三日目(4)
いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。睦大和の声で目が覚めた。
「着いたぞ」
長い滑り台の終点に降りる。さくらたちが皆降りると、先程までのそれはゆっくりと横揺れをしながら、地面へと戻っていく。また、べたりとしたただの線へと変わる。振り向くと遙か遠くに、低い柵のようなものがあり、その奥に三角形の家々が見えた。この周辺には大地のみが存在をしている。ただ広い大地。そしてさくらたちのいる場所から数メートルの距離に、丸いぽかりとした黄色い穴が開いているのが見える。まるで落とし穴のような。
「あぁ…もうこんな時間か。もうすぐ三日が経過する」
睦大和が地面の砂を撫でながら言う。今何時なの、とさくらが問おうとしたと同時に、不意に、ギギギと不快な音がした。
「…巡雨!こいつを守っとけ!」
その声よりも恐らく早く、巡雨の背にさくらは投げ出された。
「掴まっていろ!」
巡雨の声に言われるまでもなく、しっかりとたてがみを握りしめる。巡雨は上空へと舞った。下を見やると、そこには大木のようなものが睦大和に襲いかかっているところであった。
「…あれ、なに?」
「恐らくこの製作所の衛兵だろう」
巡雨が答える。衛兵、と言う言葉に白の部屋での恐怖がまた蘇る。
「睦大和は…」
「大丈夫だろう」
その言葉と同時に、睦大和に降りかかっていた木がはじけ飛んだ。音はしなかった。ただそれらは細かく粒子のようになり、そうして床に降り積もっていく。木はまだ次々と襲ってくるが、地面から来るそれはあっという間に、睦大和により粉になる。恐らく数分ほどであったのだろう。やがて木の粉は全てが睦大和の付近に落ち、そうして静かになった。彼はその後に、何かを確認するようにあたりを見回す。
「大丈夫だ、降りてこい」
睦大和に声をかけられ、巡雨も降りる。
「…何したの?」
魔法のように見えた、というと睦大和は笑った。
「ただ叩いただけだ。それにしても…あまりに少ないな」
少ないというのは先ほどの木――衛兵といっていたの数だろう。
「こいつらは、数日経てばいくらでも生えてくるものだ。普段はもっと上級の衛兵が居る筈なんだが…」
両側を睦大和と巡雨に挟まれる形で、さくらは先に進む。
「誰かが倒したと仮定するには骸もないな。巡雨、どう思う」
「拉致をしたか…形を残さず、滅したという可能性もあるな」
うん、と睦大和は頷き、そして先程の穴の近くまで歩く。
「――巡雨は無理だな」
睦大和がそう言い、巡雨は頷いた。大きさ的な問題だろう。その穴は人が二人並んで入れる程度の大きさだ。
「ちょっとここで留守番していてくれ」
「――了承した」
巡雨に頷き、行こう、と睦大和はさくらの手を握った。その黄色い穴に向かって彼は進む。足を入れると、ごぷりという液体的な音がした。手を引かれたままさくらはそこに入る。音に準じた感覚は無い。そのまま、さくらたちは沈む。僅かな時間――恐らく数秒間――沈むと、急に視界が開けた。地中なのだろうか。明るさは先程の大地と変わらずあるが、色が違う。濃い橙色をしている。天井はあまり高くなく、横の壁との距離も近い。昔図鑑で見たモグラのトンネルのようだ。
「…おかしいな。鍵も…扉もない」
ゆっくりと彼は辺りを見回しながら前に進む。足下は若干ぬかるんだ感触がする。
「…っとぉ」
不意に睦大和が立ち止まる。狭いトンネルから開けた場所。その脇から、さくらにもその光景は見えた。
五十人ほどの遺体であった。皆、血を流している。死んでいる人は老若男女様々で、皆一様に白衣を着ていた。それらが所々で入り乱れている。
空間の奥には天井からぶら下がる沢山のガラス瓶があったが、それは全て底が壊されていて、中に入っていたのだろう液体が下に海を作っていた。その海には、引き裂かれた紙が所狭しと浮かんでいる。
「遺体の廃状況から見て…そんなに前じゃないな。一日経ったかどうかってところかもしれん」
睦大和が遺体の合間を縫って確認をする。
さくらはごくりと唾液を飲み込んだ。昔祖母の葬式に出たときとは異なる。祖母は、綺麗に化粧を施され、穏やかに眠っていた。さくらも、そうなるのだろうと思っていた。けれども、目の前に広がる世界はその安らかなものとは対極にある。苦悶の表情のまま止まった人々。流れ出ている血。独特の匂い。死にたい死にたいと願っていながらそれをきちんと理解していない事に初めて気づく。自分の体は今どうなっているのだろう。こんな風に血が出ているのだろうか。
突然、ダンダンと何かを叩くような音がした。
「――何だ」
睦大和は音のする方へやや慎重に歩みを止める。そして、その空間の隅の壁にある扇のような形の扉の前で足を止めた。引き手がついている。
「後ろにいろ」
さくらは頷いて、睦大和の後ろへ行く。
