1、初めに一歩
君は、覚えてるかな?あの日の事。
私は、その日を思い出すだけで、何だか笑えてくるの。馬鹿な事やってたなぁって。
君が覚えていなくても、私はちゃんと覚えてるよ。
君と過ごした日の事。
楽しかった、日の事。
だから、だからね。
私、決めたんだよ。教えてあげようか?
それはね―――。
*
真っ白い四角い部屋は、何だか寂しくて、私の心の中みたいだった。出窓に置いてある花も、枯れて見えた。1つのベットの隣に置いてある、白い棚の上の綺麗な絵。どこの誰が描いたのか、君も私も知らなかったよね。
空っぽのベットを撫でながら、まだ君がここにいる気がして、何だか切なかったよ。綺麗にならされたシーツの上を、私が撫でる度に、波みたいな模様を作ってた。私が大好きな、海の模様。だけど、それを共感してくれる人がいない。悲しいな。
「……帰らなきゃ」
急にそう思って呟いてみたけど、余計に悲しくなっただけで、帰る気力さえ残ってなかった。だって、まだ信じられなかったの。かなり危険な状況にあるって事は、知ってたけど、急に君がいなくなるなんて、考えられなかった。静か過ぎる純白の部屋は、私に何の言葉も掛けてくれない。早く帰れって言われてるみたいで嫌だった。
「……何で、一輝なのかな?」
無言の病室は、何も言わない。もし、ここに君がいたなら、きっとこう言ってたよね。
「何でかな?」
「有実、泣くなよ、大丈夫だから」
そう言った君は、酸素マスクをつけて、とても辛そうだった。オペ室に向かうなか、一時的に意識を取り戻した君は、私にそう言ってくれた。とっても嬉しかったけど、でも、やっぱり涙は止められなかった。
だってさ、今度オペをする時、君の体が持たないかもしれないって、お医者さんが言ってたんだもの。それ以来、ずっと心配で。心配で。どうか、もう容体が悪化しませんようにって、寝る前に必ずお願いしてた。でもね、神様なんて、意地悪な人だから、簡単に裏切られちゃってさ。急に苦しみ始めた君に、私はただ、ナースコールに助けを求めただけ。他に、何もしてあげる事が出来なかった。
もし、君が死んじゃったら、私のせいだよね。私が毎日君のところに来てたから、無理させてたんだよね。でも、君が心配だっただけなんだ。私が知らない間に、君の優しい吐息が止まっちゃう事が、何よりも怖かった。嫌だったんだよ。だから、君が死んじゃったら、私のせいだよ。心配してた私を気遣わせた、私のせい。
「ねぇ、一輝。死なないで……」
「大丈夫だよ、大丈夫。な、笑ってくれよ。お前の泣き顔、嫌いだからさ」
「笑えば、いいの?」
「とびっきりの笑顔……見せてくれ」
無理して笑った私の顔見て、君も弱々しく笑い返してくれた。それが嬉しかったけど、余計に胸が苦しくなったよ。だって、泣くなって言ってた君が、泣いてたんだもの。無理して笑っちゃってさ。そんな事しなくていいから、無理しないで。私は、きっと大丈夫だから。
目の前で扉が閉められて、手術中のランプが点いた時、私は崩れ落ちて泣いた。心配や、不安、君を失う恐怖。それが私に襲い掛かってきたから。
何時間かした頃、君のご両親もここに来てたよ。君は分からなかっただろうけど、お母さん、涙ぐんでたよ。お父さんだって。そんなに心配されてたんだよ。いろんな人に、心配されてたんだよ。だから、君は生きて帰ってきてくれるって、私、信じてた。いつもみたいに、何日かして、目が覚めて、ようって言って、君は笑うんだ。
なのに、君は笑ってくれなかった。ずっと待ってたのに、君は寝たままで、起きなかった。信じて待ってた私が馬鹿みたいで、情けなかった。君は死んでなんかいないって。信じたくなかったんだよ。君が死ぬなんて、考えられなかったから。
目を開く事無く、君は延々と眠り続けていた。起きる事を期待して、次の日の朝になるまで、君が目を覚ますのを待ってた。でも、君は静かに眠っていて、綺麗に澄んだ目で私を見てくれはしなかった。
独り、静かな君の居なくなった病室に来て、また涙が出てきた。だって、綺麗に整頓されてたから。乱れたシーツも、あったかそうな掛け布団も、何もかも綺麗にされて。君がいなくなったそのベットは、もう君の事を忘れて、次の患者を待っていた。それが無性に悲しくて、寂しくて。
もう、こうしてはいられない。だって、もうここに来る理由がなくなってしまったから。静かに席を立って、広い廊下に出ると、君のご両親がいた。お母さん、目の回りが赤くなっていたよ。きっと、君のために、たくさん泣いてくれたんだね。
「有実……ちゃん、だったわよね?」
「はい……」
「今日から2、3週間後に、一輝のお葬式を挙げようと思ってるの。そのうち詳細を電話で知らせてあげるから、来て欲しいの。……きっと、一輝も喜ぶと思うから」
「はい、そうさせていただきます。有難うございます」
君のお母さんが言ったとおり、2週間後に君の式は挙げられた。たくさんの身内の方々に、親しい友達の姿もたくさん見たよ。それに、担任だった先生も来てた。みんな黒い服着て、表情まで暗かったよ。……当たり前だよね。人が、友達が死んじゃったのに、平気でいられる訳ないもんね。
