悲劇または始まりのタクト③
屋敷の中はわかりきっていたことではあったが、真っ暗闇が広がるばかりであった。一寸先は闇、ランプがなければ本当にそうなっていただろう。
だが探索が一向に進まないのは、それだけが理由ではない。
エクソシストという最高職の屋敷とだけあって、やたらめったら広過ぎるのだ。入ってから数10分経っているというのに、まだ1階の部屋を見回れていないんだもの。もう大分暗闇に目が慣れてきた。
これがどこかの古びた廃屋とかであったなら、探索がさぞかし楽チンであっただろうになぁ、と考えているわたしはどうなんだろうか。
なんて安易な考えを抱けるようになってきてはいるが、恐怖心が完全に消え去ったということはない。むしろさっきからなにも起こらな過ぎて、より一層帰りたくなってきている。
それは、ここらでなにか起きて欲しい半分、なにも起きて欲しくない半分、の感情のときのことだった。
「あれ、明るい……。なんで……?」
突き当たりの角を曲がった小部屋に、明かりが灯っているのがわかった。近づくと扉の隙間から温かい光が漏れている。
聞くところによると、悪魔は如何なる光も好まないらしい。ならばあの光はなんなのか。光なんて、とても悪魔たる邪悪の塊のような存在が好むような代物ではない。ならばこんな悪魔屋敷(仮)に光があるのは不自然だから、誰か人がいるということになる。
わたしは扉にそっと耳を当て、中の様子をうかがった。盗聴みたいで少し気が引けたが、もう既に不法侵入という罪は犯してしまっているため、今更どうということはない。
静か、であるが、静寂というわけではなかった。男女のものであろう話し声が聞こえてくる。それもかなり親しい男女がするような、お互いにしか聞こえないくらいのボリュームで交わされている、少し羨ましい、こしょこしょ話というものだ。
わたしは部屋の住人がいまいち人間なのか疑心暗鬼しながらも、手の平サイズのちっぽけな『殺意』を押し込めて、扉の隙間から覗き込んだ。
結論から言えば、部屋の住人は人間だった。ふたり。ひとりは壁に背をつけている、どこかの機関の制服を着ていて、全身が異様なまでに白い少年。もうひとりは彼の腰に馬乗りになって胸に抱きついている同じ格好の少女だった。腰まで伸びているであろう乳白色の髪の毛が、まるでエルフの王女のようで儚く美しい。
少年は、嫌々な顔をしながらも、胸に頭を預ける少女を抱きしめている。少女にせがまれて、仕方なくしているのだろうか。そんな風な印象を受ける。
一方で少女は抱きしめられながら、表情を蕩けさせている。今にも眠ってしまいそうなまでに安心しきった、小動物のようで可愛らしい。少女は少年のことが好きなのだろうか。
まさに恋人。
そしてこれが美男美女であるから、また憎たらしい。
(あああああ!! 嫌味か!! 嫌味か!? イチャイチャしやがって! 羨ましいなぁこんにゃろおおお!)
涙目になりながら、わたしは心の中でこう叫んだ。
わたしは、甘ったるいイチャラブムードな部屋を、物理的にぶち壊してしまいたい衝動に駆られた。
今にも杖を折れそうなくらいの力で握りしめ、岩石作って上からたたき落としてやろうか、と思った。
しかしそれもそのはずなのだ。わたしには、生まれて此の方、それらしい男女関係を経験したことはなく、恋らしい恋すらもしたことが皆無と言っていいほどないのだ。
なんて寂しい人生だろうかと思うかもしれないけれど、そうではない。少しばかり語弊が生じる。
正確には恋をしたことがある。2、3回と片手で足りる数だけではあるけれど。でも想いを誰にも話さず、本人にも伝えられず、意気地無しなわたしは、すべて勝手に撃沈してきた。
だから夢にまで見たイケメンの抱擁とか、イケメンとのキスとか、イケメンの匂いとか声とかその他諸々を、未だ知らない。
とは言っても、本人はそこまで焦っているというわけではない。……わけではないが、さすがに17になっても、彼氏のひとつやふたつないのはちょっとなあと思っている。純情な少女とか、処女とか、そういった男が好みそうな単語を並べればモテないだろうかと考えたこともある。実際限りなく事実に近いし、男性経験が無いのは事実であるし。
だからだろうか。
いつも妄想とか夢小説とかいう世間一般的に白い目で見られそうなジャンルの娯楽で「うへへ」「ぐへへ」していた光景から、目が離せなくなっていた。
(あの気恥ずかしそうにしながらも抱きしめてくれるのが良いのよねえ……)
なんて、少年に抱かれている少女になった妄想をしながら、心の中でつぶやく。少年はあまり筋肉がなさそうな感じでわたし好みなイケメンだ。そういうわけで、妄想がしやすくて捗る。
正直自分でも気持ち悪いと思う。禁断系に萌えるほど腐ってはいないが、比較的健全な方向へ腐っていっているのは自覚している。
小さい頃はもっと綺麗な女性になっていると思っていたのだ。外見も美しく、内面も美しい、東洋の言葉で言うところの『ヤマトナデシコ』的な存在になっていると思っていた。
しかし思い描いていた輝かしいイメージと、今の自分はかけ離れ過ぎている。
と思いつつも、特段恥じてはいない。恥じるどころか開き直るかのように、そんな自分を肯定している。
まあ、しかし、おおっぴらにするわけにもいかないので隠してはいるけれども。もし、おおっぴらにしたら、村人から侮蔑の視線を向けられることは簡単に予想できるからだ。最悪それどころか疎開されるかもしれない。
(ぐへへへへへ………………………っ!?)
心臓が口から飛び出るかと思った。それはなくとも、殺意に似たなにかを背に受け感じた。
わたしが羨望と猥褻な目で覗き見ているとき、後ろからギシギシという音が近づいて来るのがわかった。はっとして振り返るが、光はない。だが足音染みたギシギシという音は絶え間なく続いている。
(まさか、悪魔……?)