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六日目(2)

「――昔話を聞く気はあるかい?」

 唐突に、神が言う。さくらは返答しないまま、神を見る。男は笑う。気負いのない顔で。何処か、優しげな顔で。

「昔、私は一つの箱で産まれた。今は源箱…と、そう呼ばれていると思う」

 さくらは戸惑いながらも、頷く。男は薄く笑って言葉を続けた。

「その箱で、私は沢山の自然を創った。海を敷き詰め、山を積み上げ、大地を広げ、空を浮かべて。木々を並べ、草を生やす、石を落とし、波を生み出し、虹を浮かべる。そして色んな命も創った。大きさも姿形も生活も。全て異なるような。そう。今零箱に存在する生き物だ。全てを番で造り、繁栄させた。しかし、どうしても造れないものがあった。それが、人だ」

「…人…」

 神は頷く。

「私は、孤独だった。どんなに生き物を造ったところで、私は独りぼっちだ。私は彼らと共に暮らすことも、喜びを分かち合うことも…何も、出来やしない」

 孤独、とさくらは繰り返す。神は少し笑った。

「何度も何度も私は人を造ることを試みた。しかし何度やっても、それは完成しない。そこで私は、自らの肉をちぎり、一人の女を生み出した。いわば、私の半身だ。私と共に繁栄していこうと…そう思ったのだ。そしてその女との間に、子をもうけた。それが、そこにいる舞雲をはじめとする四人だ。…そう。歩土、舞雲、浮潮(うきしお)、登岳の四人。――私は幸せだった。妻は優しく、子供は愛らしい。…そうして私は、源箱の中に四つの箱を創った。四人の子供達への、贈り物だった。それぞれの愛していた自然を詰め込み、そして源箱にいた生き物たちをそれぞれに配した。生きるために必要なものを全て入れ、そしてその四つの箱を繋ぐ道を造った。妻はその道を繰り返し行き来して、子供達と笑い合っていた」

 そこまでを語った男は、不意に口をつぐむ。笑んでいた頬は僅かに硬直する。

「――ある日、妻が五番目の子を孕んだ。…私は何も知らずに喜んだ。しかし、産まれて来た子を見て私は驚愕した。――それは、人ではなかった」

 さくらは男をじっと見つめ、それから舞雲の言葉を思い出す。

 そこの竜、流風は私の弟だ。と、舞雲はそう言っていた。しかし、さくらは眉根を寄せる。舞雲だって人ではない。鳥のような風貌だ。その疑問を口に出そうとしたが男は数回頷いた。黙って聞いていろというように。

「もう分かってるな。そこの流風だ。それが、五番目の子だ」

 流風は何も言わずに神をじっと見つめている。

「私は妻の不貞を疑った。しかし妻は違うという。――そんなこと、信じられるか?…信じられまいよ。この醜い、容姿の子供…が私の子?そんなはずはあるまい。私は五番目の子、流風を…一つの箱に、閉じ込めた。もう見たくないと…そう言って蓋をして…。妻は泣いて縋ったが、そんなことはどうでもいい。これで元通りだと。そう思った。思ったはずだったのだが…」

 神の顔が歪む。

「――私の知らぬ所で、それは行われた。四人の子達は協力をして、流風の居場所を創ろうと、動き出した。私を真似て…様々な自然と…生き物を造り出す。…それが、零箱だ。――そうだな、舞雲」

 舞雲は頷く。さくらはただ、神を見つめる。零箱の、箱を造ったのは神だったのだ。そして大昔の零箱は、監獄のような場所だった。

「…父上にとって流風がどういう存在だったのかは知っていました。けれど、彼は私達にとって大切な弟だったのです。そして、母上にとっても、大切な子でありました」

「――私は、どうしても許せなかった。流風を愛する妻と、子供達が。家族である、彼らが」

 神は言う。

「私は、箱にいる生き物を全て殺してやろうと思った。全てが憎かった。全ての生き物が…。…しかし、妻はそれに反戦した。世の中の生き物全てを、人に変えたのだ。…私と、同じ形の…。私に彼らは殺せなかった。何故なら、彼らは私と同じ形で…。私が、望んだ者はそこにあった。私の仲間が…家族が、幸せに暮らす世界。…しかしその代償として…愛する子供達は…獣と化した…」

 神はそう言って両手で顔を覆う。

「私は…全ての箱を手放した…もう沢山だと…そう…しかし――四人の子は、“支えるもの”と化し、箱を守った。私の忌んだ人外の姿となり、箱を」

 男は呻く。

「そして…そして、妻までも」

「…妻…?」

 それって、と問おうとしたさくらの言葉を神は遮る。

「妻も、それに化した。彼女は、子を…流風を守るために…零箱の、支えるものとして…」

 あぁ、とさくらは嘆息する。後ろにいる獣は沈黙のまま。

 神は又笑う。しかし穏やかな空気はもう存在せず。

「――どうして…どうしてだ、巡雨!どうして私を捨てた…どうして、そんなものを守る!」

 その咆吼は、張り詰めた空気に乗って踊る。

 さくらは息を吐いた。彼の、その苦しみが何処かに共鳴する。

「…あなたは、巡雨を解放して…もう一度会いたいと…そう思ったの?」

 さくらをただ殺す。そうすると巡雨は自ら線を断ち切り、また居なくなってしまう。だから、それを避けるために神は鋏を先に奪った。そうすることにより、巡雨は線から解放され、僅かな時間であっても“存在”出来る。彼の望まぬ、獣の形ではあるけれども。

