七日目
不思議、とさくらは寝台のようなものの上で呟いた。壱箱の製作所である。あの時積まれていた遺体は全て無くなっていて、がらんとした所内の中心で鈴茜が笑っていた。
「――どうですか?おかしなところは…」
「大丈夫です」
そう言ってさくらは、両手を広げたり閉じたりする。久しぶりの、身体だった。器に戻されると、急に重たく感じる。そして、身体に広がる線。それはしかし数日前のものとは異なる。右足から広がる、舞雲の線。
「――じゃあ、巡雨」
さくらが声を掛け、目の前に立つ白い獣は頷く。
「今まで、ありがとう」
「こちらこそ」
笑うように巡雨は両目を瞑る。大きな口に、小さな鋏を咥えている。そうして彼女は器用に口で咥えたそれを開いた。
小さく、ぱちん、という音がした。鳩尾に僅かな冷たさを感じる。すう、と何かが抜ける。そうして目の前にいた獣はゆっくりと姿を変えた。柔らかそうな鬣が一本一本ほどけるように崩れる。それは、目の前で線となり、ゆるやかにその奥へと向かう。
そこには、少年が居た。初めて製作所を訪れたときに、鈴茜が抱きしめていた少年。器だけは彼だが、中身は異なる。ずずず、という音と共に少年の身体に線が付着していく。
あぁ、と少年は呟き、そうして身体を慈しむように抱きしめた。
「皆に、感謝をする」
そう言って褐色の肌を持った少年――流風は、笑う。
「――これであなたは、寿命を持つことになりますが」
鈴茜が言い、流風は頷いた。
「儂の役目も変わったと言うことだ」
そして、彼は周りを見渡す。睦大和と、初音守に笑った。
「――色々苦労を掛けた。儂が産まれなければ、恐らく主たちは宿主になることはなかった」
しかし初音守は首を横に振る。
「でも、そうだったらきっと僕は…人じゃなくて魚だったかもしれないし。…それに、大切な人にも出会えなかった。君のおかげだ」
流風は頷いて少し笑う。柔らかな笑みだった。
「それでは――行こう。もう、戻らなくては」
流風はそう言って、鳩尾を撫でる。さくらはそれを見てまた笑んだ。あの白い獣とはもう触れられぬだろう。彼女はもう、流風の身体に張り付いている。
そうだ、とさくらは一つのことを思う。あの時、神殿で絹小紅と見たあの美しいさくらの花びら。あれは一体何だったんだろう。巡雨に――神の妻に、聞いてみれば良かった。もっとも、彼女ははぐらかしたのかもしれないけれど。
「――和円、皆が出発しますよ」
鈴茜が奥の部屋に向かって声を掛けると、十歳前後の少女が一人、ぱたぱたと足音を立てながら入ってきた。以前に製作所を訪れた際、睦大和が造ってくれと依頼していた人だった。神を殺すために、造られた人。ぺこりと少女は頭を下げる。
「皆様、お気を付けて」
和円が、はにかんで言う。彼女は零箱へ行かず、ここで鈴茜と共に製作所を保っていくのだという。何処かその笑みが、僅かの時間を共に過ごした同い年の友人を思い出させて、さくらは笑んだ。
「ありがとう」
さくらはそう言うと立ち上がる。鈴茜のくれた服はさらさらとしていて柔らかい。
頷いて睦大和も立ち上がる。
「しかし、本当に気をつけろよ。また支えるものも宿主も不在ってことで…弐箱も騒ぎになってると思うからな」
「…うん」
さくらは息を吐く。零箱で、ベッドの上で居たときよりも過酷な世界が待っていることは、理解している。けれども。
「大丈夫」
ぎゅう、と手のひらを握りしめる。睦大和が笑って、その手を解いた。
「暫く箱を留守にしちまったから…すぐにどうにかは出来ない…けど。…これ」
そこにのせられたのは、小さな万年筆。
「出来るだけ、力になりたいと思ってる。なんかあったら…その、すぐ…連絡をくれ」
「…ありがとう」
にこ、と初音守も笑う。
「僕も近いうちにまた、記録に行くよ。――兎に角、気をつけて」
「うん」
「――流風も、元気で」
「あぁ」
「…後は…あぁ、まあ君はいいや」
睦大和を見て初音守は肩をすくめる。何だそれ、と睦大和が口をとがらす。その顔がどこか可笑しくて、こんなやりとりが何処か愛おしくて、さくらは笑う。
「…行こっか」
さくらの声に宿主達は頷く。
じゃあ、と顔を見交わせて。
視界の端に、鈴茜と和円が頭を下げるのが見えた。
さくらはゆっくりと手をかざす。そこに、扉が現れる。上にまとめた髪に、刺さる簪が揺れた。
そうしてさくらは歩き出す。目的は決まっている。弐箱を守る。舞雲を、繋げる。ただ、それだけの。




