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Platinum Moon (プラチナムーン)

宗二朗視点だった「破壊者のススメ」が終わり、誠一郎視点でのエピローグです。

眠りにつくのが怖かった。

暗闇の中、「お父さん」と、俺を呼ぶ声が怖かった。

聞いたことも無いはずなのに、あの子の声が聞こえるんだ。

耳を塞いでも、目を閉じても、その声が俺を責める。

何故、おまえは生きているのか、と…



Platinum Moon (プラチナムーン)



この結婚は失敗だったなんて、新婚初夜に後悔する自分を罵った。

俺には女を抱く勇気など、ひとかけらもない。

そもそも今までだって支配される側では決してなかった。

宗二朗は「誠はドMだからな」と、笑うだろうが、ベッドの中では笑いごとじゃ済まない。

政略とは言え、俺を夫に選んでくれた彼女には、敬意を払うけれど、愛情は払えない。

俺はエゴイストだ。

愛する資格のない相手には、一ミリだって本物の愛は与えない。

たとえ同情はしたとしても…

「だったら、なんで結婚なんかしたんだよっ!クソ馬鹿野郎!」と、罵る宗二朗の声が聞こえるようだ。

そうだ、俺は馬鹿なんだよ。幸せになれるはずもない結婚をした。

全くもって、相手もいい迷惑だ。

俺はただ…宗二朗。

おまえに負けたくなかった。

このつまらないプライドだけが、嶌谷誠一郎であることを許される権利だったんだ。



父の妹の息子、つまり俺の従弟である嶌谷宗二朗を俺の中で認識したのは、入院中の祖父、聡一郎が病気でもう長くないと知った頃だった。

ひとりでお見舞いに行った時、いつもは死んだような顔をして寝ている祖父が、珍しくベッドに起き上って機嫌のいい顔を見せた。

事情を聞けば、久しぶりに娘(つまり澪子叔母)が孫(宗二朗)を連れて、見舞いに来たのだと言う。

そして初めて見た宗二朗を、やたらめったら褒めるのだ。

「あの子はいい。あの子は本物になる。さすが澪子の息子だ!」と、意気揚々で俺に言う。

「オレは宗二朗に王者の気風を見た。あの子は獅子の目をしとる。誠一郎、知っているか?百獣の王の目を。あれこそが嶌谷財閥の上に立つ子じゃよ」

「…」

戦後の財閥解体でうちももう財閥じゃないんだけど…と、突っ込みたくなったが、そんな事より、祖父の言葉の重要性に唖然となった。


俺を措いて、嶌谷の上に立つって?…まさか、いくらなんでも父の一人息子であるこの俺をさしおいて…家出したあんたの娘の子供を跡取りにさせる気か?ウソだろ?

あんたが今まで俺にしつこいほど命じてきたのは一体なんなんだよ…


祖父は事あるごとに「誠一郎は嶌谷家の跡取りになるんだから、しっかりするんだぞ」と、俺に言い続け、俺はその期待に応えるべく、すべてに頑張ったつもりだ。

だが、祖父は「誠一郎には何かが足りない。…上に立つにはもっと強気でなければならんのに、おまえは優しすぎる」と、溜息を吐く。

それを聞く度に俺は落ち込み、父は「気にするな」と笑い、母は「誠一郎はとってもいい子よ。お母さんは優しい誠ちゃんが大好き」と俺を労わった。

いとも簡単に子供の自尊心を傷つける祖父は、俺にとって、苦手な部類ではあったが、嫌いではない。寧ろ、祖父の俺に対する不安な眼差しは、俺の存在が祖父を苦しめている…と、思う事で幾分か気が晴れてくるのだった。

思うに俺は自虐的でありながら、自尊心を持て余す、極めて捻くれたロクでもない二重人格だったわけだ。


どこの馬の骨かも知らぬ父親と、出戻りの母の元に生まれた五歳下の居候の宗二朗を、俺は軽蔑し、憐れんでもいた。

初めて出会った時、宗二朗は思い描いた姿よりもとても小さく、また可憐であったため、思わず、彼に跪き挨拶をしたが、後になって考えてみれば、祖父の予言どおり、俺は宗二朗の下僕として、最初から剣を授けていたわけだ。


