欲するならば、名を付けよ。⑤
すみません。何回も書き直してしまいました。それでこんな間が…泣
若干妥協してしまった感が否めませんが、どうかご容赦を。
長くなってしまったので二分割いたしました。
わたしは宙に浮いているような錯覚を覚えた。
しかし実際は足下に張り巡らされた、赤い血の色のような色をした、蜘蛛の巣みたいな、わからないけれどたぶん、それに近いものの上に乗っていただけだった。
誰が作ってくれたのかはわからないけれど、割と快適である。
「なんだか、くらくらする……」
寝過ぎたときとか、貧血気味のときとか、そんなときに感じる心地悪さに襲われた。頭が痛い。充血しているみたいに目が熱かった。左手で頭を抱えてうつむいたときだった。
赤い蜘蛛の巣を構築する糸1本1本にわたしの魔力が流れているのが見えた。わたしは驚いた。頭がボケて幻覚でも見てしまっているのかと思って、わたしはわたしを疑った。
魔力が見えるなんてことはない。自分の魔力で作り出した物は、自分の物であると感じることはできるけれど、魔力自体が目視できるなんて今までになかった。
いや、なかったと言えば嘘になるが、それはユキと出会ったときの悪魔の感情の高ぶりによってで見えた、『心と直接的に繋がっている魔力』であって、切り離された状態の魔力が見えることなんて、言ってしまえば、有り得ないことだ。
けれどわたしは右手に持つ存在を思い出して、視線をそちらに向ける。
巨大な縫い針。MARIAに授けられた、わたしだけの罪装武器。
丸い針穴には風穴はなく、透明なコーティングがなされているだけ。ただ、その中に少しこびり付くように残っていた赤い液体にわたしは気がついた。
まるで血のようだと思う前に、わたしは確信していた。これはわたしの血液だと、微かに宿る魔力が証明していた。そして針先からはちょろっと赤い糸が出ていた。
足下に広がる蜘蛛の巣は、わたし自身が作り出したものだった。
魔力は全身に滞りなく流れている。それは血液にも同じで、血液の流れと共に魔力も流れている。そして魔法発動時は流れる魔力だけを抽出して発動される。
それを罪装武器は血ごと使って魔法のようなものを発動させたということ?
ならこの目が熱いのは、充血しているためで、血液を使って魔力を目視可能にしている?
そんな馬鹿なことがあるのだろうか、と思うけれど、わたしはそのぼんやりとしたこの頭で導き出した仮説を、否定と言うか、拒絶できなかった。
ユキは、罪装武器はまるで、ひとの手で作られているという風に言っていた。
なら、そんな穴ぼこだらけな理由になり得る。
魔法は自然によってつくられたもの、だから非の打ちどころのない完成品。等価交換の理に適っていて、なにより人間に易しい。けれど罪装武器はひとの手によって作られたもの、だから穴ぼこだらけの欠陥品。
「……慣れるまで、辛そうね」
使い過ぎたら、わたし死ぬのかな……。
「ふふっ」
わたしはわたしを鼻で嘲笑った。
死を案ずるなんてことがわたしは馬鹿らしく思えた。どうしてわたしはこんなことを考えているのだろう、と。
だってわたしの使命とまでは言わないが、意思は悪魔を殺すことなのに、その代償がなんだと言うのだろう。
物事には対価が付き物だ。魔法に魔力が必要なように、罪装武器には血が必要、ただそれだけのことじゃないか。
なんて思っていると、民衆が悲鳴を上げ、逃げて行く。これからひと悶着あることを察したのだろう。
店主改め、悪魔はわたしの姿を見て呆然と立ち尽くしていた。その顔にあるのは、絶望に近しい焦燥。肩をがたがたと震わせている様子からして、この時点でのわたしの存在は予想だにしていなかったことなのだろう。
けれどそれはわたしも同じこと。
瓶の中は生き地獄で、思い出すのも億劫なくらい苛酷極まる世界だった。わたしはそのときこれ以上なく死を願った。
そんなわたしが今は、手の平返して心の底から生への喜びを噛み締めている。さっきまでのわたしが今のわたしを見たらなんだコイツってなると思う。現にわたしが今なっているもの。
わたしは眼下の悪魔に問いかけてみた。
「なんなんだろう、わたしは……。ねえ、わたしはいったいなんなのかな……?」
「そんなの、こっちが訊きたいことですよ、貴女はなんで……」
悪魔はわたしを見上げながらギリっと歯を噛み締めて答える。
「まさか貴女が武器をもう既に持っていたなんて知らなかった……っ! 知らされていないし、噂にも聞いたことがないっ。どうすればいい、どうすればいい……! クソッ!!」
最後に投げやりな言葉を飛ばしてと思い悩んでいるのか、足許をきょろきょろ見渡す。悪魔にも噂なんてものがあるのか、とわたしは関心した。
迷っているようだったのでわたしは彼女に告げてあげた。
「言っておくけれど、わたしはお前を見逃すつもりはないから」
「っ!」
やっぱり彼女は逃げるか戦うか、そのどちらかで迷っていたようだった。
できる限りの殺意と狂気を孕んで、わたしは追い討ちをかける。
「お前がどれだけ抗っても、どこまで逃げようとも、わたしは絶対に――お前を殺す」
