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14 最終話


誠一郎を乗せたドライブの目的地は、会員制のリゾートホテルだ。

俺の留学が決まった時に、ここの会員でもある晟太郎伯父が俺をここに招待してくれたんだ。

広いベランダから見渡す限りの太平洋を一望できる雄大な景色に見惚れ、晟太郎伯父とふたりだけで、長い時間をかけて将来の話をしたんだ。


前もって携帯電話で、連絡をしていたとは言え、足元のふらつく誠一郎とそれを抱えながらの俺の姿に、フロントで迎えるスタッフは少々訝しい顔だ。

確認の為に晟太郎伯父に連絡を入れたスタッフは、それを確かめた後、やっと俺たちを部屋に案内してくれた。


取り敢えず食事のルームサービスを頼み、何日も風呂に入っていない風の誠一郎を洗うために、海が見えるジャグジー付きの風呂に湯を入れた。

最初は嫌がる仕草を見せた誠一郎を、無理矢理風呂場に連れ、服を脱がすと、仕方なく風呂の椅子に腰かけた。

それきり誠一郎は何もしようとしない。

「なんだよ。俺に洗えってか?」

呆れながらも俺もパンツ一丁になり、痩せた誠一郎の身体を洗ってやった。

身体と髪の毛を洗い、伸び放題の髭も丁寧に剃ってやった。

「今、難しいとこだから動くなよ、誠…」

誠一郎は薄く目を開けたまま、俺の言うとおりにじっと動かない。

おかげで綺麗に剃れた。

一段落が付き、誠一郎を湯船に入れたは良いが、そのままひとりにしておいたら、溺れそうな気がして仕方がないから俺も裸になって一緒に入った。


バスタブは二人が入っても余裕があるほどの広さで、案の定、俺が湯船に入った勢いで誠一郎の身体が滑り落ち、溺れそうになるところを、俺はあわてて腕を掴んで起き上がらせた。

「このザマを見られたら、由ノ伯母でも過保護すぎるって絶対馬鹿にするよなあ…」

今まで知らずにいた意外と世話好きの性分に、俺は自分で大笑いをする。


誠一郎を安定させるために体育座りをさせ、背中から抱き、窓ガラスから見える海に沈む夕日を眺めた。

「なあ、誠。昔…まだ俺が小学生の頃、よく一緒に風呂に入ったりしただろ?俺も大概捻くれていたけど、本当はさ、嬉しかったんだぜ。誠は俺の頭を洗ってくれたよね。俺が適当に済ますから、そんなんじゃ駄目だって、すげえ丁寧に洗ってくれただろ。目にしみて痛いって言うのも聞かずにさ。あれ、本当は俺を苛めて楽しんでいたんだろ?おまえ、ムゴイとこあるもんな」

「…」

「おまえと一緒なら、なんだって楽しかったし、嬉しかったんだぜ。顔や言葉には出さなかったけれど…。俺も居候の身だったし、子供ながらもおまえが羨ましかったりして、素直じゃなかったんだよな。でも、もう我慢しねえよ。おまえにだけは、なんだって…心を曝け出すことにした。こんなになってもおまえを抱きたいって、思っているんだってこともな…」


俺は髭を剃った誠一郎の肌触りに満足して何度もキスをしたり、身体の彼方此方を愛撫したけれど、誠一郎の身体は一向に感じたり、興きることもない。

本当に性欲さえもなくなってしまったのだろうか…

それとも無理矢理でも抱いてみたら、もしかして覚醒したりするのだろうか…

いや、無理だ。こんな弱々しい誠一郎に無理強いをさせてしまったところで、誠一郎の精神に負荷をかけるだけだし、もっと根本的な障害に立ち向かわなきゃ、誠一郎の閉ざした扉は開かないだろう…


俺には誠一郎を苦しめているものが何なのか、わかっていた。

俺だってそれに目を瞑りたくて仕方がない。だけど、それじゃあ、俺達は顔を上に向けて歩けねえんだよな。


「三日前にな、八千代が俺に会いにニューヨークまで来てくれたんだ。新婚旅行って嘘ついてまで、嶌谷の家やおまえを心配して、俺に何とかしてくれって言いに来た。誠、おまえも大人なんだから、本気で心配している奴が居てくれる事を自覚しろ」

