悲劇または始まりのタクト①
魔法と悪魔が存在するという設定で書いていますので、そこらへんの説明は大分端折ってます
――仮想19世紀末。
『グレセリア家』の屋敷は、閑静な住宅街のあるアラマ村の隅に君臨していた。
貧乏で今日の晩飯があるのかすらわからないほどの貧困人の住む家とは格別な、煌びやかで豪勢な屋敷だった。
グレセリア家は代々アラマ村を支配する貴族であり、この時代最高職である『祓魔師』の家系であった。
とは言っても、それは過去の話であり、現在はそうではない。
いつの間にか手入れのされなくなった屋敷は、古くなってボロボロ。庭は草々で荒れ、それだけで不気味さを醸し出している。
近づくことはおろか、視界に入れることさえ拒絶してしまうほどに、その屋敷は、近辺住民から忌み嫌われていた。
いや、忌み嫌われていたのは今も昔も変わらないことだった。
グレセリア家は、アラマ村の住民に、重税をかけていた。
金から始まり、食物、宝石、果たして女まで。要求は絶えることなく続き、絶えることなく住民を苦しめ続けた。
大した特産品もない、極ありふれた普通の村には死にたくなるほどの苦労だった。その上、大事な労働力である若い男女が連れていかれてしまうのだ。大変な状況は地獄と大差ない。
そんな中汗水垂らしてさらには血反吐を吐きながらせっせと手に入れた物たちは、毎月、グレセリア直属の執事と名乗る男とかメイドを名乗る女とかが、涼しい顔して奪っていく。
そんなアラマ村の住民たちは、いつかの反逆の為の牙を研いでいたのだが、グレセリア家の使い共は、ある月を最後に以降、姿を見せなくなった。
グレセリア家の庭が荒れ始めたのは、そのくらいの頃だったという。
グレセリア家は代々エクソシストの家系であった。そのため、いつの間にか動きのなくなった当家はいつしか「悪魔に殺された」と噂されるようになった。
それは最近の話ではなく、優に10年を超える歳月ほど前のことである。
本当にそうなのだとすれば、腹を抱えて笑えるくらい馬鹿げた話だ。エクソシストは元来『悪魔を殺す技術』を体得している者のことを指す。逆に殺されたということは、他のエクソシストの顔に泥を塗ることである。
しかし、グレセリア家はエクソシストとは言っても、最下位の『第三位祓魔師』であったため、捌き切れない悪魔がいてもおかしくはない。
『キュウセイ』と呼ばれる機巧祓魔師とも、罪装武器と呼ばれる悪魔討伐専用武器とも適性の認められなかった、底辺中の底辺のエクソシストであったのだから。
*
いつしかグレセリア家が死んだと噂されてから10年が経った今宵、屋敷へと近づくひとりの少女の姿があった。
見た目齢17くらいだろうか。金髪碧眼を持つ可愛らしい少女だ。
顔を引きつらせながらおどおどと少しずつ歩く少女は、『魔法使い』の証である赤いローブを身にまとっているところを見ると、どうやらオカルト趣向とか肝試しとか罰ゲームとか、そういう類で屋敷に近づいているわけではないようだ。
その少女とは、わたし。『アレリア=シュートル』。代々ウィザードの家系のシュートル家の次代を担うひとり娘である。
だが、魔法使いはエクソシストとは違い、『悪魔を殺す技術』は持っていないはずで、どう足掻いても悪魔を殺すことはできない。
ウィザードが持っているのは『生活を楽にする技術』でありーー使い方によっては殺傷力を持たせることもできるがーー、エクソシストとは真逆の非戦闘職である。
誰にでもわかり易く言うのなら、敵を殺す武器を造ったり、自身がそれになったりするのがエクソシストであり、敵から身を守る城壁を築くのが魔法使いである。
故に悪魔に対して無力のわたしがこのような場所に来るのはおかしいのだが、これには理由がある。
それはわたしからしてみれば誠に身勝手な申し付けだった。
始まりはわたしも含めての村の住民が、グレセリア邸から漂う異様な雰囲気への恐怖に我慢しきれなくなったことだ。その不穏な原因はなんなのか、調査したくなってしまったのだ。
そういう類には専門の人間がいる。それがエクソシスト。しかしアラマ村にはエクソシストはいない。それに他のところからエクソシストを雇う金もなかった。
だから似て非なるものであるが、魔法の才能がずば抜けて良かったわたしに役が回ってしまった。もし悪魔がいても、魔法の類が使えれば調査し、逃げ切ることはできるだろうと。