悪魔はわたしの一言で目許を引き攣らせた。次いで言う。
「私は悪魔ですから、祓魔師は殲滅しませんといけないですから、やるときはやるしかないですよね」
悪魔の身体から魔力が滲み出ているのが見える。強い意思だ。そうこなくてはつまらない。
悪魔はわたしを見上げて名乗る。
「私はテストロア、貴女を駆逐する者です。アレリア=シュートル、覚悟してくださいね。貴女は今日この日にここで、貴女が抱いた感情も、貴女が夢見た世界も、これ以上抱かせない、見せない。私は貴女を殺します」
「なんて笑いごとを言うのかしら。死ぬのはお前よ、テストロア」
そうして、わたしの初めての悪魔祓いが始まった。
*
蜘蛛の巣がぐっとしなる。
そしてわたしはテストロアの顔面目掛けて飛び降りた。けれどこんな簡単に仕留められるだなんて思ってない。
案の定、
「舐めないでください!」
テストロアは叫んで聞いたことのない言語で詠唱する。
するとわたしの落下先に透明な魔力の塊が現れた。わたしはそれに迫る。
がりっと抉るような音を立てて、わたしの針先が魔力の塊に突き刺さった。
テストロアがにやりと笑う。
「障壁、ね。でもこんなもの、貫いてしまえば良い」
ぐっと力を入れると、障壁は簡単にひび割れていき、すぐに壊れた。
また針がテストロアへ迫っていく。だが、テストロアは余裕の表情。新たな魔法の詠唱が終わっていた。
「貴女にこれは避けられないっ!」
なにをしてくるだろう、と思ったときにはもう既に遅く、わたしの真上に魔力の塊を複数感知した。それは槍のような形をした透明の鋭いもの。
数は、数え切れないくらい。
「見えない攻撃が避けられますか?」
テストロアが指を鳴らすと槍の雨がわたし向かって降り注ぐ。
きっと魔力の見えないわたしだったらまともに浴びて死んでいただろうが、今のわたしは見える。一方向の単調な攻撃なら、避けるのは容易い。
わたしは針に血を喰わせた。針穴に少しの血が溜まる。そして精製した糸を針の尻から噴出――糸は針のどこからでも出せるらしい――あたりの適当な建物に括りつけた。
そうしてわたしは糸を振り子みたいにして槍を回避する。
わたしが居たところに槍の雨が降り注ぎ、大地に大きな穴が空いた。
テストロアは至って落ち着きながらわたしが糸を千切るのを考えるように見詰めていた。わたしは不可視のその攻撃を避けられたことを、少しは取り乱してくるかと思っていた。だから彼女に拍子抜けした。
テストロアは口を開く。
「もしかしてですが、貴女は魔力が見えてますね?」
テストロアの問いにわたしは、それがなに、と適当に返答した。別に隠しておきたいことでもないもの。
しかしながら、見抜くのが早い。
「やはりですか。でも、貴女にはいささか経験が無さすぎる」
「なにを言いたいの?」
「脚を見てみたらわかるんじゃないですか?」
「つっ!」
言われて見ると、わたしの両脚から赤い血が地面に滴っていた。完全に回避したと思っていた幾本もの魔力の矢がわたしの脚を貫いていたのだ。アイリに脚の感覚を遮断して貰っていたから気付けなかった。感覚があったら、わたしは地を這い痛みに喘いでいただろう。
魔力の矢が霧散して消え去り、傷口からどろっと血が溢れ出す。ただでさえ血を失っているのに、たくさんの血が流れ出ていく。
「脚が貫通するなんて軽い傷ではないと思うんですけど、痛がったりしないんですね。というよりそもそも痛覚自体がないんですか?」
テストロアは、どうでもいいことですが、と切り捨てる。
そして詠唱。再度幾本もの魔力の矢が生まれる。生まれた矢は、中心にわたしを置いたドームの形を成していた。
わたしは背筋が凍るのを感じた。
(今度こそ本当に壊される……!)
どこかに逃げ場は……?
「――逃げ場はありません。隙間が無いように敷き詰めましたから。……こんなに簡単に終わるなんて、びくびくしていたさっきまでの私が恥ずかしい――死んでください」
そうしてテストロアは指を鳴らす。それを合図に矢がわたし目掛けて飛んでくる。
わたしの思考を、わたしの死に際のイメージが支配した。
サボテンみたいにその全身から矢を突き出す。アイアンメイデンを受けたみたいに全身穴ぼこだらけになって、血という血を無様に吹き出して、死ぬ。
「そういうわけにはいかない……! わたしは、悪魔を根絶やしにしなくちゃいけないっ! だから、お前みたいな雑魚に殺されるわけにはいかないのっ!」
造形魔法で身を護るのが一番だけれど、杖を取り出す猶予はない。なら血で防御壁を作るしかない。出血多量で死ぬかもしれない選択だけれど、わたしは死なないと信じた。
ここを潜り抜けてテストロアを殺す。その意思にわたしの思考は支配された。
その時だった。
糸として放出していた血が糸としての形を崩壊させてわたしの身体に戻って来た。近くにあった糸は直接わたしのもとへ、魔力の矢のドーム外にあった糸は地中を通ってわたしの身体の中に入って来る。
わたしは糸の還元可能なことに驚きつつも、全身を糸で包み込んだ。
そして魔力の矢はわたしを突き刺した。