「…」

「それからな、八千代の旦那と赤ん坊にも会ったよ。旦那の真先さんもいい人でさ、八千代もちゃんと奥さんとお母さんの顔になっていたよ。…赤ん坊、聡良っていうんだけど、七か月だそうだが、めちゃくちゃかわいらしくてなあ。あの頃の赤ちゃんってみんなそうなのかな。無垢な目ん玉して俺を見つめて、まるっきり信用しきって、抱かれるんだよなあ。笑うだけでこっちもつられて笑っちまう…。天使ってみたことねえけど、天使よりもあの頃の赤ん坊の方がずっと純粋無垢だと思うぜ。…きっと…誠一郎の子供も、聡良みたいに可愛かったんだろうな…」

俺の言葉に、誠一郎の身体が一瞬震えた。


「俺はさ、おまえが父親になったって聞かされて、相当落ち込んだし、憎んだりもしたさ。でもおまえが赤ん坊を抱いている写真を見たら、心の半分はおまえらの幸せを願った。…生まれた子供に罪は無い。おまえだってわかっていたはずだ。だけど、おまえが子供を愛せなかった理由は理解できるし、離婚だって愛がない家庭生活を続けるよりもよっぽどいい選択だったかも知れない。子供が病気で死んだのだって、誠一郎の所為じゃないし、誰もおまえを責めないだろう…。でも、そうじゃねえよな。子供が生まれた責任はおまえだし、その子が死んだのも…父として愛情を注げなかったおまえに責任があるよな」

「…」

「…おまえが自分の子供を愛せなかったのは、俺の所為だ。だから…俺もおまえと同罪だし、この罪は死ぬまで消えないだろう。…俺は時々思うよ。あの時、おまえが結婚するって決めた時、なんでこんな風におまえを引きずっても、誰にも誠は渡さないってジョー伯父たちに宣言しなかったのか…。おまえが俺を愛してくれているのも、わかっていた。なのに、俺は留学と言う汚い手を使って、おまえから逃げたんだ。…結婚がおまえを幸せにするわけないって思っていたし、そう願っていた。おまえが離婚した時、嬉しかったのも事実だ。でも、本当は…結婚とかそんなもの関係なく、俺達は愛し合っていれば良かったんだ。おまえも俺も、もっと大人でどんな理不尽なものでも太刀打ちできる強靭な心でいれば良かった…。でも、今になってそんなことを言っても時は戻らないし、死んだ命が生き返るわけでもない…。おまえに愛されなかったとしても、たった三年間しか生きて来なかったとしても、その子の生まれた意味がないなんて…俺は言わせねえよ」

「……うっ…」

誠一郎はとうとう息をつまらせて、むせび泣いた。

俺は誠一郎の震える肩を抱きしめた。


随分長い間、苦しんでいただろう。

生まれた子供を愛せない自分を呪い、俺を愛したことを悔やんだことだろう。

「子供の死」を自分の罪だと責め、自分自身を追い詰めるしか方法がなかったのだろう。

本当に自分の死を望んでいたのかもしれない。

そして、俺の救いを待っていたのかもしれない。


俺は…すべての罪を背負ってでも、おまえを決して離さないよ。


「なあ、誠。おまえが元気になったら、ふたりで手を合わせに行こう。許してもらえなくても頭を下げに行こう。そして、生まれてきてくれたことに礼を言おう。俺とおまえがこうして手を握り合えたことを感謝してるって…な、誠…」


