夢であれ、との願いは叶えられなかった。
「ま、こういうときはやっぱこれだよね」
「それだけですか?」
「あたり前じゃない」
――――そう、理由なんてそんなもんだ。
「……っ……」
「………ぃ…」
うるさい。
そう思った瞬間に、唐突に意識は回復した。ついでに頭の痛みも。
「……いっ」
思わず頭を押さえるが、目に入った光景に唖然とした。
生い茂る木々と、降り注ぐ明るい日差し。
己はいったい何をしているのだろうか……?
「あ、起きた?」
「っ!?」
不意に視界に入りこんだ金糸。ついで、その顔が見える。深い、海の水面のような瞳。それが嬉しそうに細められる。
「よかった~。打ち所が悪かったのかと思ったよ」
何処かのんびりとした、聞き覚えのあるその声音に、太生は天啓のようにそれに思い至った。
「お前か!? オレを殴ったのは!?」
がばっと勢いよく起き上がる。覗き込んでいた人物に頭をぶつけなかったのは、とっさにその人物が避けたからだ。
「……危ないなぁ」
「それはこっちの台詞だ!」
あまりにのんびりとした声音に、太生は思わず掴み掛ろうと手を伸ばし――。
「……そこまでになさってください、皇子」
するりと入り込んできた声に、その手は止められる。
目の前にした、おそらく同い年くらいだろう人物に気を取られ、全く存在に気付かなかった青年。
「はいはい、って別に僕は何にもしてないんだけどね」
「……素直に頷けないのは何故でしょうね? さて、あなたも落ち着きましたね?」
同時に手を離され、太生は頷く。落ち着いたかどうかは微妙なところだが、先ほどまでの衝動が収まったのは確かだ。
ひとつ息をつき、改めて周りを見る。
一言でいえば、そこは森だった。太陽に照らされた木々が生い茂る森。だが、太生たちがいるその場所だけに、やや広めの空間ができており、吹き抜ける柔らかな風に、草花が揺れている。とても気持ちのいい場所である。
が、――――――確認するまでもなく、記憶にある場所ではなかった。
しかも、意識を失う前は夕暮れ時であったことから、少なくともあれから丸一日は経過していると考えていいだろう。
だが、そもそも己はいったい何故こんなところに?
すべては最初の疑問にぶち当たる。
1.見たこともない場所にいる。
2.目の前にはやっぱり知らない人がいる。
3.どうやら己はこの目の前の人物に殴られてここにいるらしい。
そこから導き出される結論は……。
「誘拐!?」
「「は?」」
「いやいやいやいや! オレ誘拐しても金……はたぶんそれなりにあるかもしれないけど絶対に身代金とか払ってもらえないから!!」
ずさっと、思わず後ずさりしながら太生は必死に主張。
そもそもあの姉にあっさりと誘拐なんてされたことがバレたらっ!!
「だから本当に無理だから!!」
太生の混乱に、顔を見合わせた二人。
「……あのさ」
溜息をつきながら少年は一言。
その必死すぎる主張に対し、否定の言葉を告げた。
「ここ、異世界だから」
「……は?」
ただし、その言葉は決して、混乱を解消する言葉ではなかった。
一瞬、聴覚が遮断し、脳がそれの受け取りを拒否する。
「……え、と……?」
今、何かを聞いた気がする、と腕を組み、虚空を見つめながら数秒考える。
ココイセカイダカラ。
「ココイセカイダカラ」
思いついたものを、声に出して言ってみる。
そう、そんな響きだった。では、どんな単語だっただろう?
「ココイセカイダカラ、ここいせかいだから、ここ、いせかいだから、ここ、異、世か」
出てきた単語に、思わず息が止まるほど驚愕した。
「異世界!? 異世界ってアレか!? 異なる世界と書いて読むあの異世界!?」
「そう、その異世界」
ぱちぱちぱち……と、よくできましたと言わんばかりに拍手する少年と青年。だが、太生はそんなことに反応できる精神状態ではなかった。
「嘘だ――っ!! そんな言葉オレは認めねぇ!!」
「そんなこと言ってもさぁ」
「意外に諦めが悪いですね」
叫び続ける太生を前に、何気に酷いことを言い合う二人。
「……そうか」
1分ほど叫び通した太生は、何を思ったか一転した真面目な表情で、きっぱりと言い切った。
「これは夢だ」
「いや違うから」
即座に突っ込みが入るが、太生の耳は都合よくスルー。スルーったらスルー。
「そうだ夢だ。起きてると思ってるだけで実際は寝てるんだオレ。はは、そうだ異世界なんてありえないと思ったんだ……っ! マントとかローブみたいなのとか現代日本じゃちょっと考えられない所謂ファンタジー世界の住人のような恰好をした人が目の前にいたって夢なんだからおかしくない!!」
ぶつぶつと己に言い聞かせるかのごとく喋り通した太生は、「そうだろっ!?」と、少年の肩にがっと手を置く。
先ほど入った青年の静止が入らないのをいいことに、そのままがくがくがくと前後に揺すりまくる。
「夢だよな!? 間違いないよな!?」
「夢じゃ、ないん、だけど、なぁ」
「夢だという言葉しかオレの脳は認識できないんだぁぁぁ!!」
その言葉がすでに『ありえない現実』を認めているも同然なのだが、そこは全力で無視。
一方、揺さぶられ続けている少年は、少々首をかしげながらそんな様子を見ていたが、わかったと、一言頷いた。
「じゃあ痛かったら夢じゃないってことで、いい?」
「――は?」
なにやら不穏な言葉に、太生はぴたりと止まる。
ついで、視線が少年の手元へと移動。長い、先端に青い水晶のようなものがついた棒に目が留まる。
それはファンタジー世界の必須アイテム、魔法使いが持つ杖のようなもので……。
そこまで考えて、ずきんと忘れていた頭の痛みが復活した。
「ちょっと、まて?」
「あ、用意はいい?」
「いいわけあるかぁ!! それか? まさかそれで殴られたのかオレ!?」
思い至った衝撃の事実。
そりゃあ痛いだろうと、頭の片隅の冷静な部分が評価する。
「しかも後頭部だぞ!? 一歩間違えたらオレ死んでる!!」
「大丈夫大丈夫。それはちゃんと気絶する程度に手加減してるから」
少年はにっこりと笑顔で犯行を自供。だが、反省は見られない。
こいつはっ! と何か言い返そうとしたが、少年の次の言葉に衝撃を受けた。
「ていうか、痛いなら夢じゃないってことくらい、もう理解してるよね?」
「はっ!? しまったぁ!!」
墓穴を掘った。
夢であってほしいという必死すぎる願いが、ずきずきと痛む頭によって否定された。
「なんでだ……」
がくりと、地面に両手をついて項垂れた。
「……なんでオレが異世界なんかに……」
それは心の底からの呟きであった。
(個人サイトからの加筆修正掲載です)