何の滞りもなく、君の式は終わった。あっという間の事で、もしかして、これはドッキリなのかもしれないと思ったけど、やっぱり現実だった。頬をつねったら、痛かったから。ゆっくりと目を閉じて、開いても、幻は消えなかったから。
最後まで、君の家の前で立ってたら、また、涙がでてきちゃったよ。それまでずっと忘れてたよ、泣く事。それほどショックだったの。
その日からずっと不登校気味になって、学校に行く事が、とても嫌になった。だって、君のいない学校なんて、ただの檻だよ。仲良しの友達はいるけど、君と話せるから、とっても輝いて見えてたんだ。その輝きがなくなっちゃえば、つまらない所だよ。
一日を自分の部屋で過ごして、ご飯もろくに食べなかったら、5キロも痩せちゃった。元々痩せ過ぎだって君に言われてたのに。何もする気力がなくて、ただゴロゴロしてたら、心配した友達が来てくれた。朋美だった。
「大丈夫、有実?だいぶやつれたみたいだけど……」
「……大丈夫だよ。元気、元気!」
そう言ってみたんだけど、やっぱり元気が出なくて、余計に心配させちゃったみたい。
「あ、そだ。はい、これ。休んでた分のノート。雑だとか言わないでよ」
「有難う、朋美」
ピンク色したキャンパスのノートが、何だか嬉しかった。
「じゃ、アタシ、塾あるから。また来るね」
そう言い残して朋美は帰っちゃったけど、もっと話していたかったな。君の事について、いろいろ。親友の朋美だったら、きっと聞いててくれただろうから。そしたらきっと、元気になれる気がして。
朋美がくれたノートを開けた時、手紙が落ちてきたの。それ、クラスのみんなの寄せ書きだったよ。1つ1つ読んでたら、こんなにたくさんの人に迷惑掛けてる私って、情けないなぁって思ったんだ。だから次の日から、少しずつ学校に行くようになったんだけど。
「有実、暗くない?」
そう言われる事が多くなっちゃった。なっさけないよね、ホントに。いい加減、受験生だから立ち直らないといけない事ぐらい、分かってる。でも、どう足掻いても、君を失くした穴が埋まらなくて、心にポッカリ開いた穴が埋まらないんだ。どうしたらいいか迷ってる時、また朋美が来てくれたんだ。でも、少し怒ってた。
「何で、そんなにズルズル引きずってるの?一輝君が死んじゃった事は、本当に悲しい事だって分かるよ。でも、そんな有実が悩んでたら、きっと成仏できないよ?」
「……ゴメン」
「アタシに謝らないでよ。謝るなら、一輝君でしょ?ねぇ、有実。元気出してよ」
「……ゴメン」
「……もういいよ、アタシ帰るね。バイバイ」
心配してくれてるのに、冷たいね、私。謝ってるだけじゃいけない事も、分かってたけど、それを言うための勇気が出なくて。弱いね、私。
何ヶ月も、友達と連絡を取らなくなって、朋美もノートを届けてくれなくなってたいつごろか。いつの間にか、誰かからメールが来てた。お母さんからだった。
そういえば、食事を運んできてくれても、何も話さなかった。ただいまも、行ってきますも、そんなちょっとした挨拶もしなくなってた。まるで、引きこもりみたいに。……その時に気付いたの。私、引きこもりになってたんだって。
携帯を開くと、こっちに向けて笑いかけてくる、私と君がいた。とっても幸せそうに笑ってて、その先に起こる不幸のものの影さえ感じさせなかった。それを見てると辛くなるから、受信ボックスを開けて、母から来たメールの内容を読んだ。それは、こんな内容だったよ。
『件名 有実へ』
『有実、最近姿を見せてくれないけど、大丈夫?
お母さん、心配だけど、声を掛けるのが怖くてね。有実が、あんなに悲しそうな目をしているの、始めて見たから。どう話しかければいいか、分からなかったの。
そんなに好きだったんだね、一輝君の事を。お母さんには、何も言ってくれなかったでしょ?だから、彼が死んでしまった時に、彼が彼氏だって知って、悲しい反面、嬉しかったわ。だって、いつも『彼氏なんていないよ』って言って、有実は誤魔化してたからね。
でも、お母さんが言いたい事は、ただ有実が心配って事だけじゃなくて、旅行にでも出かけて、気分転換してほしいなって、思ってるの。
彼と巡った所だけじゃなくて、いろいろな風景を見るの。そうしたら、少しは気分が晴れるんじゃないかって。
それで、もし、行く気があるのなら、朋ちゃんを誘って。もう、朋ちゃんには言ってあるから。行く気がないなら、それでいいからね。
じゃあね、これだけだから。また、メールした時、返事をちょうだい。待ってるわ』
悲しくも、嬉しくもないのに、勝手に涙が流れてきてた。液晶の画面にその雫が垂れないように、それを拭って、私は決意したんだ。旅行、行ってみようって。君を忘れるためじゃないよ。君との思い出の地に行ったら、この穴が埋まると思ったの。だから、私、旅行に行くね。君も一緒に来てくれるよね。きっと、きっと。




