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その年は年の瀬になっても誠一郎は、一度たりとも嶌谷の実家には帰らなかった。
「レポート提出やバイトが忙しくて大変みたいなのよ」と、夏に一度だけ京都のアパートに顔を出した由ノ伯母は、のほほんと言うけれど、言い訳の矛盾を考えれば、案の定の話であることは確かめるまでもない。
あの男の本音は俺や晟太郎伯父と顔を合わせたくないだけだ。俺たちに顔を合わせられない程にロクでもねえことをやっているに違いない。
さて…嶌谷家の平日は売れないデパートの宝飾店売り場の様に閑散としている。
午前中、家事を手伝う家政婦が居なくなると、外見が派手でデカい屋敷だけに、つと侘しさが鼻に付く。
母は晟太郎伯父の秘書兼マネージャーから会社を背負う役員に持ち上げられ、今まで以上に忙しい忙しいと口ではぼやきながらも、誰が見ても生き生きと楽しそうである。
晟太郎伯父も相変わらずマイペースで、仕事以外のことにはあまり執着せず、朗らかに暮らしている。
だが晟太郎伯父と母の間に居る由ノ伯母の立場を考えると、同情せざるを得ない。
勿論、母は充分に気を使い、家に居る時は晟太郎伯父との距離を取り、もっぱら別館の自室にこもっているけれど、食事の時など、能天気な晟太郎伯父が仕事の話などを母にふったりするものだから、母はその度に伯父を叱り、その様子に由ノ伯母が気をもむという悪循環が繰り返されるのだ。
それでも、由ノ伯母は母に対して嫌味や気に障る態度は決して取らない。
もともとおっとりしたお嬢様育ちだ。俺がそれを褒めると、由ノ伯母は「だって、晟太郎さんは一度も浮気をしたこともないのよ。ほら、お義父さまがああだったでしょ?お義母さまや他のお妾さんの胸の内を思ったら…私は随分幸せ者だと思うわ」と、屈託なく笑う。
或る晩、道場の稽古が遅くなり、予定よりかなり遅くに家に戻った俺は、食堂でひとり夕食を取っている由ノ伯母を見た。
晟太郎伯父も母もまだ仕事から帰宅していない。
ひとりで食事をする伯母の後姿は、誰が見ても寂し気に見える。
それが俺や母の所為だとは思わない。
ごく普通の家庭を守る主婦の一面なのだろう。だけど、俺は…この家を留守を健気に守っている由ノ伯母を、独りさびしく食事させてはいけないんじゃないか、と、子供心に決意したんだ。
最愛の息子である誠一郎の代わりにはなれなくても、伯母をひとりぼっちにさせない事は俺にもできる。
「伯母さん、ただいま~」
「あら、お帰りなさい、宗ちゃん」
「腹減った~。飯ある?」
「勿論よ。あ~、宗ちゃん、帰るの遅かったから伯母さん、先に晩御飯頂いてしまったわ」
「ああ、いいよ。でもさ…せっかくだからさ。一緒に食事しない?遅くなる時は連絡するけど、俺、由ノっちの飯が一番好きだから、由ノっちと一緒に食べたいんだよね」
「…そう…ね。うん、伯母さんもその方が嬉しいわ。待っててね、宗ちゃんの分、すぐに用意するわ」
台所へ向かうおばさんは、割烹着の裾で目頭を拭っていた。
幼い頃、俺には母しか家族が居なかった。
だから、晟太郎伯父や由ノ伯母や誠一郎と一緒に暮らせるようになったことが、本当に嬉しかったんだ。
だけど、少しずつ歳を取っていく程に、家族は家から離れていく。
当たり前過ぎる現実の話。
だから家族は人生の冒険に疲れた時にいつでも帰る故郷であり、いつかは終の棲家にならなきゃ。
帰る家があるからこそ、外へ出る者は安心して働くことができるのだから。
由ノ伯母はそんなことを俺に教えてくれた。
俺はいつも、「俺が伯父さんと伯母さんの終の棲家になるよ」と、繰り返した。
そして、その言葉にはいつも誠一郎は含まれてはいなかった。
無意識に俺の中で、誠一郎は家族ではないと、切り離していたのかもしれない。
中学校は近くの公立に通っていたが、晟太郎伯父の望みを敵うべく、高校は誠一郎が通った進学校の私立の受験を受けることにした。
そんな受験シーズンの中三の夏、久しぶりに誠一郎が嶌谷家に帰ってきた。
正月に会ったきりだったから、とても懐かしく思えた。
あれから…
