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12、


「そうは言っても、まだ離婚は成立していないみたいよ。子供の親権の事で実家の親同士がもめているのよ。誠ちゃんは…無理だって言い続けているみたいだけど、伯父さまや伯母さまが子供だけは嶌谷の名を継がせたいって…」

「そう…か…」

「律子さんはね。ああ、誠ちゃんの奥さんね。とっても控えめな人で、誠ちゃんの良い奥さんになろうと彼女なりに努力していたんだけど…誠ちゃんには合わなかったみたい。私も嶌谷の家に行く用事がある時は、一応気遣って声を掛けたりするんだけど、会う度ごとに二人の顔色がだんだん暗くなっちゃって…ふた月程前に、律子さんは子供を連れて実家へ帰られたのよ。離婚届も提出するだけだって。残念だけど…元に戻るのはもう無理ね」

「…」

どうにも言葉が出なかった。


大学のすぐ傍のワシントン公園内を歩きながら、八千代は「あ~、やっぱりニューヨークって緊張するけれど、自由を楽しむ空気がやたら漂っていていい感じね。私も一度はこんな街に住んでみたいわ~。まだ学生身分でいられる宗ちゃんが羨ましいよ。私ももう少し頑張って、留学続ければ良かったわ~」と、相変わらず鷹揚な様で伸びをする。


短大を出て嶌谷グループの物流事業会社に就職した八千代は、社長の母の元、末席の秘書として国内外を飛び回っている。

あれだけ嶌谷家の世話にはならないと息巻いていた八千代が、母の会社で働くことになったと聞いて俺は皮肉のひとつも言いながら笑ったのだが、本人は「家族全員に泣かれちゃったから仕方なくよ。でも結婚相手だけは、自分で選ぶからって条件をつけたわ。だって誠ちゃんみたいになりたくないもの」と、あからさまに誠一郎の結婚の失敗を詰った。


誠一郎…

おまえを本気で諦めようとしたことも事実だ。

離婚するかもしれないと聞いて、心が弾んだのも真実だ。

でも、結婚して子供までいるのに、その責任を担わないおまえには、正直腹が立ってしまうよ。


八千代が帰った後、俺は随分時間を掛けて、誠一郎への手紙を綴った。

真面目に綴ろうとするけれど、慣れない手紙には、心底苦労した。

心で思う事と、口に出す事と、文字にする事は、こんなにも意味が違ってしまうのだと、何度も呆れかえった。

なら、止めとけばいいのに、なにか言わなきゃならないというか…そんな使命感に襲われていたのかもしれない。

「馬鹿だな~、誠。初めから無理だって言ったろ?」なんて、皮肉めいた言葉さえ、何度も頭に浮かんではその都度消す努力を迫られた

誠一郎を傷つけたいわけじゃない。

だから、俺はひとつひとつの言葉に神経を使いながら、手紙を書いた。


「俺は今まで誠一郎を束縛したいとか、俺の愛を忘れるなとか、勝手なことを散々とおまえに言ってきたけれど、本当は誠一郎の幸せを願っている。だから子供や奥さんの為にも、自分の幸せを考えてくれ。もう、俺の愛はおまえを縛らないし、おまえは自由に誰かを好きになっても俺はおまえを憎んだりしないから。だから…もう、俺を忘れてくれていいんだ」

そんな意味を込めて書いた手紙を、俺は誠一郎へ送った。

確かに誠心誠意を込めた手紙ではあったが、俺の本当の想いなどはその文章にはひとつもないことは確かだ。


俺はただ…

もし誠一郎の離婚の決意が、俺の所為ならば、俺には責任があるのではないかと、いたたまれなくなっただけなのだ。

それが自身の保身だとは充分にわかっていた。


手紙の返事は来なかった。

そして、三か月後、正式に誠一郎が離婚したことを、母の電話で知った。

誠一郎は子供の親権を放棄し、養育のすべては奥さんが行うことになった。


母に晟太郎伯父と由ノ伯母の様子を聞くと、ふたりは思いのほか落胆していると聞く。

「それよりも…」と、母は言葉を濁した。

「何?…もしかして誠一郎?」

「うん。誠ちゃん、カミングアウトしたのよ」

「は?」

「自分はゲイだから、女性を愛せないし、これからも結婚はしないって…」

「それを…ジョー伯父と伯母さんに言ったの?」

「うん。兄はそれほどでもなかったけれど、よっちゃんはさすがにショックみたいで、しばらく寝込んでいたのよ。まあ、今はなんとか落ち着いてるけれど…」

「…そう…」

「家族だけに留めておこうと思ったけれど、噂が広まってしまって…人の口に戸は立てられないって本当ね。誠ちゃんも否定しないものだから、あっという間に会社内に広がったの…」

「今時、ゲイだからって偏見とか差別とかはねえだろ…時代錯誤もいいとこだよ」

「そうは言うけれど…現実は甘くないわよ。誠ちゃん、すっかり自信なくしちゃって…。仕事はやれる子だし、なんとか助けてあげたいって思うけど、誠ちゃんはあんたと違って根が真面目だから、色々と嫌な目に合っているみたいで、…落ち込んでるのよ」

