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四日目(3)

 散々泣いたあとに、トンネルは終わりを迎えた。

 特に何もとがめたりはせず、睦大和はさくらに手を貸し下ろす。さくらも黙って彼に従った。泣き疲れて目が重たい。

 そこは、壱箱に着いたときと同じような世界が広がっていた。テントのような家と、実だけの木。違っているのは、数十人の人が歩いているところだった。

「――結構居るな」

 しまった、と睦大和は頭を掻く。

「ちょっと、巡雨を隠しといてくれ」

 そう言って彼は、懐から大判の布を出す。

「隠すって…」

「零箱以外の箱には人しかいない。下手に騒がれると面倒だ」

 さくらはその布で、巡雨を包み、そうして抱く。小さなその獣を抱くと、何か急に悲しさがこみ上げた。線であったときにも、こうして獣の姿になったときにも、いつも隠されている巡雨が、何処か不憫に思える。

「――あんれ、つわものかいな」

 老人がこちらへと歩んでくる。声を掛けられ、睦大和は露骨に眉をひそめた。つわもの、とさくらは唇の形だけで呟く。そう言えば先程の天使もそう言っていた。

「なしてこんな所におるんよ。なんかあったんかい?」

「何も無い。関係ないだろう」

「関係ないってことはないでしょう?」

 話に入ってきたのは、腕に赤子を抱いた女だった。

「ここはあたしらの場所よ。そこに来るってことは――…何も無いわけ無いでしょ」

「んだ。――ん、おめまさか…」

 睦大和が舌打ちをする。

「宿主かいな」

「――だからなんだ」

「待て、なして宿主が上界に来る。まさか、おめ…」

「ちょっと!みんな来て!宿主よ!」

 その声に人がわらわらと集まってくる。さくらはただそれを落ち着かない気持ちで見る。睦大和の眉間の皺が深くなる。

「こっちにもこっちの事情があるんだ。急いでる。そこをどけろ」

「ちょっと待ちなよ。――ちょっと、そこのお嬢ちゃんは何持ってるんだい」

 別の太った中年の女がずいっとさくらの方に顔を寄せる。さくらは慌てて巡雨の入っている包みを抱きしめた。

「もしかしてなんかあったの?」

「脱獄ってこと?」

 ひそひそと話す人々。不意に、喉に黒い塊が蔓延している感覚に襲われる。彼らが好意的ではないのは明らかで。神話が浸透している箱ですら、この扱い。

「――急いでるっつってんだろ!いい加減にしろ!」

 睦大和は怒鳴ると、さくらの手を引いて強引に前へ進む。

 気づけばさくらたちの周りには人だかりが出来ていた。老若男女問わず、様々な人間がこちらを見ている。

「どうすんだい…」

「とにかく王家に届けにゃあ…」

「――全員どけ!」

 ぼそぼそと話していた人間達が、しん、と沈黙する。

「お前達が何もしなければ俺も何もしない。――お前達がこれ以上邪魔をするなら、俺もこのままというわけにはいかない」

 さくらは息を詰めて、睦大和の顔を見上げる。

「全員、家に入れ!」

 その言葉に、人間達は顔を見合わせ、それからそそくさと三角の建物の中に入っていった。睦大和は深くため息をつく。

「…あの…」

「――色々あるんだ」

 ぼそりと呟いた声は、どこか疲れがにじみ出ていて。さくらはそれ以上言及出来ず、巡雨をただ抱きしめた。



 睦大和はため息をつくと、後ろをちらりと振り返る。人間の気配は特にない。

「行くか」

 数度ストレッチをするように首を回すと、睦大和は手をかざす。また、四角い入り口が出現した。

「睦大和」

 外へ出ると、不意に軽やかな声が聞こえて、さくらはそちらに目をやる。萌葱色の髪を垂らした青年が、そこにはいた。穏やかな笑みをたたえている。ゆったりとした淡いベージュの踝程まであるワンピースのような服を着ている。ギリシャ神話の挿絵で見た服に酷似している。そして、そのシンプルな衣服とは真逆の様々な色の球体が連なるアクセサリーを、首や腕に付けていた。

