悲劇または始まりのタクトend
なう(2015/12/28 21:09:36)誤字脱字修正
わたしは一瞬にして香ってきた焦げ臭さに鼻を曲げた。酷い臭いだ。
それにユキラウル=クーリアの創り出したフレイム・ビラーは膨大な量の酸素を消費しているようで、わたしたちの方までのも奪い取られ、息苦しい。
けれどわたしが瞬きしたときには、フレイム・ビラーは消え去っていた。
無傷なユキラウル=クーリアと、悪魔であっただろう焦げた残骸が現れた。
「シュートルさん、大丈夫ですか? 苦しくなかったですか?」
「す、少しだけね。でも大丈夫よ」
食い気味に心配してくる彼にわたしは若干の焦りを覚えながらそう応える。すると彼は胸をなで下ろした。
それよりも、とわたしが始めると、ユキラウル=クーリアは、両サイドにある残骸に目を向けた。
「……終わったの?」
「はい、もうすぐ消滅すると思います」
「そう」
「……それだけですか?」
「え?」
わたしはなぜ彼がそんなことを訊いてくるのかわからなかった。
不思議なくらいユキラウル=クーリアはわたしを悲しそうな瞳で見つめてくる。わたしはそんな彼に困惑した。
わたしには彼がわたしのなにを案じているのかわからない。皆目見当もつかなかった。
だから、
「わたし、怪我はしてないわよ?」
「いえ、別にそれはわかっています。でも……」
捻り出したわたしのセリフに、そうじゃないんだ、とでも言いたげな表情で彼は首を横に振る。それからなにかを言おうとしたけれど、なんでもないです、と押し黙った。
そんなとき、ユキラウル=クーリアの左右に転がっていた残骸の表面がぱきりと割れ、靄のように消え始めた。
悪魔を形作っていた粒子がみるみる空に溶け込むように昇り消えていく。
まるで天に召されるようで、わたしは天上に鎮座している神はなんでもかんでも受け入れ抱擁してしまうのだろうか、と呆れた。
わたしが死んだときもあんな風に消えていくのだろうか。悪魔の最期を見ていたら、そんなことを考えていた。
まあどれもこれも、神が本当にいるのだとしたら、というのが前置きにあるけれど。
ぴくり、表現するならそんな感じだった。
もう頭部しか残っていない悪魔の目が、わたしの目と合った気がした。さっきまでの邪悪さは綺麗さっぱりなくなっていて、穏やかな目をわたしは見たような気がした。
そんなはずはない、とわたしはかぶりを振る。そうしてもういちど目を戻す頃にはもう悪魔は消えてしまっていて、わたしは謎の喪失感に襲われた。
不思議な感覚を覚える。胸の奥、心臓のあたりがきゅうっと締まるようだ。
きつい。苦しい。
これはきっと、痛みだ。
原因はなんなんだろう、と考えていると、痛みは自然にすっと消え去った。
「ユキさん、お怪我はありませんか?」
悪魔が消えきるとアイリが少々猫撫で声でユキラウル=クーリアに駆け寄る。
わたしはそれがぶりっ子している女子にしか見えなくて、普段とのギャップにどよめいた。
口調や表情こそいつもの冷徹さを含んでいるが、雰囲気がもはや気持ち悪いくらいに違う。
女は好きな人の前では豹変してしまうと俗的に言うが、これまでとは思っていなかった。わたしの人との交流が少ないというのも、そう思ってしまったひとつの要因ではあるだろうけれど。
「ぼくは大丈夫ですよ。アイリの方も問題なさそうですね」
「はい、ユキさんのお陰様です」
アイリが屈託のない微笑みを浮かべるのを見て、ユキラウル=クーリアは安心したのだろう。嬉しそうな溜め息を吐いている。
わかっていたことだが、ユキラウル=クーリアは随分お人好しで優しさを振りまくる人間らしい。
「立てますか?」
だってほら現にこうやって、彼はわたしの汚物をないものとして扱うように綺麗な靴で踏みつけて手を差し伸べてくる。それも愛くるしい笑顔で。
