悲劇または始まりのタクト⑨
短くてごめんなさい…
宣告し、ユキラウル=クーリアが地に降り立ち、右手に魔法陣を展開した。
すると悪魔は、左右ふたてにわかれる。悪魔はその重圧感とは反して身軽そうに駆ける。ただの魔法使いであるわたしでは到底追いつくことはできないであろう速さで。
ユキラウル=クーリアとの間合いを取るつもりだ。
悪魔はユキラウル=クーリアを脅威と判定したのだろう。
悪魔は人間ほどではないにしても、他の生物とは比にならないほどに頭が良い。ユキラウル=クーリアが展開している魔法陣を警戒しているのだろう。
攻撃しても無駄なのなら、攻撃を敢えて控えてみる。そんな考えか。
ユキラウル=クーリアは詠唱する――魔法発動には、魔法に応じた媒体を介して詠唱しなければならない。
魔法詠唱における媒体は、術者の遺伝子によって決まる。
わたしは古風な杖を媒体に介して詠唱をしなければならない遺伝子を持っているから、そうしなければならない。
けれどわたしの父やユキラウル=クーリアは自らの魔力で構築した魔法陣を媒体に介して詠唱しなければならない遺伝子を持っているのだ。
だからそうしなければならない。
それに例外はない。
「白神の羽――アルマ=ブレイク」
ユキラウル=クーリアの魔法陣が、ガラスの割れるような音をさせながら粉々になり、四散する。だが先程のような変化は彼に見受けられない。
言ってしまえばなにも起こっていない。しかし魔法にはそういったものも多い。なにも起こっていないのではない。なにも起こっていないように見えるだけだ。
必ずユキラウル=クーリアはなにかを起こしている。それはわたしと悪魔にはわからないことだ。アイリはわかっていると思う。
ユキラウル=クーリアは笑みを浮かべながら悠然と立っている。挑発のような行為はしていない。ただ、悪魔たちを迎え撃つ気でいることは確かだろう。
己の勝利と相手の敗北を信じて疑わず、驕り高ぶるその笑みに焦った悪魔たちは、沈黙を破り遂に動き出す。
それが彼らの間違いだった。
悪魔たちは、ユキラウル=クーリアを中心に円を描くように走る。悪魔たちの超スピードによって軌道は1本の線に見える。
これでは悪魔がどこにいるのか、まるでわからない。どの方向から攻撃が来るか、そのときまでわからない。
ユキラウル=クーリアのあの余裕そうな表情を見ると、もしかしたら彼にはある程度の予測がついているのかもしれない。
しかし戦闘経験なんて皆無でしかも馬鹿なわたしにはそんな芸当できるわけない。だからわたしの「もしかしたら」が、間違っていないことだけを祈るしかない。
悪魔たちの円がじりじりと少しずつ小さくなり、ユキラウル=クーリアに近づいていく。
そして2体の悪魔が飛び出した。
悪魔たちは、自然の摂理をぶち壊して遠心力をまとったその身体の方向を直角に折り曲げた。
向かう先は無論ユキラウル=クーリアただひとり。
「「キェェェェアアアアアアアアアア!!」」
ユキラウル=クーリアの前後から至近距離で現れた悪魔たちは、叫びながらユキラウル=クーリアに鉄拳を繰り出す。
悪魔たちの拳には大量の魔力が込められている。いくらユキラウル=クーリアがエクソシストだからといって、一発でも当たれば致命傷は避けられないだろう。それが2発である。
まともに受ければ死ぬだろう。
紛うことなき本物の死が待っていることだろう。
だからわたしは彼に「逃げて!」と避けびかけた。けれどユキラウル=クーリアはにっこり笑ってわたしに顔を向ける。
彼の口元には「静かに」と言っている、人差し指を立てたポピュラーな合図があった。
「ぼくはそう簡単に死なないですよ」
悪魔たちの鉄拳が自身へぶち込まれる寸前、彼はそう言って、攻撃を受けた。
わたしは思わず手で顔を覆った。また惨いものを見てしまいそうだったから、過剰に反応してしまった。
だが耳が聞き取ったのは、ユキラウル=クーリアを粉砕する音でも、アイリの鳴き声でもなかった。
悪魔たちの顔面を抉る地鳴りに似た衝撃音と、悪魔たちのの困惑の嗚咽だった。
「「ギェフゥ…………!?」」
わたしは顔の手をどかして見る。
わたしは思わずその光景に目を見開いた。
ユキラウル=クーリアを殴ったはずだった悪魔たちは、綺麗なクロスカウンターを描いていた。悪魔たちは脳震盪でも起こしたのか、ふらふらと片足をつく。
そして当のユキラウル=クーリアはというと、その2体の頭上、空中に逆さまに浮いていた。彼の身体はところどころ欠損部分があるけれど、彼の周りに浮遊している火の粉がそれだろう。
「いったいなにがあったの? あれも彼の魔法よね?」
わたしはアイリにそう訊ねる。
「ユキさんは、攻撃をもろに喰らいました」
わたしは驚きに声を失った。全然わたしにはそんな風には見えない。
「どういうこと?」
「ユキさんの魔法は、ユキさん自身が望んだものを炎にする魔法なんです」
「望んだものを……? なんでも?」
「はい、なんでもです。この世の物質ならなんでも白い炎にすることができます。それに制限はなく、地面でも、空気でも、果たして自身でも可能です」
ということは、悪魔たちの初撃を受けたときも今も、自身を炎に変換して死を免れたということか。攻撃するときは、あたりに限りなくある空気の酸素以外を炎に変換していたということだろう。
わたしは驚きと共に発狂しそうになるほどの歓喜に震えた。わたしの憧れだったエクソシストがこんな馬鹿みたいな力を持っているなんて、憧れた甲斐があった。そしてさらに一応、魔法に触れている身として、自分の知らない魔法を眼にできるのは魔法使い明利に尽きる。
わたしは頬を綻ばせながらユキラウル=クーリアを見ると、彼は微笑んで反応してくれた。
けれど彼は少し悲しそうな微笑みをしていて、わたしはそれが釈然としなかった。
悪魔を向き直って、ユキラウル=クーリアが言う。
「そろそろ、終わりにしましょうか」
彼はそう言って、悪魔たちに右手をかざす。またあの複雑な文様の魔法陣が展開された。
右手に持つように展開された魔法陣と同じ魔法陣が、悪魔らの足元にも展開された。
やっと脳震盪から意識を取り戻した悪魔たちは、自身らの現状を察すると、魔法陣から逃れようとするが、もう遅い。
「逃げられませんよ……白神の王冠――アルマ=ブレイク」
ユキラウル=クーリアの手の魔法陣がガラスの割れるような音を鳴らしながら割れ霧散し、悪魔らの足許にある魔法陣から一瞬光が煌めくと、次の瞬間、ユキラウル=クーリアを中心にして白炎柱が天へと突き刺さった。