「そちらが、零箱の子だね。初めまして。参箱宿主の、初音守と言います」

 丁寧で落ち着いた物腰にさくらは慌てて頭を下げる。

「高柳さくら…です。それから、巡雨です」

 巡雨に掛けていた布をはぎ取りながら顔を上げると、ただ彼の笑顔は暖かく柔らかい。声も表情も、そして衣類までもが睦大和とは正反対だ。彼のその穏やかさに、少しさくらも落ち着く。癒される、というのはこういうことかと小さく深呼吸をした。

「あ…これ、ありがとう」

 仏頂面の男に、布を渡す。特に何も言わず、睦大和はそれを受け取ると胸にしまった。

「なんか苛々してるねえ。どうしたの?」

 笑顔の初音守に問われ、睦大和は息を吐く。

「――久々の檻の外に疲れただけだ」

 あぁ、と初音守は頷く。どうやら彼は睦大和の――壱箱の世界のことを少なからず知っているようだった。

「今度、その話も聞かせてよ」

「絶対嫌だ」

 あはは、と初音守は笑う。それから、その笑みを消して真面目な顔を作った。

「――それで、そちらの情報は?」

 睦大和は頷き、先程巡雨に話したこととほぼ同じ事を簡潔に話し、さらに襲撃にあったことも伝えた。初音守は頷く。

「ふうん…こちらの動きが読まれてるとはねえ…。まあ…製作所に行くだろうということは予想がつくのかな…。現存の宿主で行動を共にするなら君だというのも…分かるといえば分かるのかな」

 初音守の言葉に睦大和は首を横に振る。

「製作所の場所は特定されにくいように箱の隅に――しかも地中に隠してある。神に見つからないような場所にしてあるはずなんだが…」

「…壱箱でそれを知ってる人は?」

「王家の地に住む者達は…ある程度知ってる。同じ地中ってこともあるしな。だが、神が接触した形跡は俺の知る限りはない。それに、俺たちは零箱に対し忠誠を誓ってる。誰かが密告したとは考えられない…と思う」

「絶対にそうと言い切れる?」

 初音守に問われ、睦大和は眉根を寄せる。その言葉は、酷く冷たかった。ちらりと音の発生主を見ると彼の顔には穏やかな笑みがただ浮かんでいる。

「世の中は君みたいな表だけの人間だけじゃない――あぁ、褒めてるわけじゃないよ」

 表情や柔らかな声色とは裏腹に彼の言葉は何処までも冷たい。

「信じることは良いことだけど、今はそんな穏やかなときではないだろう?…大体、天使が来たときにどうしてもっと情報を引き出さない?どうせ大声で威嚇したんだろう。せめて交渉ぐらいはできなかったの?」

 呆れたように言う男に、睦大和は舌打ちをする。

「まあ無事だっただけでもよしとするか。――怪我は?」

 問われてさくらは睦大和をちらりと見る。ふて腐れたような表情を隠そうともせず、睦大和はそっぽを向いている。

「大丈夫です。ちゃんと。あの、守ってもらったし…」

 睦大和が肩をすくめるのが視線の端に映る。

「お腹は?すいていない?」

 言われて、何も意識していなかったことを思い出した。

「身の状態だと、生理現象を忘れがちになるけどね。栄養は取った方が良い。――というより、君が気を遣ってあげなくちゃ」

 彼は睦大和に呆れたように言って、腰についている青い球を一つむしり取る。手のひらに乗るほどのそれを、指で摘むと外装のようなものが伸びて、ストロー状になる。

 歌椿のくれた、いなり寿司とは全く違う食べ物だった。箱によって、食物は様々らしい。

「これを飲むと良い。元気になるよ」

 言われるがままに飲むと、不思議な味がした。ゼリー状の飲料水のようだが、味はどちらかといえば甘じょっぱい。スパイシーな味も所々にある。

「君は?」

 問われた睦大和は首を横に振る。

 一分程で飲みきると、それは萎んで薄いビニールのようになった。

「それも食べられるよ」

 言われて口に入れると、それはとても甘い。乳製品を思わせる風味がする。程良くかみ応えがあって美味しい。食べると、身体――実際は身なのだが――が満たされてくるのを感じた。

