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五日目(3)

 行こう、と絹小紅の手を引いてさくらは先程の家を目指す。少女は素直にさくらの手を取った。

「おいくつですか?」

 唐突にそう聞かれてさくらは、その少女を見返す。急に何を言い出したのだろうと首を傾げるが、少女の顔には何も答えはない。

「十二歳…」

 さくらがそう言うと、少女はさくらの方を見て、ぱちぱちと瞬きをした。

「わたくしもです」

 今度はさくらが瞬きをする番だった。

「…嘘」

 横を歩く少女はどう見ても十二歳には見えない。どんなに高く見積もっても、小学校中学年に満たないぐらいだ。

 ふふ、と少女――絹小紅は笑う。

「星の中で住んでいる民族は、このような感じです。外にいる民族と比べると成長が遅いと聞きました」

 ふうん、とさくらは頷く。同い年の子とこんなにも長い間会話をしたのは記憶にある限りは初めてのことで。柔らかな、小さな手を握ると自然と笑みがこぼれる。胸のあたりが、何か一瞬苦しくなるような気がする。ブランコを、力一杯こいでいるときのような、あの、懐かしい感覚。

「絹小紅は、色んな事を知ってるのね?」

 彼女ははにかむ。

「殆ど、初音守に教えて貰った知識なのです。彼の参箱は、記録をしている箱なので…時折、色んな箱を回って、全てを記録しているのです。――彼は、お祖父様が宿主だったときから良く来ていて…色んな事を教えてくれたのです」

「そう…」

「彼のおかげで、色んな世界のことを知りました。零箱のことも、教えて貰いました。…桜の木のことも」

「うん」

「さくらのおかげで、もう一度会えます。ありがとう」

 彼女はそう言って笑った。その頬に少し上気した色が見えて、さくらもつい笑みがこぼれる。

「…絹小紅は、初音守が好きなの?」

「内緒です」

 彼女はそう言って、きゅう、とさくらの手を握りしめる。彼はきっと、一七七三と戦ったときのような顔を彼女に見せたことがないのだろうな、とさくらは思う。それはどこか暖かいものに思えた。

 それから僅かの時間、さくらは絹小紅と他愛ない話――好きな色だとか好きな食べ物だとか――の会話を続けた。

 不思議だ、とさくらは思う。出会ったばかりの、同じような年頃の少女。ただ、彼女の声が、口調が、柔らかくて温かくて。何処か、落ち着いて。

「――あ、あそこ」

 見れば、家の前で落ちつかなげに初音守が立っているところだった。こちらを見ると彼は急いで――とはいえ地面に足めり込むのでなかなか速さは出ない――向かってきた。

「…遅かったね」

 その言葉に答えたのは絹小紅で。

「ごめんなさい。わたくしが色々お話を聞いて頂いたのです」

「色々って…」

「初音守が昔弐箱で大切なものを落として泣いたお話とか」

 彼女はくすくすと笑いながら言う。さくらもつられて頬に笑みを浮かべた。行こう、と初音守は促し片手を絹小紅と繋ぐ。絹小紅のもう一方の手はさくらに握られており、さくらのもう一方の手は巡雨を抱いている。不思議だ、とさくらは思う。思い起こせば両親とこんな風に歩いたことなど無かった。本当だ、と息を吐く。未来は、想像も過去もを軽く超える。

 誰かと会話をする。誰かと手を繋ぐ。誰かに優しくされる。誰かを抱きしめる。それが今ここにある。生まれて初めて思う。この柔らかな気持ち。勿論それが悠久に続くことなどあり得なく。少なくともこの手を繋ぐ少女は、あと数日で死ぬ。そして、自分は――。

「…目は大丈夫?」

 初音守の問いに、絹小紅は少し困ったように目をそらしてから、頷く。彼は長いため息をついた。

「心配したんだよ」

 すみません、と絹小紅は言い、ふ、と真面目な顔になる。

「――それでどうなりました?」

 うん、と初音守も頷きさくらも顔を引き締める。

「器の場所を聞いた。どうやら零箱内にあるようなんだ。それも、たぶん、さくらが契約をした近くの建物の中に」

「…建物…」

 それは病院だろうか。だとするならば、さくらの器はまだ生きていると言うことだろうか。このあと火葬をされるのだろうか。

「それで、君は…」

「分かっております。足手まといになるだけですから。ここでお待ちしております」

「…頼む。歌椿もこっちに向かって居るみたいだから。僕たちとは、入れ違いになるかもしれないけど。…それで、さくらには付いてきて欲しい。危険も伴うけれどあまり時間もない。往復の時間がもったいないからね。僕と睦大和で必ず守るから」