わたしは甘えて手を取り立ち上がる。ユキラウル=クーリアの手はひやりと冷たかった。
「ん……ありがと」
「はい。どういたしまして」
そうしてユキラウル=クーリアはわたしの手を離さない。離すどころかきゅっと握る掴む手に力が加わった。
「そろそろ離してくれない、かな……」
顔が熱い。
だから彼はわたし好みのイケメンだと言っているであろうに、こんな至近距離でしかも手を握られ離れられないなんてシチュエーションは萌えてしまう。
どういうつもりなのだろう、と思案していていると、
「あなたには、拒否権が認められています。だから、これからぼくが言うあなたへの要求を呑まなくても全然大丈夫です」
真剣な面持ちで言われ、気持ち悪い思考が停止する。
「あなたに、祓魔師になってもらいたいんです」
わたしはそういう要求が来るとわかっていた。
だって彼は出会ったときに、勧誘、と言っていた。そして彼はわたしに、どんなエクソシストになりたいか、とも問いたんだもの。わかっていて当然だ。
そして応えはもう決まっている。
「ユキラウル=クーリア、わたしをエクソシストにしてくれないかしら?」
「……え?」
するとユキラウル=クーリアはぽかんとする。まるでわたしの放った言葉が信じられないとでも言うかのように。
「え? って、どうして?」
「だって、その、エクソシストですよ? いつ死ぬかもわからないんですよ!? 多かれ少なかれ戦場に行かなきゃ行けないんですよ!?」
取り乱した彼はそんなことを宣うが、求めてきたのはそっちだったと思うのだけれど。何故イエスと応えて驚かれるのか。
「そんなの覚悟の上に決まっているでしょ。生半可な気持ちでそんな決断するはずないじゃない」
それでもユキラウル=クーリアは変な顔をして、どうしてですか? と訊いてくる。
「…………害虫駆除」
わたしはぼそっと言って続ける。
「悪魔をこの世から消し去りたいから……なる」
こんなセリフを彼は笑うだろうか。それともサイコパスとでも揶揄して軽蔑するのだろうか。
そのどちらであれ、わたしの望みは普通のものではないことくらい、どうしようもなく馬鹿なわたしでもわかっている。
綺麗な動機じゃない、不純な復讐心でしかない。
父と母を『殺した』悪魔に対する復讐だ。
決して褒められたようなものじゃない。けれど、悪魔たちに復讐しなければならないと、胸の内が言っているのだ。
だからわたしはその声に従う。それに、従わなければならないような気がするから。
沈黙がややあって、
「…………それが、あなたの望みですか」
「うん、そう」
わたしはこくりと頷いた。
ユキラウル=クーリアは、考えるように黙った。それから、
「エクソシストの存在意義は悪魔の殲滅です。だからきっと悪魔に復讐を誓ったあなたは、優秀なエクソシストになれるでしょう。下手したらぼくなんかじゃ到底手に入れることのできない力を、手にしてしまうかもしれない。でも、あなたの決めた道は、一歩踏み間違えれば奈落に落ちてしまう危険な道です。それでも、良いですか?」
そう言う彼にわたしは、ほとんど間を開けずに、構わない、と返した。
わたしは、決めてしまったら曲げることができない人間だ。強がりと自己犠牲が大好きな為体なのだ。
すると彼は、そうですか、と落ち込んだ声のトーンで返してくる。
「我々はあなたを歓迎します、アレリア=シュートル」
そうしてユキラウル=クーリアはわたしの手を離した。
あった温もりが消えてしまって手に喪失感を覚えて寂しくなり、わたしは自分で自分の手を握り締めた。
ここからは、修羅の道。
わたしの門出を応援するかのように頭上には、雲が消え去って満天の星空が広がっていた。
わたしはこれから待つ未来を考えて、すぐにやめた。
きっと綺麗な未来は待っていないだろうから、考えるだけ無駄だと思ったのだ。
わたしはエクソシストになる。
ああ、なんて寒いのだろう。