俺が誠一郎を抱くからと宣言してから、誠一郎は自宅に帰っても、まともに俺と顔を合わせようとしない。
寝る時も自室とベランダの鍵を閉め、絶対に俺が入ってこれないように用心する。
廊下ですれ違いざまに誠一郎の腕を取り「キスしてよ。じゃないとバラすぞ」と、脅すと、舌打ちしながら、口唇に軽くキスをする。
いつの間にか、俺の目線は誠一郎と同じ高さになっていた。
「なあ、俺の事嫌いなのか?」
「…別に、嫌いじゃない」
「じゃあ、なんでセックスしてくれねえんだよ」
「子供だからだよ」
「俺、女も男も知ってるし、やり方も覚えたし、誠を満足させられるよ」
「…ちょ…、おまえ、まだ中三だろ?どこで…」
本気であわてる誠一郎がかわいくて、俺はもっと困らせたくなった。
「誠だって高一の頃はもう男としてたじゃん。あれが初めて?…それとも中学の頃からやってたの?」
「答える義務はない」
「あるよ。誠は俺のもんだしな。大体、誠が相手してくれねえから、色んな奴とやるしかねえじゃねえの」
「い、色んな?」
「そういうイロモノの店でね、色んな奴を紹介してもらってさ。好みの奴と寝てんだぜ。(嘘だ。女は三人、男は二人ほどだ)みんな大人だし、教わるのも上手いし、勉強させてもらった。(これはホント)」
「…」
精一杯の見栄を張った俺の言葉に、誠一郎はこちらが思う以上に動揺している。
「バカ…なんで…。せっかく離れて…。おまえだけはマトモにって…」
「誠がマトモじゃないなら、誠を好きな俺もマトモじゃないってことだ」
「…」
「健全な良識や至ってふつーの道徳観念なんて、俺にはどうでもいいことなんだよ。俺は誠一郎が欲しいだけだ…。なあ、やろうよ。三年も待ったんだぜ。誠を抱きたい。誠を犯したい。めちゃくちゃにいかせたい」
「……」
眉を顰めながらもうっすらと頬を染めた誠一郎は、伏目がちに俺をじっと見つめた。
その潤んだ目には、俺への欲情がはっきりと見えた。
その晩、誠一郎の部屋のベランダ側の鍵は開いたままで、俺はそこから忍び込み、すぐにベッドへ潜り込んだ。
誠一郎は別段驚きもせず、裸の俺の侵入に僅かばかりの抵抗を見せて、耳元で俺を叱った。
かまわずに誠一郎の肌触りのいい絹のパジャマとパンツを適当に脱がし、誠のをまさぐり、煽らせた。
黙ったまま口唇を噛みしめる誠一郎の裸の胸に耳を置いて、鼓動を確かめる。
「…早いね。興奮してる?」
「バカ…ヤロ…。きっと、後悔するから」
「するもんか。やっと、誠を俺のものにできるんだ。最高の真夏の夜だ…、夢なんかじゃねえし…」
「宗…」
俺は、誠一郎を抱いた。
青臭い俺の欲望をすべて受け入れる誠一郎の身体は想像以上にしっとりと柔らかく、どこまでも俺を包み込み、誠一郎をこんな身体にした過去の男たちを俺は激しく憎んだ。
勿論、この憎しみは、誠一郎の身体へと相当に浴びせられることとなり、これにより、俺はまさにサディストの真理を得た気分になった。
打ち付けるたびに身体を震わせながらも、声を出さないようにと自ら枕に顔を押し付けて耐える誠一郎が、たまらなく愛おしく、俺は「愛してる」と、その耳元に何度も繰り返した。
返事はなかったけれど、俺の言葉は誠一郎の身体を興奮させていた。
応える身体が嬉しくて、ますます火を点け、止まらなくなる。
母の呼ぶ声とドアを叩く音が一度だけ鳴り、俺たちは一瞬息を顰め、硬直したように動きを止めた。
重なり合った身体に薄いタオルケットを巻きつけ、お互いの口唇に指を押し付け合い、じっと黙り込んだ。
母の足音が遠くなるのを確認すると、お互いに忍び笑う。そして、嫌と言うほどキスを繰り返した。
古くなったエアコンの音がいつまでも響く。
誠一郎と俺は暗闇の中で、子供の時の様に絡み合い、交じり合った。
明け方が近づく頃になると、もうこれ以上は味わえない程に十分過ぎる満足感と疲労に重なったまま動けなくなった。
「…あんたは最高だ、誠一郎。俺はあんたを絶対に離さない」
疲れ果てた力の入らない腕で、俺は誠一郎の身体を抱きしめた。
誠一郎もまた疲れた笑みを見せ、だるそうなキスで応えた。
とどのつまり俺と誠一郎は、相思相愛なのだ。