「大丈夫です」

 さくらの頷きに初音守は安心したように息をつく。

「今、中で一番早い行き方を調べているところだ。一旦中に入って」

 ギギギ、と扉が開く。さくらが先頭になり、絹小紅、初音守と続いた。

 家の中には家具らしいものはない。ただ柱が幾本も並んでいる。無数に吊してある紙には何も見えない。

 数歩歩き、さくらは紙の奥に男が居るのに気づいた。

「――どうしたの?」

 さくらの声に、巡雨が目を開けた。目の前には、睦大和が立っている。しかし、なにやらぼんやりとした風で。虚ろな目に、ぽかりと開いた口。

「逃げろ!」

 叫んだのは巡雨だった。それと同時に、睦大和の手が巡雨の尾を掴む。

「――巡雨!」

 さくらの叫びと同時に、巡雨が部屋の奥へと投げ飛ばされる。初音守が絹小紅とさくらを押しのけるように、前に出た。

「二人とも、逃げろ!」

 ベキ、と何かがひしゃげるような音がした。初音守の左肩に、睦大和の拳がめり込んでいる。

 何が起きたのかが、分からなかった。遠くに横倒しになっている巡雨が見える。初音守に殴りかかる睦大和が目の前にある。

「さくら!」

 初音守の叫び声に、ようやく意識が働き始める。不安げに手を握る絹小紅の手を、強く握り替えした。

「こっち!」

 踵を返し、絹小紅を前に抱きかかえるように先程入ってきた入り口の方を目指す。

 その時だった。

「ごめんね?」

 クスクスと笑う声が背後からする。一六三八の、声。さくらが振り向く暇もなかった。

 刹那。

「――駄目!」

 目の前にいた絹小紅が、消えた。いつの間にかさくらは膝をついている。突き飛ばされたのだとは分からなかった。ずぶ、と何かがめり込む音がした。赤い血しぶきが、舞う。

「…絹小紅!」

 それは誰の声の叫び声だったのか。いつの間にか、さくらの背後にいた絹小紅の眉間に深く皺が刻まれている。小さく彼女は叫びをあげた。

「もう…邪魔しないで欲しいわ」

 苛立ったような声の一六三八はゆっくりと間合いを取る。

 起こった事実を理解するのには、時間はかからなかった。頬を膨らます一六三八と、細い息を漏らす絹小紅。彼女の肩から背に、落ちるように突き刺さる大きな三日月型の、銀の刃物。そうして無傷の自分と。

 睦大和と遥守の戦いの音が遠くに聞こえる。絹小紅の力の抜けた身体を抱きしめているのが自分であると、ようやく気づく。

「…っ…あ…あぁ…!」

 それは、恐怖だったのか怒りだったのか悲しみだったのか。さくらは呆然と何度も同じものを見続ける。一六三八、絹小紅、刃物、自分。まるで、無限回廊のように、ただただ。

「…さく…おねが…逃げて」

 そこから引き戻したのは、小さく呟く絹小紅の声で。

「おねが…」

「逃がさないわよ」

 一六三八の声が被さる。小さな右腕が上がると、ズズズと三日月が絹小紅の背から抜けた。

「…い…あ…あぁぁぁぁ!」

 絹小紅の叫びが室内を振るわせる。そしてその叫び声は、さくらの頬を打ち付ける。

 もう一度、その刃物がこちらを向く。赤い、液体の流れるそれ。

「――逃げろ!」

 目の前に、白があった。巡雨だった。出会ったときと同じ大きさの獣は刃物を従える一六三八とさくらの間に立っている。

 躊躇う時間はなかった。さくらは絹小紅を抱きかかえ、外に出る。背に回した腕に冷たさがべっとりと染みる。がくがくと脚が震えた。それでも、進む以外には考えられない。小さくうめきを漏らす絹小紅を抱きしめる。家の入り口まで、僅かな距離のはずなのに足が縺れて上手く動かない。