睦大和が力を入れてその引き手を引くと、クローゼットのような狭い空間に、女が座り込んでいた。胸には、何か布団のようなものを抱いている。
「…お前は?」
やや緊張した面持ちで、睦大和は言う。女は呆然と、彼の後ろの惨劇を見つめて、それから顔を歪ませた。
さくらはそして、女が抱きしめているものに気づく。それは、五、六歳前後と思われる少年の、恐らく遺体だった。柔らかな毛布のようなものにくるまれたそれはだらりとしている。抱きしめられた布から、緑色の髪の毛と思しきものがはみ出していた。そこに生は欠片も感じられなかった。
女は、その狭い空間にその遺体をそっと下ろすと、ゆっくりと立ちあがった。白衣のような羽織り物の下には紫紺の膝丈のワンピースのような服を着ていた。つややかな銀髪に青緑色の瞳。肌は褐色だ。二十代半ばというぐらいの女。睦大和は一瞬構えるような仕草をする。
「…ありがとうございます。壱箱と…零箱の宿主様ですね」
女は深く叩頭をし、それから顔を上げるとべろりと舌を出した。そこには、五角形の模様が書かれている。更にその下には長い漢数字と共に「茜」という文字も記されていた。
「制作者番号九一八五六七、鈴茜と申します。」
睦大和はそれで納得をしたのか、ため息をついて近場にあった椅子に腰掛けた。鈴茜と名乗った女はぼんやりと部屋の中の遺体を見ている。
「――何があった」
問われて鈴茜は俯く。
「私にも何があったのかは分からないのです。只、突然所内が真っ暗になって…。夫に、ここに…押し込められまして」
彼女は静かに話す。そこからは感情は読み取れない。
「半日…いえ、一日ぐらい経ったかと…思います」
睦大和は頷いた。
「…誰が来たかは」
「分かりません。――…神の怒りに触れたのやも」
「その…子は」
「息子です」
さくらは思わず鈴茜を見た。さらりと言った彼女の言葉にはやはり感情が見あたらない。夫や仲間と思われる人々の遺体を彼女はぼうっと見ている。もうそして、後ろを振り向いては居ない。毛布に包まれた、小さな亡骸。
さくらの視線に気づいたのか、鈴茜は静かな笑みを浮かべた。
「元より私たちは神に反し、零箱の製作を続けて参りました。私たちには悲しむ権利も憤る権利もないのです」
彼女はゆっくりと目を閉じる。何か反対したい気持ちがわき上がり、でも、と言いかけてさくらは口をつぐむ。それ以上の言葉は浮かんでこなかった。
「元々、零箱が何の目的で造られたのかは…誰にも分かっておりません。私たちも当初、何か天桃源郷のようなものを造っているだけでした。かつて、神が住んでいたと言われる源箱の再現とも言われています。けれど実験はただ過激になっていきます。それは神への、命への冒涜。ここ以外の製作所は、箱の住民からの激しい糾弾により閉鎖しました。――ここも、閉じるべきと言う話も御座います」
ですので、と彼女は静かに言う。
「――いつ、このような自体がおこっても…可笑しくはないと思っておりました」
神というのは、一体何なのだろう。さくらは瞳を閉ざした女を見つめる。この世界を造ったという存在。絶対的な存在。飼い主の手を噛んだ犬は、殺される。そういうことなのだろうか。だとすれば、それは恐怖でしかない。恐ろしい支配者。そういうことなのだろうか。全ての生きる術を与えられたペットは、ただ従うしかないのであろうか。
「――零箱で起こったことについては」
睦大和の言葉に、鈴茜は頷いた。さくらも顔を上げる。
「存じております」
「悪いが、今の零箱が見たい。――案内してくれ」
彼女は立ち上がり、奥を示す。
「こちらへ――」
短い廊下を経て、また空間が広がる。その部屋には大型のテレビ、或いは広い窓のようなものがある。そこには、一つの箱が映っていた。ずっと箱と言われてきたが、成る程それは確かに“箱”であった。浅く、広い箱。そこには海があり、地表が配されている。ややあって、それが地球であると気づいた。さくらの知っている世界地図とは陸の形がやや異なる。全体的におかしな形ではあるが、しかし、中央にどん、とあるのはアメリカ大陸に似ている。そして右上には北極と思しき白い地がある。まるで模型のような世界。さくらの故郷である日本は左端に位置しており全体的に右寄りに歪んでいる。
睦大和はそれを見て頷いた。
「今のところ、大きな崩壊は始まってないみたいだな。神が何処にいるか分かるか」
「ここからでは分かりかねます。もう少し、精密な望遠鏡があるところでなくては…」
そうか、と睦大和は頷く。
さくらは、その風景を見てそうして呟く。
「――…丸くない」
「丸?」
睦大和が首をかしげる。さくらは誰にともなく問いかける。どうして、と。地球は丸い。そんなことは物心がついたときには既に知っていた知識である。常識、当たり前。遙か昔に確定済みの、そんな知識。
「これが、零箱です」
鈴茜は静かに言う。嘘、とさくらは呟いた。
「…でも、宇宙船で見た地球は――丸くて…だって、世界一周旅行とか…」