全くもって…俺は愚かだと思う。

人と違った自分の性癖に気づいた時には後戻りはできず、そういう自分の劣性なものにさえ、価値を見出そうと必死だった。

男が好きならば、いい男を選べば俺のプライドは損なわれることはないのだ、と。


好きになった先輩も、家庭教師の大学生も、バイトの客も、優しい男たちではあったが、誰一人として俺を本気で愛してはくれなかった。

俺には愛されるほどの人間性もないのかよ…と、フラれるたびに落ち込む始末で、それを宗二朗に見破られた暁には、磨いた自尊心も簡単に折れちまう。

きっと、あいつは俺を嘲笑っているだろう。

男に抱かれ、フラれ、女々しく泣いている俺を、心の底から軽蔑しているだろう…。

あいつは俺が欲しいと言う。

だが、本当は…俺から嶌谷家のすべてを奪いたいだけなのだ。

あいつは見事に父と母に取り入り、今では両親共々、俺よりも宗二朗の方がお気に入りのようだ。

ああ、そうだ。認めよう。

俺には無い、特別なカリスマと愛嬌と魅力があいつには生まれつきに備わっている。


俺を真っ直ぐに射抜いた眼差しで、愛していると言う宗二朗の言葉を素直に信じる程、俺は単純じゃない。

たとえ愛し合ったとしても、このお堅い世の中で、禁断の恋に味方する楽天家もそうそう居るはずもなく、結局は生きづらいだけだ。

だけど、そんなことはどうでもいい思うほどに、俺はあいつに惹きこまれていく。

あいつの言葉に、差し出す腕に、俺を抱く強さに、俺は…囚われる。

そして、粉々に壊れていくんだ。

バラバラになった結晶は闇の中でも僅かな光で輝き、俺の魂を照らす。

俺はその光に温められる…

それは、宗二朗のくれる喜びの光だ。


俺は宗二朗には逆らわなかった。

いや、抗うフリをして、本当は俺の方が求めていたんだ。

愛するよりも愛されている側が、高慢でいられるのは世の決まりだ。

そして俺を壊す宗二朗の強さが、心地良かった。

どんな男よりも、最高に俺を打ちのめしてくれた。


五歳も年下の従弟が、俺を支配する現実…

なんとも言いがたい自虐的な想いと自尊心は、あいつへの妄執の愛へと狂っていく気がした。



両親の薦めた縁談に俺は逆らわなかった。

俺がマトモになる為に、この十字架は必要だと思ったからだ。

真実は違う…

俺は、俺を愛していると言う宗二朗が傷つく顔を見たかったんだ。

俺の所為で傷つくあいつを…俺は心から愛したかった。

だが、あいつは俺から逃げた。

俺の苦しみを知っているくせに、俺を見捨ててひとりで逃げやがった。

俺はあいつを憎んだ。

俺が苦しんでも、あいつが俺と同じ苦しみを共有できるのならば、俺達は傷を舐めあって愛し合える。

そうじゃないか、宗二朗!

俺をひとりにして、俺を置き去りにして…

おまえも俺を捨てた男たちを同じなのか?

俺なんか愛する価値もない者だと言うのか…


「あさましや こは何事のさまぞとよ 恋せよとても生まれざりけり」

おまえがくれたこの和歌を、俺は憎んでいた。

この恋に求めていたゴールは見えない気がしたからだ。

会えないと落胆する度に、宗二朗への想いが募る。

俺は、宗二朗を想いながら、何度自慰行為を繰り返したかわからない。

幸せな嘘の家族を演じる度に逃げ場のない自分に吐き気がする。その上、子供まで産まれるのだ。

いっそ俺の子じゃなかったら、どんなに救われただろう。

あいつを想って抱いた一夜が、新しい生命を誕生させる愚かしさ…。

怖ろしい程に無垢な生命に、俺は怯えた。

抱くことは元より、顔を見るのも泣き声を聞くのも、嫌だった。

新婚の俺たちの為に、父が与えたマンションから、俺はひとりで自宅へ戻った。

妻は我慢強い女だったが、無責任な夫に呆れ果てたのか、いつの間にか実家へ戻ってしまった。

俺はとうとう自分がゲイだと両親に告げ、離婚を許してもらった。


誠一郎からの慰めの手紙は、落ち込んでいた俺に留めを刺してくれた。

一行だってあいつの本心なんかあるわけもない嘘の手紙なんか、少しも嬉しくもなく、逆に、その嘘が俺を壊すことを知っていて、送る奴の嗜虐心が俺へのせめてもの執着であるならば、慰めにでもなるのだが…

あいつの本当の心がどこにあるのか、俺にはわからない。


俺を追い詰めるのは、ノーマルなこの社会と健全な家族…そして、愛せない子供だった。

だが、本当に恐ろしいのは俺の心の闇だ。

愛する者に愛してくれと言えない。

愛して欲しいのに、愛しているとは言えない。

どうしようもないメッキの剥がれたプライド。

それを卑下されるのに、耐えられなかった己の弱さ。

口に出す言葉さえ、自分の意志なのか、嘘なのかわからなくなった。


子供が死んだと聞かされた時、可哀想だと思ったけれど、どこかで安堵していた。

あの子が生きている限り、俺の罪が何も感じず生きているような気がしていた。

だが、それは俺の勝手な自己欺瞞であり、あの子の人生にとって、俺はとうに無価値なのだと、気がついたのは、すべてが終わった後だった。

俺は最低の人間だ。

だから、この世には必要のない者なのだ…


誰も俺を見るな…

懸命に装っていたプライドも今は哀れな乞食よりも惨めな有様。

誰ひとりとして、「嶌谷誠一郎」など、求めてはいないのだ…




繰り返す波の音が、俺の耳に心地良かった。

闇の中に独りいると、音も光もなくて、それはそれで時間も空間も感じないから、わずらわしさもないし、何も考えなくて済むけれど、生きている感覚もわからないままじゃ、死んでいるも同然だ。


