6、進む為の六歩目
今日も、あの浜辺で彼女を待とうと思っていたけれど、何だか、体が重かった。それに、額に手の甲を当ててみたら、昨日より熱が上がっているような気がした。念のため、体温計で測ってみたけど、やっぱり昨日より上がってる。頭もクラクラするし、何だか気持ち悪い。
「……奈留、大丈夫か?」
「……ちょっと、ダメそう、かな」
「……昨日、無理しすぎたからか?」
「そのせいじゃないと思うけど……今日は、あそこに行けなさそうだ」
そう言ったら、カズの顔が曇った。何か、いけない事でもあったのかな?今日じゃなくちゃいけないような、大切な事。
「……ゆっくり休め」
それだけ言い残して、カズは消えちゃった。消える瞬間に見たカズの顔は、切羽詰ったような顔だった。何か理由がありそうだったけど、聞く間もなく消えてしまったので、聞くに聞けなかった。
奈留が行けないと、今日だけは困る。昨日の晩に、有実の部屋に行ってみた時、あいつは言ってたんだ。今日だけは行ってみるって。一度だけだって。だから今日、この機会を逃すと奈留は、もう二度と有実に合えないかもしれない。それは、困るんだ。奈留が行かねぇと、あれが渡せない。
「どうしたらいい……、どうしたら」
奈留に事情を言って、行ってもらう方が嬉しい事は分かってる。でも、それは奈留の病状を悪化させるかもしれねぇ。……たかが熱くらいで死にゃあしねぇと思うけど、無理はさせたくない。死んだ俺の変わりに、やってくれようとしてくれる事があるのだから。これ以上、迷惑はかけられねぇ。
でも、このチャンスは一度きり。これを逃せば、またいつ来るか、分からない。来ない可能性だってある。……その可能性のほうが、多いし。だからと言って、病人に無理はさせられねぇ。
俺がこうして悩んでる間にも、あいつはあの場所で、俺の事を待っててくれてるかも知れねぇ。……いや、俺じゃあねぇか。俺じゃなくて、奈留を待ってる。今の、あいつは。
「……ズ、カズ」
俺を呼ぶ、奈留の声がする。でも、いつもみたいに明るくはない。死ぬ前の、俺みたいな声だ。そんな奴に、やっぱりあの場所には行かせられねぇ。
「何だよ、奈留」
身支度を整え終えてる奈留を見て、俺は戸惑った。
「……お前、熱あんのに、行く気かよ」
「……今日じゃないと、いけない理由があるんだろ?……分からねぇけどさ」
照れくさそうに言った奈留が、頭をかいている。照れ隠しのつもりだ。いつもそうしてたから、覚えちまったよ、全く。
「……さあ、じゃあ行こうか」
*
君の背中があった場所。君とそっくりな背中があった場所。そこに座って、君を待ってるの。でも、来ないよね、きっと。だって、君はいないんだもの。この世界には、もう―――。君からもらったお気に入りの髪留めを付けて、君に分かりやすいようにしたつもりなんだ。分かるかな?気付いてくれるかな?
恋人や、サーフィン仲間と一緒にいる人達が周りに多くてね、私、かなり浮いてた。恥ずかしいって思ってたけど、君が来てくれるかもしれないって思ったら、そんな事、どうでも良くなったんだ。本当だよ、嘘じゃないよ。
一人で浜辺に座ってるのって、こんなにつまらなかったっけ?こんなに、悲しかったっけ?