子供の様にあからさまに顔をぐしゃぐしゃにして、泣きやまない誠一郎を、俺は愛しいと思った。暗闇の扉は少しは開いただろうか。

なあ、誠…手を伸ばしてくれよ。

そしたら俺がその手を引っ張って、光を見せてやるから…



風呂から上がった誠一郎にバスローブを着せ、シャツと下着は備え付けの洗濯機へぶち込んだ。

湯あたりなのか、泣き疲れたのか誠一郎はソファに凭れかかり、疲れた顔をしている。

濡れた髪をドライヤーで乾かしてやり、ルームサービスの食事を摂るようにデーブルヘ座らせ、食の細くなった誠一郎の身体を考えて頼んだお粥を勧めた。

俺は勿論、血の滴るようなステーキだ。

「美味い!やっぱりアメ牛よりも霜降りの和牛が何倍も美味いねえ~。誠も食べるか?」

誠一郎は弱々しく首を振る。

誠一郎の横に座った俺は、食べようとしない誠一郎にスプーンを持たせ、「食べるんだ」と、命じる。

すると、やっと一口だけ口に入れる。

それを見届け、俺も肉を食べ、今まであったことを喋り始めた。

そして、じっとしたまま、食べることを忘れた誠一郎に「ほらほら食べて」と言い、口に入れるのを確かめ、俺も食事を勧める。

なんだか、マジで子供に食事の仕方を教えているみたいだ。


「ちゃんと食べねえと誠をニューヨークに連れて行けなくなるだろ?俺、二週間後に卒業試験があるんだぜ?そりゃ、卒業証書をもらわなくても別段困りゃしないけど、ここまで応援してくれた家族に何かを残してやんねえとな」

「…」

「それから、ジョー伯父に頼んで、就職先は海外の嶌谷のグループ会社に入社させてもらえるよう頼むつもりだ。しばらく日本から離れて暮らした方が誠にとっても俺にも都合がいい。五年も離れ離れで、かなりおまえに餓えてるからさ。ちょっとやそっと抱き合ったぐらいじゃ、満足できそうもねえの。いいだろ?誠」

「…」

「だから、沢山食べて体力つけろ。腹上死なんてことにならねえようにな」

「…」

俺の言葉に、誠はしばらく躊躇い、そしてゆっくりとスプーンの粥を口に入れた。

俺の欲望を受け入れたと理解し、なんだか嬉しくなった。

おかげで俺は益々饒舌になっていく。



「…それでな。ニューヨークでお世話になった鳴海先生って人が、ジョー伯父の学生からの友人でさ。とても素晴らしい人だったんだ。で、ほら、俺達の因縁の『あさましや こは何事のさまぞとよ 恋せよとても生まれざりけり』って和歌。あれ、俺はジョー伯父に教えてもらったんだけど、晟太郎がこの和歌を渡した相手が、なんと、その鳴海さんだったんだ」

「…」

「すげえって思わないか。ジョー伯父と鳴海さんは今でもお互いを一番信頼する相手だと認め合っている。友情なのか愛とか恋とか…積み重なった年月だけ、お互いも想いも深くなるんだろうね…。俺は尊敬するよ。俺達も晟太郎たちを目指してみっか~。さあ、もう一口食べてみて」

「…」


風呂に入って居た時とは違い、誠一郎の青白い顔に血色が戻り、表情も大分穏やかになり、俺は心底安心した。

絶対に俺がおまえを治してやるからな、誠一郎。


「なあ、覚えているか?…俺が留学を決めたあの夜、おまえは俺にこの和歌を渡したよな。あの時は、返歌もできる状態じゃなかったけど、後になってすげえ悔しくてな。そんでいい返歌を色々探してみたら、お誂え向きの良い和歌を見つけたんだ。さすがは恋の導師西行先生だっておまえも唸るぜ。…聞きたいか?誠」