「母さん…俺、どうしたらいい?」

「あんたはそこで精一杯自分のやるべきことをして、早く晟太郎や誠一郎くんの役に立てる人間になれるようになって頂戴」

「俺…役に立てるかな…」

「何言ってるのよっ!あんたは…あんたじゃなきゃ…」

「…かあさん」

「あんたはね、ライオンなのっ!だから縮こまっていないで、傲岸不遜の嶌谷宗二朗でいなきゃならないのよっ!わかった?」

「ひでえ励まし方だなあ~。…わかったよ。とにかく自分を磨いて、誰にも文句言わせない男になって帰ってくるから、それまで嶌谷家を頼むよ、かあさん」

「うん。頑張るわ」

どう繕おうが、母の声は疲れていた。

母は晟太郎伯父と由ノ伯母を家族として愛していた。だから、彼らの苦しみを見かねたのだろう。

滅多な事ではしない俺への電話も、いたたまれなくて俺に助けを求めてきたのかもしれない…。

俺は母の運の悪さに同情した。


誠一郎の告白もまた…確かに驚きはしたが、遅かれ早かれこういう時が来ることは本人もわかっていたはずだ。

生まれつきの性向は、簡単に隠し通せるものでもない。

ただ、世間の道徳とは違うそれを、自身が罪に思うかどうかだ。


俺は…何も思わない。

だけど、誠一郎は未だに拘っている。

くだらねえよ、そんなもん。

結婚なんかせずに、俺のもんでいりゃ良かったのに…

そうは息巻いたところで、俺だって母の悲しむ顔が浮かばないわけでもない。


誠一郎の苦しみは、俺の苦しみでなのかもしれない。



誠一郎は俺には何も言わない。

この四年間、俺の名を呼ぶ声さえ聞いてはいなかった。

それでも…不思議とあいつへの想いは薄まらず、逆に愛の輪郭が冴え冴えと見えてくるようで、どうにも苦しい夜が続いた。

あいつも俺を想いながら、こんな夜を過ごしたりしたのだろうか…。

やはり、離婚したのは俺の所為だったのだろうか…。


誠一郎の真意はなにひとつわからぬまま、俺は勉強に打ち込んだ。

そして翌春には、ほとんどの単位を取得し、卒業試験を残すのみだった。

そんな時、八千代から俺に会いたいとの連絡が来た。

俺は八千代のお気に入りのワシントン公園のカフェで待ち合わせをした。

「ひさしぶりね、宗ちゃん。新婚旅行のついでにあなたの顔を見に来てやったわ」と、八千代は赤ん坊を抱きながら、俺の座るテーブルへ旦那と一緒にやってきた。


なんというか、八千代は俺の知らぬ間に、結婚して子供を産んでいたんだ。

知らぬ間というのは嘘で、本当は色々と聞かされていた。

相手の男性は下町の小さな板金工場の次男坊で、工場の経営を担当している。

どうやって知り合ったのかはよく知らないけれど、ふたりは運命の恋に落ち、結婚を誓い合ったと言う。

案の定、親や親戚はふたりの結婚なんて許すはずもなく、八千代はでき婚を強行した。親たちは激怒し、八千代は家を飛び出したが、生まれた赤子の顔を見たら、さすがの親も情が移ってしまい、仕方なくだが結婚を認め、現在、小さなアパートで三人円満に暮らしているらしい。


「赤ちゃんがこんなにかわいいなんて、思わなかったわ~。ねえ、うちの聡良あきらちゃん、かわいいでしょ?ねっ?ねっ?」

「…八千代はもっとモダンな女性になるんだとばかり思ったよ。なんだ、ただの親バカじゃんか」

「宗ちゃんも親になったらわかるわよ。ねえ~、真先さん」

真先と呼ばれた隣に座る男は、照れ隠しなのか「うん」と、一言だけ言うと目の前のレモンジュースを一気に飲み干した。

俺や八千代より五歳上だから、誠一郎と同じ歳なのだか、見た目はなんとも落ち着いた寡黙な男で愛想もないし、手も口も騒がしい八千代とは対照的に見える。だけど、目元の当たりが涼しげで笑う口の端に愛嬌がある。