 けれど、流風がそれを阻止した。神は巡雨と会えぬまま、離ればなれになる。そうしてこのまま放っておけば、巡雨は消滅する。だから彼は、鋏を天使に託した。それは。

「――ようやく、見つけたと思った…どんな風貌でも…それでも良いと、思った…。大嫌いな箱…その、宿主になっても…それでもいい…器に入り、寿命のある身体になっても…それでも…。いや、僅かの期間でも良かった。いっそ器が手に入らなくても…一目見るだけでも…一言交わすだけでも…」

 彼はすすり泣く。さくらは目を伏せた。彼はそれでも、その思いすらを退けて、鋏を天使に託した。それは、巡雨を消滅させないために。

「…巡雨。会いたかった――」

 しかし巡雨は何も言わずに小さく首を横に振った。ただ、それだけだった。

「――どうして…どうしてなんだ巡雨…!」

 そして神は、ゆっくりと流風に顔を向ける。

「貴様が――貴様さえ産まれなければ全てがうまくいった…」

 流風は、ただ、神を見つめ返していて。

「貴様など、産まれなければ――」

 静かに、舞雲が口を開く。

「父上。あなたは流風を殺さなかった。産まれてすぐならきっと殺せたのに…それはしなかった」

 それは、と鳥は言う。

「少しはあなたにも、愛があったのではないですか。流風に対する――愛が」

 神の顔が歪む。

「――黙れ。舞雲」

「…あなたは、優しかった。私達に対しても…箱の生き物に対しても。そして、流風にもそうありたいと…そう思ったのではないですか。それが出来なくて…あなたは子供を…うまく愛せない自分に、憤っているのではないですか」

「黙れぇっ!」

 男は叫ぶ。舞雲は瞳を伏せた。激高した男の髪は乱れ、頬はひしゃげたように見える。

 舞雲は、静かに言葉を紡ぐ。

「…父上。あなたは、私達が獣と化したと思っておられる。けれどそれは違うのです。私達は、元々ずっと獣だったのです」

「莫迦な――」

「母上も、私達も、皆。あなたは、人間を造ることは…叶わなかったのです」

「…嘘だ…」

「最後に母上が行ったこと。全ての生き物を…人間にしたこと。それが、母上の最後の…あなたへの贈り物だったのです」

「嘘をつくなぁっ!」

 神のその叫びと、同時だった。

 ぽつ、とさくらは鼻に水滴を感じる。思わず上を見上げると、そこからは。

「――雨…」

「もう…おしまいに致しましょう」

 そう言ったのは、かつて、神の妻だった獣。

「私は…あなたの望む、人間ではなかった。けれども。あなたのお側に居られて…幸せだった」

「…巡雨…」

「けれど、私には守るべきものがある。それは――あなたではない」

「貴様…!」

 雨はただ静かに。小さな水滴が、身体を湿らせていく。巡雨はそれ以上のことを、何も言わなかった。そして、神も。風は止み、もう雷も聞こえない。歩く人は居ず、車も通らず。ただ、小雨の、微かな音だけがそこに満ちる。

 さくらはただ神を見つめた。この男のせいで失った命がある。製作所で見た死体達。絹小紅。天使達。けれども。

「あなたは、可哀相」

 ぽつりと呟いた言葉に、神は一瞬呆けた顔をした。それから顔を歪める。

「――何だって?」

「本当は、“神”になんか、なりたくなかったんじゃない?」

 真っ直ぐにさくらは、その男を見つめる。男が硬直したのが分かった。

「あなたもきっと、望まず“神”になった」

 さくらがベッドで見た手のひら。包丁を突き刺した鳩尾。何度も繰り返し見た、母に愛される桜色の肌の夢。

「…莫迦なことを言うな」

「――可哀相に」

 その言葉は、あの時掛けられた言葉で。さくらは男に笑いかける。

「…やめろ」

 その声は酷く弱々しく。

「辛かったね」

「…やめろぉぉぉっっ!」

 刹那、男はぐにゃりと歪んだ。身体全体が淡く発光して、輪郭が溶ける。びりびりと、肌に刺激を感じる。激しい火花が散っている。

「――あ…あぁ…」

 唇から漏れる声は、男の変身と共に高低差をつけながら変わっていく。

「さくら!」

 巡雨の声に、さくらは頷く。何をすべきかは分かっていた。

 さくらはゆっくりと、それに向かって歩む。ゆっくりと、簪をかざした。

「…さよなら」

 それは誰が発した言葉だったのか。和音のように、重なる言葉。降り注いだ雨が、それに纏わり付くようにして地面を濡らす。

 そしてさくらは、神であったものに向かって簪を突き刺す。もうそれからは、何も起こらなかった。ただ、僅かに柔らかい感触があるだけで。ずぶん、と簪の先が沈んだ。

 男は、最後に小さな塊になる。その最後の瞬間、僅かに笑ったように見えた。さくらは息を止める。それは、いつか摘み取られたはずの花のような、笑みだった。


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