「…」

誠一郎は微かに頷いた。

俺は間違わないように、頭の中の記憶をしっかり確認し、朗々と詠った。


「『さまざまに 思ひみだるる心をば 君がもとにぞ つかねあつむる』(あなたを想っては様々に乱れる心は 最後にはあなたのもとに束ねられ 集めるのです)」

「…」

「…なあ?良い和歌だろ?今まで散々苦しんだおまえへの想いは、結局おまえでしか慰められねえんだよ…。俺も誠一郎じゃなきゃ、全然駄目だってことさ」

「……」

「だから、お互いが笑えあえるように、…なろうな、誠」

「……ああ…」

擦れた声で、誠一郎は俺に初めて返事をくれた。


誠一郎の食欲は情けない程に慎ましく、注いだお碗の半分程の粥を残したが、言いかえれば半分は食べてくれて良かった…と、思うことにした。

疲れた様子の誠一郎をソファで休ませ、俺は洗濯機を回し、簡単な後片付けをしていると、ワゴンを下げに来たスタッフがドアを叩く。

ちょうどいい所に来たと、飲み物や明日の朝食のメニューを頼んだ。

二、三日ここに滞在するつもりなら、下着やらシャツも要るからと、近くの店を教えてもらった。

「お連れの方の具合は…いかがですか?もし、宜しければ医師を呼ぶこともできますけど…」

親切心なのか、猜疑心なのか…若い女のスタッフは俺と誠一郎に興味津々の様子。

「大丈夫だよ。ただの二日酔いだから。疲れも溜まっているから、二、三日リラックスできたら調子は戻ると思うから…気にしないでくれ」

「わかりました。では、なにか用事がありましたら、いつでもお呼びください」

「はいはい」


ホテルだから他人の干渉は仕方ねえけれど、ニューヨークと違って、男二人と言うだけで、変に見られるのも、めんどくせえな~。

まあ、このくらいで凹む俺様でもねえけれど、これからは世の中の偏見からも誠一郎を守ってやらなきゃならないんだ。


リビングへ戻ると、さっきまでソファに居た誠一郎の姿が見えない。

「どこ行った?」

そう広くもない部屋をぐるりと歩きまわり、開けっ放しになった廊下のつきあたりの寝室へ辿りつく。

覗いてみると、ダブルのベッドに横になった誠一郎が仰向けになって寝ていた。

宵は終わり、開け放った広い窓枠の向こうには、深い群青の海が見える。

誠一郎は首だけを横に向け、それを眺めている。

バスローブの裾がはだけ、片方の足は太ももまで見えてしまっている。

俺は誠一郎の足元に腰をかけ、冷たくなった足を撫でながら、海に目をやる誠一郎を見つめ続けた。


エアコンも入れていない薄暗い部屋には、程よい潮風と波のざわめきが、繰り返すだけだ。


静かに時は流れていく。



辺りは次第に暗くなり、誠一郎の輪郭だけが僅かな光に反射して、白く浮き上がる。


誠一郎は見つめ続ける俺の方を向き、そして俺を見上げた。

俺達は何もせず、何も言わず、ただじっと互いを見つめあった。

繰り返す波と音と、肌を撫でる風だけが俺たちを見守っているような気がした。


…長かったなあ、誠。

おまえと出会って、恋をして、これまで愛し続けたんだぜ。

そのお蔭で嫌と言うほど苦しんだし、孤独にもなったし、おまえを憎みもしたけれど、どの感情だって、今になって思えば、愛おしいばかりだ。

おまえもそうじゃないか?

…そう思って欲しいよ。

なにひとつ無駄じゃなかったって。

ここにこうして居られることの幸いを感謝して、今まで歩いた道程を互いに語り明かしたい。

きっと話せる。

そんな日が来るよ。

本当はさ、嶌谷の会社経営もこれからが正念場っていうのは、わかっているんだ。

浮かれたバブルの終焉も近い。あちこちの優良企業も軒並みに悲鳴を上げている。

うちだってグループ企業の悪化は誰の目から見てもわかるし、縮小やリストラも視野に入れなきゃならないだろう。

晟太郎は何も言わないけれど、本当は息子たちがこんな恋愛ごっこをしている場合じゃないって、怒鳴りたい気持ちだろう。

晟太郎の後を継いでやる…だなんて、軽口を叩けるほど、俺だって自信があるわけじゃねえよ。

でも、俺には守るべき家族がある。

愛する者がいる。

俺を支える礎がある限り、俺はどんな困難にも絶対負けねえからな。


己の想いに浸っていると、ふと誠一郎が手を伸ばして、俺の手に重ねてきた。

俺は嬉しくなって、その手に指を絡める。

サイドテーブルの淡い光が灯る。

薄暗闇に浮かぶ誠一郎の目に、その光が映えた。俺はそれをもっと見たくなって、誠一郎に顔を近づける。

俺の影になった誠一郎の綺麗な顔を、俺は優しく撫でた。

誠一郎は一度目を閉じ、そしてゆっくりと目を開けて、俺を見つめた。

その目には俺が映っている。


「そ……宗二…」

「…ああ、俺はここだよ、誠」

「俺を…壊して…くれないか…」

「……」


息ができなかった…胸が締めつけられ、目の奥がジンと痛んだ。


「誠…」


これ位で泣くだなんて、ガラじゃねえな。でもさ…

おまえが俺を…受け止めてくれたことが、嬉しくて…仕方ねえんだよ。


「…ああ、いくらでも壊してやるよ」


俺はゆっくりと、誠一郎の身体に重なった。




   happy end



挿絵(By みてみん)


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