偉大とされている村長に指名され、挙句の果てには両親からも頑張ってと言われた。
わたしなんかよりも、お父さんの方が魔法は上手い。この役はわたしよりもお父さんの方が合っていたはず。なのにお父さんはわたしを笑顔で送り出した。
わたしに「死ね」とでも言いたいのだろうか。それともそう言わずに、暗示していて、察しろとでも思っているのだろうか。
なんてことは思っていないが、自分の娘を恐怖の館に送り出せる両親にわたしは恐怖した。
外面では「喜んで」と心にもないことをほざいたが、正直なところ、わたしは拒絶したくて仕方がなかった。
怖いし、なにより「エクソシストがいなければ似たようなウィザードで良いんじゃね?」的なスタンスの周りの奴らが許せなかった。あの笑顔で手を振ってくる姿を脳裏に浮かべるだけで腹が立ってくる。
魔法の「ま」の字分どころか、「m」の字分も知らぬような族にテキトウなことを言われたくはない。
エクソシストの『魔法』とウィザードの『魔法』は違うことは知っているくせに。両親もそのことを知っていたはずなのだけれど。疑問だ。
百歩、いや、千歩下がってそこまでは了解しよう。誰にも知らないこと、わからないことはたくさんある。それはわたしも然りだから、悪く言うことなんてできやしない。
でもわたしがどうしても理解できなかったのは、魔法使いだからと言って、女の子ひとりで悪魔の巣窟かもしれない場所へ行かせることだ。
もしかしたら本当の悪魔は人間なのかもしれないと、わたしは心の中でつぶやいた。
はぁと吐いた溜め息が白い。季節はもう冬だ。辺りには一昨日の夜に降った雪が積もっていて、わたしは歩く度に雪を踏んでいる。さくっと気持ちのいい音とは裏腹に、凍えて感覚の無くなってきた足は思うように動いてくれなくて、うざったさを感じる。とても不快だ。
手に持っているランプだけが、わたしを支えてくれている。暗い夜道を照らしてくれて、それ自体の温かさでわたしを温めてくれる。
一時の心の拠り所が手に持つランプだとは、なんて寂しい話だろうか。今すぐ帰って暖炉に当たりながら、美味しいコーンスープでも啜りたい。
屋敷に一歩一歩近づく度に背筋が凍る。全身がびくびくと震える。
それは恐怖からくるものなのか、それとも寒気からくるものなのか、わたしにはもうわからなくなっていた。どちらかなんて、そんなことを考えている余裕もなかった。
とうとうわたしは、赤錆に塗れたボロボロの鉄格子の門の前に立つ。首筋を撫でる風が気持ち悪い。
心許ないが、一応悪魔が嫌うと云われている、十字架、聖水、聖書などの『聖なる〜』系の物は、家にあっただけ持ってきてはいるが、わたしには本当にそんなものが悪魔たちに通用するのかは、はなはだ疑問だった。
きっとわたしが無神論者ではなくて、なんらかの神の従者であったら、これがあれば死なないのだと思えただろう。
悪魔がいるからといって、誰もが神がいると信じているなんて大間違いだ。神に祈っている暇があれば、自分の手でなんとかした方が効率が良いし、自分の為になる。わたしには神なんて必要ない、そう思っている。
心許ない所持品に、装備品は魔法を唱えるために必要な媒体である杖と、厚手の服とその上に着ている魔法使いの証である赤いローブだけ。
悪魔が嫌うと云われている道具たちは元から信用などしていない。魔法の腕には自信がある、とは言っても殺傷力は無いに等しい。ほぼ丸腰だ。いざとなったら尻尾を巻いて逃げるしかない。
わたしはいつも下心丸出しでわたしの身体をジロジロ見てくる、隣の家のクソジジイでもいいから横にいて欲しかった。こういうときに孤独は一番辛いものだ。肉体よりも精神がイカれてしまいそうだ。肉体的苦痛よりも、精神的苦痛の方が調教に使えるというのを、実感した。
肉体よりも精神的に早くも疲弊している。正直なところ、もう帰ってベッドに潜りたい。今日のことは全部忘れて、気持ちのいい朝を迎えたい。そう願った。
なんでわたしがこんなことに、わたしは今更になってそんなことを考えていた。
しかし不思議なことに、引き受けたからには今更後には引けないという正義感がわたしの心に芽生えていた。自分以外にどうにかできる人がいないという状況が、わたしをそう掻き立てたのだろうか。まったく、迷惑なことだ。