あの時は一人で座ってても、絶対に海から君が上がってきて、疲れたって言って、私の隣に腰掛けてくれてた。……だから、一人でもつまらなくなかったんだろうね。話しかけてくれるから、悲しくなかったんだろうね。
私の前で、仲良くしてる恋人達を見ると、寂しくなるの。どうしてそんなに楽しそうなのって聞きたくなるほど、馬鹿みたいに笑ってるから。誰から見ても、とっても楽しそうだったから。それが、羨ましかったのかもしれないね。私の隣に、もう君がいないから、他の人達に、焼き餅焼いてたのかもね。……きっと、そうだよね。
どうせ来ないだろうって、分かってるのに。あれは、幻だって分かってるのに。何でこんなに待てるのかな。他にする事がないから?それとも、君が来てくれると、信じてるから?どっちだろうね。もし、最後のだったら、ちょっと自分がカッコイイな。だって、信じて待ってるんだよ?来ないと分かってる人の事。どうせ来ないなら、他の所行っちゃうのに、律儀に待ってるんだよ。笑えるかもしれないけど、そういうの、私は好きだな。
明るすぎる夏の日差しも眩しかったけど、楽しそうに笑ってる人たちのほうが眩しくて。細めた眼の先に、君が見えた気がしたの。蜃気楼だろうと思って、目を逸らしたんだけど、それは動いてたの。私に向かって、歩いて来てくれてたの。心臓が、飛び出しそうだった。
「……」
君の名前を呼ぼうと思ったけど、それは君じゃなかった。全然知らない人。でも、どこかで会ってる気がして、怖くなかったの。
「……君、誰?」
「え、あの、……別に怪しい者じゃないんですけどね」
そう言ったその人は、でも、少し怪しかった。夏の浜辺に、ジーンズに袖まくりしたワイシャツだなんて、場違いな気がしたの。私は、一応ここの雰囲気に合わせて、白いワンピで来たのに、私が場違いみたいに思えてきちゃった。
「……」
「……」
その後もね、何も言わないでその人は私の前に立ってるの。何か言いたそうなんだけど、言えないみたいだったよ。もしかしたら、人見知りなのかも。そう気付いたの、結構時間が経ってからだった。
「あの―――」
ベタな事って、ホントにあるんだね。二人の声が揃うやつ、あれ、何回も撮り直して出来てるやつだって思ってたの。それがね、たった一回で出来たの。私的には、少し驚いたな。
「先に、どうぞ」
「え……あ、はい。あの、君も誰か待ってるの?」
「一応、そうですね」
「誰を?」
「……死んだ友達の恋人」
しばらく言いにくそうにしてから、彼はそう言ったの。正直変な人だなって思ったの。逃げちゃおうかなって思ったんだけど、逃げる気がしなかった。死んだ友達。それがもし、君だったらって、思ったからだよ。
「僕からも、確認させてもらいたいんですけど」
「何ですか?」
「君、有実さん?」
いきなり自分の名前を呼ばれるなんて、思ってもみなかった。かなり予想外で、変な顔してたと思うよ。君が爆笑しそうなくらいに、情けない顔に。
「……そう、ですけど?」
「なら、良かった。これ、君の彼氏からです」
そう言って彼がポケットから出したのは、拳銃じゃなくて、手紙だった。随分汚れてるみたいだけど、間違いなく手紙だった。受け取ったその手紙にはね、君の字で、『有実へ』って書いてあった。懐かしい、ちょっと雑な字。
「渡して欲しいって、君が出かけた頃に、言われたんです。……信じてくれないと思うけど、幽霊になった、カズ……じゃなくて、一輝に」
何か、お礼を言った方がいいとは、心で思ってたけど、言葉が出なかった。君が、私に手紙を書いてくれてたなんて、知らなかったから。そんな事してた事すら、知らなかったもの。
「呼んでみて欲しいって、一輝が言ってるよ」
「……ここに、いるの?」
「……見えないだろうけどね」
それを聞いたら、私はもっと嬉しくなった。見えなくても、君がいてくれるなら、ただそれだけで嬉しかったから。
砂っぽい手紙を開くと、やっぱり君の字で内容は書かれてた。懐かしい字の一つ一つが、心に染みるようだったよ。ジジ臭いかもしれないけど、本当にそうだったの。
その手紙にかかれてた内容は、こうだった―――。