5、決意と共に、五歩目を
カズに頼まれてから、ずっとカズの言っていた場所で待ってみているけれど、彼女は来ない。夏だから、観光客と一緒に、サーフィンをやっている人に紛れて、僕が分かりづらいのかもしれない。まあ、見つけてくれてたとしても、知らない男に声は掛けてこないだろう。そんな軽いな奴じゃないって、カズも言ってたし。そこは、信用してもいいと思うけど。
「はあ……、今日も来ないんじゃない?」
「……もうちょっと、待ってみてくれよ」
「……ちょっとだけ……ねぇ」
ため息を吐いてみたけど、気分はスッキリしなかった。もっと早く来てくれるかと思ってたけど、ちょっと考えが甘かったかもしれないな。はあ……。
「……有実」
そうやってカズは、時々彼女の名前を呟く。そして、ため息混じりに悲しそうな顔をするんだ。何故か―――彼女がいない僕には分からないけど―――、やっぱり会えないと寂しいのかもしれない。
ふと、視線を感じた気がして、後ろを振り返ってみたけど、誰もいなかった。涼しげな風鈴を鳴らして、アイスを売っているおじさんはいたけど。その肩越しに電車が見えたけど、そこから見てたとしたら、たった一瞬しか僕の姿は見えなかったと思う。だから、電車からってのはない。また、幽霊が見てたのかもしれない。たまにあるからな、そういう事。
結構それから待ってみたけど、やっぱり来なくて、カズは寂しそうだった。僕はどうでもいいんだけど、絶対来るって思った場所に、待ってても来てくれないってのは、辛いのかな?よく分からないけど、励ましてやった方がいいかな?
「カズ、そんな落ち込むなよ」
「……落ち込んじゃいねぇよ」
「でも、暗くね?」
「……気のせいだよ、きっと。……それよか、お前は大丈夫なのかよ」
「何が?」
「……熱っぽいんじゃなかったか?」
「……大丈夫だよ、すぐ治るさ」
確かに今日起きてから、少しだるかった。だから熱を測ってみたけど、平熱より少し高いだけで、咳もないから大丈夫だろうと思ってた。あの時、カズはいなかったはずなのに、何で今日、僕の体調があんまり良くない事、知ってるのかな?……昔っからそうだった気がするけど、よく人の変化が分かる奴だなって思った。少し元気がないだけでも、怒ってるだけでも、すぐに気付くのはカズの特徴だった。……その代わり、自分の事には鈍感だったような……。
「帰ろうぜ、これ以上ここにいても、来ないだろうし」
悲しそうに言って、カズは立ち上がった。っていうか、浮かび上がったの方が、正しいのかも。
「じゃあ、また明日、待ってみるか」
う〜ん、と伸びをした時気付いた事、それは、カズが泣いてた事。幽霊が泣くのかって思ったけど、あれは確かに涙だった。半透明だけど、悲しい気持ちは、しっかりと伝わった。
*
家に帰ってからも、あの浜辺の人の事が気になってたの。……好きとかそういう事じゃないって事は分かってると思うけど、あの後姿が、君にそっくりだったの。……君に、見えたの。違うって思えないほどそっくりな、大きな背中。でも、どこか頼りなくて、支えてあげなくちゃって思う、あの背中。
「君なの……?」
声に出して言ってみたけど、返事なんて、くる訳なかった。きたら奇跡だよね。とっても嬉しい奇跡。
夕飯を食べてる時も、お風呂に浸かってる時も、寝る前も学校に行く時も、授業中でもあの背中が気になってた。寂しげに見えた、あの背中が、どうしても忘れられなくて。
でも、でもね、あの浜辺に行くのが、……怖かったの。君との思い出が、一番強い所だったから。旅行に行くって決めた時、あそこに行ってみようって思ってたんだよ。でも、途中で怖くなっちゃって、朋美にその事も言えなかった。恥ずかしいって事もあったけど、そこに行くのが、何よりも怖かった。
それでも、毎日あの背中が頭の中に浮かんで、私を困らせようとするの。行って欲しいんだって、君が言っているのかもしれない。でも、そこに行ったら、君が消えてしまう気がしたの。本当に、心の中からでさえも、君に逢えなくなってしまうような、そんな気がしたの。それは、嫌だったから、私はそこには行けないの。……ゴメンね。本当に、ゴメンね。
忘れようって、思い続けたよ、それからずっと。思い出さないように、わざと他の人達と仲良くしゃべって、あの背中を忘れようとしたの。思い出さないように、もう考えないように。
でも、どうしてなんだろうね。あの背中は、君じゃないのに、忘れる事が出来ないの。忘れようとすればするほど、余計に深く私に突き刺さってくるの。そう、まるで指に刺さった棘みたいに。私の心に刺さって、抜けてくれないの。どうしてだか、君には分かる?私には、……分からないよ。全然、分かんない。
『有実、見てろよ。俺のすんばらしい泳ぎを』
『お前も来いよ、有実!楽しいぜ!』
『……つかれたぁ。おい、有実。そんなに泳ぎ上手かったのかよ。知らなかったぜ』
『……有実。俺、……お前が好きになったみたいだ。付き合ってくれないか?』
『……え、マジ!?ホント!?お、俺でいいのかよ!!マジ大好きだよ、有実!!』
あの背中が、君の言葉を思い出させるんだ。何でか、それが分からないんだ。君じゃないのにだよ?全然関係ない人のはずなのに、君の言葉を、思い出させるの。くだらない言葉も、大切な言葉も、全部あの背中が持ってる気がするんだよ。何でだと思う?……君なら、どうする?……あの背中に逢いに、行ってみる?
私一人じゃ決められないよ。どうしたらいいの、答えて。君が行って欲しいって言うんなら、絶対行くから。君のために、行くから。ねえ、答えて―――。
「……有、実」
名前を、呼ばれた気がしたの。私の名前を、君が呼んだ気がしたの。でも、振り返っても、枕の下を見ても、クローゼットの中を見ても、どこを見ても君がいないの。君の姿が見えないの。もし、本当に私の名前を君が呼んでくれたのなら、もう一度呼んで。お願い。もう一度でいいの。そしたら、きっと決意が出来る気がしたから。
「ねえ、呼んで……」
そう、口に出して言えば、君が現れて、私の名前を呼んでくれるような気がしたよ。でも、君は現れなかった。声も、聞こえなかった。静かな部屋で、独りぼっちなのが、余計に寂しくなっちゃうよ。ねえ、名前だけでいいの。呼んで、呼んで―――。
「……か、一輝」
「……有実」
久しぶりに呼んだ君の名前に答えるように、君が私の名前を呼んでくれた気がしたの。空耳だったかもしれない。でも、それは君だったと思うの。あの声は、君だと思ったの。
だから、私、行ってみようと思うよ。あの背中に逢いに。変な事で、決めた事かもしれないけど、君が、行って欲しいって言ってると思ったから。あの背中が本当に、君なのかもしれないと思ったから。
だから、あの背中に逢いに行くよ。……でも、行くとしたら、一回だけで許してくれるかな。あそこは、君との思い出が詰まり過ぎてるから、きっと長い時間いると、泣いちゃうだろうから。だから一度だけで、許して。ゴメンね、身勝手で。それでも、許して欲しいの。逢う事を。逢いに行く事を。……一輝。