「それは、零箱の上空に“空”があるからです。“空”を通して見る景色は、歪んで見ええるのです」
鈴茜はそう言い、見てみますかと問う。さくらが頷くと、彼女はその窓に何か張り付いているフィルムのようなものをめくった。くるくると巻きながら、左端に移動させる。やがて、見えていた景色が歪んでいく。まるで、魚眼レンズを通したような風景。それはさくらの知っている地球であった。地表の形も、さくらのよく知る形だ。
宜しいですか、と問われ無意識に頷くと彼女はまた、フィルムを右の方へとくるくる伸ばしてく。また箱の形状を映し出す窓を、さくらはぽかんと見つめる。よく見ると、薄い円がその箱の上に浮かんでいる。球体では無さそうだ。浅い、弁当箱のような。これが歌椿の言っていた「星」なのだろうか。一つ大きな円が目に入る。何かぼこぼことした模様のものがあって、それは月によく似ているように見える。
一体これは何なのだろう。悪い夢を見ているようだった。酷い吐き気を感じる。嘘だ、と叫び出したかった。それがどこから産まれた思いなのかは分からない。生前の世界に愛を感じていたわけではない。むしろ愛せないからこそ終わりを望んだのであって。それでも、目の前に広がる光景は受け入れられなかった。
「…大丈夫ですか?」
鈴茜の声が横でして、それでようやくさくらは意識をして頷いた。数度頷くと、少し気持ちが落ち着く。不思議そうな顔の睦大和に、鈴茜が言う。
「零箱では現実とは違う解釈が少々されているようで。…混乱するのも、無理はありません」
あぁ、と睦大和は合点がいったように頷く。さくらはまた窓の外を見る。これが、世界なのか。さくらが今まで居たところは、何なのだろう。あれは現実ではなかったのか。こちらが現実なのか。酷い御伽話のようだと思った。
「ところで、投入口はまだあるのか?」
睦大和の言葉に鈴茜は頷く。
「御座います」
「――まだ、投入をしているのか?」
問われて彼女は、沈黙をする。睦大和はそれ以上は何も言わず、ため息をついた。
「とりあえず、投入口が無事か調べてきてくれ」
「少々お待ち下さい」
鈴茜は頷き、部屋を出る。
「あの…投入口って…?」
先程説明すると言われて、それきりになっていたそれを問う。何を投入しているというのだろう。空気だろうか。或いは。睦大和は決まり悪そうに頭を掻いた。
「昔、な。零箱に、こちらから知識や物語を持って何人もの人が行っていたりしたことがあってな。それを投入、とかって言ってるんだ。それから、生物の元はこちらで全て製作して落としている。それも投入と言う」
「生物の元?」
言われていることが分からずさくらは首をかしげる。
「今は、零箱には色んな生き物がいるだろ? それは、この“製作所”で作られて零箱に落とされてるんだ。最初は基本番で…その時によって一組だったり数千組だったり、色々だけど。…で、零箱で繁栄する」
どうにもさくらの知っている浅い知識とはかけ離れている。やはり理解という所までは行かず、知っている知識を総動員して彼に問う。
「でも、地球は…最初は、微生物からどんどん進化して行ったって…」
「シンカ?」
今度は睦大和が問い返す番だった。どんな字を書く、と問う。
「進んで、化ける…で、進化。えっと…小さい微生物が、だんだん環境、とかにあわせて変化、していって大きい恐竜とかになって…そのうち人になって…」
昔読んだ図鑑のページを思い出しながら言うと、睦大和は笑う。子供の拙い絵空事を聞く大人のようだった。
「へえ…。そっちではそーいう風に理解してんだ」
成る程成る程、と彼は頷く。
「進化ね、成る程。確かに、同じ生き物を基にして手を加え、落としていることもある。それをそう理解してるのかな」
「…高いところの葉っぱを食べるために、首が長くなったりとか。敵に見つからないように…身体に模様があるとか…」
彼はまた笑う。
「そんな都合良く身体は変えらんないだろ」
そんなことが出来るなら神なんて要らないだろ、と彼は笑う。断言をされると、そういうものなのかと思うしかない。
「ちょっと哀しいかもしれないけど、零箱の中のものは全部人工物だ。空気も海も植物昆虫動物魚類鉱物も。全部が。人も。ただもう何千年も前に…“投入”も“回収”も禁止されてるんだけどな」
「回収?」
「実験完了した生き物をこちらに戻らせる作業」
もしかしたらそれを“絶滅”と呼んでいるのかもしれない。心の中で自分なりに理解をしてから、さくらは俯く。“実験”という響きが妙に落ち着かなくさせる。怒りとも悲しみとも似ているような。けれどそれは泡が弾けるようにあっという間に消えて、後はただ何処か冷めた気持ちが満たすだけだった。思った以上に、世界は単純に出来ている。大人達が挙って描いていた成り立ちは、こんな小さな場所で造られていたのだ。さくらの、あの涙も。母の笑顔も。全てが。




