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三日目(1)

 どのくらい寝たのだろう。歌椿に起こされ、さくらは寝所を出た。そして、また歩みを進める。特に誰も何も言葉を発しないまま、静かに歩いた。

 そうして、ようやく目の前にオレンジ色の壁が見えた。

 その壁の前で、歌椿は手をかざした。刹那、ごぽりという何か液体的な音がしてそこの壁に、四角い入り口が出現した。

「箱に出入りできるのは、宿主の特権じゃ。中に入ると、その箱の宿主の元へ行くようになっておる。自分の箱に入るときには、最後に出たところになるの。――中には壱箱の宿主である睦大和(むつやまと)という男が居る。現存の宿主の中で、一番腕力のある男じゃ。彼に守護を求めると良い」

 歌椿が繋いでいた手を離す。急に何か手のひらが冷たくなった気がして、さくらは何か心細さを覚える。

「気をつけていくが良い。お前さんは死にたいというのであろうが、儂は出来れば死なせたくない。お前さんも、巡雨も、零箱も」

 さくらは曖昧に頷く。それを気にする風でもなく、歌椿は踵を返した。

 行くぞ、と巡雨に声を掛けられ、さくらはそのオレンジ色の入り口に足を踏みいれる。ぱちぱち、と音が耳元でする。思わず瞳を閉じる。身体全体に、静電気のような僅かな痛みを感じた。

「目を開けろ」

 巡雨の声がして、さくらは恐る恐る瞳を開ける。

 そこは、オレンジ色の空間だった。床は土のようなもので出来ている。その上に五十メートルぐらいの間隔で、碁盤の目のように縦横に線が描いてあった。周りには家なのだろうか、人が二人ぐらい入れるほどの大きさの三角形の建物が幾つもある。よく見るとその建物は、地面と同素材で出来ており、またその地面と繋がっていた。幼子が砂場で造るような。そんな塊。そのテントとテントの間には木のようなもの――枝と何かの実はついているが葉はない――が数本ずつ立っている。建物の入り口には様々な模様の布が暖簾のようにかけられている。窓のようなものもあるが、人は誰も歩いていない。

「誰もいないのね…」

「丁度夜明け前だからな。皆寝ているのだろう」

 見あげれば、そこはただ明るく見える。夜明け前とは思えない。首を傾げたところに、巡雨が声を上げた。

「居た」

 巡雨の指し示す方を見ると家の陰から、数人の男が出てくるところだった。その中の一人が、こちらに向かって歩いてくる。藍色の短髪の男。黒い衣服で四肢をしっかりと包んでいた。身長は高く、体つきはがっしりとしている。無駄な肉は無く、筋肉質なのが服の上からでも分かる。切れ長の瞳はこちらをじっと見つめている。足下は厳ついブーツのようなものを履いている。二十代半ばぐらいだろうか。今までさくらが接したことの無いような男だった。

「――零箱の者だ」

 巡雨が告げると男は頷いた。そして、右腕の袖をまくる。手首のあたりから、広がる文様。

「話は聞いてる」

 低い声だった。見た目同様少し固い乾いた声。

「壱箱の宿主。睦大和。――で、これが歩土(あゆみつち)

 これ、と彼は腕を示す。そうして、興味深そうに巡雨を見つめる。

「…高柳、さくらです。えぇと…それから、巡雨です」

 ちらりと彼の後ろを見る。数人の男――よく見ると、皆睦大和と同じそろいの黒い衣服を着ている。睦大和はさくらのその視線に構わず、歩みを進める。

「兎に角行くぞ。製作所の様子を見に行く」

「――必ず、帰ってくるように」

 後ろにいた男の一人が、声を上げる。睦大和は、不快そうに眉をひそめた。

「分かってる」

「もしも逃亡などすれば――」

「分かってるっていってんだろ!」

 苛立ちがこもったその口調に、さくらは身をすくませる。後ろの男達は特にそれに驚く様子もなく頷き、そして踵を返した。

「行くぞ」

 睦大和はそう言うと歩き出す。さくらは慌ててその後に続く。彼の歩幅は広く、小走りにならないとついて行けない。後ろからついてくる巡雨は、ややゆったりと歩いている。

「あの――」

「そもそも、お前が奴を拒否すべきだったんだ」

 突然ぶっきらぼうに言われた言葉にさくらは目を瞬かせる。

「――分かってんのかよ…。お前の責任なんだよ!」

 さくらはぽかん、と彼を見つめる。怒鳴られたのは、生まれて初めての経験だった。父の疎ましげな瞳や母の嘆きを聞いたことはあったし、幼い頃に通った幼稚園では泣き叫ぶ園児や注意する教諭が居たはずなのだが、それでもこんな頭ごなしに苛立ちをぶつけられたのは初めてであった。

「…大体、何で奴の言うことをまともに聞いた」

「――だって、この線を…無くしてくれるって…」

「んなこと出来るわけ無ぇだろ」

 ため息混じりの苛立った声に、さくらは下唇を噛む。

「でも、知らなかったんだもん…」

 小さく呟いた声に、睦大和は片眉を上げた。さくらは視線を落とす。つるりとした足首が見える。視線を少し前に向けると、黒い靴の男の足が見える。彼のその黒の下にも、線はあるのだろうか。

「線が無くなるんだったら…それで良かった。もしも死ぬことになっても…それで」

「――そのせいで、零箱が消滅すると知ってもか?」

 さくらは顔を上げる。睦大和の顔は変わらず険しい。その視線に耐えきれず、再び顔を伏せた。知っていたらこんなことはしなかった、と答えれば彼は同情してくれるだろうか。もしも、知っていても私は線を消すことを選んだと答えたら、彼はどう言うのだろう。先程の怒鳴り声を思い出す。

「――分か…らない」

 辛うじてそれを答えにすると、男は大いに不服そうにため息をついた。さくらはただ居心地が悪くて黙りこくる。言葉を発したのは、巡雨だった。

「過ぎたことをとやかく言っても始まらぬ。色々言いたいことはあるだろうがどうにか納めて、零箱のために力を貸してくれぬか」

 睦大和は深く息を吐き出す。

「…分かってる。どうにもできやしねえな。――…悪かった。ちょっと苛ついていて」

 素っ気なくそう言うと、睦大和はさくらの方に向き直る。

「お前にああしてれば良かったのにとはもう言わねえよ。悪かった。…ただ、お前のせいでこうなったという事実だけは覚えとけ。これに懲りて、二度と自分の身体も命も軽んじるな」

 さくらは何も答えずに、足下をただ見つめた。睦大和は小さなため息をまた一つつく。

 懲りるとはどういう事だろう。彼に怒鳴られたことなのか、怖い目にあったと言うことなのか。零箱、と言われてもピンと来ない。世界が終わっても、さくらには何も思うことはなかった。その中に母がいると考えても。


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