 これが恐らく神からの賜り物なのであろう。ごちそうさまでした、とさくらは口に出す。初音守は満足げに小さく頷いた。

「で、お前の方は?」

 睦大和に問われて、初音守は頷く。

「うん、僕の方は幾つかの展望台を回ってきた。神は零箱にまだ居るみたいだね」

「…零箱に?」

「戦ってるみたい。――守人と」

「…本当にいるのか、守人って…」

「居たみたいだねえ」

 不思議そうな顔をしている二人を、さくらはぼうっと見る。こちらの世界でも、知らないことはあるのだ。

「製作所では、見つからなかったんだが…」

「あんまり広範囲の戦いじゃないから」

 初音守が言う。

「ごく一部での、小さな戦いっていうところかな。参箱には展望台がおおよそ百あるんだけど、それを見られるのは一つだけだった」

 ふうん、と睦大和は唸る。

「妙だよね。神は何を求めて戦ってるんだろう。零箱を壊すための戦いとは思えないんだよね。小さな何かを…奪い合っているような」

「何かって…例えば、鋏とかか?」

「…かもしれない。分かんないけど…でもまあ、歌椿の連絡待ちだね」

 初音守は言って、それから切り替えるように軽く伸びをする。

「――とりあえず行こう。先程葉話をしたら、絹小紅(きぬこべに)が神殿にて待っているということだったから…あぁ、神殿っていうのはね、遙か昔に…壱から四の箱がまだ繋がっていて…っていう話は知ってる?」

 さくらは頷く。初音守は笑って、言葉を続ける。

「その時に、神が住んでいた場所って言われてるんだ。箱と箱の隙間にあって…今はそこに、源箱の蓋と底を繋ぐ階段があるって言われている。僕も一度行ったことがあるけれど、その時は誰も住んでいなかった」

 さくらは曖昧に頷く。地球――零箱にも、神殿というものはあるので大体のイメージはつく。

「天使の製造場所、とも言われているし神の別宅とも言われている。とりあえずそこに、絹小紅が行っているはずだ」

 さくらは頷く。初音守はそれを見て、「じゃあこれを」と足下に別の球――今度は赤い――を落とした。それは地面で割れ、中から液体を吐き出した。小さな球から出てきたとは思えぬほどの量の液体が遥か遠くまで伸びる。

「この上を歩くと、疲れにくいしとても早く着く」

 彼はそう言って笑う。成る程確かに、一歩進むだけで何か押されるような滑るような不思議な感覚がする。一歩で恐らく十数歩分ぐらいは進めるだろう。

「歩いて半日かからないぐらいかな。がんばれる?」

「はい」

 良かった、と笑う初音守を先頭にして一行は歩く。さくらは巡雨を抱き上げて。その後ろに、睦大和が続く。疲れているのかずっと瞳を開けない巡雨の毛並みを時々、撫でる。暖かさと、上下する背が無ければ縫いぐるみのようだ。角に付いている球が時々腕に当たる。ひやりとする、感覚。

 目の前を歩く初音守の背を見つめる。彼も、零箱のために動いてくれている。頼んでなどいないのに。どうして彼らは零箱を守りたいんだろう。さくらはただ思う。

 彼らは「子供」だと言っていた。零箱は子供だと。ただそれだけの理由で、自分の住んでいる場所や命を危険に晒せるものなのだろうか。不意に、またあの夢が見たくなった。魚たちが笑う、あの立ち尽くすしか無い夢を。そうして聞きたい。あなたたちの子供を助けるために、この水槽をひっくり返しても良いですか、と。


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