた。
「お前ら、これは魔王としての命令だ、魔王の座はこいつに渡す。いいな」
有無を言わせぬ魔王。
それでも納得がいかないという表情をする紫の髪の女性。
2人の間で睨み合いが始まり、緊張が高まる。
「なんだその目は。拳で語ろうってか?」
「認められません。歴代最強と謳われるあなた様が早々に代替わりするなんて」
バチバチと視線を交錯させる。
「俺が最強なら、こいつは最高になると思うが」
「戯言を。人間が魔王になるなど、誰が認めるのですか。仮にその素質を持っていたとしても、彼が苦労し、結果潰えるだけです」
もはや一触即発の空気である。
2人の圧力が場を支配し、瑞樹は息を呑む。
「はぁ。サーニャ、その辺にしておきなさい。魔王様の意思は固いようです。それに私たちが命令に逆らうことは本来死を意味することですよ」
初老の紳士という印象を受ける男がサーニャを嗜めた。
「くっ…もう好きにしてください!」
「ガハハ、言質は取ったぞ」
魔王は拗ねたようなサーニャを見て快活に笑い、幹部もつられて口元が緩んでいる。
その姿を見て、ありふれた魔王=悪者という印象は瑞樹の中で瓦解した。
瓦解しただけ、なのだが。
「待てよ、俺はできないぞ魔王なんて」
円満に解決したかに見えた話に瑞樹が反発する。
生まれてこのかた、学級の委員長すらしたことがない瑞樹には人の上に立つことに自信がない。
それも一国の頂点に立つなど、聞いただけで逃げ出したくなる。
「まだ言うか!」
サーニャから叱責の声が飛ぶ。
「できるわけないだろ! こんなの発表した瞬間にクーデターが起きて殺されかね「国民を愚弄するな」イエッサー!」
「魔王をやってくれるな?」
「喜んでっ!」
殺されかねないと言い切る前に、いつの間にか背後に回った、体格だけなら魔王にも勝るものを持つ大男が瑞樹の首元に短剣を突きつけていた。
首に刃が触れた瞬間死を感じた瑞樹には肯定の言葉以外残されていなかった。