 入り口で、絹小紅の頭ががくりと動いた。慌ててその頭を腕に乗せる。何も映っていないはずの瞳に、薄い水膜が張り付いている。

 遠くに、巡雨のうなり声が聞こえる。その声に押されるように、さくらは走る。ようやく外に出た。紫紺の空間。床にめり込む足。それでも何処かに、先に進もうとするさくらの腕を、静かに絹小紅が掴んだ。もはや、力はない。僅かに、縋るように。

「…さく…ら。おねがいが…」

「大丈夫…!きっと助かる!」

「ちが…う」

 絹小紅がゆっくりと手を挙げる。その手には、舞雲がくっきりと刻まれている。

「…殺して…くだ…さ」

「そんなこと!」

「このままだと…舞雲が…一六三八に、奪われ…て…」

 そこで、さくらは足を止める。

 お願い、と彼女は繰り返す。そうして震える手で自らの袂から、何かを取り出す。銀色に光る、簪のようなものだった。白い、真珠のような飾りの付いた、それ。先が、やや尖っている。そこに僅かに錆のような赤茶けた色が付いている。どうして髪を下ろしている彼女が持っているのだろう、とさくらはただその簪を見つめる。

「…おねが…おねがい…あなた…なら、きっと、ふたりを…やどせ、る」

 ひゅうひゅうと言葉に空気が混じる。その空気はもう冷たくなっていて。

「…おねが…わた…しを…」

 彼女の目から、涙が一粒、落ちた。何も見えない瞳。そこにはさくらが映っている。決して、絹小紅には届かないさくらの顔。頬に巡雨の線の無い、綺麗な桜色の。

「…さく…ら、おねが…」

 消えてしまう、と思った。命が消える。それが、何故だか見えるようだった。揺らめく瞳の水膜。僅かにはき出される冷たい息。投げ出された四肢。

 静かに、その場に絹小紅を下ろす。彼女の肩は、もう冷たい。さくらはゆっくりと彼女の手から簪を受け取る。

「ありが…と…」

 彼女は、静かに笑う。

「うれし…かった…はつ、ねもりに…あえて…さいごに…よかっ…た…」

 ゆっくりと、胸に簪の先を当てると、震える手で彼女は自らの腕の文様を撫でた。

「…まい…く…も…おねが…し…」

 ぷつん、と何かが切れた音が僅かに耳に届いた。ややあってそれが、簪が彼女を終わらせた音だと理解した。ぽとり、と睫毛に引っかかっていた涙が地面に落ちる。もう、それ以上彼女は動かなかった。

 右手ががくがくと震えて、簪が手から滑り落ちた。少女の小さく開いた口からは、もう何も聞こえない。静かに閉じられた瞳から何かが零れてくることはもう無い。

 簪は、深く絹小紅の胸に刺さっている。肩から背にかけての傷からは、血が未だに止まらず出ているが、胸からは何も出ていなかった。

 不意に、ぴちゃん、と水のような音が響いた。絹小紅の身体の線が、動き始めた。一本一本の線が四方八方滅茶苦茶に蠢く。

 そして、絹小紅の足元から、それは鋏を絡みつかせて出てくる。さくらは目を見開く。線は器用に鋏を使う。そして、最後の線を、切り落とす。ぱちん、と言う音が僅かにした。

「…まい、くも」

 小さく呼びかけるとそれは吸い込まれるように、簪を持つ手を伝ってさくらの身体に這っていく。

 舞雲の文様が身体に染みる。熱をもつような、棘を持つような。鋭い僅かな痛みがさくらを襲う。少しの時間であった。気づけばさくらの身体に舞雲は在った。右のふくらはぎに、円が描かれている。たったそれだけで、絹小紅の身体には何も残っていない。

「…舞雲」

 目の前には、白い鳥が居た。孔雀のようなやや細身の風貌である。鶏冠も長い尾も真っ白だ。瞳は、巡雨と同じ青色。額からは細い角が一本生えていて、そこには青い球がぶら下がっていた。

「――ありがとう」

 初めて聞く舞雲の声は、酷く湿って聞こえた。さくらの声と、同様に。


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