「ねえ、真先さん。こんな五月蠅い八千代のどこが気に入ったんですか?」

「え?…え~と、なんとなく…ですかね」

「なんとなくとは失礼よ、真先さん!」

「…ごめん」

「そこは運命の赤い糸ですよ~、ぐらい言いなさいよ!」

「…そんなの無理だよ」

「言えるわよ。だって『君みたいな人に出会ったのは生まれて初めてだ』って、私に言ってくれたじゃないの」

「…うん。でも、まあ、人前で言うことでもないし…」

「ほらね、こんな調子なのよ。でもいいの。誰よりも私を愛してくれてるし、とっても優しいから。大好きよ、真先さん」


八千代にコクられた真先さんは腕に抱いた赤子と同じように顔を真っ赤にして俯いている。

「…真先さんっていいひと…ですね」

「ねえ~、いいひとなのよ~」

俺は必死に笑いを堪えながら、幸せそうなふたりの姿を眺めた。


「宗ちゃんも聡良を抱っこしてくれる?」

「え?大丈夫かな~」

「大丈夫よ。もう七か月だし、支えたら立てるのよ」

真先さんから小さな聡良を受け取り、むかえ合せに抱っこしてみた。

「へえ…。わあ、思ったよりも軽いけど、しっかりしてるね」

赤子の聡良は初めて抱き上げた俺を見ても人見知りもせず、あうあうと赤ちゃん言葉を言いながら、俺の膝の上で立とうとして、懸命に足を踏ん張っている。

その必死な姿に、ふいに俺の心が雷に撃たれたように痺れたんだ。


きっと…生きるってことは、誰に命じられるわけでもなく、こんな風に、ただ自分で自分を成長させようと懸命になることじゃないのかな…

少しでも高みに登ろうと俺の膝に何度も足を打つ聡良に、俺は誠一郎と自分を重ねた。


なあ、誠一郎…

俺達はこんなに必死に、何かを掴もうとしたことがあったのかなあ…

俺達の愛はこんなにも、無垢で輝けるものだったろうか…


俺はずっと…自分の身勝手なおまえへ愛を振り返るのさえ、嫌悪感を感じてしまう始末だよ。

今更、誠一郎に謝る気なんてないくせに…。

誰かに渡す気もないくせに…。



眠いのか、眼を擦りながらむずがる聡良を真先さんは抱き上げ、「しばらく聡良と散歩するよ」と、カフェを出て行った。

「ねえ、宗ちゃん。大事な話があるの」

「なに?」

八千代はそれまでの朗らかな表情を変え、神妙な顔をして俺を見つめた。


「誠一郎さんの事なんだけど…」

「誠が…どうかした?」

「宗ちゃんは気にならないの?離婚した後の話も、私に何も聞かないし…心配じゃないの?」

「…心配に決まってるだろ。ただ俺がバタバタしても仕方ねえことだし、俺は俺のできることをここでやるしかねえって…そう、思ってるだけだよ。もうすぐ卒業だし、そしたら、東京に帰って、嶌谷家の会社に就職するし、誠の話にも乗ってやれるから…」

「そんな悠長な事態じゃないわよ。誠ちゃん、今、大変なんだから」

「…どうした?」

「離婚したから関係ないと言えばそうなんだけど、…誠ちゃんのお子さんが病気で亡くなったのよ」

「え?」

「肺炎をこじらせて、あっという間だったらしくて、律子さんも実家の親御さんたちもとても悲しまれて…。伯父さまも伯母さまもそれは泣き疲れるぐらいに落ち込んじゃって…。でも誠ちゃんは…葬儀に参列しなかったの。それだけじゃなくて、それから仕事にも行ってないし…行きたくても行けないのよ。怯えちゃってて…。それで…ずっと部屋に引きこもってしまって…。食事も食べられないみたい。無理に食べようとしても吐いちゃうし…。だから時々点滴で栄養を取って…」

「なにそれ…重症の病人じゃん」

「誠ちゃんは病気なのよ。精神疾患の名前がいくつもついてる重症の病人なのっ!」

「…」

「一時は自殺未遂もあったんだけど、今はそれすらしようとしなくなって…。一言も喋らないって…伯母さま、泣いていらしたのよ」

「…」

「誠ちゃんは昔から繊細で、人の上に立つ性格じゃないってわかってたし、それを押しつけた周りも悪いし、精神的に弱い誠ちゃんも良くないけれど、宗ちゃんに何も責任がないって…言わないわよね」

「…」

「私ね、宗ちゃんと誠ちゃんの事、なんとなくわかってたよ。誠ちゃんが結婚して、宗ちゃんが留学したがった気持ちも理解できる。あれからね、宗ちゃんが留学した後ね…嶌谷家に行って誠ちゃんに宗ちゃんの話をするとね、誠ちゃん、苦しそうな顔をして黙るの。あのポーカーフェイスの誠ちゃんが、あからさまに険しい顔をするのよ。どれだけ宗ちゃんを想っているのか、鈍い私でもわかるよ。今度の病気のことでも私は宗ちゃんに早く帰るように伝えようと伯母さまたちに相談したんだけど、伯母さまたちは、ひとりで頑張ってる宗ちゃんに余計な心配かけさせるなって…」

「…」

「そうじゃないよね。誠ちゃんがああなったのは、宗ちゃんの所為でもあるでしょ?新婚旅行って嘘ついてここまで出て来たけれど、本当は宗ちゃんの、顔を見てはっきり伝えなきゃ、気が済まなかったの。こんなの…知らないままじゃ、宗ちゃんは…絶対後悔するよね」

「…八千代…」

「お願いだから、誠ちゃんを救ってあげてよ!」

八千代は懸命に涙を堪え、震える拳を握り込んで、俺を睨みつけるように見つめた。


俺は、なにも…なにも考えられなかった。

ただ、八千代の言った言葉が繰り返し、繰り返し頭に響いて…

俺は「わかったよ」と、八千代に返し、椅子から立ち上がると、急いで自分のアパートに帰った。

勿論、すぐに日本へ帰る為だ。



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