「さまざまに 思ひみだるる心をば 君がもとにぞ つかねあつむる」


宗二朗の詠む声が、閉ざされた俺の心に突き刺さる。

いつだっておまえは、無駄に気障で、しつこくて、八方美人で、だが俺に関しては徹底的な独裁者で、それで俺を支配した気分でいい気になりやがって…


目を開けたら、暗く浮かぶ水平線の天に三日月があった。

色の無い痩せた欠片は、俺の魂のようで…なんだか哀れに思えた。

それでも日が経てば、あの月も丸く膨らんでいくのだろうなあ…


こんな愚かな俺を今でも愛しているという宗二朗の奇特な想いに、応えてやろうか…。

それとももう少しこのまま何も応えずに、捻くれていようか…なんて…さ。


下らない思考よりも身体が求めていたんだ。

そいつが俺の本音だってわけだな。

宗二朗はとっくにお見通しで、俺を壊すことに夢中で、俺の身体は宗二朗の与える屈辱に喜んでいるわけで…

俺はもう、宗二朗の事しか考えたくなくなってしまったんだ…



それでも眠りにつくと、またあの声が俺を襲う。

おまえが幸せになるなんて、許されることじゃないのだと、俺を責める。

それはそうだな。

死んでしまったあの子には、もうなにひとつ得ることはできないのだから。



あれからひと月、ニューヨークのアパート。

診療科の病院へ通い治療を受け始めてから、失声症とパーソナリティ障害の症状は回復傾向だが、まだ他人と陽気に話したりは出来ない。

知らない人の前に立つと緊張し、ちょっとした挨拶でさえ言葉が出て来なくなるのだ。

宗二朗は「おまえが浮気できなくて、ちょうどいいわ」と、嫌味を言うのだが、この歳でひとりで外にも出れないなんて、ざまあねえ…


「おい、誠。また泣いているのか?」と、宗二朗は夢で泣く俺を笑う。

居間で勉強する宗二朗を見ながら、ソファで寝付くのが俺の日課になっていた。

宗二朗はベッドで眠れと言うが、おまえが居なくちゃ意味がないってわかって言うのだから、歪んでいる具合は俺と同じだな。

俺は大分素直になってしまったけれど…。


濡れた俺の頬を拭き、額に何度もキスをくれる宗二朗にほだされて、つい弱みを愚痴る。

「…俺は…どうすればいいんだろう…。あの子が可哀想だ…」

「馬鹿だな。おまえ、その子の親なんだぜ。そいつの名前を呼んで、『悪かったな、坊主。まあ、機嫌直せや。よっしゃ、今度一緒にキャッチボールでもしようぜ』って、言ってやれ。おまえのガキだから捻くれてはいるだろうが、ちょっとぐらい乱暴に躾た方が、喜ぶと思うぜ。じゃなかったら、俺を呼べよ。いっくらでも叩きのめしてやるよ」

「…」

アホか。夢の中までおまえに破壊されたくない。

と、憮然となったが、なるほど一理あるものだと、思った。


俺はあの子の名前を呼んだ記憶がない。

父が決めてくれた名前だった。

嶌谷家の跡取りが出来たと、喜んでいたっけ…

母は「赤ちゃんの時の誠ちゃんにそっくりだわ」と、涙を浮かべていたっけ…

俺は何重にも親不孝をしてきたのだな…

何も返すことができなかったけれど、生きることを許してくれて、ありがとうございます。

きっと、いつか、頭を下げに行くよ。

それまで元気で…。


「おい、誠。聞いてるか?今度、ガキが夢に出てきたら、俺を呼ぶんだぞ!」

「…」

五月蠅いよ、宗。

少し黙ってろ。また眠くなっちまったじゃないか…

おまえは現実の俺を抱きしめてくれれば、充分だよ。

俺はもう…幸せだから、心配すんな…



そして、同じ夢を見る。

「お父さん」と、苦しげな声で呼ぶから、俺は目を開けて、あの子の姿を探す。

遠くに小さな影が見えた。

俺は、勇気を振り絞って、大声で叫んだ。

「け…賢一郎!…賢一郎!こちらへおいで!お、お父さんと、キャッチボールをしよう!」

あの子が俺に駆け寄ってくれた。

ニコニコと笑いながら…

涙が溢れた。賢一郎の姿が滲んでどうしようもない。

宗二朗がここに居なくて本当に良かった。

また嫌味のネタにされるに決まっているからな。


「…お父さん」と、恥ずかしそうに俺を呼ぶなら、

「ありがとう、賢一郎」と、頭を撫でて応えた。

「ね、早くキャッチボール、しよ」と、賢一郎が笑う。

頷いたものの、多少の問題があることに気づいた。


俺は生まれてこの方、キャッチボールで遊んだ経験など、なかったんだ。




    終




これで宗二朗と誠一郎の恋物語は一応ハッピーエンドということで、終わりになります。

ありがとうございました。

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